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持ち去られた頭部と右手  作者: ASP
第四話
20/31

雨音と蓮の再聴取

 和泉の前に座る雨音は、流石に昼間のように軽い様子でこそなかったが、なお落ち着いているようにみえた。


「雨音さん」和泉が呼び掛けた。

「はい」

「おわかりかと思いますが、貴女方の中に夕輝さんを殺した人物がいることは明らかです」

「そうですか」雨音はあまり感情の読み取れない口調で答えた。

「今後、しつこくお話を伺うことになります。あしからず」

 和泉の口調には圧迫感があった。夕方より遥かに空気が重たい。ヒカリは図太さに定評も自信もあるが、雨音達に同情してしまう。


「何を、話せばいいんですか?」雨音はしたたかに訊く。

 和泉は頷いた。

「基本的に、昼と同じような質問になります。まず、夕方私達がこの家から出て行った後、何をしていましたか」


 雨音は少し思い出すように、目線を横にやる。

「晶子さんと一緒に台所にいました。夕食の準備の手伝いです」

「ずっと一緒に?」

「いいえ」雨音は首を横に振った。「五時四十五分に自分の部屋に行きました」

「そうなんですね。仕度が終わったのですか」

「いえ」雨音は歯切り悪く言う。「ちょっと、気持ちが不安定になって……」

「朝陽さんの件が気になったのですか」和泉の口調が僅かに柔らかくなる。


「……四十分頃くらいかな。ヒカリさんがリビングに来て、五分くらい話しました」雨音は気まずそうである。「朝陽が死んだような話をして、ちょっと感傷に浸りたくなったんですね」

 意外な雨音の言葉に、気の毒だったとヒカリは罪悪感が湧いた。彼女を傷つけてしまっていたのだ。もっとも、このような反省は過去に何回か経験しており、まったく後に活かされないヒカリであるが。


「いや、変だね。ごめんね。ヒカリさん」雨音は微かに笑った。

「いえ、謝るのはわたしです」

「その後は、ずっとご自分の部屋に?」和泉が遮るように尋ねた。


 雨音はまたしても思い出すような仕草をした。綺麗な唇に、右手の親指を軽く当てている。

「七時半かな? もう少し遅いかもしれないですけど、リビングで食事をしました。それ以外は、ずっと部屋です」

「結構、遅くになりましたね」和泉が突っ込んだ。「五時半から作り始めていたんでしょう?」

 雨音は首を傾げ、ううんと唸った。


「何でかな? 晶子さんから呼ばれないのに気が付いて、お腹も空いてたから、リビングに行ったんです。そしたら、誰もいなくて、台所に夕食が置いてあったから食べたんですけど」

 あれ、と奥野が声を上げた。

「皆さん、夕食はご一緒では?」奥野がアキラを見た。

 アキラが首を横に振る。

「少なくとも、あたしは独りだったな」雨音が言った。


 ヒカリとアキラが八時頃にリビングに向かったとき、桐生が居た。確かに、そのとき出された食事は出来たてのものではなく、レンジで温められていたように、ヒカリは記憶している。桐生は夕食を作った後、そのままどこかへ行ってしまったということなのだろうか。八時頃の桐生の様子はおかしかった。夕輝の殺害と何か関係があるのか。どうにも怪しいとヒカリは感じる。


「他に、誰かと会いましたか」

「会ってないです」雨音は言い切った。「夕輝の部屋に行くまで、誰も見てません」

「そういえば」和泉が尋ねる。「夕輝さんに何の用事があったのですか」

 言われてみれば、とヒカリは思った。


「昨日は邪魔せぬようにと、遠慮されたのですよね? 今日に限って、何か用事が?」

「急用ってわけじゃ、なかったんですけど」雨音は慌てる様子もない。「微積分の単位のレポートの提出があって、夕輝に解いてもらおうかと」

「レポート? この時期に?」和泉が顎に手を添える。

「救済レポートってやつです。不可取っちゃったんですけど、提出したら合にしてくれるかもしれないんです」

「それは、後で事実を確認させてもらっても構いませんか」

「もちろんです」雨音ははっきりと言った。


 奥野がメモを取っている。

 雨音の口調から、レポートの存在は嘘ではないだろうとヒカリは直感した。だが、大学生がレポートを兄弟に見てもらうだろうかと違和感を覚える。普通は同じ大学に通い、同じ講義を取った友達に頼みそうなものだ。サークルなどでも、様々な講義の過去の試験問題やレポートを共有しているとヒカリは聞いたことがあった。

「でも、もうレポートどころじゃないですね」

 雨音は僅かに乾いた笑いを上げたが、気力が全く無く、ただ虚しさだけを感じさせた。


 和泉が机の上で両手を組んだ。

「雨音さん。率直に伺いますが、犯人は誰だと思いますか」

 和泉の問いに、雨音は沈黙した。


 静寂が場を支配したが、数十秒程して雨音は口を開く。

「晶子さんの行動が、いつもと違って変だなって思います」雨音は俯いている。「流石に、夕輝を殺すなんてありえないと思うけど」

「では、美雪さんですか」和泉は言った。

 雨音は驚いたように顔を上げる。

「美雪は、絶対に違う」

「では、蓮さんは?」

 雨音は首を横に振った。

「消去法で、犯人は貴女となりますが」

「あたしがわかるのは!」雨音が大声を出した。だが、すぐに口を閉ざしてしまう。


「わかるのは、何ですか」和泉は静かに問う。「教えて下さい」

「……あたしがわかるのは、あたしは犯人じゃないってことだけです」雨音が力なく言った。「犯人が誰とか、そんなの知りませんから」

 雨音は再び俯いてしまう。その両肩が震えているのが、ヒカリにはわかった。


「雨音さん」和泉はゆっくりと言った。「顔を、上げて下さい」

 雨音は伺うように、和泉を見る。

「現場にあった斧に、見覚えはありませんでしたか」

「斧? 見てないですけど……」


 奥野は懐から写真の束を取り出すと、中から一枚を選んで机の上に置いた。

「この斧なのでありますが」

 ヒカリは写真を覗き込む。刃先が血塗られた赤い斧が写っている。


 雨音も同様に写真を見たが、すぐにかぶりをふった。

「わからないです。うちの斧なら、物置部屋にあったと思いますけど。というか、工具類は全部物置部屋だから、あるとしたらそこしかないです」

「物置部屋ですか。ありがとうございます。調べさせて頂きます」

「あ、でも……」雨音は何かを言いかけたが、途中で黙ってしまった。拙いことを言ったという顔になる。

「何でしょう?」

「いえ……。案内は晶子さんにしてもらって下さい」雨音の目が泳ぐ。

「どういう意味ですか?」


 雨音は観念したようにため息を吐いた。

「物置部屋には南京錠が……。鍵を持ってるのは、晶子さんだから」

「桐生さんにしか開けられない?」

「父がスペアを持っていますが、父の部屋にも鍵がかかっています」雨音はバツが悪そうにしている。「父の部屋のスペアキーも、持っているのは晶子さんだけです」

 なるほどね。和泉は呟いた。


「ありがとうございます。お話はとりあえず、以上です」

「これだけでいいの?」雨音は訝しげに言う。

「今日のところは、ですね」ただし、と和泉。「明日以降もお話を伺うことになるでしょう。こちらからも、調査したことをご報告いたします」

「わかりました」

「それから、次に蓮さんを呼んで頂きたいのですが、その後にご遺体を発見したときの再現をお願いします。夕輝さんの部屋にいる刑事に、声を掛けて下さい」

「はい」雨音は腰を上げた。


 雨音の去り際に和泉が言う。

「ここで話したことや、ご遺体を発見したときのことは、くれぐれも我々警察以外には他言無用でお願いいたします」

 雨音は黙って頭を下げ、和室を後にした。


***


「あらかじめ言っとくけど、アタシじゃないから」和泉の前に正座するなり、蓮は言った。

「皮肉にも、最初にお会いしたときに同じことを仰っていましたね」和泉は苦笑した。

「そのときの経験から、信じてくれないのはわかってる」

 蓮は警察の取り調べに、うんざりしている筈だとヒカリは思う。まさか、二度も同じ目に遭うとは思ってもみなかっただろう。


「お話をしてから判断しましょう。我々が夕方引き上げてから、夕輝さんを最期に見たのはいつですか」

 蓮は盛大にため息を吐いた。


「アタシはその後、夕輝を見てないよ」

「そうですか」和泉は軽く頷いたのち、訊いた。「蓮さんはその後、何をしていましたか」

「五時半にスーパーに行って買い物。三十分くらいで帰ってきた」

「どこのスーパーですか」

「オギムラマート。車だと、十分しないぐらいの距離」蓮は頬杖をつき、そっぽを向いている。

「何を買ったのですか」

「夕食の材料を、晶子さんの手伝いで」

「そういったお手伝いは、よくされるのですか」

「あまりない」


 ヒカリは十七時過ぎに雨音と会話したことを思い出す。蓮は車で出掛けていると言っていた。確かに証言と合っている。

「では、スーパーの防犯カメラの映像を調べますが」と和泉。

「どうぞ、ご自由に。レシートもあるし」蓮の返事はそっけない。

 奥野がメモを取る、カリカリという音が部屋に響く。その度に、ヒカリは神経が削られているのではないかと錯覚する程、空気がぴりついている。


「それで、帰って来られたのは六時頃になりますね? その後は?」

「部屋で休んで、七時過ぎくらいに散歩に出かけた」そこで蓮はヒカリを見て、にやりと笑った。「そういえば、部屋から出たとき変なの見ちゃった」

 アキラが口元を手で覆った。かなり恥ずかしがっている。

「変なの、とは?」和泉は首を傾げた。

「あ、わたし達のことです」ヒカリは代わりに答えた。「ちょっと、アキラを廊下まで引きずり回してたんですけど、そのときにたしかに蓮ちゃんと会いました」


 和泉は三秒ほど沈黙した。


「……状況が、よくわからないのですが。アキラさん。時間を覚えていますか」

「はい」アキラの口調は苦々しい。「蓮の言う通り、七時過ぎくらいです。……十五分頃だったかな」

「……何をされていたのでありますか」と奥野。

「それは後ほど、お二人から聞きましょう」和泉が片手でそれを制した。

 アキラの顔が赤くなっている。死体を運べるかの検証をしていただけで、別に恥ずかしがるようなことではない筈だが。


「それで、散歩とは具体的にどちらへ?」

「ここから歩いて三十分くらいのところに、公園があるんだよ。輝陽落(きようらく)公園? そこでぼーっとしてた」蓮は答えた。

「その公園に、何かあるのですか」和泉が問う。

「何かあるってわけじゃないけど」蓮は目線を和泉から外したままだ。


 蓮は黙り込んだ。しかし、和泉は蓮が言葉を発するまで待つつもりのようだった。やがて、蓮は根負けしたように喋り出す。

「昔、朝陽や雨音とよく遊んでた。母さんの事故よりもっと前ね。公園の名前が朝陽や夕輝みたいだね、って言ってたのを思い出したから」

「やはり、朝陽さんのことを考えていたんですね」

「当然と言えば」蓮は俯いて呟いた。「……当然でしょ」


『アイツは母さんを本気で好きみたいだったし』そう言った蓮の姿をヒカリは思い出す。そのせいか、今の蓮が相当痛々しくみえた。


「家に戻られたのは、何時頃ですか」和泉は質問を変えた。

「花火が終わったタイミングで帰ってきた」

「それなら、大体八時半過ぎくらいですか」和泉は奥野を見た。

「今日の夏祭りのフィナーレがそれくらいに始まったと聞いているであります」奥野がそれに答えた。

「そのときも、この家の玄関前でわたし達とちょうど会ったんです」ヒカリは補足する。

「そうなんですか」和泉は相槌を打った。「時間は覚えていますか」

「八時四十分くらいかな」ヒカリはアキラを見た。

 アキラは黙って頷く。


「そのあと、わたし達はこの家の階段を上って、雨音さんの悲鳴を聞いたんです」

「蓮さんは?」

「アタシは離れに行った」

「離れに?」和泉はオウム返しに訊いた。

「そう。朝陽の部屋に行ってた」

「何か用事があったのですか」

「離れの一室に母さんの位牌があるから、朝陽がどんな感じにしてるのか、見てみたくなった」蓮は面倒くさそうにしている。


「朝陽さんのお部屋に、空子さんの位牌があるのは何故ですか」和泉は構わず質問を続ける。

「いちいち説明するの、馬鹿らしいね」蓮は微かに自嘲してみせた。「アタシと朝陽で位牌分けしたの。離れの一室を母さんがよく使ってたから、朝陽はそこに置いてあるってわけ」

「位牌分け、でありますか」と不思議そうにする奥野である。

 その反応がもっともだとヒカリも思うが、和泉は平然としている。


「となると、ヒカリさん達と会ってから、彼女達より早く夕輝さんの部屋には行けないですね」

 ヒカリとアキラは家の玄関先で蓮と会話をした後、そのまま真っ直ぐに夕輝の部屋に行った。離れに行った蓮がヒカリ達を追い越すことは不可能だ。


「公園に防犯カメラがあるか、調べてみます。もし蓮さんの映った映像が存在すれば、少なくとも七時過ぎ以降のアリバイは成立しますから」

「だといいけどね」


「しかし、蓮さんが犯人でなければ、他の誰かが犯人ということになりますが」和泉は発破をかけた。

「自殺の可能性はないの?」蓮がようやく和泉に視線を向ける。「誰かが夕輝を殺したなんて、信じられないんだけど」

「残念ながら、ご遺体の状態からその可能性は低いかと」和泉は毅然として言う。「夕輝さんが自殺する動機に心当たりが?」

「ないね」蓮は冷たく返事をする。「でも、この家の誰にも夕輝を殺す動機がない。先生達を含めてね」

「本当に?」

「本当に」蓮は和泉を睨んだ。

「そうですか。わかりました」

 和泉はあっさりと引き下がった。だが、もちろん蓮の言うことを鵜呑みにしたわけではないだろう。それは彼の口調から、容易に判断出来る。


「そういえば、蓮さんは桐生さんを見かけたでありますか」奥野が問い掛けた。

 蓮は首を傾げる。

「晶子さん? 買い物から帰って来て、食材を渡してから会わなかったけど」

「桐生さんはどんな様子でしたか」と和泉。

「え? いつも通りに夕食作ってたよ。そういうことじゃなくて?」蓮が怪訝な表情をみせる。


「桐生さんは六時頃、夕食を作っていた。いつも通りに」和泉が反復する。

「そう」蓮は肯定した。

「その後、いつも通りに食事の支度が出来たと呼ばれましたか」

「ああ……」蓮は違和感に気が付いたように眉を顰める。「呼ばれてないね。いつもは七時には夕食で呼ばれるけど、今日はそれがなかった」


 やはり、桐生の行動はおかしい。ヒカリは考える。十九時の夕食アナウンスをすっぽかしたわけだ。雨音は十九時半に台所に置かれていた夕食を、温めてから食べたと証言している。つまり、夕食が出来上がるのが遅れたわけではないのだ。桐生に空白の時間がある。


「これまでに、そういったことはありましたか」和泉が尋ねた。

 蓮は暫く考えている様子だった。

「アタシは毎日家で食べてるわけじゃないから、定かじゃないけど……」蓮は言った。「ないと思う。少なくとも、夕輝とデートしてるとか、事前にわかるようになってるはず」

「夕食に呼ばれず、不思議に思いませんでしたか」

「気が付かなかった。少なくともアタシにとっては、習慣ってほどでもないし。食欲もなかったから」


「結局、食事はどうされたのです?」

「食べてない」

「そうですか。大変参考になりました」

 和泉はとりあえず、満足したようだった。


「では、これで我々からの質問は終わりですが、何か他にご存じな情報があれば……」

 和泉の言葉を、蓮は途中で遮った。

「知ってたら言ってる」

 和泉はふっと笑った。

「わかりました。何か気が付いたことがあれば、いつでも仰って下さい」


「アンタら、いつまで居る気?」蓮は顔をしかめる。

「一通り、調査が終わるまでですね」和泉は当たり前のように言った。

「寝ていいの?」

「今日のところは」

 蓮は立ち上がった。


「ああ、蓮さん。美雪さんをこちらへ呼んで頂けますか」

「わかった。でも、あまり美雪と晶子さんにキツいこと言わないで」

「善処します」と和泉。


 蓮は和室の襖に手をかける。

「蓮さん」和泉が呼び止めた。「今お話しした内容は、他言無用でお願いします」

 蓮は振り向くことなく、黙って和室を出て行った。


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