愚痴を溢す「優秀」者
逃げたい、逃げたい。逃げられるものなら速く逃げてしまいたい。
だけれど、この想いを綴ってこの『逃』という文字を見るだけで私はどうしようもない束縛に捉えられる。
逃亡は敗北、許されない、皆の期待を裏切ることになる。
……そんな昔からの刷り込みが、洗脳が私を蝕んで雁字搦めに縛り付ける。
普段は励まされる、その天使の一言ですら私を襲う期待の手先なんじゃないかと疑る。
みんな、不幸になればいいのに。
人の不幸を見て、人が絶望してるのを見て、他人様が足掻いているのを見て、そんなことで心を満たす自分自身がこの上なく不幸。
そんなエゴ的な自分に嫌気がさし、それでも醜くあらざるを得ない。
全てを疑い、全てに不信にあれ。
親と、世間と、他ならぬ私自身が植え付けたこの考え方を蛇蝎のごとく嫌う。
人に本心を見せないように、本心を見せることは弱みを晒すことと同義であり、それ即ち私への信頼を崩すことになるから。
周りにいるみんなの、他人の期待と視線を裏切れば私の存在意義なんて何もなくなるから。
だから逃げられないし、追い詰められても本音を明かすことはできない。
どこかでその欠片でも溢した瞬間、私という存在は決壊してしまい、残るのは醜く呪詛を吐き続ける……まさしくゴミにしかならない。
この世に生を受けた以上、望んでもないなのに受けさせられた以上、その恩は返さなきゃいけない。
ぐちゃぐちゃと混線して、何が本当に言いたいのか自分自身でもわからず書き殴る。
ああ、そうだ。逃げたかったはずだ。
「上手くできた?」
四方から浴びせられるその言葉に嘘を塗りたくった私の口は自然と無難な答えを返し、その返礼として当然の如く期待をかけられる。
こんなことを始めたのは誰だ。
これが資本主義の醜さ、不平等なのか?
違う!
そうやって主語を拡げて、私自身がよく理解していないものに責任を押し付ける。
そうやっていつもいつもいつもいつも、誰かに責任を押し付けたつもりになって自分自身に蓄積させていたから。
醜いものに蓋をするように目を閉ざしていたから、今こうやって抑えきれなくなっている。
「普通」であれば失望の眼差しが私を貫き、「異常」であれば奇異の眼差しが私を貫き、他人様の思うがままの当事者たる私本人だけが見えていないレールの上を歩いていく。
何処からがレールで、何処からが道なのか、それすらもわからないまま、闇雲に私は怖がる。
その長く短いレールから脱線してしまうことを極端に恐れている。
もしかしたら、見えていないだけでもう脱線しているかもしれない。
周りの人は最早バットエンド一直線の私を見ものにするために集まってるのかもしれない。
それでも、他者の目がある以上私は歩き続けなくてはいけない。
私の意思でやったと思ったことが他者の意思によるものだった。
それがどうした?
元々こんなどうでもいい物語にすらなり得ないつまらない人生を……つまらない成功博打人生を歩んでるんだから欲張るな。
他者と比べて恵まれていることを自覚しろ。
才能が、環境が、私の心以外全てがその道に進めと行っているのだから、私の心さえ変わればいい。
──そうしたら誰の期待も裏切らずに済む。
今程「恋人」という存在が恋しくなった瞬間はない。
「恋人」……つまりは自分の弱味を何の憂いもなく言い合える、そんな存在。
人間は誰しも弱味があるんだから、その秘め事を打ち明かす存在が欲しくなる、それが恋人だと思うから。
でも、それすらも信用できない。
いつその関係が解消されるかわからない。
解消されようものなら、私の弱味は世界に拡がることになる。
なら、絶対に裏切らない存在が欲しい?
そんな傲慢な。
こんな面倒で、こんなゴミみたいな存在を裏切らない心優しい人がいるわけがない。
世の中の人間は誰しもが心優しい人の皮を被っているだけで、その裏には醜悪な本性が詰まっている。
他ならぬ私がそうだ。
更に言うなら、その「心優しさ」ですら私を傷つける刃物に成りかねない。
いくら偽善の善意とはいえ、形式上善意を仇で返すことは許されない。
それは世間の期待を裏切ることになるから。
自傷も、発狂も、激怒も、号泣も、その全てが期待を裏切ることになるが故に赦されない。
誰に?
私に?
世間に?
親に?
友達に?
恋人に?
違う、「存在しない物」に赦されない。
存在しない「集合意思」に私は許されない。
……怖い怖い怖い怖い。
私の欺瞞が鮮やかな手口で以て暴かれるその時が来るのが怖い。
家に帰る度、職場に行く度に、その通知が来るんじゃないかと滑稽にも恐れている。
何処にも属していない、何処にも縛られていない移動時間だけが誰も私に関心を持たない。
永遠に移動時間が続けばいいのに。
永遠に誰も私に興味を持たなければいい、のに。
そんなことを考え、勝手に追い詰められている移動時間。
ピロリン、と携帯の通知がなる。
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from:親
要件:資格試験、解いた感触どうだった?
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メールボックスの上に浮かぶ『5』という数字は永遠に減ることはなかった。