首なし竜一
「おはよ~」
「うぃ~っす」
「暑っち~なぁ」
「宿題やった?」
朝、教室に入ると、クラスメート達の喧騒が俺を包んだ。
顔見知りのクラスメートに適当にあいさつをしながら自分の席に向かうと、前の席に座っている俺の悪友が声を掛けて来た。
「おはよ~っす、ごっさん」
「おはよう」
声を掛けて来たのは桐山勇樹。俺が高校に入ってからよくつるんでるオカルトマニアだ。
都市伝説や怪談といったオカルト話を聞きつけては、手帳片手にあちこち駆けずり回って徹底的に調査しまくる変わり者だ。
ちなみにごっさんというのは、俺――小沢信吾のあだ名だ。誰が言い出したのかはもう忘れたが、何故か知り合いには皆ごっさんと呼ばれている。
椅子の背もたれに肘を乗せてこちらを見ている勇樹にあいさつを返しながら鞄を置くと、ちらりと勇樹の右手を見た。
「まだよくならんのか? その親指」
勇樹の右手の親指には、包帯が巻かれていた。
何でも先週末に親指のペンだこを潰してしまったらしく、月曜日からずっと包帯を巻いているのだ。
「あぁこれ? いやぁもうほとんど治りかけてるんだけどな。まだちょっと肉がえぐれてるから念の為な」
「うあっ、グロいこと言うなよ」
「まあまあ、そんなことより、興味深い話を聞いたのだよ」
何でもなさそうに右手をプラプラと振ってから、勇樹はその眼鏡をキランッと輝かせた。
あっ、やな予感。
こいつがこういう態度を取る時は、大体自分が仕入れたオカルト話に俺を巻き込む時なのだ。
そして、その予感はやはり当たっていた。
「ごっさんは“首なし竜一”の話は知ってるかね?」
「何だそれ? どっかで聞いたような名前だな」
「まあ言いたいことは分かる。と言っても、こっちは人間じゃなく怨霊の類だがね。しかも、この学校に棲み付いているという話だ」
「あん? 学校の怪談かよ?」
今時そんなものが流行っているのか?
そんな風に考えてうろんげに勇樹を見ると、勇樹はちっちっちっと舌を鳴らしながら人差し指を振ってみせた。
「そんな何の根拠もないありきたりなもんじゃないんだなぁ~~。なんせ、“首なし竜一”は14年前のあの事件の犠牲者の怨霊らしい」
勇樹のその言葉に、俺は思わず顔を顰めてしまった。
14年前のあの事件とは、この学校の現在の旧校舎に突然日本刀を持った男が侵入して、授業中の学生に無差別に斬り付けたというあの事件の話だろう。その事件で男子生徒が1名死亡、その他にも教師と学生が合わせて12名重軽傷を負ったらしい。
駆け付けた警察官に取り押さえられた男は、「誰でもよかった」とか「事件を起こせば皆に注目されると思った」とか言っていたらしく、当時のマスコミは『現代社会の闇』とか『日本の若者の孤独』とかこぞって書き立てていたという。
現在はもう事件が起きた旧校舎は一部を除いて閉鎖されていて、どうやら不良のたまり場となっているらしい。
「まさかその旧校舎にまつわる話か?」と思ったら、そのまさかだった。
「なんでもあの事件で、真っ先に首を掻っ捌かれて唯一の犠牲者となった工藤竜一という男子生徒の怨霊が、旧校舎の例の教室に留まっていて、訪れた人間を自分と同じ目に合わせるらしい」
「おいおいずいぶん不謹慎な噂だな。遺族に聞かれたら怒られるぞ。……そして、お決まりのツッコミをさせてもらおうか。同じ目ってことは首を斬られるんだろ? 遭遇した人間が首を斬られるんなら、誰がそんな噂を広めるんだよ?」
俺がそう言うと、勇樹はまたしてもちっちっちっと舌を鳴らしながら人差し指を振った。
……毎度のことながらイラッとするな。
「甘いなぁごっさん。その同じ目、というのがポイントなのだよ。“首なし竜一”が首を斬るのにはいくつかの条件があるのさ。これを見よっ!!」
そう言うと、勇樹はいつも肌身離さず持ち歩いている取材用の手帳を、俺の鼻先に突き付けてきた。
びっしりと文字が書き込まれている見開きのページの内、勇樹が指差している部分を読んでみる。
・“首なし竜一”が首を斬る条件
その一、相手が教室内にいること。
その二、相手が男子生徒であること。
その三、相手が自分に背を向けていること。
「……何じゃこれ」
「そのまんまの意味だよ。工藤竜一は、犯人から逃げようとして背後からばっさりやられたらしい。だから“首なし竜一”も、自分に背を向けている相手しか斬れないってことだな」
「……なるほど、読めたぞ。つまりこの“首なし竜一”と遭遇しておいて、腰を抜かして後退りして助かった男だか、あるいは男と一緒にいて殺されなかった女だかがいるってことだな」
「さっすがごっさん。話が早いねぇ。ちなみに、旧校舎に入り浸っている不良グループの何人かが、最近ずっと不登校になってるらしいんよねぇ」
「情報元はそこか……」
「おっと、いくらごっさんとはいえ、情報提供者の素性は明かせないなぁ~~。……まあとにかく、仮に“首なし竜一”と遭遇しても、背を向けずに教室を出てしまえば助かるって話だな。あっ、ちなみに“首なし竜一”は地縛霊らしくて、自分が犠牲となった教室からは出て来んらしい」
「はあ……まあ学校の怪談にしてはよく出来てんな。不謹慎なことは変わらんが」
そう言って話を終わらせようとしたのだが、勇樹は再び眼鏡をキランッと輝かせた。
……やな予感しかしねぇ。
「それと、“首なし竜一”が例の教室に現れるのは、自身が犠牲となった金曜日の4限らしい」
「……へぇ」
「ところでごっさん、今日は金曜日だな?」
「……そうだな」
「そして、今日の4限は先生が急病で自習だな?」
「……あぁ」
意図的に気のない返事をしているにも拘らず、勇樹はその目をキラキラと輝かせると、ポンッと俺の肩に手を置いた。
「行こうぜ、旧校舎」
「行かねぇよ」
俺はそうばっさり切り捨てると、勇樹の手を払い除けた。
* * * * * * *
と、言っておきながら結局付き合っちゃうんだよなぁ~~。
4限目の時間、教室を抜け出した俺達2人は、“首なし竜一”が現れるという教室の前に来ていた。
旧校舎の窓側のガラスは、全て内側に格子状の針金が埋め込まれたでこぼこしたガラス(正式名称は知らん。強化ガラス?)になっているので、教室内の様子を窺うことは出来ない。
噂のせいなのか何なのか、普段なら不良生徒がたむろしているはずのこの階の廊下には、俺達2人以外誰もいなかった。
「さあごっさん。君に一番槍を務める栄誉を与えよう」
「はあ!?」
ここまで俺を引っ張って来た勇樹が、ここに至って身を引くと、さあ行けとばかりに教室のドアを指し示した。
「ちょっ、お前ふざけんなよ! 何で俺が一番手なんだよ!」
「いやぁ折角付き合ってもらったんだから? 一番手は譲ろうかなって」
白々しい態度でそう言う勇樹を見て、俺はスッと冷静になった。
「……まさかお前、またなんかたちの悪いドッキリを仕掛けてるんじゃないだろうな?」
「……そんなことないっすよ?」
「目を見ろ目を」
分かりやすく目を逸らす勇樹に、はぁっと息を吐く。
こいつは今までも、俺を心霊スポットに連れ出しては、生首を仕掛けたり血糊を撒き散らしたりといった、かなりたちの悪いいたずらを仕掛けてきた前科があるのだ。
今回も恐らく、その一環なのだろう。となれば、俺が先に入らない限り、こいつは意地でも入らないに違いない。
もう一度深々と溜息を吐いてから、俺は覚悟を決めて教室のドアの前に立った。
こうなったら絶対に驚いてやるものかと、腹に力を入れてドアを引き開ける。
そのまま一気に踏み込んで教室を見渡すと、窓側の2列目の一番後ろの席に、それが座っているのが見えた。
「――っ!」
思わず声を出しそうになるが、俺の後に付いて教室に入って来た勇樹の姿を見て、慌てて声を飲み込む。
視線の先にいるそれ。
カーテンが引かれて薄暗い教室でもはっきりと分かるその人影は、たしかに学生服を着た首のない男だった。
しかし、動かない。
俺達が教室に入ってもう10秒近く経つのに、その人影は椅子に座ったままピクリとも動かなかった。
正直内心ビビりまくっていたが、勇樹の思惑通りに驚いてやるのは癪だったので、俺はあえて平気なフリをしてその人影に近付いた。
「はいはい、マネキンマネキン」
そう口に出しつつ、その人影の脇に立って――――
「ひっ!!」
気付いてしまった。
その首の切断面の、あまりの生々しさに。
「あ、あぁ……」
あまりの衝撃に、思わずその場で尻餅をついてしまう。
違う。これはマネキンなんかじゃない。これは、本物の――――
「っ!!」
反射的に這いずってでもその場を離れようとした瞬間、ここに来る前に聞いた勇樹の言葉が、閃光のように脳裏を過った。
『背を向けてはならない』
必死に悲鳴を飲み込み、ずりずりとそのままの体勢で後退りすると――――ふと、その人影の右腕に目が行った。
椅子に座ったまま、上半身に沿ってだらんと下へ伸ばされている右腕。
その先の、学生服の袖から覗いている右手。
その右手の親指の――――特徴的なペンだこ。
………………え?
(勇、樹? ……え? なら、今俺の背後にいる勇樹は――――)
そこまで考えた瞬間、俺の首筋を冷たい感触が奔り抜けた。
「おはよう」
「はよっす」
「うぃっすごっさん。どしたん?」
「いやぁ、ちょっと面白い話があってな」
「なになに?」
「面白い話?」
「あぁ、お前ら――――“首なし竜一”って知ってるか?」