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持ち去られた頭部と右手  作者: ASP
第四話
21/31

物置部屋

 美雪の聴取が始まって、もう数分が経つ。

 彼女は抜け殻のように、黙って俯いていた。和泉の呼びかけに対し、『わたしはずっとねむっていました』とぽつりと言っただけだった。その瞳は何も映していないように、ヒカリにはみえる。一方で、姿勢だけは昼と変わらず綺麗なのが、より一層異常性を引き立てている。


「もう少し、時間を置いた方が良さそうですね」和泉が仕方なしという風に口を開いた。

「美雪さん。また今度にしよう」アキラは腰を浮かせた。

「先生……」

 アキラの声に、美雪は反応した。初めて気が付いたように顔を上げ、周囲をみる。その目はすっかりと腫れ上がり、その輝きは失われていた。その様子を見せられ、ヒカリは鎖骨の周りが辛くなるのを感じた。


「ごめんなさい」美雪は弱々しく言った。「ちゃんとお話しします。今、済ませちゃって下さい」

 アキラは和泉の顔を見た。和泉は黙って頷く。


「わかりました。美雪さんがお休みになったのは、何時頃ですか」

「……六時前です。とても疲れてしまって」

「その前は、どうされていましたか」

「音楽室で先生にお話を聞いてもらっていました」美雪はアキラを見た。

「確かに、それくらいの時間だと思います」アキラが肯定する。


「では、我々が夕方引き上げた後、会ったのはアキラさんだけですね」和泉が確認した。

「そうです」

「そうですか」和泉は若干溜め、言った。「夕輝さんはご家族の誰かと、トラブルを抱えていませんでしたか」

「いいえ……」美雪は言った。「ありません。そんなことは、何も」

「わかりました」和泉はヒカリに顔を向けた。「済みませんが、ヒカリさん。美雪さんをお部屋まで送って差し上げて頂けますか」


 言う和泉に、美雪は首を横に振る。

「もう部屋で休んでいいなら、一人で大丈夫です」


「では、戻り際、桐生さんにこちらへ来るよう伝えて頂けますか」

「わかりました」美雪は立ち上がった。「それでは、失礼します。途中で呆けてしまって、ごめんなさい」

 そう言い残し、美雪は和室を出て行った。


***


 問題の桐生晶子が、和泉の前に座った。彼女の証言は要注意である。

「桐生さん。幾つか質問させて頂きますが、具合が悪ければ仰って下さい」

「ええ……。でも、きっと大丈夫です。休んでいたら、少しマシになりましたので」桐生は答えた。顔色こそ良くはないが、予想外に落ち着いた態度をみせている。「それに、こういうのは記憶が新しい方がいいと思いますので」


「助かります」和泉は質問を始める。「まず、夕輝さんを最期に見たのは、何時頃かを教えて下さい」

「和泉さん達がお帰りになられた後は、見ていないです。お部屋に戻られたものかと」

「なるほど」

 ヒカリは少しだけ考えた。これで、十七時半以降、夕輝を誰も見ていないと証言したことになる。つまり、死亡推定時刻は変わらず十七時半以降だ。


「我々が引き上げたのは、だいたい五時半頃でした。桐生さんはその後、何をされていましたか」

「晩御飯……、カツレツの下ごしらえをしておりました」桐生はゆっくりと答える。「雨音さんと、少しだけ一緒でした」

「蓮さんに買い物をお願いしましたか」

「はい。もう何品か作ろうと思いまして、食材を買いに行ってもらいました」

「食材は確かに蓮さんから受け取りましたか」和泉は蓮の証言の確認を取る。

「間違いなく受け取りました。六時頃でした」桐生は付け足す。「けど、私のミスで足りない食材があることに気が付きまして、その後自分で買いに行きました」


 随分と律儀なことをするとヒカリは心中で首を捻る。あり合わせで良いではないか。

「その場にあるもので、済ませようとは思わなかったのですか」和泉も同じ違和感を覚えたらしく、桐生に問う。

 とんでもない、と桐生は首を横に振る。

「料理に関しては、そういった融通を利かせられない性質(たち)なんです。献立は栄養バランスや皆さんの好み、食費等を考慮してあります。ちゃんと献立通りに作らないと、その計算も無駄になってしまいますから」


 そんなに大変なのか。ヒカリにはとても真似出来そうにない。もしや、母もこれまで桐生と同じように考えて料理を作っていたのだろうか。だとすれば、ヒカリは尊敬する。今度、お礼にうまい棒奢ってあげようか。


「買い物はどちらでされました?」和泉は訊いた。

「オギムラです」

 蓮と同じである。この家での、お決まりのスーパーということか。


「家に戻られたのは何時頃ですか」

「六時半には戻りました」桐生ははっきりと答える。

「その後、再び料理を始めた?」

「はい」


 ふむと和泉は唸った。

「晩御飯が出来上がったのは、何時ですか」

「確か、八時前です」桐生が答えた。「八時くらいに、先生とヒカリさんがリビングにいらっしゃって、晩御飯をお出ししました」

 どういうことか、とヒカリは疑念を抱く。雨音の証言と矛盾している。雨音は七時半に台所にあった料理を食べたと言っていたのだ。


「八時半で間違いありませんか」和泉が確認した。「随分と、時間が掛かりましたね」

「途中で具合が悪くなり、部屋で休憩をしていました。六時半くらいだったと思います」

「そうだったんですね」和泉は少し合点がいったようである。「再開は何時頃でしたか」

「再開してから十五分程で出来上がりましたので、逆算で七時四十五分くらいですね。申し訳ありません。正確ではないと思います」

「いえ、大体で結構ですよ」和泉は手を振った。「それより、作りかけの料理は、休憩中どうされていましたか」

「作りかけというより、一品足りていない状態でしたが……。それは台所に置きっぱなしにしておりました」桐生は不思議そうに答えた。

 だが、これでヒカリにも合点がいった。奥野もメモを取りながら頷いているようである。雨音が食べたのは、完成前の夕食だったのだ。これで二人の証言に食い違いは無くなった。もちろん、どちらも本当のことを言っている保障にはならないが。


「では、その後のことを教えて下さい」

「ええと、先生とヒカリさんがお食事を終えた後、お二人を離れにご案内しました。大体、八時半くらいです」

 和泉が確認の意味を込め、アキラに視線を送った。

「それぐらいの時間だったと思います」アキラが返事をし、ヒカリを見る。

「わたしも、間違いないと思います」ヒカリは言った。

 和泉は頷いた。


「では、その後は?」

「皆さんに内線で、お食事が出来たことをお伝えしました」

 和泉は机の上で両手を組んだ。

「そのとき、夕輝さんは?」

 桐生は俯いた。

「……お出に、なりませんでした」桐生の口調は重々しい。「ので、そのときには……」

「八時半過ぎですか」和泉が確認する。

「はい……」


「ありがとうございます。では、他の方はどうでしたか」

「美雪さんも、蓮さんも、お出になりませんでした。出られたのは、雨音さんだけです」桐生は顔を上げる。「私が作り終えないうちに、晩御飯を食べてしまったと仰っていました」

 蓮は外出しており、美雪は寝ていた。内線に出ないのは当然だ。


「その後、桐生さんはどうされましたか」

「朝陽さんの件もありましたから、お部屋に直接呼びに行くのも憚られ、リビングで休んでおりました。せっかく、先生とヒカリさんに休ませて頂きましたので」

「雨音さんの悲鳴は、聞こえましたか」

「いいえ。うつらうつらしていたもので、聞き逃してしまったのかもしれません」桐生は目を閉じ、首を横に振った。

 これで、桐生の二十一時までの動きはわかった。桐生の不可思議な行動についても、一応の説明はなされているとヒカリは考える。


「よくわかりました」と和泉。「これから質問を変えます」

 桐生は不安そうにしながらも頷いた。

 ヒカリは桐生が少し落ち着かない様子でいることに気が付いた。そういえば、和泉の質問に答えている間、しきりに体を小さく揺することが多かったと思い当たる。


「夕輝さんが殺される理由に、心当たりはありませんか」

「私にはさっぱりわかりません」桐生は顔を背けて言う。「プライベートな会話をしていても、何か現状に不満だったり、悩みがあったようにみえませんでした」

「そうですか」和泉は一瞬、口を結ぶようにした。

 誰が犯人だと思うか、訊きたいんだろうな。ヒカリは察した。


「そういえば、現場に斧が放置してあったのですが、見覚えありませんか」和泉は奥野を見た。

 奥野は雨音のときと同様に、写真を見せる。桐生は写った斧を見ると、顔をしかめる。血液が大量に付着したものなので、無理もないが。


「見覚えがあります」桐生は答えた。「物置にある斧です」

「やはり、そうなのですね」和泉は頷いた。「物置部屋の鍵を管理しているのは、桐生さんだと伺いました」

 桐生は和泉を見て、勢いよく首を振った。

「いえ、確かに鍵は私が預かっておりますが、物置はここ暫く開けてません」

「まあ、普通の南京錠ならば、鍵を使わなくても容易に開けられるでしょうね」和泉は言う。

「大きいですが、普通の南京錠ですよ」桐生は和泉の言葉に僅かに安堵した表情をみせた。


「わかりました」和泉は手を叩いた。「他に桐生さんの方から何もなければ、質問は以上にしましょう。これから、その物置部屋を案内して頂けますか」


***


 案内された場所は、一階の階段の影に隠されたような部屋だった。入口のドア付近は、階段の下ということもあり、高身長のアキラと和泉は窮屈そうに首を縮こめている。

 ドアはノブを使い開閉する、何の変哲もない造りになっている。ドアノブに鍵穴はないが、代わりにドアに南京錠が取り付けられていたようである。しかし、当の南京錠は無念そうに床に転がっている。


「やはり、誰かが錠前を破壊したのでしょうね」和泉は南京錠を拾い上げた。

 南京錠の掛け金は思いのほか太く、いかにも丈夫そうである。簡単な金切工具では文字通り歯が立ちそうにない。もっとも、今は無残に捻じ切られ、U字型に大きな断裂ができているが。


「斧はこの中にあったのですね?」和泉が桐生に確認する。

「写真で見せて頂いたものは、多分ここにあったものではないかと思います」

「どういった目的で使われていたのです?」

「旦那様……、大地さんがお部屋の暖炉を使う際、木材を割って薪にするためだったと思います。それも数年前の話でして、今では薪は通販で買ってしまっているようですが」

 それっぽく趣向を凝らしてみようとしたものの、面倒くさくなって止めてしまう現象か。ヒカリは密かに親近感を湧かせた。


「とにかく、中に入ってみましょうか」和泉がノブを捻ると、ドアは軋むような音を立てて開いた。

 暗い物置部屋に、和泉は何の躊躇もなく入っていく。桐生は慌ててそれについていき、部屋の電灯を点けたようだった。部屋が明るく灯される。ヒカリも二人に続き、物置部屋へ入っていった。中は五、六人ほどがようやく入りそうな小さな空間で、思いのほか整然としている。あまり使われていない様子が伺えた。


「斧はどの位置に置いてありました?」和泉は周囲を見回し、訊いた。

「そこに掛けてありました……」

 桐生が部屋の隅に置いてある、傘立てのようなスタンドを指さした。和泉がスタンドを引っ張り出し、部屋の中心へと持ってくる。スタンドには大槌(おおつち)枝切狭(えだきりばさみ)草刈り鎌(くさかりかま)等が収められている。その中に、斧は無い。

「斧は無いようですね」和泉が言った。

「やっぱり、ここにあった斧が使われたんですね……」桐生は呟いた。


「それにしても、何故この物置に鍵が掛けられているのでしょう?」和泉は桐生を見た。「皆さん、使う際に不便でしょう」

 桐生は首を傾げた。

「申し訳ありません。私にもはっきりとした理由はわからないのですが、安全のためではないですか。大きい工具類は全てここに仕舞ってある筈ですから」考えあぐねた様子の桐生である。「それに、誰かがここを使う機会は滅多にありませんでした。最近でも、それこそ一年程も前だと思います。日用で使うニッパーやドライバーくらいですと、個人個人でお持ちになっているのではないですか」

 和泉は逡巡すると、それもそうですねと、納得したようだった。


 そのとき、ヒカリの背後のアキラが一言漏らした。その声はあまりに小さく掠れており、ヒカリの耳にも微かに届いた程度だが、アキラは確かにこう言った。


『おかしい』。


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