婚約破棄? いいえ、婚約辞退です。公爵令嬢は、もう人と関わらない、愛さない……?
2023.02.12 整合性のため、キャラの設定一部変更。
「漸く嵐が去ったか……」
俺は寝台から四日ぶりに立ち上がった。まだ、少々フラフラするが大丈夫だろう。
この四日間、高熱と喉の渇きに悩まされ続けた。熱は、どんなに冷やしても下がらず、渇きは、幾ら水を飲んでも癒されなかった。けれど、これは毎度のこと、慣れたことだ。一生懸命頑張れば耐えられる。しかし……。
「段々、日数が長くなって来てる。この分じゃ、後、五年がいいとこだろう。享年二十三か、短いな。でも、贅沢を言っても仕方がない。もっと早く死ぬ者は沢山いる」
アリシア……。
アリシアは俺の妹。容姿も性格も可愛い天使のような子で、家族全員に愛された。でも二年前に疫病であっさり亡くなった。十歳だった。
年が五つも離れていたし、たった一人の妹だったので(兄弟姉妹は他に、兄が一人、姉が三人)、俺はアリシアをとても可愛がり、大切に思っていた。だから、今でも彼女の顔や声を鮮明に覚えている。
アリシアは艶やかなブロンドを煌めかせ、その愛らしい顔を満面の笑みにして、気持ちの良いソプラノで言ってくれた。
『あたし、クラウスお兄さまのお嫁さんになる! だから、待ってってね、すぐに大きくなるから、すぐにね!』
小さな女の子特有の戯言。でも、可愛がっている兄としては、大変嬉しかった。
『そうか、それは嬉しいな。でも、ニンジンや玉ねぎを嫌ってるようじゃダメだな、何でも食べないと大きくなれないよ、アリシア』
アリシアは盛大に頬を膨らませた。
『もう! お兄さまのそういうとこキライ。やっぱり、お嫁さんになるの止める!』
ダメだ……。こんなの思い出しても辛いだけだ。アリシアはもういない、もういないんだ。俺は顔を洗おうと部屋を出た。廊下を歩きだしたところで初老の男性がこちらに向かって来た。父上だ、どうやら俺の様子を見に来てくれたらしい。父上は、このあたりの領主、一応、伯爵様である。
「クラウス、もう大丈夫なのか?」
「はい、父上、心配をおかけしました」
「そうか、それは良かった。でも、お前の体は、本当にどうなっとるんだ。二月に一度はぶっ倒れる。医者も全く原因を説明できん」
「ほんとですね、原因がわかれば良いのですがね」
嘘をついた。原因はわかっている。でも、対処法はない……。いや、本当はある。けれど、その方法は絶対とりたくない。家族には申し訳ないが、俺はこのまま死んでいく、そう心に決めている。
「ところで父上、俺が臥せっている間に、何か変わったことがありましたか?」
情報は本当に大切だ。うちの領地はかなり田舎だが、それでも色々な事は常に起こっている。残り少ない人生、少しでも良いから楽しみたい。
「変わったことか……。そう言えば、西の森のお屋敷に誰か、越して来たみたいだぞ。数日前から煙が上がっとる」
「西の森……、あそこはマインラート公爵様の領でしたよね。親族、もしくは関係者でしょうか?」
「さあな、わからん。だが、よく、あんな森の奥のボロ屋敷を使う気になったもんだ。隠者にでもなる気かのう。さぞ、偏屈なのが来たんじゃないか」
父上の話に興味を持った俺は、数日後、西の森へ出かけてみた。森の中の道は悪路で少々苦労したが、目的のお屋敷、長年誰も住まず放置されていたボロ屋敷に、なんとか辿り着けた。でも、そこで見た屋敷は予想とは違っていた。
確かに古い屋敷だったが、かなり修繕されていた。これなら住んでも、それなりに快適に過ごせるだろう。そして、そこに住んでいたのは偏屈な隠者?
全然違う。そのようなイメージの者では全く無かった。
「アリシア……、どうして……」
前庭に張り出したテラスに、十四歳くらいの美しい少女が、白い椅子に座りティカップを手に佇んでいた。ウェーブのかかった長い金髪を風にたゆらせ、その愛らしい顔に愁いを帯びて。
勿論、その美少女は妹のアリシアではない。でも、アリシアが生きて大きくなっていたら、このような姿になったのではと思ってしまうほど、彼女はアリシアによく似ていた。
「誰!?」
彼女は俺の呟いた声に気づいた。耳が良いな……。俺だって貴族の子息。騎士道精神は教えられている。か弱き少女を怯えさせる気は毛頭ない。すぐに彼女の前に姿を見せ、謝った。
「申し訳ございません。俺はクラウス・フォン・オトマイア。となりの領の主、パウムガルトナー伯爵の次男です。煙が見えておりましたので、つい興味本位で来てしまいました。驚かせるつもりはなかったのです。お許し下さいませ」
彼女は許してくれ、名前を教えてくれた。
「マインラート公爵が三女。オーレリア・フォン・ヴェルツィークです。先日、ここに引っ越してまいりました」
オーレリア嬢はお茶に誘ってくれた。一応、互いに挨拶はしたし、俺の存在に気付いた彼女のメイドがティセットを持って来てくれたので、これは自然な流れだった。
メイド、ナイス! 気の利くメイドは素晴らしい。後で知ったが彼女の名前はクロエ。オーレリア嬢がこちらに来る少し前に雇ったそうだ。
俺達は、とりとめのない話をした。彼女はアリシアのような快活な娘ではなかったが、ちゃんと自分を持った、しっかりした娘に思えた。俺は好感を持った。
「オーレリア嬢、こう言っては申し訳ないのですが、このような不便な所に、住まわれるなんて、退屈されたり、淋しくなられたりされませんか?」
「メイド二人と、下男が二人おります。本も王都の屋敷から沢山持って来ました。淋しいと思ったことはございません。それに……」
俺は聞きたかったこと、何故、貴女のようなうら若き女性が、このような所に住まわれるのですか? を、遠回しに聞いたのだが、オーレリア嬢は答えてくれた。
「それに、私は病の療養に来ているのです。もしここが、このように静かではなく、王都のように、賑やかで喧噪に満ちたところだったら、治るものも治らないではありませんか」
そう言って、彼女は笑った。
そして、彼女の声のトーンが変わった。
「クラウス様。私の病は滅多にうつるものではございません。ですが、絶対にうつらないとも言い切れないのです。ですから、もうここへは来て下さいますな。もし、クラウス様にうつったりしたら……。どうかお願いでございます」
目の前で頭を下げる彼女を見ながら思った。全くの嘘だ。
俺には、人の体の状態がわかる能力がある。オーレリア嬢は完璧に健康体、病の影なんてどこにもない。どうして、彼女はこのような嘘を……、どうして……。
俺は、オーレリア嬢の屋敷を後にした。そして、翌日。
「こんにちは、オーレリア嬢。ご機嫌いかがですか」
彼女の驚く顔を、俺はじっくりと堪能した。
+++++++++++++++++++++++++
クラウス様は、三日を開けず、通って来て下さいます。私は、何度も、もし病気がうつっては大変ですと申し上げたのですが、
「俺は一つちょっとした持病を持っています。けれど、それ以外の病には全く縁がないのです。風邪をひいたことすらありません。だから大丈夫です、絶対うつりません。心配なさらないで下さい」
心配はしておりません。だって、病気なんて嘘なんですから、ただ、クラウス様に私から遠のいて欲しかっただけ、私がクラウス様に親しみを感じるようになりたくなかったのです。だから、あのような嘘をつきました。
「それとも、俺と話したりするのは楽しくないですか? 俺のことが嫌いなら、そう言って下さい。ならば、もう来ません。一生、貴女の前に顔を見せないよう努力いたします」
「そんな、クラウス様のことをキライなどと言うことは決して……」
「それは良かった。ならば何の問題もない。これからも大好きな貴女の下へ通い続けられる、本当に良かった」
クラウス様は、なんて意地悪なんでしょう。搦め手で誤魔化した上に、「大好きな貴女」なんて文句を、さらっと混ぜ込んで来て……。
クラウス様は、私の(無理やり作った)素っ気ない態度にもめげず、もう一カ月近く通って来てくれます。人に親しみ、好意を覚えるのには十分な時間です。彼は、こちらの話、王都育ちの私が知らない田舎の珍しい話で、私を存分に楽しませてくれました。それに……、
はっきり言ってクラウス様はとんでもない美男子です。王都。都会で育った私は、何人もの素晴らしい貴公子を見て来ましたが、クラウス様ほどの方を見たことがありません。すらっとした体躯、艶やかな黒髪、白皙のお顔、そして、その完璧なまでに整ったお顔には、妖しささえ感じられます。
時々、そのあまりの美しさに、クラウス様は本当は人ではなく、森の精霊が人の姿をとって現れているのでは、と思ってしまうこともあります。しかし、当然そんなことはありません。彼は、普通の人間、家族への情愛に満ちた普通の人なのです。
『アリシア……、どうして……』
私は、お会いした最初の日に聞いた、このクラウス様の言葉がとても気になっていました。一カ月近く、ずっと気になっていたのです。勇気を出して聞いてみました。
「クラウス様。貴方が最初お会いした時に呟いていた、アリシア様という方は、どのような方なのですか? もし、よろしければ教えて下さいませんか」
彼は、私の途轍もない耳の良さに(本当に良いのです。友人達には地獄耳と恐れられました)、驚いておりましたが、アリシア様のことは、ちゃんと教えてくれました。アリシア様はクラウス様の五つ下の妹御で、二年前に亡くなられたとのことでした。クラウス様は大変可愛がっていたそうです。そして、そのアリシア様に私が大変よく似ていると……。
「でも、オーレリア嬢。誤解しないで下さい。貴女とアリシアの姿形は大変似ておりますが、俺が、貴女にアリシアを見ているなどと思わないで下さい。貴女は貴女、アリシアはアリシアです。それに、貴女とアリシアでは性格が全く違う、アリシアはとても快活、はっちゃけた子でした。貴女のような、淑やかな淑女ではありませんでしたよ」
そう言って、クラウス様は穏やかに笑われましたが、その笑顔の下に隠した深い悲しみは容易に見て取れました。クラウス様が帰られた後、私は自室に戻って反省しました。
あのような質問をするべきではなかった。クラウス様を悲しませた。そして、彼のことを、より知ってしまったがために、彼への想いがより深まってしまった。
ちゃんと言いましょう。私はクラウス様のことが好きです。こんな森の中に、引き籠っているような変な娘のもとへ、時間を割いて何度も何度も通って来てくれる人、それも全ての少女が憧れるような美貌をもった殿方に、好意を抱くなというほうが無理というものです。
でも……、私は、もう深く人とは関わらない。そう決めたのです。そう決めたから、このような森の奥に隠れ住んでいるのです。
私は、数カ月前にした、お父様との会話を思い返しました。
「オーレリア。陛下に、殿下との婚約の辞退を申し入れて来た、陛下も了承してくれたよ。婚約は正式に解消された。これでよかったんだな」
お父様の双眸が揺れています。私をちゃんと見てくれていません。いえ、見れないのでしょう、見たくても見れないのです。
「はい、お父様。あちらも喜んでいるでしょう、もう、二十歳を超えているのに、見た目が、小娘のままの私など気持ち悪くて、貰いたくなかった筈です。これで良いのです」
私は言葉の選択を間違ってしまいました。自虐の意味で使ったのですが、あのような言葉、お父様を悲しませることは明らかなのに……。
「すまない、オーレリア。我が家に異種の血が残っていようとは、お前に先祖返りが起ころうとは、思ってもみなかったんだ。許してくれ……」
お父様は私の髪をかき分けて、私の耳を触られました。
「この尖った耳。この耳が普通の耳であったなら、お前には、どんなに幸せな未来、輝かしい未来があったであろう。すまない、本当にすまない……」
お父様が泣くのを初めて見ました。もう耐えられませんでした。しがみ付きました。
「お父様! お父様が悪いのではございません。誰のせいでもないのです、悪かったのは運、私に運がなかったのです!」
私に先祖返りとして現れたのは、エルフの血。今はいなくなってしまった異種族の血です。
私達が住んでいる国、リースフェルト王国は建国以来、多くの異種族に攻め立てられました。しかし、私達の先祖は、勇敢に立ち向かい、それらことごとく打ち破りました。そして、大陸を平定。異種族は全て、王国軍に滅ぼされました。
でも、異種族は真の意味では消えていません。王国、王国民の中に、混血という形で残ったのです。ただ、異種族が滅ぼされて数百年もたっております。その血は代が移るごとに薄められ、その異種の形質が発現することは殆どなくなりました。ただ、殆どです、全くではありません。極稀な例として、今でも先祖返りする人はいます。
その極稀な例、それが私です。エルフに先祖返りした私は、耳が尖り、成長も老化も人より、ゆっくりです。昔の文献を見るとエルフの寿命は六百年。純血ではないので、そこまで長くはないでしょうが、普通の人より何倍も長く、私は生きるでしょう。
つまり、私の人生は、愛する者を見送り続ける人生です。皆、私を残し、先に、老い、死んでいきます。どんなに人を愛しても、人と愛し合っても、相手は、老いてヨボヨボになっていくのに、私の方は若いままピンピン。このようなこと耐えらえるでしょうか?
耐えらえません。私は、愛する人、人達と一緒に生きたいのです。共に生きて、共に老いたいのです。でも、それは不可能。私のエルフの血、呪われた血がそれを許してくれません。
私は決心しました。ならば、死んだように生きましょう。
もう、人とは深く関わらない。人が殆どいないところに、最低限の使用人を雇って住もう。その使用人も長く雇うことは止めよう。そうすれば、別れを悲しまずに済む。自分のエルフの血を恨み続けないで済むと。
これが最善の方法、一番、苦しまなくてすむ方法なのだと、必死で自らの心に言い聞かせました。
なのに、それなのに、突然現れた、クラウス様が私の決心を鈍らせます。そんな淋しい生き方はするなと呼びかけて来ます。
「オーレリア嬢、こんど風の丘に行ってみませんか? あの丘は、とても見晴らしがよくて、気持ちが晴れ晴れとする素晴らしいところですよ。俺のお気に入りの場所です、どうです、行きませんか? 貴女と一緒に行きたいのです、貴女と一緒に」
クラウス様。私も、出来るならそうしたいです。貴方と一緒に、生きたいです。でも、それは私には、出来ないのです。許して下さい。許して下さいませ……。
+++++++++++++++++++++++++
オーレリア嬢は、俺の外出の誘いに、どうしてもウンといってくれない。ならば、他の方法を考えよう、俺は彼女に生きる喜びを知ってもらいたい、この世を生きたいと思って欲しいのだ。だから、考える。必死に考えるのだ。
え? どうしてそこまでオーレリア嬢に肩入れするのかだって?
それは、彼女がとっても可愛い女性だから、というのが一つ。俺も男だ、心に嘘は付けない。でも、やはり一番の理由は、オーレリア嬢がアリシアに似ているから。彼女には、妹と貴女を重ねてはいないと言った。けれど、あれは嘘。本当は重ねてしまっている。どうしても、重なってしまう。
アリシアが疫病で亡くなる時、俺は何も出来なかった。俺に出来たのは、父上や母上の制止を振り切って、アリシアに付き添い、彼女の手を握り続けること。ただ、それだけだった。
「お兄さま、もういいよ、うつっちゃうよ。もういい……」
アリシアは、最後に俺に礼を言って亡くなった。残っていない力を振りしぼって、微笑み言ってくれた。
「ありがとう、お兄さま。ありがとう……」
しかし、俺にはアリシアに礼を言ってもらう資格など無い。俺が最後まで、アリシアの手を握っていられたのは、絶対に彼女の病気はうつらないと、わかっていたからだ。ただ、それだけだ。それだけなのに……。
恥ずかしくて、情けなくて気が狂いそうになった。二年たった今でも思い出すと心がジリジリする。自己嫌悪で吐き気が襲って来る。
もっと何かしてやれた筈だ、もっと何か!
だから、アリシアに、よく似たオーレリア嬢にはつい思ってしまう。アリシアの分まで、生きて欲しい。生きることを楽しめる素晴らしい人生を送って欲しいと……。
このように彼女への気持ち、心意気だけはあるつもりだが、俺が、オーレリア嬢の人生を応援するために考えた方法は、今一つ、ぱっとしないものだった。でも、外出しないでも出来るものという限定の中では、これくらいしか思いつかなかった。
俺は彼女の屋敷に、キャンバスを持ち込んだ。
「オーレリア嬢、貴女の絵を描きたいのです。モデルになって下さい」
+++++++++++++++++++++++++
クラウス様の指示が次々と飛んできます。
「動かないで。それと、表情が硬いですよ、もっと頬を緩ませて!」
「は、はい」
「返事はいりません。指示に従ってくれれば良いです、わかりましたか」
「はい」
「だから、返事はいりませんって」
絵を描くことは、クラウス様の趣味だそうです。人は趣味のことになると人が変わると言いますが、本当にそうですね。いつもの優しいクラウス様とは少し違います。少々理不尽です。
「あのー、お手洗いに行きたいのですが」
「さっき、行かれたでしょ。今、漸く筆がのり始めたところです。我慢して下さい。人生は何事も我慢、我慢が肝心ですよ。それに、オーレリア嬢。いくら好きだといっても、貴女はお茶の飲み過ぎです。お茶は利尿作用があるのです。これからは水にしましょう、水に」
前言撤回、少々ではありません。とっても理不尽、全くの理不尽です。
十日間、クラウス様の横暴に耐えました。耐えに耐え抜き、とうとう、私の肖像画は完成しました。
絵を描いてもらっている間、クラウス様には申し訳ありませんが、どうせ素人画家の絵、たいしたものは出来ないだろうと、私は考えていました(絵の途中経過は一切見せてもらえませんでした)。でも、出来上がった絵は、私の予想を遥かに超えた素晴らしいもの。本職の画家並み、いえ、それ以上の作品で、私の心を激しく揺さぶってくれました。
この絵の私は生きています、本当に生きているようにしか思えません! なんて素晴らしいんでしょう!
精一杯のお礼の言葉を述べました。
「嬉しいです、クラウス様。こんな美しく描いて頂けるなんて! この絵の私は、本物の私よりずっと奇麗です。特にこの表情、このような愛らしい表情は私には出来ません。本当に、嬉しいです。ありがとうございました」
「俺の描いたものでは、かなりの出来になりましたが。貴女の美しさの半分も表現できてない。もっと俺の腕が良ければと悔やんでしまう。もう少し、腕がマシになったら、もう一度挑戦させてください。次こそは! です」
「はい、はい、そうですね。そうでございますね」
「何ですか、その気の抜けたような返事は。傷つきますよ」
「だって、このような素晴らしい贈り物をもらえたのです。嬉しくて、嬉しくて。貴方の画家としての葛藤など聞いてられませんわ」
私は、この時、天にも昇るような気持ち、つまり舞い上がっていたので気がつかなかったのですが、後で、その時、傍にいたメイド、クロエが教えてくれました。
「幸せそうに絵を見つめるお嬢様の横で、クラウス様は本当に幸せそうでしたよ。お嬢様と同じくらい、幸せそうな顔をしておられました」
私は、頂いた絵を、自分の寝室に飾ることにしました。自分の肖像画を、自分の寝室に飾るなんて、自己愛が強過ぎるように思えて、普段なら絶対しないのですが、この絵に関しては違います。クラウス様は一生懸命、私のために描いてくれました。その気持ちが嬉しくて、愛しくて……。やはり、身近なところに飾っておきたいです。一番身近なところに。
絵を壁にかけ、悦になって眺めておりますと、クロエが、お嬢様、と声をかけてきました。
「どうしたのクロエ?」
「クラウス様に、何か、お返しを考えられては如何でしょう。貰いっぱなしというのは、いささかです。女がすたりますよ」
クロエの言葉に愕然となりました。私としたことが!
「そうね、そうよね。お返しはしなければ、いけないわ。でも、何をしたら良いのかしら? クラウス様は何を喜んで下さるかしら?」
一人で色々と考えてみましたが、良いお礼が、全く思い浮かびません。殿方へのプレゼント難しいです。結局、クロエに意見を求め、従うことにしました。
「オーソドックスですが、お嬢様が作られたクッキーを贈られるのはどうでしょう。こういうの、殿方は結構喜ばれます。そして、とっても安上がりです」
クロエが頼もしい姉のように思えてきました。
「でも、私はクッキーなんて作ったことがないの。クロエ、教えてくれる? 手伝ってくれる?」
貴族令嬢の殆どは台所に立つことなどありません。私もそうでした。
「わかりました。見た目ばっかりのお嬢様の面倒は、私がみましょう。このクロエお姉ちゃんに、ドーンと任せなさい!」
あちらも、私を妹のように思ってくれているようです。何でも姉頼りのダメダメな妹のように……。
「ギャア! お嬢様、私は粉をふるってと言ったのです。誰がぶちまけろと言いましたかー! ケホケホ!」
「私だって、ぶちまける気なんてなかったわ。でも、粉が鼻に入って、くしゃみが出てそのせいで、ケホケホ!」
「もうダメ! お嬢様、いったん外へ出ましょう、この粉地獄から外へ! 粉塵爆発なんてゴメンです! ケホケホ!」
このような紆余曲折、艱難辛苦が多々ありました。それでも私達は負けませんでした。クラウス様にお贈りするクッキーは、翌朝、ついに完成しました。味も焼き具合も完璧です。これぞ、ザ・クッキー、クッキー・オブ・クッキーです。私達は感涙に浸りました。
「クロエお姉様。私達はやりとげたのですね、ついにやり遂げました!」
「うう、そうね、オーレリアちゃん。貴女はやり遂げた。でも、クッキーごときを作るのに、一晩。これは、悪夢よ、信じられない悪夢だわ!」
そう言って、クロエお姉様はバタンと倒れられました。可哀そうに、疲れておられるのですね。私はもう一人のメイドと下男を呼んで、彼女を部屋の寝台へと運んでもらいました。
「クロエお姉様、貴女の死は無駄にはしません(死んでないです。クロエ談)。クラウス様は、私のクッキーを、涙を流して喜んで下さるでしょう。きっと、必ずや!(大袈裟です、お嬢様。クロエ談)」
私は胸をワクワクさせながら、クラウス様が来られるのを、今か今かと待っていましたが、その日は、ついに来られませんでした。でも、一日や二日来られないことは良くあることです。明日こそ来てくれるでしょう。私はたいして、がっかりもせず明日を待ちました。
翌日、彼は来てくれませんでした。
その翌日も、
そのその翌日も、
そのそのその翌日も、
以下略。
私はパニックを起こしかけていました。
「クロエ、おかしいわ。クラウス様が七日間も来られないなんて、今まで、こんなこと無かった。絶対、何かあったのよ、あったに違いないわ!」
クロエも同意してくれました。
「そうですね。あの律儀な方が、こんなに来られないなんて変ですね」
「そうよ、変。変なのよ!」
「では、お嬢様。クラウス様のお屋敷。パウムガルトナー伯爵邸を訪ねられては如何ですか」
クロエの提案に固まってしまいました。私は、クラウス様のお家、彼の家族の元を訪れることなど、全く頭にありませんでした…………、いえ、違います。本当は、心の奥底にはありました、でも、私がした決心、人と関わらずに生きよう、そうして、穏やかに静かに死んで行こう、が、そう思うのを邪魔していたのです。
はは、笑えますね。何が、人と関わらずに生きて行こうですか。私はクラウス様と関わっています。彼が十分深く、私に関わってくれています。私の心を、がっちりと掴むくらい十分深く……。
それでも、私は臆病者でした。とんでもない臆病者。
「で、でも。いきなりお訪ねしたら、なんて礼儀知らずな娘だと思われるわ。ここは、先に、訪問の打診を……」
「何を悠長なことを。この際、儀礼などはどうでも良いではありませんか。今すぐ行きましょう、私も一緒に行きます、勇気を出されませ。お嬢様」
クロエの言葉に励まされた私は、下男に馬車を出してもらいました。その馬車の乗り心地は最悪。今住んでいる屋敷に来る時に一度通ったので知ってはおりましたが、道の悪さを再確認しました。このような道を、クラウス様はいつも、私に会うために……。そう思うと、愛しさと切なさが押し寄せて来ます。これからは、彼にもっと優しくしよう、きちんと向かいあおう、そして、ちゃんと私の心を……。
「クロエ、私はクラウス様のことが好き、大好きなの、だから、だから……」
涙が止まりません。次から次へと湧き出て来ます。
「わかってますよ。クロエはお嬢様のお気持ちは、わかってますから」
クロエは私を抱きしめてくれました。強く、そして、優しく。私の涙は更に増えました。
「オーレリアお嬢様。貴女は手間のかかるお嬢様です。なんて手間のかかるお嬢様なんでしょう。本当は、私より……上なのに」
感情の嵐の中でクロエの声はちゃんと聞き取れませんでした。けれど、クロエが落としてくれた涙は、首元で、しっかりと感じました。なんて温かい、まるでクロエの心のよう。この後、私たちは必死で、涙の跡を拭いました。クラウス様のお家はもうすぐです。もうすぐ、お家につきます。
突然訪問した私達を、パウムガルトナー伯爵様は、すんなりと迎え入れてくれました。
「オーレリア嬢。貴女のことは、クラウスからよく聞いています。ですが、驚きました。貴女は、私の亡くなった娘アリシアに本当によく似ています。クラウスは嘘を言っていなかったのですね。瓜二つという言葉を疑ったのを、あやつに謝らねばなりません」
クラウス様の御父上も、クラウス様と同意見。アリシア様と私は似ているのは事実のようです。お会いしてみたかったです、残念です。
「伯爵様。それで、クラウス様は……」
「あやつは今、臥せっています」
「臥せって! ご病気なのですか!」
「ええ、まあ。病名さえわかりませんが、クラウスの持病なのです。二月に一度は必ず、ぶっ倒れます。大体は数日で回復するのですが、今回は長いですね。今日でもう七日目。今までで、一番長いかもしれません」
そんな……。クラウス様からは持病のことは聞いていました。でも、ちょっとした持病だと……。どこが、ちょっとした持病ですか、二月に一度は倒れるのは、ちょっとした持病なんかではありません。
「お見舞いを申し上げること、お会いすることは出来ますか?」
「会うのはちょっと……」
そうおしゃられる伯爵様に私は食い下がりました。どうしても、クラウス様の状態を自分の目で確かめたかったのです。私の懇願に、伯爵様は折れてくれました。
「では、扉から様子を見るくらいなら、それで宜しければ」
「はい、それで結構です。お願いいたします」
扉のところから見た、クラウス様の病状は私が覚悟していたものより、更に悪く思えました。すごく高い高熱が出ているのでしょう。熱を冷やすための濡れたタオルは、額に当てるそばから、すぐに湯気があがり、それをメイド達が何度も何度も替えています。
高熱にうなされたクラウス様が、苦しみのあまり声を発されました。
「喉が、喉が渇くんだ! この喉の渇きを、この渇きを何とかしてくれ! 助けてくれ!」
美しい初老のご婦人が(多分、クラウス様のお母様でしょう)、水差しを手に持ってクラウス様に呼びかけられました。
「水なら、ここよ。ここにあるわ、クラウス!」
「水なんか、ダメだ! もっと別のものをくれ! 別のものを!」
「別のものって何なの? 言ってくれなければ、わからない。言いなさい、クラウス、言うのよ!」
「別のものは、別のものだ! これ以上、俺に言わせるなー!」
クラウス様の言葉も、クラウス様の御母上の言葉も絶叫に近いものでしたし、メイド達も熱にうなされ暴れようとするクラウス様を抑えようと必死でした。
私も、クロエも、これ以上は見ていられませんでした。伯爵様にご厚意のお礼を述べ、御屋敷を辞去しました。
そして今、私は森の中の自分の屋敷に戻り、自分の寝室で、呆然となっております。目の前には私の絵、クラウス様が描いてくださった私の肖像画あります。絵の中の私は、柔らかな日差しの下、とても魅力的な微笑みを浮かべています。
なんて幸せそうなんでしょう。なんて……。
それなのに、本物の私は……
今日、彼のお屋敷で見た、クラウス様の状態、苦しみ様は、何時亡くなってもおかしくないように私には思えました。もし、このまま彼が亡くなってしまったら、二度と会えなくなってしまったら、と考えた時、私の世界は真っ暗になってしまいました。その中には、光や温かきものは何一つありません。あるのは恐怖。クラウス様のいない世界に、残される恐怖だけです。
気が狂いそうです。
私は、自分の運命を、エルフの形質を発現してしまったという運命を舐めていました。辛く悲しいものだとわかっていたつもりでしたが、頭でだけでした。本当に好きな人、愛する人を失うことがどんなに辛いことであるかを、全くわかっていなかったのです。
だから、もう人とは深く関わらないと決めて、森の中へ隠遁したのに、優しき青年、クラウス様が手を差し伸べてくれると待ってましたとばかりに、その手に縋つき、求めてはいけないもの、他者との愛を求めました。
浅はかです、本当に浅はか。
私の心はとっても弱いです。だから、どんなに人と関わらずに生きて行こうと決心しても、素晴らしき人、優しき人、私を愛してくれる人が私の前に現れれば、私は縋りついてしまいます。そして、その人は必ず先に……。
人の世で、エルフとなってしまった私が生きなければならない人生は、希望、恐怖、悲しみの繰り返し、それが何百年も続く最悪な人生、全力で忌避したい人生です。
このような人生。生きる意味や価値がありますか?
私は答えを出しました。
ありません。そんな人生には、何の意味も価値ないのです。
+++++++++++++++++++++++++
屋敷を出た俺は、オーレリア嬢のもとへと道を急いでいた。持病の嵐が去ったのは、一昨日。父上や母上は、もう少し回復してからにしては、と言ってくれたが。大丈夫だと押切り、無理やり出て来た。
体のことを思うなら、もう一日休んでからの方が良かったのだろうが、家に来てくれたオーレリア嬢の誠意に応えたかったし、彼女と一緒に来てくれたクロエが残していった手紙が、俺の後押しをした。
その手紙には、彼女の主人、オーレリア嬢が如何に俺のことを思ってくれているかが、切々と書かれていた。そして……。
『クラウス様。お体が大変な状況であるのは、重々承知しております。ですが、それでも、それでもお願い致します。なるべく早く訪ねて下さいませ、お嬢様に会ってやって下さいませ。伏して、伏してお願い申し上げます』
俺はオーレリア嬢の気持ちが嬉しかった、クロエの主を思う気持ちに感じ入った。だから、まだ衰弱したままの身体に鞭打った。オーレリア嬢の屋敷が見えて来た。もうすぐだ、もうすぐ、彼女に会える!
屋敷の前まで来て、異変に気付いた。屋敷がなんだか騒がしい、叫び声さえ聞こえる。俺は屋敷に駆け込んだ、するとそこには、クロエとは違う、もう一人のメイドがいた。
「どうした! 何があったんだ!」
「お嬢様が、お嬢様が……」
彼女は狼狽してしまっているようで、言葉が続かない。でも、手で、指で示してくれた。西の部屋か! あそこの部屋は……。俺はその部屋へ向かった。そして、そこで見たものは……。
包帯を手に緊急措置をしているクロエ。そして、真っ赤に染まったバスタブの湯の中に横たわるオーレリア嬢の姿。俺の愛する女性の悲しい姿だった。
クロエがお茶を持って来てくれた。
「クラウス様、少し休んで下さいませ。お嬢様はもう大丈夫、大丈夫でございます。さ、冷めないうちに」
「ありがとう、クロエ。いただくよ」
俺は握っていたオーレリア嬢の手を放した。彼女は今、目の前の寝台で、静かに眠っている。体温を感じていなければ、死人かと間違えてしまう思うほど静かに……。
今日の昼。彼女はバスタブの中で、自ら手首を切った。しかし、ここ数日の彼女の行動に不信感をもっていたクロエが、注意を払っていたため、命に係わるほどの失血になる前に発見された。(俺が見たクロエの止血の手際は、素晴らしいものだった。本当に凄いメイド。いや、素晴らしい女性だ)
「クロエ、俺からもお礼を言わせてもらうよ。君はオーレリア嬢の命の恩人だ。彼女を救ってくれてありがとう。本当に、本当にありがとう」
ふふふ、とクロエは笑った。何故、笑う?
「クラウス様。私はお嬢様の身体を救ったにすぎません。本当の意味で、お嬢様を救うのは貴方ですよ」
そう言って、クロエはじっと俺の目を見つめて来た。
「クラウス様、どうして、お嬢様がこのようなことをしたか、もうおわかりでしょう」
「ああ、わかったよ。よくわかった」
俺は彼女の頭に手をやり、彼女の豊かな髪をかき分けた。現れたのは尖った耳、紛れもないエルフの耳。彼女は俺と同じだった……。
「彼女は絶望したんだ。自分の運命に、人を見送り続けなければいけない、あまりにも長い人生に……、くそ! どうして神は、こんな善良な彼女に、このような過酷な人生を与えるんだ! 何故なんだ!」
クロエは、震える俺の左手からティカップとソーサーを引き取った。まだ、一口も口をつけていない。
「クラウス様、神を呪っても何にもなりません。そんな無意味なことをする間があれば、お嬢様を救うことを考えて下さいませ。真に救うことを!」
「真に救うだって……。そんな力は無いよ。俺にはそんな力は無い」
彼女を真に救うとは、彼女からエルフの血を取り除くこと、そんなこと神にしか出来ない、絵を描くくらいしか才能のない俺に出来る訳がない。
「そうですか? 私にはそうは思えません。貴方には、オーレリアお嬢様を救う力がある。根拠はありませんが、私はそう確信しているのです」
「確信……」
クロエの言っていることは無茶苦茶だった。けれど、何故か信じれるような気がした。信じたいと思えた。
「クラウス様。考えて下さいませ、考えて、考えて考え抜くのです。どんなものにだって抜け道はあります。運命にだって抜け道はあるのです。私はお二人が好きです、大好きです。だから、お二人には幸せに生きて欲しいのです。幸せに生きて下さいませ! お二人で幸せに生きるのです!」
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意識を取り戻した時、目の前にクラウス様がおられました。
「良かった目を覚ましたんだね。もう大丈夫、大丈夫だから」
私は自ら切った手首を見ました。厳重に包帯がまかれ、きっちり止血されています。漸くわかりました。私は死ねなかった、死にきれなかったのです。涙が溢れ、言葉が溢れてきます。
「どうして、どうして、あのまま死なせてくれなかったのです! 私は嫌なのです、好きな人、大好きな人の死に怯え、何百年も生き続ける人生なんてゴメンです! だから、こんな人生いらないと、神様に蹴り返してやろうと思ったのに……。どうして、どうして助けたのですか! クラウス様は残酷です、なんて残酷なんですか!」
私は、クラウス様に無茶苦茶な難癖をつけて、泣き伏してしまいました。けれど、返って来たクラウス様のお声は、大変穏やかな優しいお声。全く、怒っても、驚いておりません。
「オーレリア、落ち着いてよく聞いて。君はちゃんと老いることが出来る。エルフのように何百年も生きなくて済むんだよ。そういう方法がある、あるんだよ」
思ってもみぬクラウス様の言葉に、戸惑いました。それに、私の名前は呼び捨てになり、人称も変わっていました。
「そんな都合の良い方法、ある訳ございません、嘘を言わないで下さいませ!」
「嘘じゃない、方法はある。俺は君と同じなんだ。君と同じように異種の血が発現している」
「クラウス様にも異種の血って……、そんな……、ホントなんですか?」
「ああ、本当だよ」
ショックでした。異種の血を発現するのは百万人に一人の割合と聞いています。それなのに、私と同じ人がこんな身近にいたなんて……。
「見ててごらん」
そう言って、クラウス様は右手で唇を引っ張り、犬歯を見せられました。そして、その犬歯は、私の目の前で一気に大きく鋭くなりました。びっくりしました。どういう原理でしょう。しかし、これは……、これは最早、犬歯とはいえません。牙です、立派な牙。
「俺に発現した異種の血は、吸血鬼。人の血を吸って、生命力を奪わないと、生き続けることが出来ない呪われた種だ」
クラウス様の話によると、彼に、バンパイアの形質が発現しだしたのは十歳を過ぎた頃(私の耳が尖りだしたのも、ちょうど同じ頃です)。二カ月に一回くらいの割合で、人の血を吸いたいという強烈な欲求が襲ってくるようになったそうです。
しかし、そのようなこと出来る訳がありません。クラウス様は必死で耐えましたが、耐え続けていると、発作が起き、倒れるようなってしまいました。倒れた後の状態は、私とクロエが、クラウス様の御屋敷で見た通りです。
「あれは辛い、本当に辛いんだ。でも、我慢するしかない。我慢して、吸血欲求の嵐が去るのを待つしかないんだ」
ある時、そのあまりの辛さを避けたくて、動物の血を吸ってしまったそうです。お屋敷の裏庭で、食肉用に飼っていた兎の血を……。
「それで、辛さを避けられたのですか? 苦しみを緩和出来たのですか?」
「ダメだった。吸うだけは吸ったが、結局吐いてしまったよ。バンパイアは人種の血を吸う者だ。動物の血じゃ駄目なんだ。でも、このことで俺は気づいた。バンパイアは相手から、血を奪うだけじゃない。血と一緒に相手の生命力を、寿命を奪う者なんだってね」
寿命を奪う! それなら、それなら!
「俺が血を吸った兎は一気に老けてしまったよ。その後、元に戻ることも無く、他のウサギより早く死んでいった」
クラウス様、そんな説明はもういいです。早く、早く仰りたいことを言って下さいませ!
「オーレリア嬢、これはお願いだ、俺の心からのお願いだ。俺は、君をエルフの血から救いたい。そして、俺をバンパイアの血から救って欲しいんだ」
胸が、心が……。
「君を失いたくない、俺は君と共に生きたいんだ。どうか、どうか、俺の我が儘を受け入れてくれ、頼む、一生のお願いだ」
俺に君の血を、寿命を、奪わせてくれ、オーレリア!
言ってくれました。彼はちゃんと言ってくれました。
嬉しい、ほんと嬉しい。叫び出したくなるほど嬉しい! 私は寝台から降りて、彼の胸へ飛び込みました。
「バカ、クラウス様のバカ。頼んでくれなくったって、私の血なんて幾らでもあげるわよ。貴方と共に生きれるなら、生きて死ねるなら いくらでもあげる」
私の命をあげるわ! クラウス!
クラウス様は、私を強く抱きしめ、涙を流して喜んでくれました。
「ありがとう、ありがとう、オーレリア……」
よく考えてみると、彼が泣くのを見るのも、彼に抱きしめて貰うのも初めてのことです。再び、私の目から涙が流れ出しました。でも、これは喜びの涙。いくらでも流したい涙です。
「クラウス様。私は、今まで自分の中に流れるエルフの血を恨んで生きて来ました。けれど、もう嫌ったり、恨んだりしません。だって、このエルフの血のおかげで、貴方と共に生きられる。なんて嬉しいこと、素晴らしいこと」
「俺も恨まない。このバンパイアの血の御蔭で、素晴らしい君を、俺なんかの下へ引き留められる。嬉しくてしかたないよ」
私は肘でクラウス様を小突きました。
バンパイアの血なんか無くっても、私は貴方が好き、大好き。
「俺は、妹のアリシアが亡くなる時、自分が何も出来なかったことが、本当に嫌だった。悲しかった。だから、真っ赤に染まった湯の中に横たわる君を見た時、思ったんだ。『俺はまた、愛する者を失うのか、何も出来ないまま死なせてしまうのか』ってね。ほんとに絶望したよ。でも、今回は違った。今、君はここにいる。俺の腕の中にいる。こんな幸せなことがあるだろうか……」
クラウス様……
私は強く彼を抱きしめました。彼も強く抱き返してくれました。私達はこの後もずっとずっと抱きしめ合って……と言いたいところですが、クロエに邪魔をされました。
なによ、クロエ。貴女にしては珍しく、気がきかないわね。
「お二人のお気持ちはわかりますが、もうそれくらいになさいませ。お嬢様は、あんなことをしでかした後の身体です。用心しないとだめですよ。お二人には、輝かしい未来が待っているんですからね。わかりましたか」
そう言って笑う、クロエの顔はとても晴れやかでした。今の私達のことを、本当に喜んでくれています。
ありがとう、クロエ。
本当にありがとうございます、クロエお姉様。
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クロエです。
半年後、オーレリアお嬢様とクラウス様は結婚なされました。私はお二人の結婚後も、お嬢様の、いえ、オーレリア奥様付きのメイドをさせてもらっています。
お二人の結婚後の生活は順調です、三年たった今でもラブラブです。(奥様はかなり年相応に近づきました。もう美少女ではありません、美女です)
先月、奥様は待望の第一子をお産みになられました。女の子でした。
(異種の血に関してはそんなに心配することはないでしょう。あんなもの、そうそう発現するものではないのです)
その女の子は、オーレリア奥様の希望で、アリシア、と名付けられました。そのアリシアちゃんは、今、赤ん坊用の寝台でスヤスヤと眠っています。そして、その前に親バカ二人。
「オーレリア。俺たちの娘はどうして、こんなに可愛いんだろう。天使! もう天使としか言いようがない」
「ほんとにそうね。クラウスに似たからよ。アリシアは幸せ者だわ」
「違うだろ、おまえに似たからだろう。ほら、アリシアの口元を見てごらん、おまえにそっくりだ」
「そ、それはそうかもしれないけれど、だったら、この奇麗な目を見てよ。どう見ても、あなたの目にそっくりよ。瞳の色も同じだし」
「瞳の色だけだろう。形は、おまえのの方が似て……」
あー、もう! 見ていられません、聞いていられません。どうして親というのはこうなのでしょう。どこの世界も同じですね。どこの世界も。
皆様、もうお気づきですね。そうです。私、クロエは転生者です。
前世(日本人、ロマンス小説好きの看護師)の記憶は、子供の頃からありました。でも、この世界が、私が読んだ、とあるロマンス小説の世界であると気付いたのは、マインラート公爵様に雇われ、オーレリアお嬢様付きのメイドとなった時にです。
お嬢様に付き従っていくうちに、はっきりとわかりました。この世界は、あのロマンス小説の世界だと……。小説のヒロインの名は、お嬢様と同じ、オーレリア。オーレリアお嬢様を取り巻く状況も、小説と全く同じでした。
私は、その小説が好きでした。ヒロインもヒーローも大好きでした。でも、嫌いな所もありました。それは結末です。そのロマンス小説は悲恋ものだったのです。ヒロインとヒーローは互いを救う力を持っているのに、すれ違い続け、悲しい最後を遂げてしまいます。
小説の作者は、そういうのを美しい最後だと思って書かれたのでしょうが、私は作者に言いたい。物語はハッピーエンドが一番、一番なのです。作者の耽美趣味など知ったことではないのです。
私は、オーレリアお嬢様とクラウス様の恋を、悲恋に終わらせないために動き始めました。ただのメイド故、大したことは出来ませんでしたが、二人の恋を一生懸命サポートしました。そしてその努力は報われ、悲恋、悲劇の結末は回避されました。私は満足です。
今二人は、本当に幸せです。見ているこちらの体が痒くなってくるほどの、甘い甘い幸せの中にいます。
オーレリア、クラウス。
良かったね、本当に良かったね。
貴方達には、懐かしい前世の言葉を贈るわ。嫉妬交じりの祝福の言葉
えぇいリア充め! 末永く爆発しろ!




