第3話 崩壊
メイデン・リリィを倒した怪人はファントム。魔法少女メイデン・リリィにおける第二の悪役である。
一見すると筋肉粒々のゴリラみたいな鬼であるが、亡霊という名が示す通り、本性は人間に憑依し操る悪霊だ。
五百年前メイデン・リリィの先祖である巫女・霧羽鈴蘭によって山に封印されていたが、ある登山家が悪戯で封印の柱石を倒したことで現世に蘇った。
復活したファントムは手始めに自分を解き放った登山家に憑依。その肉体を悪鬼のそれへと変貌させ、行動を開始した。自分を封印した巫女への復讐と、より強い肉体を得るために。
「ファントムはどんな人間にも憑依して鬼へ変貌させられるが、憑依した人間の元々のスペックが強ければ強いほど、より強力な鬼になる」
つまり先祖返りで強力な霊力をもって生まれたメイデン・リリィに憑依することができれば、メイデン・リリィをも凌駕する最強の鬼に変貌してしまうということだ。
それは恐ろしいことであるが、真に驚愕したのはそのことではない。驚いているのはメイデン・リリィがファントムに敗れたことだ。
「あ……有り得ねえだろ。こんなもの俺が見た漫画にはなかったじゃねえか! どうなってんだよ……」
漫画でもメイデン・リリィは苦戦した。だが最終的には相棒の玲子の助けもあって、ファントムを攻略。登山家の肉体から追い出した後、その霊力をもって完全消滅させたのだ。
ファントムによってメイデン・リリィが返り討ちにされるなんてシーンはなかった。
ギロリッと鬼の目がこちらを睨んだ。
「……っ!」
違う。これはテレビだ。
だからファントムが睨んだのは自分ではなく、
『ひ、助け、あ、うわああああああああああああああああああ!!』
瞬間。カメラマンやリポーターの断末魔の悲鳴が轟いた。カメラマンがファントムによって殺されたのである。
映像は止まらない。ファントムは見せつけるように、殺したばかりの死体をぼりぼりと貪ってみせた。
――――死。
誰も死なないハッピーエンドが約束されていた世界だったのに、あっさりと人が死んだ。
ペッと貪りつくした骨を吐き出したファントムは、凶悪な笑みを浮かべながらカメラを拾う。テレビ画面にファントムの狂相が広がった。
『これが“かめら〟というものか。こんなものを通すだけで、全ての家に景色を映せるとは人間は面白いものを生み出したな』
興味深そうにカメラを弄るファントム。それから宣言する。
『人間共。悪夢がこれで終わりだと思うな? 五百年もの間、私を昏い闇の底に閉じ込めた鬱憤を晴らしてやる。本当の悪夢はこれから始まるのだ』
悪夢は希望の形で現れる、そう言い切るとファントムはテレビカメラを踏みつぶした。
暗転。テレビ画面が真っ黒になった。
『臨時ニュースをお伝えします! 今日午後4時頃、ファントムを名乗る怪人により』
チャンネルを切り替える。
『魔法少女メイデン・リリィが敗れました。ファントムは夕日テレビのアナウンサーとカメラマンを殺害し』
チャンネルを切り替える。
『ファントムの悪夢とは一体なんのことなのでしょうか! メイデン・リリィすら破ったファントムを、どうやって倒せば』
チャンネルを切り替える。
『どうして……こんなことになってしまったのでしょうか』
電源を切った。最後のチャンネルでコメンテーターの発言が脳内に反響する。
本当にどうしてこんなことになってしまったのか。
「何でだよ。俺はなんにもしてねぇぞ。なんもしてねぇのに、なにがどうしてこんなことになっちまってるんだよ!」
念のため退院後の自分の行動を思い返す。
自分が悪役にならなければ何の問題も起こらないと思いつつも、念には念を入れて漫画でイベントが発生するような場所には近づかないようにしていた。
主人公である霧羽シロエは勿論、他の漫画に登場するキャラクターにもまったく接触していない。だから自分の行動で筋書きが変わったというのは有り得ないだろう。
「……本当に、そうか?」
物語を流れを変えないよう注意していたつもりだった。だが自分は物語を決定的に変えてしまうことを一つだけ犯してしまっている。
言うまでもなく怪人バジリスクにならなかったことだ。
恐ろしい想像をする。
「バジリスクはメイデン・リリィの最初の敵だった……。バジリスクとの戦いを通じてメイデン・リリィは『成長』して、これからも戦っていく覚悟を新たにする」
だがもしもバジリスクという最初の敵が存在しなければどうなるか。
メイデン・リリィは自分のように超人的パワーをもった対等の敵との戦闘経験を得ることもなく、戦う覚悟を新たにすることもない。
その状態で本来は二番目の敵であるファントムと戦えば、敗れるということも起こりうるだろう。
「お、俺のせいか! 俺が悪役にならなかったせいで、主人公が負けたってのかよ」
この前までの楽観していた自分をぶん殴りたい衝動にかられた。
なにが余裕だ、なにが問題ないだ。問題大有りではないか。
一人で勝手に納得して日常に溺れている間に、自分は取り返しようもない過ちを犯してしまった。
ハッピーエンドが約束されていた物語を、台無しにしてしまったのだ。