プロローグ 太郎君の事情
自分とは絶対に縁がないような美少女との恋。
地味で平凡な男子高校生が、特別な理由もなく憧れの美少女から一方的に好かれる恋愛物語。
その恋愛は架空。
現実では起こりえないからこそ、憧れに近い気持ちで読む物語。ずっと、そう思っていた。
だけど、今のぼくには彼女がいる。
もちろん二次元ではない。彼女をひと目見れば誰もが恋焦がれる。
そんな、とても素敵な女の子が。
ぼく、山田太郎は高校一年の今。
本気で恋をしている。
昼休みの中庭。
昼食後の穏やかな時間。
このひと時は、ついついまどろみを覚えてしまう。
たとえそれが好きな人手ずからの美味しいお弁当を食べた後の、二人で過ごす幸せな時間だとしても。
「聞いてます? 太郎君」
「う、うん、ごめん。聞いてなかった」
ボンヤリした返事に、ちょっとだけ眉を怒った形にする女の子。
頭から足まで、オール美少女としか表現できないほどの可愛いこの人が、なぜかぼくの恋人だ。
鬼頭真桜さんが彼女の名前。
成績優秀。容姿端麗。気品のある物腰。穏やかで優しい性格。と、どこを取っても完璧な子だ。
「もう、酷いなぁ。今度の日曜はどうする? って聞いてるんです」
「あ、うん。じゃあ、あのアウトレットモールに行かない? オープンから半年経ってるけど、じつはまだ行ったことなくって」
「いいですね。わたしも、まだ行ったことないの。ちょうど受験に重なる時にオープンしたものだから」
「そうだね。良い機会だし二人でまわろうよ」
「ええ。とても楽しみ」
ぼくの提案を彼女は嬉しそうに了承してくれた。その笑顔だけで幸せな気持ちでいっぱいになる。
彼女とは高校に入学して、たったの一週間でお付き合いをする事になった。付き合い始めて、もうすぐ二か月になる。
付き合い始めた切っ掛けは、彼女が落とした財布をぼくが拾ったからという、驚くほど些細な出来事。
そんな事で好意を持ってもらえるわけがないだろ! という声が聞こえてきそうだけど、本当にそうなのだから、ぼく自身が未だに信じられない心境だ。
なので隣でニコニコと微笑む彼女を見ても、この状況が夢なのではないか、と半分くらいは本気で疑っている。
「ねえ、真桜さん」
「なに? 太郎君」
「ぼくのどこが好き……なの?」
何度同じ質問を彼女にしてきただろう。いい加減ウザいとは自分でも思う。
でも、何度聞いても、その答えはぼく本人がどうにも納得できない事だった。
案の定、彼女は「またそれ?」といった半分呆れ、もう半分はからかうような表情になった。
「太郎君はその質問が本当に好きね」
「ご、ごめん。自分でもしつこいのはわかってるんだ。だけど、やっぱり何回聞いても、どういう事だろうって思っちゃって……」
「じゃあ、何回聞いてもそういう事なんだ、って納得してください。答えは簡単で単純よ。まず一つ、優しい所です。お財布を拾ってくれたじゃないですか」
「そんなの普通の事じゃない」
「はい、じゃあいつもの答えです。あなたの顔が好き。簡単に言えば一目惚れ。ふふっ、満足しましたか?」
「う……昔から地味だとしか言われたことないんだけど」
「その人達は見る目がないだけの事。……もしかしたらですけど、その言葉は、男子なら自分にはない物を持っているあなたに対するやっかみ、女子なら照れだったのかもしれませんね」
「う、うーん……?」
「いずれにせよ、あなたの魅力はわたしが知っていればそれで良い。それだけの事よ」
真桜さんは、なんの照れもなく、清々しいくらいにキッパリと言い切った。
彼女はとても可愛い女性だけど、こういったハッキリした態度は高潔ささえ感じてしまう。
顔が熱くなって、微笑む真桜さんをまともに直視できない。ずっと彼女といたいのに、今この瞬間だけはこの場から消えてしまいたいほどの恥ずかしさが、ぼくを襲った。
キーンコーン――
タイミングが良いのか、そこへ予鈴が鳴った。
「あ、あの。ぼく授業の前にトイレ行ってきます!」
「じゃあ、また教室でね」
手を振る真桜さんに手を振り返し、逃げるようにその場を去る。
中庭には多数の生徒がいた。その内の何人かが真桜さんを見たいがために来ている生徒なのは、ぼくも知っている。
ぼく達が付き合っているのは周知の事実だけど、それでも彼女の人気は男女問わず、とても高い。そしてその全員が「何であの山田なんかと?」と思っているのも想像できてしまう。
そんな情けない事を考えたぼくの目に、一人の男子生徒が目に入った。
彼は鬼頭龍生君。真桜さんの兄で、ぼく達と同学年。
眉目秀麗で、妹にも劣らない優秀な成績を誇る生徒だ。
なぜ兄なのに同級生かというと、真桜さんとは年子だから。見た目や成績などすべてにおいて、この兄妹はなにかと学校で話題の的。地味なぼくとは雲泥の差の学生生活だ。
その龍生君と目が合ったのでお辞儀をする。
「…………」
龍生君は無表情にぼくを見ただけで、まったくのノーリアクションだった。無視、といっても良いかもしれない。
ただ、これはいつもの事で、ぼくは彼とまともに会話をした事がない。
もしかしたら嫌われているのかと思い、以前真桜さんに遠回しに相談したら、彼女は「ごめんね。龍生はちょっとシスコン入ってるの。困った兄なんです」と、ウンザリしたように言っていた。
なので、『可愛い妹を奪ったムカつく地味男』といった風に見られているのかな、と戦々恐々している次第で。
ぼくとしては、真桜さんの家族とも仲良くしたいのにな。と思っているのだけど、こればかりは、ぼくが一方的に思っていてもどうにもならない。
時間はかかるかもしれないけれど、龍生君ともゆっくりと交流していこう! とトイレに向かいながら誓った。