第41部分 山川の回想 それでも月には手が届かない
今回の文字数は空白、改行含めて6109字です
タオルで目隠しをされていた。
篠原さんと村木は俺の後ろに立っている。
なんで?
桂木の声が離れたところから聞こえてくる。
「耳!」
「ああ」
村木が納得したように言う。
「音!音、聞かれたくない」
ああ、俺も納得。
こんな距離で聞こえるわけがねぇだろ。
と思いつつ、桂木にわかりやすいように両手で耳をふさごうとした。
村木に言われた。
「しばらく、退屈だろ。これ聞いてろよ。俺この曲が大好きなんだ。」
俺の両耳にイヤホンがそっと差し込まれた。
「俺、パンクが好きなんだけど」
アイドルとアニソンの次にな!
念のため村木にもちょっぴりワルな俺をセルフプロデュースしておいた。
「たまにはこういうのも聞けよ。人に勧められたものを試すってのは、結構発見があっておもしろいぞ」
しばらく待っていると、歌声が聞こえだした。
いかにも、大人の女、という感じの歌声だった。
すぐにわかった。
クソっ。
俺の脳内ビジョンが見飽きた思い出を映し出していた。
うんざりだった。
ただこの脳内ビジョンとの付き合い方も知っていた。
放っておけばいつか消える。
他の事を考えようとすればするほど、他の事をしようとすればするほど消えてくれない。
俺はしばらく脳内ビジョンに付き合う覚悟を決めた。
中学2年の夏休みの日が映し出される。
柔道部の練習の帰り道、仲間たちと喋っているうちに結構遅い時間になってしまった。
でも、その日は俺が読みたかったライノベル小説の発売日だったから、家に荷物を置いて自転車で24時間営業している結構大きめの駅前の本屋に行った。
立ち読みをしていると声をかけられた。
「相変わらず本を読むの好きなんだね?」
小学校の卒業式以来だった。
大人っぽい服装で、髪も長くなっていて、爪も少し伸ばしていた。
ジャージ姿でライトノベル小説を読んでいることが少し恥ずかしくなって何も言えなくなってしまった。
「久しぶりだね」
俺は何も言葉に出来ない。
「あれ? っていうか、もしかして私のこと覚えてない?」
「覚えてるよ」
「ふうん。じゃあ私の名前言ってみてよ。山川」
「宮本だろ。宮本沙羅。覚えてるっての」
初恋の相手だ。
忘れるわけが無い。
「そういやお前。学校私立なんだろ。なんか都会の方の?」
「そうだよ。夏休みだからさ。遊びに来ちゃった」
「そうなんだ。家から通ってるんじゃないんだ?」
「そりゃそうだよ。遠いもん」
「え? まさか一人暮らし?」
「そんなわけないって。親戚の家にお世話になってるの」
「そうか。大変だな」
「まあ、それなりに気を使うからね」
「なあ。今度来るときは教えろよ。お前に会いたがってる奴。結構いるんだぜ」
「うん。いいよ。スマホ買ってもらったからさ。番号交換しようよ。」
「いや、俺、スマホ持ってないんだ」
「そっか。じゃあ、今度おうちの方にかけても大丈夫かな?」
「も、もちろん。家の電話に出るの、俺しかいないから」
その時スマホの着信が鳴った。
宮本はバッグからスマホを取り出した。
「あ。ごめん。もう行かなきゃ」
スマホを握ったまま俺に手を振った。
俺が小学校の卒業式の日にあげたストラップが揺れた。
俺が手を振り返す。
宮本の顔を見ても俺はは笑っているのか困っているのかよくわからなかった。
宮本は俺から顔を背けてスマホを耳にあてるとそのまま店から出て行った。
着信音はジャズだった。
俺が宮本に聞かせた曲。
放送委員にリクエストして給食の時間に放送させた。
隣に座る宮本にカッコつけて教えた。
『この歌。好きって言えないからそのかわりに月に連れて行ってって歌ってるんだぜ』
宮本が店を出てからもしばらく自動ドアの方を見ていた。
暴走族のバイクの爆音が本屋の中まで鳴り響いて我に返った。
暴走族が数台で駅のロータリをグルグルとまわっている見慣れた景色が頭に浮かんだ。
なんで『送っていくよ』ぐらい言えなかったんだよ。
俺は自分を叱りながら、駅の周りをうろついた。
心配しすぎだとはわかっていた。
でも、彼女がヤンキーや悪い大人たちに絡まれていたりしたら。そう思うと、いてもたってもいられなくなっていた。
あてもなく駅のトイレの前で出入りする人をチェックしたり、薄暗がりの中を覗き込んだ。
駅のロータリーでは騒音をまき散らしながら暴走族が浮かれた声で叫び続けていた。
警察官が何人か暴走族の様子を見ていた。
大丈夫だ。
警察もいるし、なにより、奴らはアホみたいにロータリーをグルグル回っているだけだ。
俺の考えすぎだ。
そう自分に言い聞かせて帰ることにした。
自転車のペダルを漕いでる途中に苦笑いが漏れた。
こんなに汗だくで必死に探し回ってるんだ。
俺はまるでストーカーじゃないか。
見つからなくて逆に良かった。
宮本に変な誤解をさせたかもしれない。
そう思ったときだった。
通りがかった公園の方から叫び声が聞こえた。
体がビクッとした。
声のした方を見る。
何を言ってるかまではわからない。
けど、キレた男が叫んでいるのだけはわかった。
ヤンキー同士の揉め事には関わりたくなかった。
だけど、もし、あの場に宮本がいたとしたら。
そう思いついてしまった。
気が気じゃなくなる。
自転車を止めて、様子を見ることにした。
「キャッ」
女の人の短い悲鳴が聞こえた。
思わずポケットに手を突っ込む。
あるはずのないスマホを探した。
駅まで警官を呼びに行くことも考えた。
間に合うわけがなかった。
左右を見渡しても誰もいなかった。
思わず夜空まで見上げた。
ぼんやりと月が浮かんでいるだけだった。
「お、お願いです。も、もう許して」
女の人の声が聞こえた。
気が付いたら全力でペダルを漕いでいた。
そのまま公園のなかに突っ込んだ。
しゃがみこむ女の人、スーツを着ているように見えた。
その女の人と向き合う何人かの人影。みんなカジュアルな格好。
女の人の前に自転車を止めて人影と向き合った。
「何だ、てめえ」
「いや、今日はケーサツもすげえいるし、ここでのもめ事はやめた方がいいっすよ」
とにかく低姿勢で話した。
「何だこら? てめぇ」
膝が震え始めるのがわかった。
ここから先はもうどうしていいかわからなかった。
ただ誰かが助けに来てくれないかと祈っていた。
目を開けていられなかった。
「あれぇ、お前さぁ、モジャ丸かよ?」
呑気な女の声がした。
クラスメイトの飯島の声だった。
飯島に他の奴らを説得してもらいたかった。
「ああ、さっき警官が沢山いたし、もめ事はやめといた方がいいよ」
「うるせえ! 指図すんな!」
厄介な奴がいた。うちの中学一の不良、沢田だった。
一年のころから上級生と喧嘩を繰り返し、一年の二学期が始まったころには奴が学校の王となっていた。
沢田のグループに入っていない俺は同じ学年でも奴に敬語を使わされていた。
「すいません。でも、ヤバイっすよ」
「バカか? てめえ。そんなの関係ねえよ」
沢田を怒らせた。
もう俺には打つ手がない。
何をしても、俺も女の人もボコられる。
俺は男だからボコられるだけだろうけど、女の人は何をされるかわからない。
『ヤバイぞ。なんとか言ってくれよ』
そんな情けない気持ちで振り向いて女の人を見た。
俯いて髪の毛で顔が隠れて良く見えなかった。
「モジャ丸ぅ、その女さぁ、どう思う? 聞かせてみぃ」
飯島の声が後ろから聞こえた。
この女の人のことは褒めておいた方がいい。そう判断した。
顔もよく見えないのに。
俺は飯島の方に向き直って言った。
「いや、すげえキレイだと思うけど。」
公園に爆笑が響いた。こいつらの機嫌が直った。
そう思って、ホッと一息ついたときだった。
「モジャ丸ぅ。あんたさぁ。ソイツとさぁ、やりたいっしょ?」
人を小馬鹿にするようにヘラヘラと笑いながら飯島が言う。俺の後ろで、女の人がシクシクと泣きだす。
いくら俺が非モテだからって、こんなのはゴメンだ。
「いや、いいよ。だって沢田さんたちのお友達にそんな真似できないって」
「友達なんかじゃねえぞ?」
太ももで鈍い音がした。音の後にジンジンと熱と痛みでうずき始めた。
沢田に蹴られたと分かったときには俺は跪いていた。
自転車が倒れる音がやけに大きく感じた。
頭の上でからかうような言葉が行き交った。
「いいからヤレよ。手伝ってやるぜ」
「ヤーレ、ヤーレ」
みんなで声を合わせてはやし立てる。
俺はただ怖かった。
膝が震えて力が入らない。女の人のすすり泣く声がやけに大きく聞こえる。
「オラ、ボコられてぇのかぁ? ヤッて男になれよ」
見たこともない大柄な男に後ろから抱きかかえられて無理矢理立たされた。
「ホラぁ、あんたもぉ」
飯島が女の人の髪を掴んだ。
女の人は頭を押さえながら、黙って立ち上がった。
「きったねぇー、死ねばぁ。ブスなんだしさぁ」
髪を引っ張られた彼女の顔が見えた。
『涙で化粧が落ちてパンダみたいだ』
こんな時に俺もひどいことを考えていた。
「パンツはぁ。自分で脱げよぉ。おめぇ。ブスなんだからぁ」
公園の中が一気に静かになった。
俺はただ彼女を見ていた。
彼女はスカートの裾を掴もうとしていた。手が震えてうまくないかない。
「ホラホラぁ。ギャハハ! こんな顔してさぁ。こいつマジビッチぃ。チョーうけんだけどぉ」
飯島は何度も手を叩いて笑っった。
飯島の目が見えた。
妙にギラついていた。
視線を逸らして俯いた。
飯島の足首には紫色した薄手の布きれが引っかかっていた。
俺は女の人の足元を見た。
そして視線を上げていく。
つま先を内側に向けたローファー。
黒のハイソックスのうえで震える膝。
街灯の光を反射して妙に輝く彼女の手にまとわりついた白い液体。
小さく途切れ途切れなか細い声。
口元を見た。
白く汚れていた。
その口が動いた。
「たすけて」
声はなかった。
でもわかった。
「女に恥かかせんなよぅ。ブスでも女なんだからぁ。お前がぁ。脱がしてやればぁ?」
飯島のふざけた調子の声が鼓膜を揺さぶった。
俺は言った。
「言うこと聞くから放してください」
体が自由になった。俺は彼女の足元にかがみ込んだ。
彼女の顔を見上げた。
両手で顔を覆っていた
その遥か後ろ。
遠く離れたところに見えた。
ぼんやりとした月。
その瞬間だった。
周りの音が消えた。
砂を握り込んだ。
奴らに投げた。
自転車を振り回した。
俺の頭の中にパンクロックが流れ始めた。
一瞬だけ見えた。
女の人というほど大人じゃなかった。
見慣れない制服を着た女子の走り去る後ろ姿。
そこから先はよく覚えていない。
気が付くと俺は身動き取れなくなっていた。
俯せで寝ころんでいた。
俺の上に何人か乗ってる。
そのことに気が付いた。
ふと見ると俺の手の甲はところどころ赤く染まっていた。
そして俺の手首が握られているのに気が付いた。
『シコるたんびに思い出せや。童貞野郎』
沢田は捻じ曲げるように俺の手のひらを上に向けさせた。
血でまだらに染まるナイフを俺の手のひらに当てがった。
『痛いというより熱いんだな』
そんなことを考えながら俺の手のひらで踊るナイフを見ていた。
沢田達が消えてからしばらく公園で寝転がっていた。
夏の湿った空気の夜空に月がぼんやりと見えた。
血に塗れた腕を月に向かって伸ばしてみた。
頭の中には宮本に聞かせた曲が流れ続けていた。
夏休みが終わって学校に行った。
黒板のスペースを全部使って書かれていた。
『モジャ丸はレイプ野郎!』
「どーん」
桂木の声だった。
イヤホンをしていても聞こえたでかい声。
脳内ビジョンは砂嵐を映し出す。
俺は現実に戻った。
倒れこんでいるのに気が付いた。背中に乗られた。
背中には圧力と体温。鼻にはシャンプーの香り。クソッ。
桂木の体が密着してるからじゃない。地面に股間が擦れるからだ。
自分にそう言い聞かせた。でも、気持ち良すぎた。
白い衝動を撒き散らす覚悟を決めた。
「あひゃひゃひゃ。やめろよ。苦しい」
くすぐられていた。助かった。
ヤバかった。
気が付くと体が軽くなっていた。
火照った背中を春の風が通り過ぎていくのを感じた。
ゆっくりと立ち上がる。
もちろん絶妙な位置の前屈みになったらそのままキープ。
ジャージはバレやすいからな。
さっきは分身の主張をさらしものにされたからな。
俺だって学習くらいはする。
篠原さんを照れさせちゃ可哀想だもんな。
いつだって俺は大局を見て行動するのさ。
だけど抗議はさせてもらうぜ!
「な、何すんだよ!」
「悪かった。ちょっと調子にのっちまった」
村木が目の前で手を合わせて頭を下げる。
桂木が割り込んでくる。
「いいって。あー君。こいつにはお仕置きが必要なんだから」
「どんなお仕置きだよ!」
「コチョコチョの刑にきまってるでしょ! やられててわかんないの! そんなことよりさ、あんた、どっちが上に乗ったと思ってんのよ?」
「そりゃ、お前だろ」
「キモ」
「俺だよ。上に乗ってたの。いくら何でも女の子のあーちゃんが、そんなことするわけないだろ」
「普通の女の子は人のこと突き飛ばさないけどな」
「どうでもいいけど、お前は俺をどう見てんだよ。さっきから」
「地面に擦れちゃったからだよ、とかいろいろあるでしょうが」
「どっちが乗ったかって聞いたのお前だろ。って、もしかしてあれもトラップか」
二人はニヤニヤしていた。
思わず聞いた。
「なあ、俺、お前らになんかしたか?」
「私の味噌汁選ばなかったでしょうが!」
桂木が叫んだ。
村木は苦笑いを浮かべていた。
篠原さんは桂木に寄り添い肩をポンポンと叩いていた。
次回予告
山川たちは徒歩遠足大会に移動するために片付け始めますが朝から食べ過ぎの山川の体に異変が起き……
第42部分 「人の風上にも置けない奴にも事情はあるけども」
4月22日(水)午前7時掲載予定です




