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持ち去られた頭部と右手  作者: ASP
第三話
16/31

離れ

 朝陽の死体を運べるのは、何とか検証出来たといっていいだろう。朝陽より大きいと思われるアキラを、小柄なヒカリでも運ぶことが出来たのだ。

 だが、死体を運んだとして、それが何に繋がるのか。ヒカリはアキラとああでもないこうでもないと話したが、結局その先が見えてこない。


 時刻はそろそろ八時になる。


「なあ、もういい加減にしておいたほうがいいんじゃないか」アキラはうんざりしたように、椅子の背もたれに寄り掛かっている。「俺、そろそろ荷造りしようと思うんだが」

「はい?」

 荷造りとは、聞き捨てならない言葉だ。


「荷造り? なんでよ?」ヒカリは思わず問いただすような口調になる。

「こんなことになったんだから、俺はもうこの家に居たら迷惑だろ」アキラは渋い顔をする。「明日夕輝さんと話し合うつもりだが、今日のうちに荷物をまとめておきたいんだ」

「そうかぁ……」

 致し方ないとヒカリは思った。確かに、明日になれば死体が朝陽であることが確定し、この家は結構慌ただしくなる筈である。まだ朝陽の死について報道はされていないようだが、流石にそろそろマスコミ等も煩くなるだろう。


「とにかくだ。これで推理ごっこは終わりだ。お前ももう首を突っ込むな。デリケートな問題なんだ」アキラが立ち上がった。

 釘を刺されたヒカリだが、こんな中途半端な形で終わりたくない。真相が残酷だろうが面白くもなかろうが、納得がいくまで調べたいのだ。これまでに関わった、二件の殺人事件がそうさせる。


 ヒカリは立ち上がった。

「ねえ、ちょっと離れの部屋に行ってみようよ。そこに『アリア』があるかも知れないでしょ?」

「……全くありえないとは言えない」アキラが渋顔のまま答える。ついでに小言が始まった。「お前、本当に悪い癖だぞ。何がきっかけになって、お前自身や他の人に火の粉が降り掛かるか、わからないんだ」

「もし『アリア』があったら、和泉さん達に報告しないといけないでしょ?」ヒカリは少し強めの口調で反発した。


 前髪をいじりだしたアキラに、今度は優しく言う。

「大丈夫だよ。離れを見せてもらうくらいで、何がどうなるっていうの?」アキラの腕に、ちょこんと拳をぶつけた。

「離れに行くこと自体は、別にそこまで問題じゃない。お前が危なっかしいと指摘している」

 アキラは顔を合わせようとしない。拗ねるように言う彼を見て、ヒカリは肋骨をくすぐられるような、こそばゆい感情が湧き出た。


 自然と、フッと笑いが零れる。

「なんだ?」アキラはその笑いを聞き咎めたのか、不機嫌な声になった。

「いや。それって、後期クイーン問題の一つだね」誤魔化すようにして、ヒカリは言った。

 恥ずかしいやら、気色悪いやら、複雑な思いを懸命に抑える。その自分の滑稽さが、何故かツボに入り、ヒカリは腹を抱え始めた。


「後期クイーン問題?」アキラが首を傾げた。「チェスのクイーン九つを、互いに取り合わないように配置するパズル(あれ)のことか」

「違うよ。なにそれ……」ヒカリはいよいよ可笑しくなって、アキラの背中をペチペチ叩いた。「クイーンはエラリー・クイーンのクイーンだよ。『Xの悲劇』を書いた人」

「ああ、悲劇シリーズか。名前くらいなら俺でも知ってる」鬱陶しくなったのか、アキラはヒカリの手をかわす。「そんなに有名なら、さしずめ『ミステリーの女王』ってとこか」

「アキラ! エラリー・クイーンは男だよ!?」ヒカリは爆笑した。


 『ミステリーの女王』といえば、アガサ・クリスティに決まっている。


***


 ヒカリとアキラは桐生に会うべく、リビングに向かう。当然、離れを案内してもらうのが目的である。

「そうだ、アキラ」ヒカリはあることを思い付く。「朝陽君が殺されたタイミングと、死体が切断されたタイミングが、同じとは限らないよね」


「声を小さくしろ」アキラがぼそりと注意する。「そうだな。切断された時間は、死亡推定時刻の範囲に収まっているとは限らない」

「斧は後から持ってきたのかもしれないよね?」

「もしかしたらな」

「ならさ、凶器が斧じゃない可能性もあるんじゃない」ヒカリは自分の思い付きに、少し興奮する。「特別な紐状のなにかで、絞殺したのかも。それだったら、あとから索条痕(さくじょうこん)を消すために首を切った説が甦るじゃない」

「サクジョウコン?」

「索条痕、知らないの? 首を絞めた痕のことだよ」


「特別な紐状のものって、何だ?」とアキラ。

「わからないよ。でも、衝動的な犯行になっちゃったから、私物を使っちゃったんじゃない?」

「それなら、凶器の方を処分する」アキラは静かに否定する。

「よっぽど特徴のあるもので、捨てても割れちゃうものだったんだよ。髪の毛とか」ヒカリはだんだんと、自分の考えが良いような気がしてきた。

「髪の毛……? けど、やっぱり頭を持ち去る理由がないぞ。さっきも言ったが、索条痕とやらを消せればいいんだ」

 階段にさしかかり、ヒカリは手すりに手を乗せた。

「それなんだよね。首から上で、隠したいもの……。吉川線(よしかわせん)かな? 右手が持ち去られたのと、関係がありそう」

「ヨシカワセン?」アキラはますます疑問符満載といった声色だ。


 吉川線は知らなくても仕方ない。ヒカリは階段を下りながら説明する。

「首を絞められた被害者が、首を掻きむしった傷を吉川線っていうの。それがあるかどうかが、他殺かどうかを判断する基準の一つになるんだって」

「しかし、自殺者でも首をひっかく可能性は、あるんじゃないのか」アキラは納得していない風である。


 そう言われてみれば、そうだ。ヒカリはそこまで深く考えたことはなかった。

「とにかく、索条痕近辺が、自殺か他殺かを見分けるポイントになるんだって」知ったかぶったようで、少し気恥ずかしく思う。「結構知ってる人、多いと思うよ」

「所詮はミステリーの知識だろうに」アキラが笑った。「大体、自殺か他殺かを状況以外で判断しようと思ったら、警察はロープの痕まわりを重点的に調べそうだ。ちょっと当たり前過ぎやしませんかね」

 ちょっと腹が立ったヒカリである。偉そうすぎるだろ、こいつ。

 軽いジャブを、アキラに浴びせた。


***


 リビングの前に着くと、丁度出てきた桐生に遭遇した。

「ああ、お二人とも」桐生が力の無い声で言う。「こんなお時間になってしまいましたが、お夕食の用意ができております」

 ああ、とアキラが声を上げた。

「忘れてた。夕食がまだでしたね」

「ええ、流石に、今日は家族全員揃ってというわけには……」桐生が掠れた声で言う。


 様子がおかしいことに、ヒカリは気が付いた。明らかに、先ほどよりも憔悴した様子である。

「桐生さん?」アキラも同じようなことを思ったのだろう。桐生の体調を心配したように尋ねた。「どうかしましたか。随分顔色が悪いです」

「いえ……」桐生の声が震えている。「真に申し訳ございません。今になって、疲れが出たようです」


「横になった方がいいですよ」ヒカリは無意識に桐生を支えようと、手を伸ばしていた。

 瞬間、桐生の体がびくっと震える。彼女はヒカリから一歩距離をとった。

「ごっ、ごめんなさい」ヒカリは桐生の反応に驚き、反射的に手を引っ込める。

「あ……」桐生は我に返ったかのように、大きく目を見開いた。「大変申し訳ありません。ヒカリさん」

 ひたすら平身低頭の桐生を、ヒカリは焦って宥めた。


「桐生さん。やっぱり、休んだほうがいいですよ」とアキラ。

「大丈夫です。私は、大丈夫……」言いながら、桐生は左腕をこする。

 腕まくりした黒いブラウスの肘口から見える彼女の肌は、血の気が引いたように青白かった。


***


「こちらが離れになります」

 ヒカリとアキラが案内されたのは、一般的な一軒家に比べると、やや小さ目の建物だった。二階も無いようである。


 桐生の体調を案じたヒカリとアキラは、結局、二人に用意された夕食を食べ終えるまで桐生を半ば強引にソファで休ませた。それでも、やはり桐生の体調は優れなさそうだが、彼女自身が動いていたいと主張した。その好意に甘え、離れに案内してもらうことにしたのだ。


 桐生はエプロンから鍵束を取出し、その中から一本の鍵を選んだ。差し込まれた鍵が、入り口を開く。

「ありがとうございます」ヒカリは礼を言った。

 アキラも続いて頭を下げた。

「いえ。どうぞ、お入りください」桐生がドアを支え、ヒカリとアキラを中へと促す。


 離れの中は真っ暗である。桐生が壁際のスイッチを押すと、玄関とその奥の空間が明るく照らされた。

 外見よりも広く感じる。玄関の先には開かれたドアがあり、ダイニングのようなスペースが広がっているのが見える。さらにその奥にもドアが見えるので、結構な面積のようだ。


「それでは、私はこれで」桐生はそう言い、丁寧に頭を下げた。


 桐生が玄関のドアを閉めた後、ヒカリは靴を脱いだ。

「離れも流石に広いね」

 アキラは借りているサンダルを使っていたため、すんなりと脱ぎ、早々に上がっていった。

「母屋の広さによって、建ててもいい離れの広さも決まっちゃうんだっけ?」どこかで聞いたような、あやふやな知識を、アキラに問いかけた。

「そうなのか?」アキラはダイニングを見回しながら返事をした。「初耳だ」


 ダイニングにはダイニングテーブルと椅子が四脚置いてある。対面式のキッチンがあり、その前にもカウンターチェアが四台置いてあった。

 アキラがドアの一つを開けた。

「この先は多分、洗面所とトイレだな」

 アキラが中に消えて行ったので、ヒカリは別のドアを開けた。


 暗い。ヒカリは壁を触り、電灯のスイッチを探り当て、明かりを点けた。

中は洋室だった。母屋の方角に窓があり、その反対は襖があるが、ベッドで塞がれている。

 部屋はかなり清潔に保っているようだった。フローリングの床も随分と綺麗だ。ヒカリは自分の部屋より綺麗にされている可能性を危惧した。しかし、途中で気が付く。確かに部屋は綺麗だが、そもそも物があまり無いのだ。本棚とベッド、エレキギター、アンプ。小さな机の上に、吸い殻の無い灰皿。それだけしか見当たらない。もっとも、奥にクローゼットがあるので、その中に色々あるのかもしれないが。


 隣の部屋は、何故ベッドで塞がれているのだろう。ヒカリが疑問に思っていると、アキラが入ってきた。

「綺麗だな」アキラは形の良い顎に、親指と人差し指を添えた。じろじろと部屋を観察している。

「だよね」ヒカリは同意した。

「こんな風になっていたんだな」アキラが呟く。


 妙な言い方だった。この部屋のことを知っているような、そんなニュアンスに引っ掛かる。

「襖ってことは、隣は和室か」アキラは両手を腰に当てた。「こっちが洋室で隣が和室。二部屋の個室があるわけだ。2LDKだな」

 ああ、とヒカリは部屋の構造を理解する。この洋室のドアの隣に、引き戸があった。その引き戸の向こうが和室であり、この洋室の襖と繋がっているのだ。和室と洋室の続き部屋になっているということだ。


「どうしてベッドで塞いでるんだろ?」ヒカリは疑問を口にした。

 アキラは反対の窓を覗きこみながら答えた。

「隣の部屋を使っていないからだろ。灰皿だのギターだのがあるってことは、朝陽さんは普段からこっちの洋室を使っていたんだ」

 アキラが窓をスライドさせる。何の抵抗なく、ガラガラと開いた窓の外から、夜の匂いがする。


「とりあえず、このクローゼットは調べないとね」そう言って、ヒカリはクローゼットに近寄る。

「あまり、荒らすなよ」アキラが注意する。

「仕方ないじゃん。離れに『アリア』を置いていったなら、この中の可能性が一番高いでしょ?」

 言い終わる前に、ヒカリはクローゼットの扉を開ける。


 ヒカリの予想に反し、クローゼットの中はほとんど空だった。

 弦が切れてしまった古そうなアコースティックギターが、寂しさを紛らわすかのように段ボールに寄り掛かっている。その段ボールにしても、絵画が入りそうな大きさではない。他は救急箱だけだ。

「その可能性も、消えたみたいだな」アキラは無感情な声である。


 ヒカリはギターをどかし、意外と重たい段ボールを引きずり出した。念のためというやつだ。

 開けてみると、中には本がぎっしりと詰まっている。

「やっぱり、ないか」

「やはり、ここに仕舞うくらいなら、宝物庫に飾るほうが自然だよな……」


 ヒカリは本の一つを取り出し、表紙を見る。まさかのタイトルに目を剥いた。『嵐が丘』だ。さらにもう一冊取り出すと、『カラマーゾフの兄弟』である。無骨なハードカバーの専門書らしき本さえある。

「どうした?」

 表紙を凝視し固まっていたヒカリだったが、アキラの呼びかけで我に返った。

「いや、これ思いっきり文学なんだけど」ヒカリは適当な表現を見つけることができないまま、アキラに驚きを示した。


 アキラは怪訝そうな表情をみせる。

「だから、それがどうした?」

 ヒカリの驚きを理解できない風でいる声を聴くと、ヒカリはそこまで不思議な事ではないのかとも思えてきた。

「いや、朝陽君がこういうの読むのが、意外だっただけ……」

 よく考えれば、朝陽は数年前までエリート大学生だったのだ。意外に思うと失礼か。


「これは日本語訳の本なんだな」唐突に言うアキラ。何を当然なことを言うのだとヒカリは思う。『嵐が丘』も『カラマーゾフの兄弟』も、海外の作家の名作ではないか。

「本棚の方は、洋書が多い」

 ヒカリが思っていたより、朝陽は大物のようだった。


「ヒカリ?」何も言えないでいるヒカリに、アキラが呼びかける。「和室も調べるか」

「うん」返事をして、ヒカリは出した本を段ボールに仕舞う。


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