序章:金子の来訪
1927年3月28日 日出港
「クソ、魔女のバアさんの呪いか!」
どこぞのイワンのごとく毒づいたのは、別府造船所社長の来島義男以外の何者でもなかった。義男が忌々しげに見つめる先には、巨大な鉄塊が浮かんでいた。その鉄塊には名があった。その名をかつては『土佐』と呼ばれていた。八八艦隊時代の名残である・・・。
そもそもの話はおおよそ5年ほど前までさかのぼることとなる。1921年のワシントン海軍軍縮条約の結果、日本海軍は長門の完成にはこぎ着けることができたが、それ以外の建造中の艦艇については、実験艦となった陸奥以外は廃棄されることが決まった。それでも、進水寸前だった天城型巡洋戦艦の天城と赤城はなんとか空母への改装が決まり、生き残ることができそうだった。(ちなみに、関東大震災によって天城は大破してしまい、その代替として、解体予定だった加賀にカムバックがかかった。)さてそんな中、一隻の戦艦がスクラップとして売りに出されることとなる。「土佐」である。長門型戦艦の強化バージョンとして建造されたこの戦艦だったが、何とか船体進捗率70パーセントまでこぎ着けたところで条約によるアウトが入ったのだ。はじめは解体も視野に入れられていたのだが、ここまで作っちまった物だから解体する方が手間として、進水させるための建造の続行が命ぜられた。で、標的艦として使用されることが決まり、それは実行された・・・お陰で、日本海軍は水中弾の効果を理解することができ、これ以降水雷防御を強化していくこととなるのだが、問題はその後である。
土佐は、一度砲撃で沈められた後、実験結果を調べるために浮揚されていたのだ。当初はその後沈める予定だったのだが、ここで一つの手が上がった。土佐がスクラップになっていることを聞きつけた鈴木商店の金子直吉が是非買いたいと言い出したのだ。
最近でこそ、鈴木商店は陰りを見せているが、依然として巨大な会社であることに変わりはない。土佐を購入できる程度の金は十分ある。この申し出に海軍は少し考えた後、「まァ、いいんじゃね?」とGOサインを出した。取れるだけのデータをとった今、もはや土佐は自分たちにとってはらなくなった粗大ゴミである。最初はそれを海没処分しようとしていたのだが、少しでも金になって戻ってくるのなら・・・と考えたのである。(当然ながら、破損箇所はそれと分からぬよう簡単な修理をしてからだが)
さて、こうして土佐を得た鈴木商店ではあったが、困った問題があった。傘下の石川島播磨造船(現在のIHI)では、排水量4万トンにも達するようなデカ物を改装することができなかったのだ。さすがの金子としても金のかかるドックの大型化にまでは踏み込むことは難しかった。他にこのクラスの改装ができそうなのは、今のところ技術や設備をあわせると三菱位しかないがここは残念ながら商売敵であるから無理だ。
しかし、それで諦めるような金子ではない。彼には当てがあった。それは、九州で覇を唱えつつあった来島義男の率いる別府造船だった。この頃、別府造船では義男が買ってきたドイツの巡洋戦艦を魔改造するべく3万トン級ドックを整備していた。なんでもこいつは、巨大な商船隊を建造するという野心極まりないプランを計画しているのだという。そこに目を付けたのだ。
この頃別府造船では、造船業での全体的な不振や神戸製鋼所の製鉄所整備計画や、ドイツ人技術者の受け入れ準備や東京事業部の準備、コンテナの実用化などで大型客船隊の整備は予定より大幅に遅れており、1924年頃設計完了&着工予定1930年に一番船工事完了と言うスケジュールとなっていたのだが、それがさらに遅れそうになっていた。金子はその情報を掴んでいたのだった。別府造船は第一次大戦前のしがない中小零細企業ではなく、それなりの規模になっていたものだから、嫌でもそうした情報は外部に漏れるものである。要は金を使いすぎて、本命の事業(欧州みたいな大型客船隊を整備するとか収支を考えたら滅茶苦茶なロマン事業)がしばらくできなくなっただけのことである。激しく自業自得である。それに、別府造船と鈴木商店との間には接点がないわけでもない。例えば神戸製鋼所はかつて鈴木商店傘下の製鉄会社だったのだから。ついでに言うと神戸製鋼の買収騒動の際に金子と義男は互いに面識があったりする。もっとも、義男はできるだけ関わりたくなかった様だが・・・。
1924年12月18日 社長室
この日も脳天気に来島義男は出されたお茶を飲みながらくつろいでいた。こいつの普段の仕事は株価のチェックと自動サイン機・・・それだけ。基本こいつは仕事が全くできないのだ。いわばどこかから金を引っ張ってきてこれを作れと命令するだけの仕事である。
「今日も良い日になればいいんだがなぁ・・・」
ぼんやりとそんなことを考えていると、突然扉が開かれ、秘書が飛び込んできた。
「ハァ、ハァ・・・社長!一大事です!」
「なんだ突然・・・あれか、火星人でもやってきたのか?」
そう言いながら義男は窓の方を向いたが、外にはいつも通りのドックの姿があった。
「そうじゃありません、お客様です」
「客?いや、今日は来客の話は聞いて・・・」
なんでもないように尋ねる義男であったが、秘書の次の言葉にピシッと凍り付いた。
「金子様です!鈴木商店の!」
「・・・え?鈴木の金子!?」
義男は顔面が蒼白になった。今の状況で鈴木に関わったら碌なことにならないと考えていたからだ。何しろ鈴木は米騒動の折から随分三井から嫌がらせを受けている。一応別府グループ自体も商船三井との取引はある。その矛先が向くかも知れないのだ。いや、そんなことは些細なことだろう。下手をすれば何かとんでもないことに巻き込まれかねない。金子は天才だが、義男は平凡な人間なのだ。
冗談じゃない。直ぐに逃げないと!慌てて部屋を飛び出そうとすると、そこには一人の男が立っていた。男は見るなり、にこやかに義男に挨拶をした。
「来島さん、お久しぶりです」
上等な背広を着た眼鏡のオッサン・・・鈴木商店専務取締役、金子直吉だった。
義男はすぐさま引き返そうとした。しかし逃げられなかった。
「おや、どこへゆこうというのですか?」
「い、いやか、き・・・急用で、秋葉原で新作のエロゲを買いに・・・」
現代社会でも通用しない言い訳をしたが、当然ながら通用するわけがない。あれよあれよという間に義男は金子と一緒に客間に放り込まれてしまう。こういう関連の面倒ごとは全てこいつに任せてしまおうという宮部や役員達の魂胆であった。いつもの仕返しと言うことかも知れない。
「そ、それで、今日はどういったご用件で?」
若干裏返った声で義男は尋ねた。
「そうですな。単刀直入に申しますと、船の改装をお願いしたいのですよ」
船の改装・・・その言葉に義男は安堵の息をついた。なんだ、普通の発注か・・・と考えたのだ。だが、同事にはたと思った
「おたくには、石川播磨さんがあるのでは?」
「いやいや、今回は少し大型でしてな、ウチではなかなか手を出せない部門なのですよ。しかし、別府さんなら・・・」
金子がこういった段階で義男は気がつくべきだった。普通の船の改装ならばもっと下っ端の社員で事足りるはずなのだから。
「確かにウチは3万トン級までなら作ることはできると思いますが・・・そんなでかいんですか?」
「ええ、なにしろ総重量は完成していれば4万トンはすると言われたほどですからな」
「え・・・?」
「ええ、船の名前は『土佐』と言います。そいつを客船に改装してもらいたいのですよ」
その言葉に再び義男は凍り付いた。
そりゃそうだろう。土佐と言えば、海軍の建造した戦艦だった。ワシントン条約で廃艦が決まったことは義男は知っていたがその後どうなったかまでは知らなかった。せいぜい、解体されたか史実と同じように標的になって沈んだかのどちらかだろうと考えていた。鈴木商店が購入したなど知りもしなかった。情報不足である。こいつのアンテナは基本アメリカや欧州の方を向いていたため、国内財閥の動向など株価以外に興味もなかった。
話を戻すが、元々土佐は三菱のドックで建造されていた戦艦だったモノだ。それを一度海軍に引き取られてなんか色々やられたとは言っても、筋を通すならば三菱の造船所で改装を行う方がよい。それを別府造船でやるというのだ。下手をすれば三菱との間に妙な溝ができかねない。現在でも希薄ではあったが・・・
大体この時期の別府造船ではまだ1万トン以上の船を建造した実績がないのだ。せいぜいその半分の5000トンクラスである。一応、巡洋戦艦を大型貨客船に改装する計画はあったモノの、どういった感じでするのかまだ完全には決まってはいなかった。一応、船倉をコンテナ貨物対応型にするという計画こそあったものの、膨大な水密区画や装甲をどう撤去するか、また、撤去後の強度をどう保つかで黒田達の頭を悩ませていた。この時代はまだ軍艦の装甲を構造材としてそのまま利用するという考えはなかったと思われるが、それでも強度材としてある程度使用されていたことは考えられる。
「うちには、そんな大型船を建造した実績がありませんが・・・」
「確かに。しかし、それほどの大型の商船を建造した実績は日本のどの造船所にもない・・・ちがいますか?」
「いや、それはそうですが・・・」
「誰でも初めてはあるものです。それに、御社がドイツからそういう大型船舶の建造に携わった人物を多数呼び込んだのではないでしょうか?」
「確かに・・・」
義男は渋い顔をしながら金子の言葉を肯定した。確かに、別府造船ではこの時期世界最大の客船であったマジェスティック号やファーターラント号といったドイツのパハグラインの客船建造に携わった技術者を呼び込んでおり、彼らと共同で新型貨客船の建造を計画している最中だった。それに、金子の注文も義男にとっては魅力的だった。3万トン級客船の建造実績を得ると共に、これを基にしてさらなる客船隊の整備に弾みを付けることができるかも知れないという考えだった。当然ながら、改装で得られる資金もまた魅力的だった。
一方で、下手をすればこれまで関わってこなかった三菱や住友、三井と言った大財閥と対立するフラグでもあった。義男はこの先鈴木が金融恐慌や世界恐慌によって破綻し倒産することを知っているだけに、彼らと対立することは極力避けたいと思っていた。別に積極的に関わる気もまた更々なかったが。
(魅力的だけれど、この先、三菱とかと敵対するのも嫌だし、鈴木と手を組むのも怖いしな・・・でもまてよ?どのみち鈴木は倒産するんだよな?それなら逆に・・・)
暫く義男は考えていたが、そこでふとアル考えがよぎった。
「・・・・・・分かりました。ただ、私の一存では決めかねますが、何とかやってみましょう。状況を見てからまた判断することになりますが・・・それで宜しいでしょうか?」
「承知しました。」
そうして金子は義男に頭を下げたが、その時義男がニヤリと口元を歪めていたことを金子は見逃さなかった。もちろん金子は何も言わなかった。それこそ野暮なことだし、現時点で何を考えている鎌では分からなかったからだ。ただ、小癪なとを考えていることくらいは容易に想像が付いた。
(何を考えているか知らんが、儂らはそう簡単にはいかんよ?小僧・・・)
金子は、別府温泉に取った宿へと向かう道すがら、別府造船所を振り向き静かにそう思った。それは、大戦が始まるおよそ17年ほど前のことだった。
初めての人は初めまして、そうでない方はこんにちは
今回、555様より「もしも土佐が鈴木に買われて別府造船で魔改造されていたら・・・」というアイディアを頂き、早速書いてみることにしました。ですので、これは本筋とは全く関係のないifの物語です。
・・・うーん、やっぱり文章がへたくそです。
それに、なんか他にも書いているものがありますので、本編の方がなかなか進まないという・・・どうしてこうなった。