5 猫探し
学生食堂にあらわれた後輩、柴田早紀。その表情はいつもと違っていた。
よく知る後輩の落ち着いた雰囲気を察知して、進一はゆるりと箸をすすめる。ランチセットの豚汁は煮詰まっていた。濃厚なスープに舌の感覚はやられているが、そんなことは表に出さず、余裕のある態度で対応しなければならない。
静かな動きで、早紀が来る。
目礼を交わして、無言のまま正面の席に座った。
相手の出方がわからない以上、先手をうってみるのも一計。
「八代さんなら、まだ研究室にいるぞ」
進一は箸を休めることなく、早紀を見ることなく声をかけた。が、早紀は何も答えることなく、進一との間に紙袋を置いた。紙袋の中からカスタードプリンを取り出すと、微笑みをつくりあげ、またひとつ、今度は抹茶プリンをならべた。
「なんの見返りも期待せずに先輩へプレゼントとは、いい心がけだ」
進一の反撃に、焼きプリンをならべようとした早紀の動きがとまる。
「どうした? プレゼントを贈っておいて、なに受けとってんだコノヤローとか、言うわけないよな?」
進一はコロッケを食しながら、微笑みをととのえる後輩の姿を観察した。無言の圧力に負けたのか、早紀は慣れない作業に失敗して結局はあきらめた。
いつものようにけらけらと笑い進一に詰め寄る。
「もちろん三個とも献上いたします。わたくしはただ、佐山代表にプリンを召し上がっていただきながら、我らが大自然研究会期待の新星、西園寺文恵について聞いていただきたいと思っただけのことであります」
「猫好きの西園寺さんか」
「そうです。猫依存症の文恵です」
「期待の新星とは初耳だ」
「そう、それです。ぜひとも佐山代表には、彼女の素晴らしい能力を知っていただきたい」
進一がコロッケを食べ終えると、早紀は「お茶をお持ちいたします」と言って席を立った。
「文恵はときに迷い猫を探しております。見つけ出しては保護し、依頼者のもとに届けるわけです。礼金が出るなら受け取りますが、基本はボランティアであり、彼女の生きがいであります」
進一はお茶をすすりながら続きをうながす。
早紀はプラスチックのスプーンを紙袋から取り出した。
「私も猫探しを手伝ったことがあるのですが、文恵の猫レーダーはじつに素晴らしい。探しているうちに感覚が研ぎ澄まされてゆくようで、その直観力と行動力は驚異的です。あの能力をなんとか別方面で生かせないかと、そんな思いで説得を重ね、ようやく先日、我が研究会に入会させた次第です」
「別方面というのはなんだ。UFOか? 妖怪か? そんなんでどうやって説得したんだ?」
視線をそらした早紀は、スプーンを保護するビニール袋を指先で破いた。
「そのへんはおいときましょう。いずれお話はさせていただきますが、その前に、佐山代表には文恵の能力をじかに見届けていただきたい」
「いや、いいよ」
「いやいやいやいや。じつは文恵に猫探しの依頼がありまして、明日にでも猫の捜索がはじまります。ぜひとも佐山代表には、今回の機会をつかんでいただきたい」
「パス」
「そんなことをおっしゃらずに、ささ、どうぞ」
お召し上がりください、と早紀はスプーンをカスタードプリンの上に置いた。
「ちなみに、文恵はいま部室におります」
進一は嬉しそうな後輩に無言の圧力を加えたあと、カスタードプリンを引き寄せてペリペリと蓋をはがした。早紀の企んでいることはだいたい読めている。そしてなにより、これらのプリンはなかなか捨てがたい。
「あとの二つは、部室でいただこうか」
進一の答えに、早紀は黙って頭を下げる。
頭をあげた早紀の顔は、ずいぶんと得意気にみえた。なんだかんだといっても、この人は頼みを引き受けてくれる。それを知っている顔だった。
「うち、ちょっと野暮用がありますんで」
そんな言葉を残して早紀は逃げた。進一はかまわずに旧校舎へ向かう。紙袋を片手にぶらぶらと歩き、大自然研究会の部室前で足を止めた。以前とは何かが違う。原因を探って、違和感の正体はすぐに知れた。入り口の張り紙に、先日までなかった茶トラ猫のイラストがある。
こうもあっさり猫色に染めるとは、なかなか手ごわい。
さすがは柴田の一押しだと、進一は妙に納得しながら部室のなかに入った。
部室には、文恵のほかにUFOメンバーが三人いた。
文恵は彼らと同様にノートパソコンを開き、しっかりと馴染んでいる。
「なんだ、猫探しはみんなでやるのか?」
進一がたずねると、文恵以外の人間が口々に声をあげる。
「いえいえ、僕らは違いますよ」
「佐山さんだけです」
「ほら、言ったとおりだ」
これまでにどんな会話がなされていたのか、容易に想像がついた。
「まさか、ほんとうに佐山さんが来られるなんて」
すみません。
文恵は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ああ、気にすることはないよ。それより、柴田はなんて言ってた?」
「……代役はいるから、猫探しはパスしたいと」
やはり、お前の身代わりか。
「思ったとおりだな。あいつは以前から猫探しの約束を?」
「はい。わたしがここに入るなら、いつでも手伝ってあげると」
「そうか……で、あいつは何でパスしたいって?」
「それは、その、用事がある、とは言っていましたけど」
UFOメンバーにも心あたりはないという。
本当に用事があるのか。なにか行きたくない理由があるのか。それとも、ただ面倒なだけか。
理由はあとで本人から聞きだすとして、進一は文恵から猫探しの詳しい話を聞いた。
依頼者は猫カフェで知り合った猫仲間の知り合いで、隣町の住人。二人で行くと伝えており、交通費は依頼者が出してくれる。明日の午前中には自宅を訪れて、近所の捜索をはじめる予定。見つからなければ暗くなるまで捜索をつづける。動きやすく、汚れてもかまわない服装。進一が用意するものはとくにない。現地集合と決めて、お互いに携帯電話の番号を登録しあった。
「たぶん一日つぶれますけど、大丈夫ですか?」
「かまわないよ。明日はバイトもないし、院生からも、たまには休めって言われているから。じゃあ、向こうの駅に九時集合ってことで」
進一はイスに座ると、紙袋から報酬を取り出した。
プリン二個で買収されたのかと外野が騒ぎ出す。
進一は「三個だ」と言いきって、抹茶プリンの蓋をペリペリとはがした。
午前九時、十分前には二人とも集合場所にいた。
地味で大人しく猫まみれという印象しかない文恵だったが、今日は違う。ジーンズにスニーカー、薄手のジャージといった活動的な服装をしており、ツヤのある黒髪をうしろで束ねて、整った顔が正面を見据えている。その眼差しは力強く、ポシェットを彩るトラ猫さえ、虎のように睨んでいる気がした。
文恵は挨拶もそこそこに歩きだし、「さあ、いきましょう」と頼もしい言葉を発した。
なかなか、おもしろい。
進一は笑いをこらえながら、リーダーシップを発揮した文恵のあとに従った。
依頼者の安藤夫人宅で、失踪したシャム猫ジェームスの話を聞く。
「今日で三日目になるの」という涙ながらの訴えに文恵はもらい泣き、進一は何ひとつ口をはさむことが出来ないまま、黙って立ち続けることになった。猫仲間による玄関先の会話は長々とつづき、三十分後、失踪猫ジェームスの写真を預かり、ようやく捜索活動を開始した。
まずは自宅付近を捜索するとのこと。
地図を見ながら、文恵が指示を出す。
「ではとりあえず、この道路沿いを探しましょう。佐山さんはあちらの壁に沿って進んでください。陰になったところや溝のほうもしっかりとお願いします」
了解、と言った進一だったが、ふっと思いたち聞いてみる。
「猫探しをするうえで大事なことって、なにかある?」
文恵はすこし腫れた目をこちらに向ける。
すべてを慈しむような優しい笑みをたたえ、コクリとうなずき進一に伝える。
「勘と、執念です」
ゆったりとした口調は愛に満ちていたが、なんとなく、ゾッとした。
捜索活動は、実りなく一時間を過ぎた。道路の反対側では、文恵が側溝に頭を突っ込んでいる。心地よい陽射しを浴びて、溝からは臭気が漂っていた。進一も顔を突っこみ、何度となくむせている。ときには通り過ぎる人々の視線が突き刺さり、精神的にもなかなかハードな作業だった。
彼女は臭気や視線など気にもとめていない。
ものすごい集中力だと感心しながら、進一は地道に捜索をつづけた。
大きな通りにぶつかると、文恵は地図を取り出して捜索場所の変更を決めた。
「そんなに遠くじゃ、ないと思います」
文恵は地図をぼんやりと眺めながら、このあたりかなぁと指でなぞる。
なにやら池のようなものがあると思えば、大きな寺の敷地内だった。依頼者の自宅から百メートルほど北に位置している。
進一に反対する意思はなく、ふたりはお寺をめざした。
壁の隙間などをチェックしながら、参拝道の入り口で足を止める。『ハトや猫にエサやり禁止』と看板が立っていて、文恵がつま先でちょこんと蹴っていた。
由緒あるお寺のようで、敷地は広く木々も多い。猫の隠れそうな場所などいくらでもありうる。
「野良猫が、いるんだろうな」
「参拝料がいるみたいですし、敷地内は後回しにしましょう」
口調に変化はないが、文恵が機嫌を損ねているのは進一にもわかった。その気持ちも理解はできる。
「じゃあ、ぐるっと回ってみようか」
進一は同意して、少しうつむいている文恵とならんだ。
塀に沿ってふたりは歩く。
このあたりにはいないと見切りをつけているのか、文恵は見回す程度で歩いている。
お寺の周囲は二キロほどあった。途中には生垣があり、竹やぶもあり、池に流れ込む小川と橋もある。猫にも三匹出会った。野良猫たちは、ふたりに気づくとすぐに身を隠す。
「あらためて、プータローのふてぶてしさを実感するな」
「プーちゃん、また来たんですか?」
「プーちゃんね。昨日も来たよ、夕食中に」
そうですか。
文恵はつぶやき、進一よりも一歩前にすすんだ。
「うらやましいです。わたしのマンションなんて、ペット禁止なんですよ。猫の訪れる部屋なんて最高じゃないですか」
前を向いたまま、文恵はそう言った。
大学を選ぶとき、一人暮らしをすることを許されても、ペットと住める部屋は反対されたという。
「父親と母親の両方から、絶対にダメだと大反対されちゃいました」
なんとなく、わかる気もするな。
進一が感想を口に出すと、振り返った文恵に恨めしそうな目で見られた。
「うちのアパートは適当だからね。大家さんの飼い犬も、ほとんどアパートの住人が世話をしていた感じだったし。野良猫がやって来るような、オーラかなんかが出てるんだろう」
進一は独り言のように語り、文恵のあとをついて歩いた。
しばらく歩くと、文恵の歩き方が慎重になってきた。ゆっくりと、なにかを確かめるように進んでゆく。塀の向こう側には木々が茂っていた。いかにも潜んでいるような雰囲気があり、進一も、気にすれば気になる。
塀が途切れて、格子状の鉄門があらわれた。
池が見える。
参拝道の反対側に位置するらしい。
鉄門には鎖が巻かれ、南京錠で施錠されて、『関係者以外立ち入り禁止』と大きな札が貼られている。
「行きましょう」
文恵はさらりと言った。
たしかに登って越えられない高さではない、が、そこは問題ではない。
進一は念のために、万が一のために確認をとる。
「それは、不法侵入だよね? 見事なまでに」
文恵は「たぶんぎりぎりでセーフです」と根拠のないことを言って、足をかける位置を探していた。
やはり、真っ当ではないことを自覚はしている。理解したうえで乗り越えるつもりだ。
おもしろい、と進一は笑う。
止められないことはわかっていた。猫に対する執念をまえに、法律順守の精神など無きに等しい。あたりに人はおらず、もしも見つかったとしても、自分たちは失踪した猫を探しているにすぎない。しかし、それでも進一の良心は聞かずにはいられない。
「ジェームスがいるとは限らないだろ?」
文恵は振り返り進一をみた。
意外そうな顔をしていたが、すぐにニッコリと笑顔を咲かせた。
「大丈夫ですよ。わたしの勘は、そこらへんの動物霊より当たりますから」
そうかるく言ってのけて、ふたたび鉄門に足場をさがした。
進一が何の反応もとれないうちに、文恵は鉄門のうえに立っていた。向こう側に降り立ち、あたりを警戒してしまった進一を忘れて、さっさと奥へと進んでゆく。
我にかえった進一は、頭をかきながら苦笑した。してやられた気分だったが、なかなかおもしろい。進一はすぐに文恵を追いかけて不法侵入をはたした。
ざっと見回す。
文恵は下草を踏み分けて木々の間をすすんでいた。
進一が近くまで寄っていくと、文恵が手をあげて止める。その理由は、すぐに察した。忘れかけていた目的を見つけて、ほんとにいたよ、と心のなかで感嘆の声をあげる。
文恵はポシェットからスライスチーズを取り出した。包装をはがして、目の前にいるシャム猫にちらつかせる。お腹を空かせていたのか、よほどの好物なのか、ジェームスは文恵の手からすんなりとチーズを食べた。
逃げそうもないので、進一は文恵のとなりまで近づいた。
「どうやら、共犯者になった価値はあるらしい」
文恵は得意気な笑みをみせて、そっとジェームスを抱きかかえた。




