逆行令嬢と社交界の入口
常識に外れるような贈り物をもらったからといって、私とデクラン様の関係が一気に進むことはなかった。それはデクラン様との縁談より婚約者との縁談のほうがお父様にとって重要であることを意味する。
お父様がデクラン様の家との繋がりを重要視するなら、親族や婚約者など親しい間柄でしか贈らない日傘を家人も通さずに非公式で贈っても、見逃したりはしないからだ。
お兄様が報告しなくても、あの場にいた使用人から執事に報告され、お父様の耳に入る。
娘の恋愛に関しては貴族の目は厳しい。密かに恋愛をするならお付きの侍女と下働きの使用人の協力が不可欠で、彼らがこっそり手引きをしてくれなければ無理だ。娘が傷物になったり、駆け落ちした場合、傍付きであったり、手引きをした使用人は紹介状なしで解雇される為、まっとうな職場では雇われず、なかなか決まらずに犯罪に手を染めることになる。
そんな危険を冒してまで、令嬢の道楽に手を貸す使用人は少ない。
母親が乳母をしているなら紹介状がなくとも信用できる人物と見做されるが、そうでなければ未婚の令嬢の恋愛事に手を貸しても平気な使用人はまずいないのだ。
だからと言って、私の乳兄弟に仲立ちを頼むということもできない。
結婚を反対されている恋人たちならともかく、私は婚約者のいる身で、デクラン様は恋人でもない。好意を寄せられていても、ここで勝手に燃え上がって嫌がられる可能性があるなら、嫌がられないようにするのが次の手だろう。
偶然を装うのもやめて、まずはお茶会だ。
今度は逃げも隠れもしない人生を目指しているのだから、お茶会での顔繋ぎは必須だ。
未婚より実力者と言われている既婚女性に気に入られたほうがいい。
前はお友達と話してばかりいて力を入れていなかったけど、夫の冥福を祈るために修道院に入ったシスター・アリサが色々な伝手を持っていて、季節外れの果物から上等なワイン、都で流行っている料理やお菓子を作れる凄腕の料理人に人気の楽団まで呼び寄せていて驚いた。
社交界の実力者だった彼女は顔が広く、神に仕える余生を選んだ故に多少の融通が利いたそうだ。利きすぎたような気もする。
とても修道院暮らしとは思えないシスター・アリサだったが、最愛の夫がいない社交界に留まる気になれず修道院に入ったそうだ。
シスター・アリサが取り寄せた品々は修道院に預けられている少女たちや裕福な実家を持つ修道女が食べてしまうことが多いのだが、それでも運良く残っていることもある。私は下働きとして扱き使われていたので、残り物でも口にできることは稀だったが、その時だけは昔に戻ったような気がした。
そんな自由気ままなシスター・アリサだが、実は私が修道院から攫われることに手を貸していたりする。デビュタント前の礼儀作法を学びに入れられた少女たちならともかく、婚約者の恋人への嫉妬で修道院に送られた私だ。お父様やお兄様がデクラン様の申し出を拒絶して修道院から出られなくなった為に、愛する人ができてもお父様たちの面子の為に引き裂かれて修道院で朽ちていくくらいなら、彼らとは絶縁して幸せになったら良いと手を貸してくれた。
まだシスター・アリサが修道院に入っていなかったら、お茶会へ行くことに熱を上げただろうが、既に彼女がいない社交界のお茶会はデクラン様との仲を深めるより重要度が低くなった。
お父様がデクラン様を私の夫にしようと考えていないこともわかったので、婚約を破棄する為に私は社交界の実力者たちに気に入ってもらわなければいけない。
私のお友達のことはまた放置してしまうけど、これは仕方ない。
前は婚約者におざなりなエスコートをされて放っておかれる私の傍にいることで彼女たちも陰口を叩かれた。次第に社交の場では私に近寄らなくなった彼女たちだったが、手紙や私的な訪問は続けていた。
今度もそのような仕打ちを受けるのは酷なので、戻ってきて以降、手紙や私的な訪問だけの交流をしている。
というわけで、お茶会では顔を売り、媚を売り、社交界の重鎮を務める既婚女性たちに気に入ってもらおうと必死になった。
勿論、今は主催を務めることのなくなったお歳を召した方々にも気に入られようと頑張った。
そうこうしているうちに、私もデビュタントとなった。
前と同じように婚約者は一曲踊ればさっさといなくなり、放置状態だ。
ただ、何故か私は今、壁際に置かれている休憩用の椅子に座っている。正確には座らされている。お兄様のお友達たちによって。