届かない手、答えのない問い
馬鹿げた殺し合いが始まる少し前、暗闇に放り出されたアーシャと真昼は限られた時間の中、自分たちが生き残るため少しだけではあるが作戦会議を行っていた。
「大丈夫だ。俺が必ず勝たせてやる」
俺がそう言うとアーシャは少しだけ涙を滲ませ、しかしすぐにまた沈んだような表情を見せた。やはりまだ勝てるか不安なんだろう。
「それでだアーシャ。勝つためにいくつか聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
アーシャが不安そうに聞き返してくる。俺は一つ頷くと、手に握ったままだった「この世界のあらすじ」やらが記された紙束の一枚をアーシャに見せる。
「さっきあのクソ教師の部屋に入る前にここだけ読んどけってお前に言われただろ?」
「ええ、そうね」
アーシャに見せた一枚に書かれている内容はこうだった。
・召喚された“翼”は“主”を武器として戦う
・“翼”は初めて“主”を武器とした時、一つ能力を得る
・能力は“翼”と“主”の適性によって決まる。
・変化する“主”の形態は“翼”によって変化する。
・“主”と“翼”の能力は“召喚者”とその“被召喚者”でなければ使えない。
と、まあご丁寧にイラスト付きで五つの項目が書かれていた。五つ目のイラストなんて“翼”側の絵が何故か爆発していて普通に怖い。
「んでまず聞きたいのは一つ目。“翼”は“主”を武器として戦うってあるけど、これはアーシャが武器に変身するってことか?」
俺の質問にアーシャは軽く頷く。
「そうよ。“主”となる“召喚者”は武器化と召喚術、この二つを徹底的にやらされるわ。召喚術は成功すればもう二度と使うことができないから、武器化はその後も戦力にさせるためでしょうね」
「なるほどな……じゃあ二つ目だけど、この能力を得るっていうのは使ってみないとどんなもんか分からないのか?」
「いえ、それは違うわ」
アーシャから今度は否定の反応が返ってくる。
「“翼”が“主”を武器として握った時、“翼”側は感覚としてどんな能力を自分が手に入れたか分かるのよ。能力については三つ目の項目にある通り、私たちの適性が高ければ高いほど恵まれた能力になるらしいわ」
「適性……ね。いまいちピンと来ないが、完全に運ゲーだな……」
一応召喚した者とされた者。それなりの縁はあると思いたい。
「んじゃとりあえず一回能力の確認しとかないとな。相手もおそらく確認は済ませてるだろうし、こっちだけ能力が分からないのは流石にマズい」
すると俺の提案にアーシャは頷いた。ただしとてもぎこちなく。
「?どうした?」
「い、いえ、なんでもないわ……じゃあやりましょうか……」
そう言うと少し頬を赤らめながら、アーシャはどこか決意を固めたようにこちらを向いた。
「鍵言は『顕現』よ。そう言えば私はあなたの武器になる。ただ……最初の一度だけ、その……お互いの魔力を交換しなくちゃならなくて……」
「?」
アーシャの言いたいことが分からず、首をかしげてしまう。
「だから……その……キ、キスを……しなくちゃ……いけないの……」
いまにも爆発しそうな程真っ赤に顔を染め上げた少女は、なんとも弱々しい声でそう言った。
「………………」
「………………」
互いに数秒の沈黙の後、今は一秒もムダにできないと真昼がハッと意識を取り戻す。そんな儀式を挟まなければいけないとなると尚更だった。
「それじゃあ……えっと……アーシャ……」
覚悟を決めた真昼はアーシャの肩を掴むゆっくりとその体を抱き寄せた。
「ちょっと……真昼……私まだ心の準備が……」
「俺だってできてねーよ……でも……やるしかないだろ」
「それぐらい……分かってるわよ。でも……」
「アーシャ」
時間がない。と言外に真昼がそう言うとアーシャもそれ以上は何も言わなかった。
お互いに真っ赤になりながら見つめ合う二人。抱き寄せたアーシャの体が熱を帯び、小刻みに震えている。アーシャに振れている真昼の手も、同様に小刻みに震えていた。
相手の震えなのか、自分の震えなのか分からないまま、二人の距離が少しずつ近づいていく。近づいていくほど互いの鼓動は早くなり、体が熱くなる。
そして永遠にも感じる時を得て、二人は互いの息がかかる距離になった瞬間……
ーー“主”と“翼”は不器用なキスを交わした。
アーシャの熱に、鼓動に、唇の感触に真昼の思考は数瞬の間麻痺してしまう。だがアーシャはそんな真昼の頬へと手を重ね真昼の顔を引き寄せると、更にその先へと、真昼の口の中で自分の舌を絡ませた。
「んっ……んぅ……」
官能的なアーシャの息づかいと、自身の体験したことのない未知の感覚に真昼は何もできず、しかし無意識にアーシャを抱き寄せる力は少し強くなっていた。
そして数秒後、アーシャは自分の舌をゆっくりと真昼の中から抜くと、真昼もアーシャの肩から手を離した。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙の中、先に口を開いたのは真昼だった。
「アーシャってもしかして……淫らnぐはっ……!!!!」
「言うことかいて最初に出てくる言葉がそれなの!?」
「いや……うん……悪かったよ……だからもうゼロ距離腹パンは勘弁してくれ……」
腹を押さえてうずくまる真昼。
「はぁ……まあいいけどね。変な空気なるよりは……」
若干真昼に呆れながらもアーシャは前向きに考えることにした。
「じゃあ早速始めましょうか。ほら、うずくまってないでさっさと立ちなさい!!」
「誰のせいでこうなってると思ってんだ!!」
「そう言いながらもさっさと立ち上がるあたりツッコミ慣れしてるわよね……あんた……」
まるで数秒前の出来事なんて忘れたように二人はいつものやりとりを交わす。
そうしてようやく彼らは本物の“主”と“翼”となった。
「よし……じゃあいくぞ」
アーシャが一つ頷いた。
「顕現!!」
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そして時は戻り現在、真昼達の前には最悪の敵が姿を現していた。
異世界人同士の殺し合いを終えたにも関わらず、どちらも死んでいないことを確認したアルデミラは再度真昼に言い放った。
「どうした?さっさと殺さないか?」
言葉から滲み出る威圧感。数分前に出会った時とは比べものにならないその圧に、しかし真昼は怯むことなくアルデミラを睨み返す。
「殺さない。お前の言いなりにはならない」
それを聞くとアルデミラは馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「寸前まで本気で殺そうとしていたくせによく言うじゃないか」
「そうだな。本当どうかしてたよ。自分が生き残るためなら他者を犠牲にしても構わない。なんて暴論が間違いだってのは、小さい子どもだって分かることなのに……」
チラリとアーシャを見やって、真昼は自身のふがいなさにため息がこぼれた。
「だけど目が覚めたよ。そんなことしたってどうにもならない。誰も救われない」
「詭弁だな。今この場に置いてそんな戯れ言が通用すると思っているのか?お前にはいま目の前の敵を殺すか、殺さずに自分が死ぬかの二択しかないんだぞ?」
その言葉にリリアが小さな肩をビクリと震わせる。
「リリア・ラウグルス。貴様はどうやらこの“翼”を死なせたくないらしいな。一度負けた雑魚など殺す以外ないが……学院がお前の能力を買っているのもまた事実。だから一つだけ“翼”を助ける方法を教えてやろう」
追い込まれた少女に悪魔が囁きかけた。
「もう一人“翼”を召喚しろ。ならばお前もその“翼”も助けてやろう」
その言葉に真昼の隣にいたアリスは「馬鹿じゃないの!!」と声を上げた。
「ただでさえ召喚術は自身の魂の一部を媒介にして発動させる禁忌の魔術。それを二度も行うなんて馬鹿げてる!!例え成功したって魂自体が衰弱して、死ななくても廃人になるに決まってるわ。そんなの死ねって言ってるのと同じじゃない!!」
「そうだな。だがアーシャ、考えてもみろ。本来なら殺されるはずだった二人に、廃人だろうが生きる道を提示してやってるんだ。とても譲歩してやってるとは思わないか?」
「っ!狂ってる……!!」
「そうか?私にしては寛大な処置だと思うが」
あっけからんとしたアルデミラの態度に“主”の二人は最早絶句する他なかった。
しかし“翼”の二人はそんな“主”を庇うように一歩前に出ると、自身の召喚者とは真逆の反応を示す。
「リリアが使い捨てにされるのを私が黙って見過ごすと思うのか?」
「アーシャ。これ以上話しても無駄だ」
そう言う二人を前にしてアルデミラはクツクツと笑いを溢す。
「ならどうする?まさかこの私から逃げ切れるとは思ってないだろう?」
そう言葉にした瞬間、アルデミラからの殺気が一気に膨れあがった。反射的に“翼”の二人は鍵言をとなえる。
『顕現!!』
再び“翼”の手に武器と化した“主”が顕現した。
動かないアルデミラから“翼”の二人は一気に距離を取る。
「アーシャ!出口はどこにある!」
『ないわよ!分かってるでしょ!』
真昼が逃げ出したい一心で叫んだ言葉は、残酷な現実に一蹴されてしまう。それ程までに目の前の女は恐怖を放っていた。
想像以上の脅威に震える手を抑えながら、目の前の状況を打破するため真昼は必死に頭を回転させる。
(逃げ道はない……仮に見つけたとしてもアルデミラを倒さないと逃げるのは……不可能……)
「っ!?」
後退する真昼のすぐ目の前に突如アルデミラが現れる。真昼がおもわず反射的に刀を振り上げると運良くアルデミラの手刀と接触し、一瞬のつばぜり合いもなく力負けした真昼は背後へと吹き飛ばされる。
「がはっ………!」
十数メートル背後の壁へと激突し、真昼の口から赤い血が噴き出した。当然、経験したこともない激痛が背中から全身へと駆け巡る。
『マヒル!?大丈夫!?』
「あぁ……大丈夫……だ……」
荒い呼吸を吐きながら、刀を地面に突き立ててなんとか立ち上がる。しかし視界はくらみ、少し体を動かすだけで全身に激痛が駆け巡る。
「ククク……たった一撃でもう死にかけじゃないか。さっきまでの威勢はどうした?」
先程まで真昼が居た場所に悠然と佇むアルデミラが、馬鹿にするように笑い声を漏らす。
「穿て」
そんなアルデミラの背後から、ミリアが鍵言を唱え刺剣を放つ。明らかに刺剣の間合い外からの奇襲。だがアルデミラは既に刺剣の直線上から姿を消していた。
ミリアの背後に回り込んだアルデミラが手刀を振り下ろす。しかしミリアはそれが分かっていたかのように横へと体を逸らす。
そして後ろを見ず自身の脇腹の横からレイピアの切っ先をアルデミラに向けると、再び鍵言を唱える。刺剣が狙い通りアルデミラの肩に突き刺さった。
しかしアルデミラの顔から余裕の表情は消えない。
「ほう危機に瀕して『共鳴』したか。リリア・ラウグルスは気配感知が得意だったな。そして基礎能力が飛躍的向上しているらしい。まぁそれでも“翼”は人形同様と言ったところだが」
再びアルデミラがミリアに距離を詰める。今度は真横から攻撃を仕掛けるアルデミラだったがやはりその攻撃は当たらない。そして攻撃が外れるたびに、アルデミラの体には傷が増えていく。
「リリア。このままいけそうか?」
『うんっ!これならアルデミラ先生にも勝てるよ!!』
しかしそう簡単にことは進まなかった。アルデミラは突如動きを止め、ゆっくりと歩いてミリアに近づいていく。
『ミリアちゃん。油断しちゃダメだよ』
異様な気配を纏い、明らかに何かを狙っているアルデミラからミリアは一瞬たりとも目をそらさない。
『ミリアちゃん後ろ!!』
突如脳内に響き渡った警告にミリアは即座に前に飛ぶ。しかし飛んだ先には何故か既にアルデミラが待ち構えていた。
「なっ……!?」
ミリアがそれに気づいた時には既に遅く、苦し紛れに鍵言を唱えるも刺剣は空を切り、気がつけば真昼と同じく壁に叩きつけられていた。
「あのハズレにさえ見切られた技が、まさか今更私に通用すると思ったのか?」
心底呆れた様子でため息を漏らしたアルデミラは再び消えたかと思うと、ミリアの目の前に現れその細い首を掴んだ。
「ぐ……がっ………」
「どうやら今回はあいつだけではなくお前もハズレだったようだな。全く……年々無能が増えて頭が痛くなる」
首を絞められ呼吸ができないミリアはなんとか逃れようと必死にもがく。しかし無情にもアルデミラの力が弱まることはなく、次第にミリアは青ざめていき抵抗する力も弱まっていく。
『ミリアちゃん!!!死なないで!!ミリアちゃん!!!』
そうリリアが必死に呼びかけるも、ミリアの瞳から生気が失われていく。
真昼はその光景を前に、なんとかミリアを救おうと動かない足をそのままに届くことのない手を伸ばす。
(動け……動けよ!!今の俺なら……俺の能力なら……アルデミラを……アイツを……!)
最早どこが痛いのかも分からなかったが、真昼は全身に力を込めミリアを救うため前へと一歩踏み出し、
バキッという異音が闘技場に響き渡った。
最初、真昼は自分の足が折れたのかと思った。思うようにした。
けれども見てみると自分の足はどうやら無事らしい。だから再び前を向く。前を向いた。しかし一度見た光景は変わらなかった。
全身から体液を漏らし、手足は力なく垂れ下がり、目を白く染め、口から泡を吹いているソレは、間違いなくミリアだった。
「は……え………………ェ?」
ぼやけた視界に写るその姿に、真昼はわけもわからず意味不明な声を出すばかりだった。
首があらぬ方向に折れ曲がるミリアを見て、先程の音の正体を知るのにそれ程時間はかからなかった。
その瞬間、真昼の中で恐怖が弾けた。
全身を悪寒が覆い、刀を落とす。彼女を救うため伸ばした腕は、意味も分からず震えるばかりで、全身が言うことを聞かず、憎らしい自身の双眸は目を逸らしたい光景をひたすら映し続けていた。
アルデミラはミリアをゴミのように投げ捨て、ミリアの落とした刺剣を拾うとなんの躊躇いもなく同じように刺剣をへし折り投げ捨てる。そして投げ捨てられた刺剣は淡く光ったかと思うと、リリアの姿に戻った。上半身と下半身が繋がっていない状態で。
「はっ……ははっ……………」
切断部から溢れ出る血が地面を染めるのを見ていると、不思議と笑いがこぼれた。アーシャが何か言っているようだったが、今の真昼には何も聞こえない。ただおかしな笑い声を溢しながら、迫ってくるアルデミラを眺めているばかりだった。
そしてミリアと同じように首を締め上げられたが、最早抵抗する気力など微塵も残っていなかった。
希薄になっていく意識の中で、たった一人進路希望調査票を持って教室で思い悩む自分の幻影を見た。
(ああ。俺は一体どこで間違ったんだろうか)