絶望の幕開け
真聖総統学院。約二百年前、辺境に建てられたこの学院は今も尚魔物に対抗するための“翼”を育て続けており、また魔物を打ち倒すための人間たちにとって数少ない拠点でもある。
真聖総統学院と同じ機能を果たしている機関はこの世界には九つしかなく、人類が如何に魔物の手に脅かされているのかが伺えるだろう。
しかしその人類の領地たる九つの機関周辺以外は魔物ばかりかというとそうではなく、魔物も人間もいない土地も数多く存在している。
その理由の一つとして、この世界は人間の数も魔物の数もそこまで多くないということが挙げられる。人類より魔物のほうが多いのは確かだが、この世界の全てを覆いつくす程魔物の数が多いというわけではない。
そしてもう一つの理由。それは人類側に存在する圧倒的な力を持つ“英翼”の名を冠する者達の存在にあった。
“英翼”と呼ばれる者たちはその人知を凌駕する力を振るい、魔物達の増殖を、そして進行を現在も食い止めている。
しかし我々人類は彼ら“英翼”の力を持ってしても魔物の殲滅には至っていない。それは魔物の中にも“英翼”に匹敵する存在が-ー
と、まあそこまで読んだところで頭が痛くなってきたので一旦読むのをやめてしまう。
すると隣を歩くアーシャからすかさず罵声が飛んできた。
「ちょっと、ちゃんと読みなさいよ。それぐらいの知識は頭に入れておいてくれないと困るんだから」
「いや……そう言われてもなぁ……」
頭を掻きながら再び渡された書類に目を落とす。
これは俺みたいな異世界から来た人間に渡すいわゆる「この世界のあらすじ」だ。何故俺を召喚したのか、現在人類がどういう状況なのか、魔物とはどういったものなのかがズラーッと数枚に渡って書かれている。確かに必要なものではある。必要なものではあるのだが……
(なんていうか……ゲームっぽいというか、現実味がないというか……)
無機質な文章のせいなのかどうにも危機に瀕しているという感じが伝わってこない。
「普通こういうのってこんな文書じゃなくて、直接説明されるもんじゃねーの?」
そう言うとアーシャがなにやらバツの悪そうな表情を見せる。
「ええ。確かに私もそう思うんだけどね……そういうわけにもいかないのよ……」
「?」
どこか緊張してるようにも見えるアーシャに俺はますます意味が分からなくなってしまう。
そしてそれ以上話を掘り下げていいものかと悩んでいるうちに、アーシャの方から「と、とりあえず……どれだけ面倒くさくてもここだけは読んでおきなさい」と言われ、尋ねるタイミングを逃してしまう。
仕方がないのでアーシャに指定されたページに目を通していく。するとそこには驚愕の内容が記されており……
「着いたわよ」
しかし驚く暇も無く目的の場所へとたどり着いてしまう。
真聖総統学院最上階。その一室へと俺とアーシャは足を踏み入れる。
すると中には煙草を咥えたスーツ姿の女性が一人、机の向こう側に座っていた。
「おう。よく来たな」
どこか投げやりな様子でスーツ姿の女性が手を挙げる。
アーシャはそれに小さく一礼すると、女性の座る机の前まで歩いて行く。
「アルデミア先生。“翼”の召喚に成功しました」
「うむ。ご苦労」
アルデミアと呼ばれた女性は煙草を灰皿へと押しつけ火を消すと、チラリとアーシャの後ろに立つ俺の方を見た。
「君がアーシャの“翼”か」
“翼”とはおそらく召喚された異世界人のことをそう言うのだろうか。アルデミアの見定めるような視線に思わず体が強張ってしまう。
「ふむ。なるほどな。それでアーシャ。この後の説明はしたのか?」
数秒後、俺から目を逸らしたアルデミアはアーシャへと質問を投げかける。
するとアーシャはアルデミアの質問に先程と同じように緊張した表情を見せた。
一体どうしたというのだろうか。
アルデミアはアーシャの様子を見て何かを察したのか、一つため息を吐くと再びこちらに視線を向けた。
「名前をまだ聞いてなかったな」
「草薙です。草薙 真昼」
「そうか。それじゃあ草薙」
そうして一呼吸置いた後、アルデミアは信じられないことを口にした。
「お前には今から他の”翼“と殺し合いをしてもらう」
「……………………は?」
たっぷり数秒の間を置いた後、気の抜けた声が心の底から漏れる。
今、この目の前の女がなんと言ったのか俺は瞬時に理解することが出来なかった。
『殺し合いをしてもらう』だと?
意味が分からない。何故そういうことになるのかも、そんなことをしなければいけない理由も分からなかった。
混乱で頭が真っ白になっていく中、チラリと前にいるアーシャの顔が目に入る。
見ると彼女の顔は真っ青になっていた。
「草薙。事前に渡されている資料の中に戦い方は書いてある。なに、戦うのはお前と同じ新人の“翼”だ。実力は五分五分だろうさ」
何を、何をふざけたことを言っているんだろうかこの女は?
「いや……ふざけんなよ……おかしいだろ?いきなり殺し合いしろって言われて納得できると思ってんのか……?」
「ふむ。もっともな意見だな。だが、その言葉はもう聞き飽きたよ」
そう言ってアルデミアは呆れたように首を振る。
「聞き飽きた……だと?」
「そうだ。いままでこの世界にやってきた異世界人全三万四千人。全員が全員ほぼ同じことを言ったよ。……いや、三人ほど違う奴がいたか」
あっけからんとそう答える女に俺は言葉を失ってしまう。
この女の言うことが真実であればこの世界には異世界人三万四千人が召喚されたことになる。そしてもし同じようなことを繰り返しているとなると、少なくとも一万七千がこの世界で殺されているということだった。
「そんなことをして……許されると思ってんのか?勝手に召喚されて、勝手に殺し合いをさせられる!?そんな馬鹿げたことがあってたまるか!」
沸き上がる怒りを抑えきれずそう怒鳴り散らすも、まるでそれさえも聞き飽きたと言わんばかりに、目の前の女は再びため息を吐く。
「はぁ……どうやらお前はハズレらしい」
馬鹿にするような口調で女は諦めたように呟いた。
「それじゃあそろそろ時間だ。見込みは薄いと思うが精々頑張ることだな」
女がそう言った瞬間視界が一転。暗闇の中へと放り出されてしまう。
真っ暗闇の中、俺はあるかも分からない地面をおもいっきり踏みつける。
「クソッ!なんだってんだよ一体!」
なにもかもが理解不能だった。召喚されたことも、殺し合いをさせられることも、ハズレだと言われたことも、そして……アーシャがそれを黙っていたことも。
暗闇の中何故かはっきりと見える同じく暗闇に放り出されたのであろうアーシャは俯いていた。
「ごめんなさい……どうしても、どうしても言えなかったの……」
震える拳を握り締め、脅えたような声音でアーシャが細くそう言った。
「この世界に召喚された“翼”はまず最初に召喚者と共に殺し合いをさせられるわ……」
「んなもん今更説明されたって……!」
再び怒りが膨れあがりおもわず怒鳴りかける。しかしその怒りは途中で遮られてしまった。
アーシャがまるで何かに脅えたように震えていたからだった。
そしてアーシャはポツリポツリとと言葉を漏らし始める。
「私も……異世界人なの」
「……っ!?」
「いまから十年前、七歳の頃に私は召喚されたわ」
アーシャはどこか懐かしむかのように言葉を続ける。
「本当にそれまでどこにでもいる普通の女の子だったわ。少し良い家柄に生まれた泣き虫で、かわいいものが好きな普通の女の子……だけどそれも召喚されてからは一変した」
アーシャの声が……震え出した。
「毎日毎日勉強勉強勉強。牢獄のような冷たい部屋で、奴隷みたいな食事しか出ない生活。召喚されて数年はずっと泣いていた気がするわ……」
アーシャの言葉に俺は何も言うことが出来なかった。
「本当……馬鹿みたい。私のこの半生は一体なんだったんでしょうね……」
暗闇の中、震えながら涙も流せず泣く彼女は、今にも死んでしまうのではないかというぐらい悲壮感に満ち溢れていた。
彼女は俺より十年も早く召喚されて、この世界で魔物と戦う以前に生き残れるかどうかも分からず勉強を、そして訓練をさせられてきたのだ。その過酷さは想像を絶するものに違いなかった。
先程の教師の対応からしてもこの世界での異世界人の扱いは使い捨ての駒同然であろうことは想像に難くない。これから行われる殺し合いも使える駒と使えない駒の選別。使えない駒は即廃棄ということなのだろう。あまりにも馬鹿げている。
「ふぅ……」
沸々と沸き上がってくる怒りを抑えつけ、自分を落ち着かせるため一度深呼吸をする。
アーシャに聞きたいことは山ほどある。けれど今はともかくこれから始まる馬鹿げた殺し合いに勝たなければならない。
俺はアーシャの元へと歩いていくと、彼女の目の前へ立った。
「事情は大体理解した。俺なんかよりもアーシャの方がよっぽど辛いってことも」
その言葉にアーシャが顔を上げる。
「慰めも、怒りも、言いたいことは山ほどある。けどそれもこの先を生き抜かないといけないらしい」
不安そうにこちらを見つめる彼女をなだめるように小さな頭へと手を置く。
「大丈夫だ。必ず俺が勝たしてやる」
そしてそれから数十秒後、理不尽で馬鹿げた殺し合いが幕を開けた。