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持ち去られた頭部と右手  作者: ASP
第三話
14/31

盤上の思案

三.


 アキラはヒカリと将棋を指しながら、事件について考察をしていた。


 基本的に、将棋に触れる習慣のないヒカリ相手では、六枚落ちで丁度いいようである。形勢はアキラが悪い。しかし、そんな苦しい局面が、何故かアキラに自分が本当に考えたいことは何なのかを教えてくれる。九×九の盤面に向き合っている筈なのに、頭のどこかで謎を紐解こうとしている自分がいる。そんな不思議な感覚に陥っていく。


『犯人による何らかの合理的な判断があります』

『常識人でも理解出来る』


 アキラは和泉のその言葉を思い出す。もちろん、死体の切断の理由だ。

 しかしながら、事実はどうだろうか。本当に合理的な理由が存在するのだろうか。


 アキラは思考する。

 和泉達とディスカッションした通り、宝物庫のセキュリティを破るために、認証に使用するパーツを持ち去った可能性は極めて低い。朝陽が所有していた鍵束(キーホルダー)が持ち去られていないことから、犯人は藤堂家に侵入することを考慮していない。

 そもそも、セキュリティの認証方法を知るほど朝陽と仲が良いのなら、彼に宝物庫に入れてもらってから殺せばよい筈である。 また、『アリア』だけを持ち去ったというのは不自然だ。美術的価値のあるものは、他にも沢山あった。加えて、絵画より持ち運びははるかに楽そうなものもあったのだ。


 では、他に考えられる合理的な理由は何か。

 思考を回転させるギアが、一段上がった。


 単純に、捜査のかく乱のためであるなら、死体をさらに細かく切断するべきである。そこまでせずとも、頭部、両手、両足。胴体だけを残し、その他の部位は全て持ち去る筈だ。頭部と右手のみでは、死体の処理として半端過ぎる。さらに言えば、切断の意思があるならば、何故死体を遺棄しなかったのか。

 もう一つ。現場に争った形跡や、荒らされた形跡がないこと。鍵束(キーホルダー)もそうだが、貴重品を盗っていけば捜査のかく乱になっただろう。少なくとも、死体の切断の理由を僅かにでもフォロー出来る。


 犯人は正常な精神状態を保ったまま、犯行に及んだのだろうか。ただの気まぐれか、異常な固執か。そうでなければ、混乱をしていたのか。切断しているうちに、恐くなって逃げだしたか。

 そういった異常な思考の、いずれでもないのなら。犯人が自らの限定合理性に従い、選んで頭部と右手のみを持ち去ったのなら。

 何故死体を切断したのかという問題は、犯人は誰であるかという問題に、比較的容易に帰着可能だ。つまり、切断の理由さえわかってしまえば、犯人もわかる。


 その一方で、頭部と右手が持ち去られ、他に目立った点が無いことに、恣意的なものを感じる。

 何か誤魔化されてはいないか。


 対局は終わりつつある。必死にもがくが、ヒカリの応手が非常に良い。強引に逆転を狙った露骨な俗を、厳しく咎められたのが痛恨だった。

「潮時か……」

 アキラは持ち駒に軽く手を被せた。


***


「ヒカリさんは、こちらのお部屋をお使いください」照明のスイッチをパチンと押し、桐生は恭しく言った。

「ありがとうございます」ヒカリは桐生にお辞儀をした。

 アキラの口添え(だいぶ、夕輝に断るよう勧めていた)もあり、無事に夕輝から宿泊の許可を貰ったヒカリは、桐生に部屋を案内してもらった。


 LEDのライトが薄暗かった室内を明るく照らす。広い個室だ。ヒカリは感動した。ホテルの部屋のようだ。アキラはこんなにいい部屋に毎日泊まっているのか。彼が妬ましくなる。

「すみません、桐生さん。突然無理を言ってしまって……」

「とんでもございません。何かございましたら、私のPHSにご連絡下さい。番号は〇〇五二でございます」桐生は一礼した。「それでは、失礼いたします」

 部屋に内線電話があるということだろうか。ますますホテルのようだと思う。


 桐生が去っていったのを確認した後、ヒカリは部屋に入り、くつろいだ。大き目のベッドに大の字になって、寝転がる。低反発だ。しっかりとしていて、体が沈み過ぎず、固すぎずで丁度いい。

「はぁああ……」

 すっかりだらけた声が出た。

 腕時計を見ると、時刻は十七時半になろうとしている。こうしていても、仕方がない。情報を集めるべく、藤堂家の中を歩き回ろうかと考える。


 フットワークの軽さが自分の売りだと、ヒカリは思っているが、考えなしに動くことをアキラに指摘されがちだ。アキラはアキラで主体性と行動力がなさ過ぎるため、おあいこだと思うが、今だけは彼のアドバイスに従っておくことにした。

 とにかく、知りたいのは死体切断の理由だ。そのヒントになりそうなものは、宝物庫のセキュリティ以外に何かないものか。

 集中して、考えるんだ。ヒカリは気合を入れた。


***


 五分弱考えただろうか。駄目だった。結局、頭部と右手が持ち去られた理由が浮かんでは消えるだけ。これといった、良いアイデアが浮かばない。一応のところ、二つほど考えが残りはしたが。


 ヒカリは諦めて藤堂家を探索することにした。誰かに会ったら、何か聞きたいことを思い出せるかもしれない。人が居そうな、一階のリビングへと向かう。


「どうかされましたか」

 リビングには桐生が居た。大分疲れているようだが、微笑んでヒカリの対応をしてくれる。

「ああ、ヒカリさんだ。泊まってくって、ホント?」桐生の背後から、雨音がひょっこりと現れた。

 お互い様だが、結構馴れ馴れしい人だ。ヒカリは初対面の人に馴れ馴れしくするのは好きだが、逆はあまり得意ではない。雨音も同族ならば、先を越されてしまったか。


「あはは。今日一晩だけお邪魔します」ヒカリは微笑んでみせた。

「ねえ、さっきの事情聴取で、何かわかったの?」座って、座って、と雨音がヒカリをソファに誘導する。

「お飲み物、何か用意しますか」桐生が苦笑しながら言った。

「あたし、お茶ね」雨音が返事をする。「ヒカリさんは?」

「同じもので」ヒカリはコーヒーが良かったが、遠慮した。ソファに腰かける。


 桐生は頷くと、台所へと姿を消した。

「で、なにか参考になった?」雨音がヒカリの正面に座った。

「流石に情報が少なすぎるかと」ヒカリは後ろ首に手をやった。「朝陽君についてはよく身辺を調べるって、警察の人は言っていました」

「それだけ?」と雨音。

「それだけって?」

「またまた」雨音はウインクして両手を軽く上げた。「宝物庫がどうとか聞いてたじゃん。絵画を知ってるか、とかさ」

 やっぱり、雨音は朝陽の人物像を知りたかっただけとは、解釈していないようだ。あんなに宝物庫のことを聞けば、当然のことだが。


「当ててあげる。バイオメトリクス認証でしょ?」雨音は身を乗り出した。すっきり系の香りが、彼女から漂う。「図星?」

「そうです。警察はその可能性を考えていました」ヒカリは特に隠す理由はないと判断した。


 雨音は身体を引いた。背もたれに寄り掛かる。

「だよねぇ。誰でも感づいちゃうよね。頭と右手が無くなってる死体なんてさ」

「でも、死んでる人だと、認証されないらしいですよ」ヒカリはついでに教えてやった。

「あれ、そうなの?」雨音はあてが外れたような顔をした。

「それにしても」ヒカリは彼女から感じた違和感について尋ねてみることにした。「その仮説を信じるってことは、死体が朝陽君だって認めることになりますよね。どうして、そんなに平然としてるんですか」

 雨音は少し驚いた表情をみせた。


 桐生がそのタイミングでやってきて、二人分の煎茶をテーブルに置いた。

「ありがとうございます」ヒカリは礼を言う。

「ありがとう」雨音もそれに続いた。

 桐生はお辞儀をし、また台所に去っていく。


 雨音は湯呑を右手で取り、一口付けた。

「はは。そうだよね」雨音は自嘲気味な笑みを浮かべた。「刑事さんにさ、最後に『死んでるのは朝陽だと思うか?』って聞かれたとき、流石に気分悪くなったんだ」

 ヒカリはあの凍り付いた瞬間を思い出す。何とも言えない、居心地の悪さを感じた。

「でも、しょうがないよ。やっぱり。死んじゃったのが朝陽なら、それはそれでさ。しょうがないと思う」


 実の兄弟が死んだ。その事実を、そんなに簡単に受け止められるのか。ヒカリにはとても理解できなかった。しかし、数年前のヒカリならば、弟を失っても今の雨音のように割り切っていたのかもしれない。


「雨音さんは、ここで何をしていたんですか」ヒカリは質問を変えた。突然、思考が切り替わったのだ。昔の自分と弟との関係を思い出すと、こういうことがしばしばある。一種の防御反応か何かなのだろうかと、自分でも疑問に思う。

「え、それって、今さっきまでのこと?」雨音は首を傾げた。表情に笑顔が戻る。

「はい。桐生さんの後ろから出てきましたよね」

「まあね。いちゃついてたの」雨音はおどけたように笑った。「夕輝に内緒でね」

「あの、もしかして、お手伝いしてました?」ヒカリは苦笑いになった。

「そうそう。それ。お手伝いね。お手伝い。……何の?」

「ごめんなさい。邪魔しちゃいました」

「いいの、いいの。ヒカリさんと少し話してみたかったんだ」雨音はお茶を口にしてから、言った。


「蓮ちゃんと美雪さんと夕輝さんは?」ヒカリも倣ってお茶をすする。

「蓮は夕食の買い物。車だから、すぐ戻る。夕輝と美雪は部屋にいると思うよ」

「蓮ちゃんって、運転できるんだ」ヒカリは呟いた。

「この家じゃ、運転できないのは夕輝と美雪だけだよ。人口の六分の二だね」

 そうだったのか。自分と同年で運転出来る女性は、ヒカリにとってはマイノリティだ。自分も免許を取るべきか。そんな、全くどうでもいいことをヒカリは考え始めた。


 もう一度口を付けたお茶は、いい具合の温度に下がっていた。


***


 あまりためにならなさそうな話で、時間を浪費してしまった。もともと、大した期待はしていなかったが。肩を落として、ヒカリは自分の部屋に戻ってきた。もう六時四十五分である。

 いい加減、アキラを召還して考えを聞いてみるべきか。


 ヒカリはスマートフォンを取り出して、アキラにかける。夕輝にヒカリを泊めるように頼んだ後、どこかへ行ってしまった。一体どこに行ったのか。

 アキラに繋がり、通話状態になった。

「アキラ? どこ行っちゃったの?」

『ああ、ちょっと……。お前こそ、部屋に案内されたのか』

「とっくのとうだよ。三階の部屋。アキラの隣らしいけど」

『わかった。今から行く』

 アキラがそう言った後、通話は切れた。


 ドアの前で待機していよう。ヒカリは部屋の前の壁に寄り掛かり、スマートフォンを仕舞った。

 アキラはものの数分で現れた。

「どこ行ってたの?」

「その辺だ」アキラはそっけなく答えた。

「まぁいいや。入った、入った。事件を整理してみようよ」ヒカリはドアを開き、アキラを押し込んだ。

「すっかり、我が物顔だな……」アキラは特に抵抗するでもなく、呟いた。


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