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相合傘


 「いつからだろう・・・」

 僕は自分にそう問い続ける。

 それはまるでメガネを初めてかけたような感覚で、一度そう見えてしまうとそのようにしか見えなくなってしまい、前の世界にはもう戻れない。


 「いつからだろう・・・」

 再度そんな考えが頭の中に浮かんでは泡のように消え、また浮かんでは消え、完成された静寂にふと身を委ねる。 

 僕はある人を好きになってしまったようだ。いや、正確に言うと、「好きになってしまった」の方が正しい。その子は今でも仲のいい友達で自由奔放だが、なぜか一緒に居て楽しいと感じる存在だった。人が好きになるのは「正しいか、正しくないか」なんていう尺度じゃなくてもっと直感的で理由のいらないものだと僕は思う。 

 「○○だから好き」じゃなくて「○○なのに好き」。単にそれだけのこと。


 そう感じ始めてから僕はまるで壊れた羅針盤のようにどこに向かって進めばいいのか分からなくなってしまった・・・ そんなある日のこと


 うだるような暑さでその日は目覚めた。冷房の予約が切れており、部屋の中は異様な熱気に包まれていた。僕は勢いよく窓を開けると外は部屋の中よりも幾分かはましで、涼しげな風が僕の頬をなでた。

 季節は夏前、しかし、今年は梅雨入りが遅いらしく七月に入っても神戸では嫌な天気が続いていた。回復の兆しは見せつつあるが雨雲は耐えない。

 「また降りそうだなぁ・・・」 

 そう思いながら僕はカバンにタオルと水筒をそそくさと入れ、念のために傘を持って家をでかけた。 

今日は水曜日。文字通り最近水曜日は雨が多く天気が悪い。 

「雨の日の一限は出席率悪いな・・・ましてや日本法史だ。どうせ少ないに決まってる。また一限に人が少ないと誰かさんがSNSで呟くぞ」

と一人ニヤケながらいつもの教室に入った。

 案の上、噂してたその人も僕の後に教室に入ってきた。前まで目立つ金髪だったのに最近落ち着いた色に戻したみたいだ。

  その子は、夜になるといつもおいしそうなパンケーキやイタリア料理などを夜の遅い時間帯にSNSに投稿してはクラスメイトを空腹のどん底に陥れる極悪非道な女友達を発見するとその隣に腰掛けた。その女友達さんはまた幸せそうにスマホをいじっていた。もしかすると、いつものように飯テロ予告をしていたのかもしれない。

 なんて幸せそうな笑顔だろう・・・

 おそらく僕はこんな顔を小学生高学年以来したことがないであろう。

 ふと前を見ると、黒板には「レジメを一部お取りください。」とあまり元気がなさそうな字で書いてあった。この教授はいつもレジュメのことをレジメという。この日も赤ん坊を優しく撫でるかのように講義用のマイクを何度かポンポンと叩いては音が出るのを確認しては至極残念な表情で授業を始めた。

 僕はスマホを出してSNSを開いた。すると、タイムライン上に色とりどりのフルーツがこれでもかと言わんばかりに詰め込まれたケーキの写真が僕の目に飛び込んできた。僕はまんまと飯テロリズムの犠牲者となってしまったようだ。


 いつもの日常。何の変哲も無い授業。いつもの・・・・ 一限を終えて二限の教室に向かう。 「今日の憲法はあの子出席するのだろうか?」と考えつついつもどおり左の端の席を一人分確保しておく。 しかし、チャイムが鳴っても彼女は姿を見せなかった。「今日は来ない日かな・・・あの子遅刻しては来なさそうやし・・・」と思いながらも扉付近に目がいってしまう。そんな自分に嫌気が指す。

 「授業聞かなきゃ・・・」

 だが、そんな日に限って教科書を忘れ、僕は深い眠りに落ちてしまうのであった。二限終了。

いつもより数分ばかり早く終わって皆が慌ただしく動き始める。もう水曜日。一週間の折り返し地点手前。 最近時が経つのが早い。 そう感じながら僕は友人と教室を出た。 今日は図書館に残って課題を仕上げるつもりだったのだが、友人が皆帰るというので僕もそれに合わせて帰ることにした。

 全く壊れた羅針盤だ。


 「こんな早く家に帰るのは久しぶりだなぁ・・・」と感じながら歩みを進める。

 依然として暗雲が立ち込めており、パラパラと雨が降っていた。

 この日の雑談は「誰がいい上司になりそうか」、「誰がいい部下になりそうか」という話だった。

 どうやら僕はいい上司、いい部下、というよりかはいい同僚のような雰囲気だそうだ。 いい同僚か・・・あの子からは自分はどう思われてるのだろうか・・・ そんなことを内心考えながら最寄り駅に着いた。 大学に入学してもう一年以上過ぎ、心なしかだいぶ山を下るのが早くなった気がする。 今日は帰って何しようか?などとすっかり課題のことなど忘れ、駅のエスカレーターに足をかけようとしたその時・・・ 僕の視界に見慣れた人影が割り込んできた。「あれっ・・・今帰り?」彼女だった。

「おう!何してるん?」 「てか、授業来いや!(笑)」

 僕は少し驚きながら聞き返した。

「今日はね、昨日頑張ったからそのご褒美で自主休講なの!たまには自分の体を労らわなくっちゃ!」

 すぐ女の子は自分にご褒美を買いたがる。そういう生き物なのだろう。

「それでね、二時間くらい暇で今から暇つぶしにカフェ行こかなって思ってて、○○たちも来ない?」

 心が揺れ動いた。どうしようか・・・・すると、僕の友人は「俺は帰るわ」と言い出した。

 どうやら二人きりになるように配慮してくれたようだ。さすがはいい部下だ。僕は彼に目配せをすると、彼女と一緒に来た道を少し引き返した。


外はまだ雨が降っていた。

「傘もってないん?」

「また忘れた・・・」

「しゃあないなぁ・・・」

「てへへっ」

 僕はビニール傘に彼女を入れて再び歩き始めた。偶然会うなんて・・・僕は運命だと思った。カフェに入ると僕はパソコンと堅苦しい参考書を取り出した。しかし、そんなものはもはやどうでも良かった横に座って楽しげにはしゃぐ彼女を高ぶる感情を抑えながら眺めていた。もともと運動部に所属していたとは到底想像がつかないくらいに繊細で華奢な体だ。そして、彼女は何気ないことでもすぐに笑う。話していると楽しいし、何より笑顔が素敵だ。はぁ・・・やっぱり好きなんやなぁ・・・改めて自分の感情を確かめた。彼女はとても絵が上手く、なんでも器用に書く。さすがは美術部員といったところだ。この日も僕の似顔絵を書いてはキャッキャとはしゃいでいた。

 なんだか自分の心まで晴れやかに澄んでいく気持ちだった。そうするうちに二時間はあっという間に過ぎてしまった。お店から出る時、僕の頭の中はまた相合傘をすることで一杯だった。


 店から出て傘を広げ、再び彼女を入れた。

「もう、雨ほとんど止んでるからいいよ。ありがとう。」そう言って彼女は傘から離れた。

 僕は少し残念がりながらも傘を閉じ、また駅へと二人で歩いた。

「今日はこれから何するん?」

僕は話題を切り出すため、何とは無しにふとした疑問を投げかけてみた。

 わずかな沈黙が流れ、彼女は少しだけ、ほんの少しだけ罪悪感のようなものを垣間見せながら口を開いた。

「ちょっと彼氏と・・・」

ピクリと僕の眉が上がった。

 

「・・・へぇ。」

僕は毅然と、そして余裕を持って振る舞ったが僕の心には大雨洪水警報が発令され、土砂崩れに注意するように気象庁から勧告されていた。

 心の中で「ごめんなさい。」と謝り、恐る恐る顔をあげると、そこにはいつもの少し髭を生やした優しげな表情があった。

 それからたわいもない会話で盛り上がり、お互い反対側のホームに向かった。その足取りはどこか重たげだった。「今日はありがとう。バイバイ」

「うん、バイバイ」

 改札で別れ、ホームに着くと彼女から携帯に連絡が入っていた。僕はすぐに開けてみた。「電車まだこーへん」向かいのホームに目をやるとちょうど真正面に彼女が立っているのが見えた。「前見てみぃ」と僕は送った。数秒のタイムラグがあって彼女は前を向いた。 僕と目が合うとお互い少し微笑み、彼女が何か大きな声で言おうとするのが分かった。 しかし、彼女の乗る電車はすでにホームに差しかかろうとしていた。 


 踏切の音に君の声がかき消された

 できればもう少し、もう少しだけ君を見つめていたかった。 あぁ、特急だったら通過してくれるのに・・・ ふと目を上げるともうそこに彼女の姿はなかった。 僕の手に残るのは壊れかけのビニール傘だけだった。 その傘はもう晴れているにも関わらず悲しげに濡れていた。 そして天を仰いだ僕の頬を一雫の雨粒がつたって消えた。


「ふー・・・」 静かに数秒心の中の暗雲を吐き出すかのようにため息を吐いた。自分のホームに来る電車が特急であることを確認すると、僕は彼女がいないはずのホームの方向へ歩みを進めようとした。どうやら方位磁針はその方向に針を止めたようだ。 次の瞬間、ホーム一面に赤い雨が降り注いだ。


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