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持ち去られた頭部と右手  作者: ASP
解決篇
26/31

切断の意図

本話から解決篇となります。

この物語のネタバレが含まれますのでご注意ください。

五.


「失礼します」桐生晶子が和室へ姿を見せ、ヒカリ達の正面に正座した。大分落ち着いている様子だが、やはり顔から潤いや生気のようなものが感じられない。


 雨音、美雪、蓮の聴取が終わり、次は彼女の番だった。そして、前三人の聴取のときとはアキラが座る場所が違う。アキラはヒカリと和泉を挟み、桐生に向かい合うように座っている。

「……?」

 桐生もその布陣を疑問に思ったのだろう。何かを尋ねたそうに口をもごもごとさせ、結局は言葉にできずに戸惑っているようだ。


 ヒカリは息を呑んだ。桐生が来る直前に、アキラ、和泉と話したことを回想する。


***


「次は、問題の桐生さんですね」和泉が呟いた。「さて。できれば、ここで自供を取りたいんですが」

「はい? どういうことですか。それ」突然の和泉の言葉に、ヒカリは困惑する。

 聴取が始まる前の和泉の言葉により、朝陽殺害について前進できたヒカリだが、まだわからないことだらけだ。犯人の特定には至っていない。


 今の和泉の口振りからして、桐生が犯人ということだろうか。


「昨晩、桐生さんの上着が変わってたことに気付いたか」和泉の代わりに、アキラが答えた。

 そこでヒカリは思い出す。二十二日、昼。最初の聴取のとき、桐生は確か白い上着を着ていた。だが、同じ日の夜に彼女に夕食を出してもらったとき。桐生は黒い服を着ていた。腕も露出していた。間違いなく、違う服だ。


 着替えた? 何のために?

 決まっている。返り血を浴びたからだ。


「桐生さんが死体を切断した?」

 ヒカリの疑問に、アキラは首を振る。

「十中八九間違いないとは思うが、まだ決まったわけじゃない」


「カマを掛けてみましょうか」和泉が言う。

「誘導するようで気が進みませんが、そうするしかなさそうです」アキラは言った。

「アキラさん。桐生さんに貴方の推理をぶつけてみて下さい。足に掛かった縄を、タイミングを見て私が引っ張ります」

「素人相手に難題を言ってくれますね」

「大丈夫。貴方は既に推理ショーを二回もやっている。警察顔負けのプロフェッショナルですよ」

 ヒカリには二人の会話がよくわからない。頭のいい人同士の阿吽の連携という奴だろうか。とにかく、ヒカリは表情を隠して応援しているしかなさそうだ。


***


「桐生さん。率直にお聞きします」アキラがやや前傾になり切り出した。「お願いします。どうか正直に答えて下さい」

「……はい」返事をした桐生の顔が歪んでいる。


「この家の物置部屋にあった斧を持ち出したのは、貴女ですね?」

「え……?」桐生は冗談を笑い飛ばすように口角を上げたが、ヒカリからみて全く上手く出来ていない。「違います……。な、なんで、私が……?」

 桐生の眉が大きく上げられ、狭くなった額から図星である様子がありありと伺える。


「物置部屋の補助錠です」アキラはゆっくりと言う。「あの南京錠はかなり頑丈に出来ています。あれを捻じ切るには、そうとう強力な工具が必要です」

 けど、それはおかしいとアキラ。

「あんなに丈夫そうな南京錠を切断出来る工具なんて、そう誰でも持っているものではない」

「どうしてです……? それくらいの工具なら、どこででも手に入るはずです」桐生が青白い顔で反論する。

「では、何故斧を購入しなかったのですか」

 桐生が驚愕に目を剥き、頬を引きつらせる。


「犯人は死体を切断のために斧を物置部屋に取りに行った。その際に、物置部屋の南京錠を破壊した……」アキラは机の上で両手の指を組んだ。「このプロセスは矛盾しています。南京錠を破壊するための工具を事前に用意するなら、目当てである斧の方を用意するのが自然です」

 夕輝の死体の切断に使用されたのは、藤堂家に置いてあった斧だ。これは、切断が計画的な犯行では無かったことを意味している。故に、事前に南京錠を捻じ切れる工具を購入することなどありえないし、もともと犯人が工具を持っていたというのも都合が良すぎる。


「あの南京錠は、桐生さんが管理している鍵で開錠された。そして、物置部屋にあった工具で後から破壊されたんです」

 桐生は歯を食いしばる。言い訳を必死で考えているようだ。

「桐生さん。死体の切断を行ったのは、貴女ですね?」得られた結論を、アキラは桐生の喉笛に突き付けた。


「ち、違います。誤解です……」桐生はかぶりを振った。「誰かが私を貶めるために……」

 桐生の言葉は続かない。具体的な可能性を提示できないのがわかる。

「罠……、ですか」と和泉。

「そうです! だって、どうして私が、夕輝さんの死体を切断しなきゃならないんですか!」


 引っ掛かった。ヒカリは心中で拳を握る。

 和泉が徹底して情報を伏せたのが、功を奏した。


「何故、夕輝さんの死体のことだと思ったんですか」和泉は確信を鋭い視線に湛えて訊いた。

「……どういうことですか?」

「私は夕輝さんは窒息死したとしか言っていません。夕輝さんの死体が切断されていたとは、一切言っていません」

 只でさえ青い桐生の顔から、みるみると血の気が引いていく。


 『秘密の暴露』という、取り調べにおける特殊な自白がある。


「ヒカリさん、アキラさん、第一発見者である雨音さん。夕輝さんのご遺体を確認した方達には、夕輝さんの死の状況を誰にも言わないように強く注意しました」和泉はゆっくりと桐生を追いつめる。「我々がオープンした情報は、むしろ朝陽さんのご遺体が切断されたということです。今の話の流れで、何故朝陽さんの事件ではなく、夕輝さんの事件のことを指していると思ったのですか」


 一般に公開されていない情報が被疑者の証言から出た場合、『秘密の暴露』として有力な証拠とされる。桐生は『夕輝の死体が切断されていた』という、和泉が伏せていた情報を知っていたため、無実の者が知りえない情報を自白したことになるのだ。


「そんなはずありません……。どこかで、確かに誰かが言っていたはず……」

 見ていて同情してしまう程、桐生は狼狽している。必死で記憶を辿ろうとするが、焦りで頭が回っていないことが、表情から手に取るようにわかる。

「桐生さん。お認めになりませんか」和泉が諭すように言った。


『秘密の暴露』は誘導による冤罪が生じる危険性があるため、自白が出たとしても慎重に扱わなければならない。

 南京錠が開けられていたことが発覚したタイミングが、夕輝の事件の直後であること。朝陽の事件との関連性。それらを考慮すると、桐生が勝手に『夕輝の死体が切断されていた』と思い込んでいた可能性は、全くの零ではない。桐生に犯行を認めさせるのが好ましいのだ。


「私じゃない……。違います。何かの間違いです……」桐生が俯き、頑として和泉の言葉を拒絶した。

 場を沈黙が支配する。

 すぐに自白させるのは無理だろうか。ヒカリはこの後、桐生がいつまでも尋問を受ける構図を思い浮かべ、胃の辺りが重苦しくなる。


「桐生さん」アキラが口を開いた。「夕輝さんの死体を切断したのは、貴女だ」

「違います」

「しかし、殺したのは貴女ではない」

 冷や水をぶっかける。そんなアキラの発言に、ヒカリは思わず彼の顔を見る。桐生も驚きからか、顔を上げた。


「貴女は騙されているんです。本当の犯人に」

「……は?」

「夕輝さんの部屋のごみ箱は、片付けられた後だったのか、中身がほとんどありませんでした。見つかったのは、薬の殻一つだけです。それは、夕輝さんが常飲していたものだと考えられます。そして、夕輝さんは毎日午後六時にサイレントアラームが鳴るようにセットしていた。薬を服用するのを忘れないようにするためだ。つまり、夕輝さんは六時以降に薬を服用するまで、生きていたということになる。そして、警察の調べで夕輝さんの死亡推定時刻は遅くとも六時半までとわかっています」


 アキラの推理通りであれば、夕輝の死亡推定時刻は、十八時から十八時半に絞られた。そこでヒカリは思い出す。

「六時から六時半の間、桐生さんにはアリバイがある」

「そう。桐生さんは夕輝さんの死亡推定時刻に、スーパーに買い出しに行っていた。スーパーの防犯カメラの記録が、それを保証しています。桐生さんに夕輝さんを殺すことは出来ません」


「どうして……」桐生が呟いた。「だったらなおさら、私が夕輝さんの死体を切断した理由がありません」

「夕輝さんの部屋に、彼のスリッパが綺麗に揃えてありました」

 桐生は驚愕の表情のまま、首を傾げた。訳がわからないという風に、アキラの言葉の続きを待っている。


「夕輝さんは、首を吊っていたんですね」


 桐生は唇を噛んだ。

「桐生さん。ロスで育った貴女は、知らなかったのではないですか。自殺する際に、履物を脱ぎ揃えるという、日本の特殊な習慣を」

 桐生は顔を伏せた。


「大抵の場合、履物は遺書に添えられる。しかし、遺書は見当たりませんでした。貴女が処分したのですね?」

 四、五秒と沈黙が続く。

「貴女は六時以降、夕輝さんの部屋に訪れ、首吊り死体を発見した。そこにあった遺書の内容を確認して、夕輝さんの自殺を隠蔽しようとしたんだ。しかし、首には絞められた痕がはっきりと残っていた。それが夕輝さんの首を切断した理由です」自殺を隠蔽しようとする理由なんて一つしかない、とアキラ。「遺書の内容は、夕輝さんが朝陽さんを殺害した告白文だった。違いますか」

「違う……」

「貴女は夕輝さんの名誉を守ろうとしたんですね。彼を人殺しにしたくなかった。だから、他殺に偽装した」

「違います」

「首だけでなく、右手も切断したのは、朝陽さんの事件と同一犯の犯行だと思わせるためだ」

「違うと言っているでしょう!」

 桐生が絶叫し、アキラを強く睨む。涙を浮かべたその瞳には、怒り、困惑、恐怖と絶望、様々な負の力が宿されていた。それでもなお、認めまいと。夕輝のことを守ろうと。彼女はアキラの糾弾に必死に抵抗している。


「桐生さん……」

 そんな彼女の決死の覚悟を。

「夕輝さんは、本当に犯人ではありません」

 アキラは一気に挫きに掛かる。


「真犯人による、偽装自殺だったんです」

「え……?」

 桐生の落涙が、机の上に零れた。


「偽装、自殺……?」桐生はアキラの言葉を反復する。何を言われたのか、噛みしめ確かめるように。

「夕輝さんは真犯人に殺されたんです。真犯人は夕輝さんに全ての罪を擦り付けるために、彼の死体を自殺体に仕立て上げ、自白の遺書を残したんです」

 桐生の身体が、冗談のように小刻みに震えている。

「その首吊り死体を貴女が発見し、遺書に騙され他殺体に変えた」

「……嘘でしょう?」

「嘘ではありません」和泉が言った。「具体的な証拠は現段階では提示できませんが、我々は別の人物による犯行であるとみています」


「ならわたしは」桐生は唸り声を上げ、ぐしゃぐしゃにした顔を机の上に乗せた。「なんのために、あんなことしたんですか……」

 子供のような泣きじゃくり声が、和室に木霊(こだま)する。


 どれくらい経っただろうか。今の桐生の姿を見ていると、自然とヒカリの目頭も熱くなる。鼻の奥が腫れていくのを感じた。


「ごめん、なさい……」喉の奥から絞り出すように、嗚咽にまみれた声だった。「ごめんなさい。わたしがきりました。ごめんなさい。ごめんなさい」


 桐生は長い時間、謝罪の言葉をただひたすらに重ねていた。それはヒカリ達に対してではなく、夕輝に対する懺悔なのだろう。


 ヒカリは中空を仰いだ。


 一つの謎が解かれた。

 明かすべき真実は、あと一つ。


 殺害の犯人は誰か。


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