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持ち去られた頭部と右手  作者: ASP
第三話
17/31

閃光の花と血の花

 ベッドを動かさぬように、リビング側に回り、和室の引き戸を開けた。

 やはり暗いが、電灯のスイッチはすぐに見つかった。

 照らされた部屋に置いてあったものに、ヒカリは目を剥いた。


「仏壇?」ヒカリは声を零した。

「そういうことか」アキラは納得したように、壁際に配置されている小さな机へと近づく。

「どういうこと?」

 アキラは畳の上に跪いた。

「……この人が空子さんだな」

 ヒカリはアキラの隣に正座した。


 机の上には小さな写真立てが置いてあった。収められているのは、女性が笑顔で小学生ほどの中世的な子供を抱きしめている写真だ。子供はやや恥ずかしそうに、はにかんでいる。

 その子供が誰かはわからない。しかし、女性の方は言われてみれば蓮の面影があるように、ヒカリには思えた。


「どうして空子さんだってわかったの?」

「いや、ただの憶測だ。確信があるわけじゃない」アキラは写真を手に取る。「まあ、位牌の裏に命日があるだろうから、それではっきりしそうなものだ」


 アキラは写真立てから、写真を取り出す。

「撮影日は、……無いか」アキラは写真の裏を確認し、言った。

「その子、誰だろうね。藤堂家の兄弟の誰かだよね?」ヒカリは首を捻る。「でも、空子さんの仏壇や写真が、どうしてこの部屋にあるんだろ?」

 アキラは黙って、写真を元に戻した。


「本当に空子さんなの?」ヒカリは立ち上がり、仏壇まで移動する。

 ヒカリは位牌の前で手を合わせた。もっとも、誰のものなのか確信はなかったが。改めて位牌を見ると、漢字がずらりと並んでおり、ヒカリはどれが何を示すのかわからない。ただ、戒名らしき漢字はわずかに理解出来る。『大姉』という字からして、おそらく女性。そして、『空』という字が入っているので、やはり空子のものだろうか。安直過ぎるかとヒカリ自身思ったが、おそらく間違いはない筈だ。


 アキラに声をかけるべく振り返る。

「ねえ、いは」


 ドンッ。

 破裂音が鳴った。


 パラパラパラパラ。

 直後に火花が散るような音が、震わすようにヒカリの耳に届く。


 とっさのことで、一瞬だけヒカリの思考回路はフリーズした。音の大きさから、外の音だとわかる。

 アキラが立ち上がり、窓の外を見る。ヒカリも窓に近づいた。


 もう一度、ドンという音がする。

 赤、黄、緑と変色する閃光が、美しく弧を描き夜空を見事に彩る。そんな幻想的な光景が、破裂音よりわずかに早く、ヒカリの目に届いた。


「花火?」耳に心地良い単語が、ぽろりと零れる。

「今日は夏祭りか……」アキラが呟いた。


 花火はその残光をヒカリの目に刻む。

 いつだったか、万里子と一緒に花火大会に行ったときを、ヒカリは思い出した。そのときの花火は、ここまで綺麗だっただろうか。そう考えると、苦しい。


 こんなときなのに。

 華麗に咲き散る色とりどりの火花が、あまりにも美し過ぎて、ヒカリの喉の奥を締め付ける。


「なんか、変な感じだね」次々とフラッシュする中空を見上げて、ヒカリは言葉を零した。

「誰かが大切な人を失って……」

 朝陽の死体が脳裏によぎる。


「泣いてるときでも」

 今度は、泣きはらした万里子と、憔悴した美雪の顔が浮かんだ。


「誤魔化すように、平気な顔してるときでも」

 次に思い出したのは、掴みどころのない雨音だ。


「悔しかったり」

 不機嫌そうな蓮。


「苦心したりしているときでも」

『朝陽は……死んだのでしょうね』と疲れた声を出した夕輝。


「そんな人達の間近にいて、心を痛めている人がいても」

 無理やりソファで休ませた桐生。


「世の中、止まっちゃくれないんだよね」

 そう言って、ヒカリはアキラを見る。窓の外を見ているが、切れ長の目は、花火を捉えていないようにみえる。


 また、破裂音がする。


「アキラ?」何の反応も示さない彼に、呼びかける。

 アキラの様子は、妙だ。


 パァン。パラパラパラ。


 だが、今のアキラの雰囲気に、ヒカリは覚えがあった。

 派手な音が、窓越しに外気が震えているのを教えてくれる。

 アキラは今、何かを本当の意味で考えている。ただ考えているのではない。ヒカリが思うに、アキラは真の思考が出来る人種なのだ。


『なにかわかりそうなの?』

 ヒカリはそう尋ねようとした。

 そこで思い直す。おそらく既に思い付いた後で、今は考察をしているのだとヒカリは予想した。


「ああ」二十秒程経っただろうか。アキラが口を開いた。「誰がどんな思いをしていようが、世間様の知ったこっちゃない」


***


 ヒカリとアキラは離れから母屋への帰り道を、黙って歩いている。いつの間にか、花火は終わったようだ。

 アキラから何を思い付いたのかを問いただしたいヒカリだが、結局聞かずにいる。まず間違いなく、アキラは答えてくれないだろう。

 ただ、いつかは話してくれる。それまでは、アキラに頼らず、ヒカリ自身で考えようと思ったのだ。


「花火デート?」冷ややかで悪戯っぽい声が、後ろから聞こえた。

 ヒカリは振り返る。声の主は藤堂蓮だった。


「蓮ちゃん。どこか行ってたの?」

「散歩してた」素っ気なく、蓮が返事をする。

 黒を基調とした服装が、彼女を夜の闇に溶け込ませている。それでも、いつものクールでニヒルな佇まいでいることがわかるのは、彼女が薄く口角を上げているからだろうか。


「夕食、できてる」とアキラ。

「食欲湧かないって」蓮が肩をすくめる。「アンタ達はもう食べたの?」

「桐生さん、大分参っていたみたいだぞ」返事も無しにアキラは言った。

「そう? アタシが買い物頼まれたときは、そんな風にみえなかった」

「疲れが今になってきたんだと思う」ヒカリは説明した。「ちょっとソファに横になってもらったけど、もっとしっかり休んでもらった方がいいよ」

「晶子さん、止まらなかったでしょ」見てきたように蓮が言い当てる。ジーンズのポケットに手を入れたまま、ヒカリ達へと歩み寄った。「昔から、働き者なんだ」


 蓮はアキラの目の前で立ち止まった。蓮はアキラの顔を見上げた。

「それで? 離れはどうだった?」

 ああ、ばれていたか。やや拙いとヒカリは思う。間が悪かった。離れには蓮の母の位牌があった。蓮のプライベートに触れてしまったようで、罪悪感が湧く。

 だが、同時に興味もあった。何故朝陽が使っている離れに、空子の位牌があったのか。

そして都合よく考えるなら、彼女の方から離れのことを切り出したということは、蓮はヒカリ達の疑問に答えるつもりでいるのではないか。蓮の挑発的な口調はいつも通りで、その胸中はヒカリには読めない。


 アキラは黙っていて、何かを尋ねるつもりはなさそうだった。

「ねえ……。蓮ちゃん」ヒカリは伺うように訊く。「離れの和室に、位牌があったんだけど、あれはお母さんなの?」

 蓮はヒカリを一瞥した。

「そうだよ」蓮はあっさりと答えた。「どうして、あそこにあるのか知りたいんでしょ?」

 ヒカリは黙って頷いた。蓮はそれを認めると、ゆっくりと語り出す。


「位牌分けって知ってる?」

 蓮の問いに、ヒカリは首を横に振った。

「母さんの位牌は、アタシと朝陽が一つずつ持ってる。アタシのは、アタシの部屋に。朝陽のは、母さんがこの家に来たときに必ず泊まっていた、離れの和室に」


 一人の故人の位牌が二つ? そんなことがあるのだとヒカリは初めて知った。


「母さんが死んだ後、遺産がどうのこうのって話になった。揉め事は一切無し。そもそも、相続権を持っていたのが、アタシと大地さんだけだったから。そのとき、祖父(じいじ)祖母(おばあ)ちゃんも亡くなっててさ。母さんの肉親は、アタシと大地さんしかいなかったんだよね」

 蓮はそこまで言うと、離れの方に向き直った。


「母さんが残した金は、全部大地さんに相続してもらった。それと、アタシの親権も。とりあえず、母さんの身の周りはつつがなく片付くねって折に、朝陽が無茶を言い出した。母さんの位牌を分けてくれ、ってね」暗がりでヒカリからはよく見えないが、蓮の顔が歪んだ気がした。「神経を疑った。母さんを殺したヤツが、何言ってんだって思った」


 信じられる? そんな風に、蓮は『呆れた』のポーズをとる。

「でもまあ、冷静に考えたら、別に不思議じゃないかって思い始めてさ。だって、アイツは母さんを本気で好きだったみたいだし。アタシと比べたら、アイツの方が」蓮はそこで区切った。ややあって、諦めたような声で言う。「アイツの方が、アタシよりもよっぽど母さんと『親子』っぽかったしね」


 だから、母さんの位牌は二つある。蓮は最後に、寂しげな口調で結んだ。


 そう割り切れるものなのだろうか。ヒカリは思った。自分の母を事故で死なせてしまった従兄弟に、母の位牌を分けるなど。

 ありうる、か。ヒカリは小さく独りごちた。

 朝陽の空子に対する愛情を、蓮は認めているようにみえた。それは、事故を起こしてしまった朝陽の苦悩を、十分に理解していることに他ならない。


 朝陽を恨んでいる、と彼女は言った。

 だが、本心はどうだろうか。

 蓮は朝陽に対する憎しみと理解の狭間で、ずっと苦しんでいるのかもしれない。あるいは、どうにか整理はついたのか。アキラの言うところの『最適解』を、彼女は得たのだろうか。

 そして、朝陽が死んだ、今はどうなのだろう。


「蓮」唐突にアキラが言った。「はっきり言って、交通事故の話も、今の位牌分けの話も、俺にとってはどうでもいい情報だ」

 アキラは蓮に背を向けている。一体何を言っているんだろうとヒカリは思う。アキラは人の話に無意味に水を差すほど、馬鹿ではない筈だ。

「だが、聞いてしまった以上、俺から一つ言っておきたいことがある」


「驚いた」蓮はいつものように、小馬鹿にしたように言う。「アンタ、慰めが出来るタイプだっけ?」


 まあ、聞け。とアキラ。

「俺は一回だけ、朝陽さんを見たことがある。離れの洋室にいるところをな。朝陽さんは窓から顔を出して、煙草を吸っていたよ」

 蓮は怪訝な表情で、アキラを見ている。

 ヒカリにも、だから何だという感想しか出てこない。


「今日の聴取を聞いていて、不思議に思っていたんだ。どうして、朝陽さんは母屋側の窓から煙草を吸っていたんだろう?」

「何言ってんの?」蓮のアキラを見る目が、若干頭を心配しているそれになる。

「だって、おかしいだろ。朝陽さんは家族から嫌われていることを、自覚していたんだろ?」アキラの声に抑揚は無い。「だったら、普通は母屋とは反対側の窓を使いたい筈だ。煙草は和室で吸うのが自然だよな」


 ヒカリはアキラが言いたいことがわかった。蓮もそのことに気が付いたようである。

「俺が思うに、和室でだけは吸いたくなかったんだよ。空子さんが使ってた部屋、空子さんの位牌を置いた部屋でだけは、煙草を吸いたくなかったんだ」


「……そんなの、強引じゃないの」蓮の言葉は、震えていた。「アイツが使っていた部屋が洋室だから、洋室で吸った。それだけでしょ。どっちに母屋があるかだの、そんなの気にするヤツじゃない」

「かもしれないな。ただの俺の想像だ。それは朝陽さんにしかわからない」アキラは間髪入れずに答える。


 アキラが振り返る。真っ直ぐに蓮を見た。

「お前がどう解釈しようと、お前の勝手だ。……けどな」アキラはゆっくりと蓮に近づいた。「そう思っておけ。俺が思い付く限り、この解釈を選択するのが一番合理的だ。空子さんにとっても、朝陽さんにとっても、お前にとっても」

 蓮はしばらく黙っている。夏の香りを乗せた風が吹き、ヒカリ達を優しく撫でる。


 ヒカリは微笑んでいた。アキラは合理の人だ。昔から冷たかった。今でも冷めたところはある。そんな彼が、ここまで人の残した思いを汲めるようになっていたことが、ヒカリには嬉しかった。

 ヒカリの胸に生温い感情が湧き、かなり照れくさい。言ったのも、言われたのも自分ではないのに。


 そんな思いを打ち消すように、ヒカリは蓮を見やる。

 彼女はアキラから顔を逸らしていた。

 想像力だけは逞しいヤツ。そう皮肉ってみせたものだった。


***


 藤堂雨音は兄である夕輝の部屋に用事があった。もうそろそろ、いい時間だろうと思い、夕輝の部屋を訪れる。


 部屋の前に来て、思い返した。以前、ノックもなしに勝手に入ったとき、丁度桐生が部屋にいるタイミングで、気まずい思いをしたものだ。

 まさか晶子さん居ないよね。雨音はそう思いながら、ノックをした。


 返事は無い。

 誰も居ないのか。よし、入ろう。雨音は一秒でそう判断し、ドアノブを捻る。

 抵抗なく開くドア。鍵はかかっていなかった。


 そして雨音は、その部屋の惨状に目を見張る。

 雨音はそのままドアを閉める。ドアノブを握りしめたまま、蹲った。脂汗が一気に噴き出る。胃に鉛を詰め込まれたような感覚だった。嘘だ、と思う。

 雨音は長いこと動かなかった。

 だが、やがて我に返る。

 もう一度、確認しなければならない。

 雨音は意を決し、ドアを再び開けた。

 目の前の光景に変わりはない。

 雨音は息を吸った。


「誰かぁぁあああああアアアアァァッ!!」思い切り絶叫する。

 夕輝の部屋には、頭と右手が無い死体が転がっていた。


***


「誰かぁぁあああああアアアアァァッ!!」

 シンバルを思い切り叩いたような、女性の本気の叫びが階段を登るヒカリの耳をつんざいた。


 何かが起こった。ヒカリは気づけば階段を駆け上がっていた。

「待て、ヒカリ!」後ろからアキラが呼び止めるが、構わず走る。

 二階に着いたとき、廊下に四つん這いになる雨音の姿を見つけた。


「雨音さん!」ヒカリは雨音に滑り込むように駆け込み、その身体を捕まえた。「大丈夫!? 雨音さん!」

 雨音は右手だけを持ち上げ、正面の部屋のドアを指さした。

「どうしたの? 何があったの?」とヒカリは訊いたが、雨音は首を振るばかりで答えない。


 ヒカリの背筋に悪寒が走る。部屋の中に何があるのか、わかってしまった。

「俺が開ける」アキラの声が聞こえた。いつの間にか追いついてきたようだ。

 アキラは躊躇いがちに、部屋のドアを開けた。そのまま、アキラは何も言わずに動かなかった。

 ヒカリは立ち上がり、無理やりアキラをどかして室内を見る。


 煉瓦色のカーペットが、一部どす黒く染まっていた。死臭が部屋の空気をよどませている。

「クソ……」アキラが呟いた。

 そこにあるのは、紛れもない死体だった。頭部が無く、もはや当然のように右手も無い。誰が見ても、文句なしで死んでいる。

 ヒカリの脳裏に、昼に見た死体がフラッシュバックした。


「ヒカリ。和泉さんに連絡してくれ」アキラが前に出る。「俺は中を調べる」

 ヒカリはスマートフォンを取り出し、和泉の業務用の携帯に発信する。非常時のため、夕方に和泉から教えられた番号だった。

 発信音が鳴った後、『和泉です』と声が聞こえる。


「和泉さん。ヒカリです」ヒカリはすぐに現状を述べる。「死体です。藤堂家で、死体が出ました」

『ヒカリさん? いいですか。私の指示に従ってください。死体には誰も近づけないで』

「わかりました」ヒカリは答える。

『不審者はいませんね?』

「いないです」

『死体を人目に晒さないようにしてください』

「わかりました」ヒカリは答え、部屋の中のアキラに言う。「ドア、閉めるよ」

「何?」アキラの声がしたが、ヒカリは躊躇なくアキラを閉じ込めた。

『すぐに、そちらに向かいます』和泉は言った。『それまで、誰にも死体の状態を説明しないでください』


 死体の状態とは、頭部と右手の切断に他ならない。何故、和泉がわかったのか知らないが、とにかく上手く説明しなくては。

「雨音さん」ヒカリはしゃがみ、蹲っている雨音に呼びかける。「お願いがあります」


 スマートフォンの時計は、二十一時丁度を示していた。


位牌の裏側には、俗名(生前の名前)が書かれています。

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