第53部分 村木の覚悟 「信じるって決めたの! 疑い続けて幸せになれるの?」
今回の文字数は空白、改行含めて2780字です
5月8日 誤字脱字修正しました
部屋に置いた鏡台の前で姿を確かめる。
姉がかつて着ていた制服だ。
化粧を簡単に済ませる。
あまり彼らを待たせたくない。
鏡に映る自分の姿を観察しながら思う。
どうして自分で自分の事を呼ぶ言葉はたくさんあるのだろう?
私、わたし、あたし、うち、俺、僕、ME。
自分でもどれが自分に相応しいのかわからない。
どれでも違和感なく使い分けられる。
生まれつき体と心の性が一致しない人たちのような過酷な運命を背負わされてしまっている人たちと自分は一緒に出来ない。
そういう人たちは周囲から強いられる一人称に対して強烈な違和感を覚えるらしい。
心の中で人格が入れ替わってしまうわけでもない。
浮かれて我を忘れてしまうことはあっても自分で何をしているかは分かっている。
初めて女性物の服を着て鏡の前にたったときに驚いた。
なりたい自分がそこにいた。
あゆみ。
そう名付けた。
明るくて強くて自由奔放。
そうありたいと願っていた。
かつてあゆみでいる時に暴漢に襲われた。
山川に助けられた。
我に返って暴漢に立ち向かった山川を置いて逃げ出した。
ただ怖かった。
自分は助かった。
怪我もない。
汚されてもいない。
何もなかったんだ。
何度も言い聞かせていた。
暴漢に立ち向かった山川を置いてきてしまった。
警察への連絡もせずに。
気が付いたときには遅かった。
夜が明けていた。
警察を呼んでも間に合わないことは明らかだった。
こう考えてみた。
事件になったら報道されるはずだ。
ニュースを調べて何もなければ忘れよう。
忘れられるはずがない。
暴漢に対する恐怖と恨みが募った。
危険を冒してまで助けてくれようとした山川を見捨てた自己嫌悪と一緒に。
やり返すことも山川を見捨てた罪をつぐなうこともできないと思っていた。
この記憶を死ぬまで忘れられない。
誰にも、家族にもあーちゃんにすら言えずに一人でこの記憶と向き合っていかなくてはいけない。
そんな気持ちが日々強まるだけだった。
山川が『モジャマル』と呼ばれていたことを聞くまでは。
見た目だけではわからなかった。
あのときは顔も良く見えていなかった。
それに山川の体型はあのときと大きく変わっていた。
自分自身復讐などできない。
あんな輩とは関わりたくない。
だが山川の力になれることはあるかもしれない。
そう思った。
だがもう無理だ。
山川にこの事実を隠したままではいられない。
たった二日の間、一緒に過ごしただけで山川に隠しごとをしていることで胸を痛めていた。
告白をして楽になりたかったのだ。
偽善者だ。
せめてその自覚は持つことにしている。
この事実を悪用されれば村木家の名に大きな傷をつけるだろう。
もともと通っていた中学の付属高校に進学する予定だった。
倉田高校に進学したのは父の命令だった。
細心の注意を払っていたが父がその気になれば養子にした少年の行動を調べることくらい簡単なのだろう。
父にも馴染みがあり自分がもともと住んでいた倉田市。
故郷に帰れるのはよかったけど実家に住むことは許してもらえなかった。
村木家の一員であることはそのままに村木家と切り離し目の届く範囲で監視する。
そういうことだと理解した。
傍から見たら女装癖としてしか受け止められないことはわかっている。
国会議員の息子に女装癖があった。
スキャンダルだ。
知ってほしかった。
知ったうえで山川に決めてほしかった。
やっぱり偽善者。
あーちゃんですら知らない女装癖のことを篠原さんにまで教えるのは多少の不安がある。
彼女の話を全面的に信じたわけではない。
『あなたのことが好きになっちゃったみたいなんだけど』
似たようなことは今までに何人もの女子から言われてきた。
それくらいで浮かれたりしない。
それに弱くて情けない自分をあーちゃんは受け入れてくれている。
女装まで受け入れてくれるかはわからないけど。
せめてそれくらいのリスクは負うべきだと思った。
そんなことよりも鞄が気になった。
ただの空っぽの鞄を取り返すためにあんな輩が必死になるわけが無い。
そして、現れた教官と呼ばれる男。
思ったとおりサーティーン活動には大きな組織がかかわってるはず。
だがもうひとつ不安があった。
あーちゃんが山川を意識していること。
あーちゃんの様子がおかしいのはわかっていた。
山川に食べさせるためにすり鉢まで持って来たり、粉末のコーラのパックまで。
あーちゃんがこんなことするなんて見たことも聞いたこともなかった。
それに去り際の篠原さんとの会話。
山川の制服を持ってきてくれるようにスマホのSNSアプリでメッセージを送った。
そのとき聞いてみた。
『篠原さんも一緒にうちに来ることになったけど?』
『別に。いいんじゃないの?』
『あーちゃん。山川のこと気にしてるんじゃないの? 篠原さんがうちに来るの。気にならない?』
『信じるって決めたの! 疑い続けて幸せになれるの?』
『どういうこと?』
『そのまんまだよ。あー君も人を信じる事を思い出して!』
それって思考停止ってやつなんじゃないの?
返信はできなかった。
不安と告白の後に期待できる開放感を天秤に乗せた。
それに女装の事を悪用されて村木家から追い出されるならそれでもいいと思った。
自分からは抜け出せない。
例え誰からも相手にされなくなってもよかった。
それくらいの覚悟はあるつもりだ。
でも誰かに手を汚してほしかった。
ほら。
やっぱり偽善者。
せめてドアを開けるくらいは自分で。
ドアを開けた。
目に飛び込んできた。
キスする二人。
足が震えた。
瞼が細かく動いた。
顎が勝手に震えだした。
目に涙があふれてきた。
山川の後ろ姿を見ていた。
山川は玄関のドアに手をついている。
篠原さんの姿は山川の陰になってよく見えない。
聞こえてきた山川の言葉。
『知らなくてもいいことを知ってしまった。でもそれでよかったんだ』
どういうこと?
知らなくてもいいことってなに?
人がどんな想いで全てを打ち明けようとしたと思ってんの?
篠原さんが誘ったの?
山川がせまったの?
昨日二人であんな写真を撮るくらいなんだからキスくらいしてもおかしくない。
そうは思っても……
涙があふれてきて止まらなかった。
部屋に戻ることも出来なかった。
体が動かなかった。
山川が振り向いた。
その瞳を見ても山川が何を考えているかまったくわからなかった。
次回予告
山川、篠原、村木の3人は話し合いますが……
第54部分「サーティーンの観察 茶番のでばな」
お楽しみに
次回掲載日未定です
申し訳ございません。




