「いただきます」
黄身を割るようにしてかき混ぜるのがポイントです、と無表情に君が言う。ボールに割られた卵は手早くかき混ぜられて、いつの間にかみじん切りされたねぎが投入されていた。
卵焼きといったら甘いものしか食べた事のなかった僕に、しょっぱい卵焼きもあるのだと教えてくれたのは君だった。塩コショウと、ほんの少しだけ中華の元も入れて、君は熱したフライパンに少量の卵液を流しいれた。
ボールの先が尖っていて、こういうときのためだったのかと主婦の知恵に脱帽する。固まる前にぐるぐるとかき混ぜて、オムレツを作るように隅っこにまとめて、形を横長に整える。
油を薄く敷き直して、卵液を流し、表面に気泡が出てきたらオムレツの部分をくるりとひっくり返す。いつも思うんだけど、よく箸で出来るものだね。
「慣れです」
にべもなくそう言って、君は少しだけ笑った。僕にしかわからないくらいのささやかな笑みだった。じゅわっと卵が焼ける音と、キッチンに漂うおいしい匂いにおなかがなった。
完璧な朝ごはんと僕が勝手に呼んでいる朝ごはんを、君が作ってくれるようになって半年ほどたつのだろうか。人の縁とは本当に不思議なもので、よく出会いよく恋に落ちたものだと思う。対面式のキッチンで、君は真剣な顔をして卵焼きを作っている。
くるくると、黄色いものが大きくなっていく。黄色によく映える葱の青さがまた食欲をそそるのだ。
君の作るものはなんだっておいしいし好きだけど、卵焼きが一番かもしれない。
「…卵は、」
火を止めて慎重な手つきで香り付けのごま油を数滴垂らしていた君は、その最後の仕事を終えた後に顔を上げてぽつりと言った。
「卵は幸せの象徴ですから」
澄み通った綺麗な眼差しで、君がそういうから僕はそうなんだ、と頷く事しか出来なかった。夫婦になっても変わらないのだなとおかしく思うたびに面映くなる。僕は何度も君に恋をする。
フライパンからまな板へ移動させられた卵焼きは、繊細な君の手で、食べやすく切られている。すっと、切っ先が入って、すとんと全体が落とされる。美しいな、と思う。
「さあ、食べましょう」
何時の間にかお皿に盛り付けられた卵焼きを差し出されて、反射的に受けとる。二人が座れば一杯になってしまう食卓のランチョンマットに、お皿をそっと置く。次々にお茶碗によそったご飯やら、お味噌汁やら、魚の塩焼きやら、豆腐やらが渡されて、最後にはいっとお新香まで出てくる。これの定位置が中央だって言うのも君に教えてもらったな、とぽつりと呟くと、そうでしたね、と向かいに座りながら頷かれる。
「…いつもありがとう」
「え、なんですか急に」
君は照れるといつも何かを触ろうと手が動くからわかりやすい。今だって、あわあわと手が彷徨って、結局急須に触れた。
「君の作るご飯は、…幸せの味がする」
動揺して湯飲み口から少しだけはみ出して、お茶を零す君に気づかれないように笑って、布巾を渡す。反射で受け取った君から、急須を奪って、そっと二つの湯のみにお茶を注ぐ。
「いただきます」
少し遅れて君も、手を合わせて小さく言うのが聞こえた。