再び宝物庫へ
車で一時間半ほどの距離だった。ヒカリ達は藤堂家に到着した。
ヒカリ、和泉、夕輝の三人は藤堂家の敷地前で車から降りた。
「自分は駐車場に車を停めてから、お邪魔するでありますので」奥野が車内から和泉に敬礼した。
駐車場とは、藤堂家の来客用の駐車場のことである。
「やっぱり大きいなあ」ヒカリは二度目となる訪問だが、藤堂家は大きい。まさに屋敷といったところだ。
「暑いですね」冷房の利いた車から降りたからだろうか、夕輝は言った。
時刻は十五時二十分。そろそろ夕方頃である。にも拘らず、なお暑い。
「はやく、入りましょう」夕輝がさっさと玄関に向かう。
ヒカリはそれに続くが、後ろで屋敷を観察しながらついてくる和泉のことが気になった。
夕輝は三つの鍵を使い、藤堂家の入口を開ける。内訳は、敷地前の門の鍵が一つ、屋敷のドアを開けるのに鍵二つだ。
「どうぞ、入ってください」夕輝はドアを開けながら、ヒカリと和泉を招き入れた。
広い玄関で靴を脱いでいると、エプロン姿の若い女性がとたとたとやってきた。ヒカリには見覚えがあった。彼女はこの家に住み込みで働く、家政婦のはずだった。
「おかえりなさい。警察の方々も、ようこそいらっしゃいました」女性は言った。
「ああ、わたしは警察じゃないですよ」ヒカリは苦笑して否定した。
「こちらの方が、長野県警の和泉さん」夕輝は手のひらで、和泉を指した。
「こちらは、日向ヒカリさん。……第一発見者だ」次に夕輝はヒカリを紹介する。
「失礼いたしました」女性は丁寧に頭を下げた。「私は藤堂家に仕えております、桐生昌子と申します」
そうだ、同じような挨拶を以前来たときにされた気がする。ヒカリは思い出した。
「私は長野県警捜査第一課の和泉警部補です。藤堂家の皆さんに、情報の提供をお願いしたく、参りました」和泉は警察手帳を、片手でパカッと開き、桐生に見せた。
ヒカリもきちっと挨拶をする。おそらく、自分のことは桐生の記憶に残っていないだろうと考えた。
「日向ヒカリです」そういって、右手の警察手帳をパカッと開いた真似をした。
桐生は苦笑し、どうぞお上がり下さい、とだけ言った。
***
桐生によって、ヒカリと和泉はリビングに案内された。リビングには、四人の男女がいた。一人を除き、ヒカリは面識のある者ばかりだ。
「ヒカリ……」その中の一人、長身の男が少し表情をひくつかせて呟いた。
アキラである。もう何年も見てきたその顔ほど、意外なところで見ると驚くものなのだろう。ヒカリには、アキラの動揺が手に取るように伝わった。
「みんな、警察の方が来た」夕輝が四人に呼び掛ける。「長野県警の和泉さんだ。それからもう一人、奥野さんという方もいらっしゃってる。今日一日、みんなで朝陽について知っていることを彼らに話すんだ」
四人は沈黙している。何を言えばいいのかわからないといった様子である。
「お邪魔しています。私、長野県警捜査第一課の和泉警部補です。まず、皆さんの疑問にお答えしたいと思います。現状、警察が把握していることを、全てお話します」和泉は軽く咳払いをした。「では、まずヒカリさん。今日の経緯をご説明頂けますか」
ここで自分に振るのか。まあ、第一発見者の生の声を聞かせた方がいいのかな。そうヒカリは納得することにした。
「えっと、ご存知の方が多いと思いますが、わたしは日向ヒカリといいます」
可能な限りはっきりと喋るよう、ヒカリは意識した。けしてビビらない。堂々とし過ぎている方が、スピーチで映える。ヒカリが大学のゼミで覚えた、数少ない身の助けである。
「朝陽さんの恋人の、新部万里子の友人です。その繋がりで、朝陽さんとはときどき交友があります」
話しながら聴衆を見まわすと、明らかに憔悴しきっている美雪と目が合った。仲の良い兄が死んだかもしれない恐怖を思うと、いたたまれなかった。
ヒカリは今日何度目かになる、死体発見時の話をした。最後に、死体が誰のものかは判断できなかったという慰めで、話を結んだ。
「警察も夕輝さんも、朝陽さんの部屋にあった遺体は……、朝陽さんか他の誰かなのかはわかっていません」和泉は言った。
「そういうのって、いつわかるものなの?」蓮が無遠慮な口調で尋ねる。
蓮の言葉が荒っぽいのは、警察に対して思うところがあるからだろう(もとより、人当たりの良くない彼女ではあるが)。蓮は今年の四月のD大で発生した殺人事件において、信じられない理由で警察に重要参考人扱いをされたのである。
「DNA鑑定の結果を急がせています。早ければ、今日の夜には大体のことがわかります」和泉は別段気を悪くした風でもなく答えた。
場は再び沈黙した。美雪などは酷い顔色で、何も発する気力も沸かないといった様子である。
「あのー。あたし達、これから結構長く拘束されるんですか」
ヒカリとは面識のない女性が口を開いた。肩より長い髪は明るく染めてあり、ふわりとした軽いウェーブが少し派手な印象を与えた。ぱっと見ると、美雪と顔の造りが違うが、おそらくは夕輝のもう一人の妹だろう。
「今日はひとまず、皆さんにお一人につき十五分ほどお時間を頂きたいと思っています」和泉は言った。
「そんなもので、いいんですか」彼女は少し拍子抜けしたようだった。
「皆さんからは、足掛かりが欲しいだけなので。容疑者という容疑者は、まだわかっていない状態ですから」和泉が微笑むが、その表情からは誠実さが伺えた。「もちろん、早期解決できるよう、全力で捜査しています」
「ねえ、夕輝」蓮が夕輝に呼び掛けた。「大地さんには、ちゃんと連絡いってるの?」
「二時くらいに、父さんと電話で話をした」夕輝が答える。「どうしても、帰れないって」
「そっか」蓮は目を瞑った。
「で、今から始めるんですか」ふんわりウェーブの女性が和泉に尋ねる。
「いいえ、まずは夕輝さんに、この家の宝物庫を案内して頂こうと思います。もちろん、捜査の一環ですよ? こちらの準備ができましたら、お一人ずつお呼びいたしますので、そのときはよろしくお願いします」和泉は答えた。
「部屋に戻ってていいの?」蓮が尋ねる。
「もちろん。ご自由にされていて下さい」
蓮はため息を吐き、リビングから出ていった。
「あの、私は……」桐生がおずおずと言う。「私もお話しなければいけませんでしょうか」
「お願いします。今は、どんな情報が役に立つか、わからない状態ですのでね」和泉は神妙に言った。
さてと。和泉は手をポンと叩いた。
「では、夕輝さん。案内をお願いしてよろしいですか」
「わかりました」
「あの、わたしも行っていいですか」ヒカリは言った。ここまで来て、何もしないわけにはいかなかった。
「ええ、もちろんです」夕輝は軽く微笑えんでみせた。
「アキラさんも、来て頂けますか」和泉はアキラに呼び掛けた。
「俺もですか」アキラは長めの前髪をいじった。困ったとき、弱ったとき、呆れたときのアキラの癖だ。
「お願いします」再び和泉が頼む。
***
夕輝と和泉はリビングを出ていった。ヒカリは美雪に一声掛けようかと思った。
美雪は先程から、ふんわりウェーブの女性の肩に頭を預けていた。ウェーブの女性は優しく美雪の頭を撫でている。
今はそっとしておくのがいいだろうか。
「お前、どうしてここにいるんだ」ヒカリが躊躇っているところに、アキラが声をかけてきた。
「ああ、アキラ。……来ちゃった」ヒカリは反射的に、自分でもよく分からないことを言っていた。
「今のが答えになってると思うか」アキラはため息交じりに行った。
「わたしが第一発見者だからね」ヒカリは微笑んでみせた。「ほら、アキラも聞きたいこととかあるでしょ?」
「聞きたくない」アキラはにべもなく言った。
「またまた」ヒカリは笑った。「実はここに来る途中で、夕輝さんから面白い話をきいたんだよ」
「聞きたくないと言ってる」アキラは頑とした態度を取っている。
「物言いが、蓮ちゃんそっくり」ヒカリはからかった。
「何ですって?」アキラは片眉を吊り上げた。
「とにかく、宝物庫に呼ばれてるでしょ」ヒカリはアキラの背中を押した。「いいから、ちょっと行ってみよう」
「おい、押すな」
***
ヒカリは記憶を頼りに、宝物庫への道を辿っていった。アキラはしぶしぶといった様子で着いていく。
「ついさっき、夕輝さんに案内してもらったばかりだぞ」アキラがぼやいた。
「ねえ、そのとき気がついたことってなかった?」パトカーで夕輝の証言を聞いたとき、おかしなことは言っていなかった。アキラは特別に気がついたことなどなかっただろうか。そうヒカリは考えた。
「気がついたこと?」アキラが首をひねる。「空気が重かったな」
「いや、そういうことじゃないよ」ヒカリは思わず苦笑した。アキラがとぼけてるんじゃないかとすら思った。
地下への階段を降り、二人は宝物庫に辿りついた。扉は既に開けられており、中には夕輝と和泉、そしていつ屋敷に入れてもらったのだろうか、奥野巡査部長がいた。
ヒカリとアキラが宝物庫の中に入ったが、和泉は気が付いた様子もなく、美術品を眺めている。
「壮観ですね」和泉は言った。「私は美術品とは縁遠いですが、迫力がある」
「なんだか、手が震えてきたであります」奥野の声は強張っている。
ヒカリも周囲を見回すと、以前より絵画が増えている気がした。
朝陽は絵画を集めるのが好きだ。ガチのものは実家に置いてあるし、多少値の張るものでも一人暮らしの自分の部屋に置いてある。ヒカリは、万里子からそう聞いたことがある。
以前に一度、朝陽に見せてもらったときも、朝陽は一部の絵画が自分のものであると言っていた。
「例の絵画があった場所がここです」
入口から一番奥の壁に並べてかけてある絵画に、歯抜けたようなスペースがある。夕輝はその前に立った。
「なるほど。明らかに一枚分のスペースがありますね」和泉は頷いた。
二人が何のことを言っているのか、一瞬わからなかったが、すぐに察しがついた。
そのスペースには元々絵画があり、それが事件後に無くなっていることに気が付いたと、夕輝は主張しているのだ。
「最後にその絵画を確認したのは、いつ頃ですか」和泉が夕輝に尋ねた。
「先週の月曜です。多分ですが」夕輝は即答した。「家政婦の桐生に確認すれば、はっきりします」
「無くなっているのに気が付いたのは、今日の昼ですね」和泉が顎に右手の指先を当てている。
「朝陽さんが持ち出した可能性もあるのではないでありますか」奥野が言う。
「僕もそうだと思っていたのですが……」
「そうではない可能性が出てきたと」和泉が言う。「まあ、ここのセキュリティについては要調査ですね」
「何の話だ?」アキラはヒカリに耳打ちをする。
ヒカリはアキラに対して、何の説明もしていないことを思い出す。
「ほら、死体の頭部と右手が無くなってたっていう話。犯人が認証を破るのに使ったんじゃないかってこと」ヒカリが小声で言った。
ヒカリ自身、言葉足らずな説明だったと思うが、アキラはそれで理解できたようである。
「……そんなこと、できるのか」アキラは呟いた。
そんなことが可能か。ヒカリは疑いもしなかったことだった。前提が覆され、ヒカリは一瞬硬直する。
「まあ、アキラさんの疑問はもっともですね」和泉が突然口を出してきた。ヒカリとアキラの会話を聞いていたようだ。
「要するに、死体でも認証は通用するのか、確認する必要があるということです」和泉は当たり前のように言った。
考えてみれば、そうだ。何故そのような当然のことに気が付かなかったか。ヒカリは自分の鈍感さが、なんだか恥ずかしい。同時に、和泉は人が悪いと思う。死体では駄目だと思っていたなら、言ってくれればいいのに。
「そういうわけですので、夕輝さん」和泉は夕輝に呼び掛ける。「奥野巡査部長にセキュリティ会社に確認を取らせたいのですが」
「わかりました。じゃあ、リビングの固定電話に電話帳があるので、ここを出てもいいですか」
「出るときに認証は必要ですか」和泉は逆に質問する。
「いいえ。扉を閉めるときは、扉の横にあるスイッチを押すだけです」
ヒカリの記憶では、宝物庫には入口の外側と内側に扉を閉めるスイッチがある。内側のスイッチは二種類あり、一方は開けるためのものなので、閉じ込められることはなかった筈である。
「では、少しだけ残らせてもらいます。物には触りませんので」
「わかりました」夕輝はそう言うと、宝物庫を去っていく。奥野がそれに続く形で出ていった。
ヒカリとアキラ、そして和泉が残る形になった。
「ご挨拶が遅れましたが、お久しぶりですね、アキラさん」和泉が微笑んだ。
「お久しぶりです」アキラが返事を返す。
「まさか、三度お会いするとは思ってませんでした」
「本当ですよ」アキラは苦笑した。
それについては、ヒカリも苦笑せざるをえない。普通なら一生に一度ないだろうという経験が、今回で三回目になるのだから。
それにしても、和泉はどこか嬉しそうではないか。
「アキラさん。もし亡くなったが朝陽さんであるなら、頭部と右手はここのセキュリティ破りの目的で切断された……」
話している和泉を、電子音とバイブレーションの音が遮った。
「ちょっと失礼」和泉はポケットからスマートフォンを取り出した。表示画面を一瞥すると、スマートフォンを耳に当てる「和泉です」
ここでも、電波は届くのだなと思いつつ、ヒカリは和泉を見やる。新情報だろうか。
和泉は何回か相槌をうつ。その表情はやや険しかった。
ヒカリの体感で三分ほど経っただろうか。和泉は通話を終え、スマートフォンをポケットにしまった。
「残念ですが」和泉は静かに告げた。「どうやらご遺体は、朝陽さんでほぼ間違いないかと思われます」
ヒカリの心臓が強く鳴った。
「朝陽さんの部屋から大量に検出された指紋や掌紋が、死体の左手のものと一致したのです。洗いたての食器からも同じ指紋が検出されたことから、これらの指紋は入居者である朝陽さんのものであるとみていいでしょう」
万里子や美雪の顔が、ヒカリの頭に浮かんだ。パトカーの中での、夕輝が一瞬放った疲れた声が蘇る。家族や恋人の死。それを伝えたら、どうなってしまうのだろうとヒカリは思う。彼女達の今の心境を思えば、ただでさえ心苦しいのに。
「ここの空気で聞くのは、胃と心臓に悪いですね」アキラが言った。
「出ましょうか」和泉が言った。
宝物庫の外に出て、ヒカリは緑色のランプのスイッチを押した。
大げさな機械音を鳴らし、宝物庫の扉が閉まる。それを見届けた後、ヒカリ達はリビングへと向かった。