ありきたりな奇跡
ありきたりな毎日や、平凡な日常は失ったときに初めてそれがどれだけの幸福だったのかと気付いたりする。
もし何かが当たり前と感じるようになってしまったら。
もう一度大きく呼吸をして、その出来事一つ一つが、出会いの一つ一つが、それら全てが奇跡の一つだったことを思い出してほしい。
毎日をなんとなく過ごして。
晴れ渡る空や、欠けた月の浮かぶ夜空や、空を黒く染める雲。
どの空も、当たり前のように見慣れてしまった景色。
この先例えどんな天気が訪れても、それはその一瞬で見慣れない恐怖から見慣れた日常へと変化していってしまう。
「今日もいい天気だなぁ。」
雲ひとつ無い青空を見上げながら歩く、一人の少女。
学生服に身を包んでいるが時刻は既に正午を大きく過ぎている。
行く宛も、目的も無く、ぶらぶらと歩くその足取りは軽快とはとても言えず。
「なーんか、いいことないかなー。」
見慣れた退屈な日常から逃げ出したい。
その口から出る言葉には、そんな意味がこめられていた。
「…あの。」
ふと、通り過ぎようとしたバス停の影から彼女を呼ぶような声。
一瞬聞き逃してしまいそうになるほど、か細い声。
「…アタシ?」
「はい…。」
バス停を覗き込めば、そこにはまた一人の少女が座っていた。
年だけなら二人の少女は同じくらいで、きっと同じ制服を着ていたら同級生だと思われただろう。
ただ、バス停に座る少女は制服ではなく。
まるで入院患者が着るような、全身一色の検査着。
バス停に一人で居るには、明からにおかしな服装だった。
「え…っと?はじめまして?」
「あ、はい、はじめまして。」
いわゆる一つのNice to meet youというやつ。
「こんなところで、そんな格好でなにしてるの?」
「…わたし、逃げ出してきたんです。」
「え?病院とかから?」
「…はい。」
なんてことだろう。
日常に退屈した彼女には、この検査着の少女の言動の一つ一つが全てが新鮮だった。
「ふーん…、ならさ。ちょっとアタシと話さない?」
「…わたしも、そうしたくて。」
よいしょ、そんな言葉と共に隣に座り込む。
幸いバス停には屋根もあり、簡易的な個室のようになっていた。
夏を目前に控えた空は少しずつ気温を高めていく。
検査着の少女は汗一つかかず、制服の少女は少し汗ばんだ顔をパタパタと手で扇いでいる。
「ねぇ、知ってる?」
「…はい?」
「この世界はさぁ、いつだって物事を当たり前にしちゃう。どんなに人を想っても、どんなに素敵な出来事があっても、どんなに斬新な映画を見ても、どんなに大きな事件や事故やニュースがあっても、すぐにそれを当たり前にしちゃう。」
「…はい。」
「それが許せないとか、言うつもりはないけどさぁ。でもやっぱ、つまんないよね、そういうの。」
その言葉の奥には、そうやってつまらないと称する世界に甘んじている自分自身への皮肉も込められているように感じられた。
「…そうですか?」
見ず知らずの少女に、しかもおそらくは誰かが必死で探し回っているだろう少女にゆっくりと口を開き話していく。
それはもはや愚痴ですらない、ただ単純に誰かにぶつけたいだけの自分自身。
この世界でどんな出来事が起こったとしても、あまりに簡単に『普通』になってしまう。
それを話したことに、きっと大きな意味は無かった。
それでも、制服の少女は自分以外の誰か。隣にいる自分が嘆く平凡とは程遠く無縁そうな少女も同じように感じていることを期待して話していた。
「誰かにこう言われたい、こう言ってほしい、って思うことってきっと誰もが思っていて。誰もが自分と違う何かを求めて自分が世界に組み込まれないことを望んでるのかもしれません。そしてあなたは…きっとその平凡な日常に慣れてしまったんですね。」
「アナタは、そうじゃない?」
制服の少女はグッと身を乗り出して隣の検査着の少女をじっと見つめる。
微動だにしていなかった検査着の少女は、ゆっくりと制服の少女のその目を見つめ返した。
「わたしは、平凡な日常に戻りたい。誰もが簡単に出来ること、誰もが特別だなんて思わずにやっていること、誰もが望まなくても手に入るもの、今のわたしには何一つ…。」
きっと二人は間違っていて、きっと二人は全てが正しい。
お互いの主張と意見がぶつかることは無い、それはこの二人があくまで他人で永遠に平行線を辿るであろうことを感じ取っているから。
そしてこの世界は、お互いが求める全てを手にすることが出来ないように出来ているから。
「アタシ、アナタのことはよくわかんないけどさ。」
見つめ合っていた目線を外すと、制服の少女はゆっくりと立ち上がっていまだ動こうとしない検査着の少女の方をもう一度見つめ直して口を開いた。
「きっと、アタシがアナタに出会ったのは意味があるんだと思う。」
検査着の少女も、そんな制服の少女の方をゆっくりと顔上げて見つめ返す。
「わたしも…そう思います。」
遠くで救急車のサイレンが鳴り響き、更に音も聞こえないほど遠くでは海が大きく波を立てている。
大地の奥底ではマグマが唸り、その遥か頭上の大地では人々があくせくと狭い道路を動き回る。
空の彼方では人類の作り出した機械が大空を舞い、それをあざ笑うように空からは灼熱の光が降り注いでいる。
それら全てはいつどんな時でも目にする事が出来てどれもが当たり前で、そしてその瞬間に目にしないどれもが非日常となって歩く。
「逃げ出したなら、戻らなきゃね。」
「…あなたも、戻りますか?」
ほんの少しだけ、悲しそうに検査着の少女は制服の少女に聞き返す。
お互いの目はもう、お互いを見ていない。
「アナタがアタシのいる世界に戻ってくるなら、ね!」
「例え戻っても、わたしはあなたと同じようには戻れないですよ。」
「なら、その時はアタシとは違う世界をまた話してよ。」
不安そうに空を見上げる検査着の少女に、最大の笑顔で制服の少女は答える。
二人は何もかもが正反対で、きっと本当なら水と油のようだけれど。
どちらかが同じ世界で同じ様に出会ってもきっとこうはならなかった。
だからこそ、二人は違った世界で同じだった二人だった。
「…ありがとうございます。」
検査着の少女もようやく立ち上がり、制服の少女をもう一度見つめ返すと初めてにこりと笑顔を見せた。
「アタシこそ、ありがとう。」
「もしも、あなたがわたしの世界に来たときには…。きっとわたしはあなたを救ってみせますね。」
「あはは、その時はぜひヨロシク。」
背中越しに手を振って、来た時と同じようにぶらぶらと歩き出す制服の少女。
それを見守るように後ろでたたずむ検査着の少女。
まるで違う二人は、きっと本来なら出会うことはなかったけれど。
この世界には奇跡があふれていて、その一つ一つがまるで当たり前のように過ぎ去ってしまっている。
「なーんか、いいことないかなー。」
少女の言動も、考えも変わることは無い。
この出会いが奇跡だったことを実感することも、恐らくは無い。
それでもいつか、この奇跡に気付けたら…。
そのとき世界は、検査着の少女のようにほんの少しだけ微笑んでくれるのだろう。
こう、ついつい平凡だの普通だのに憧れる人物の出てくるものを書いてしまう癖が。
自分を投影しているのか、はたまた書きやすいのか。
どんな出来事もきっとそれは奇跡で、当たり前だからこそ、奇跡でもあって。
ほんの少し考えるだけであれもこれも、矛盾に満ち溢れているんだなぁと感じますね。
登場人物の二人は平凡と非凡で、でもきっと本質は似ているのかもしれない。
そんな奇跡と、二人を表現したかったお話でした。