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さよならキャット 【修正版】  作者: 京本葉一
スイーツタイム
12/35

10 猫がいてもいなくても

 西園寺文恵は、進一の連絡を待っているほど大人しくはなかった。


 進一がバイト先からアパートに戻ると、犬小屋の裏に隠れようとする文恵がいた。

 文恵は用意された雑炊を、肩身を狭くしながら食べていたものの、結局プータローは姿を見せず、キャットフードと牛乳プリンを残して帰ることにした。肩を落としながら、進一に慰められながら夜道を歩き、駅の改札口で進一に見送られる。


「プーちゃん、明日は来るような気がしてきました」

「それはなに? 明日も見張りますってこと?」


 別れる間際の宣言に、進一がやれやれと頭をかいた。


「来るなっていっても来るんだろうな……じゃあ、犬小屋のなかに部屋のカギを入れておくから、部屋のなかで待ってればいいよ。テレビを見るなりコーヒーを飲むなり、好きにつかってくれ」


 慌てはじめる文恵を見て、「牛乳プリンのお礼だ」と進一が笑う。

 明日はプリンを持ってこないよう告げて見送った、その翌日、部屋には文恵と早紀がいた。




 進一が部屋に入ると、後輩たちが座ったまま声をかける。


「あっ、おかえりなさい。お邪魔してます」

「すいませんけど、先にいただいてます。佐山さん、いつ帰らはるのかわからんかったんで」


 帰ってきたならば、アパートの前に見たことのある軽自動車が駐車してある。そのときすでに早紀がいることを疑ってはいたが、しかし、早紀と文恵という女ふたりが、至極当然といった態度で塩ちゃんこを食べていたのは予想外だった。しかも文恵は酒まで飲んでいる。カセットコンロや土鍋や食材はもちろん、日本酒までも用意して、他人の部屋で勝手に鍋料理をつくっていたのは早紀に違いない。早紀は下戸であり、酒は飲めないが、脳内でアルコールが作られているのではないかと進一は唸った。


 進一は何か言ってやるつもりだったが、早紀の計略にしてやられた。

 空腹を刺激する匂いが、進一に文句を言わせなかった。


 進一は黙々と食べつづける。文恵が寂しげに手酌で飲んで、「プーちゃん、来ませんでしたね」と進一に愚痴る。進一は適当に相手をしながら、鳥団子を噛みしめて味わい、冷酒をなめた。くやしいことに、じつにうまい。食べれば食べるほど箸が止まらない。


 早紀は料理の感想を聞こうとはせず、してやったりの顔で鍋を仕切っていた。まともな手料理に飢えた男の評価など聞くまでもない。そして理解していた。何も言わせないことが、貸しを大きくするのだと。

「今回はラーメンで締めますんで」

 早紀が土鍋に中華麺を投入すると、進一が箸を止めて表情を曇らせる。

 土鍋だけを見ている男を横目に、早紀は完全なる勝利を知った。



「で、なんでお前までここにいる?」


 文恵と杯を重ねていた進一が、余裕に満ちた早紀をみる。

 胃袋をつかんだ男の問いかけに、早紀はケラケラと笑った。


「なんでって、浮かれきった文恵を目撃したら気になりますよ。で、なんかあったんって聞いたら嬉々としてしゃべってくれまして。なんでも佐山さんとこのプータローは初猫のプータローに間違いがないとか。そんなん、ほんまやったら完全に化け猫ですやんか。うちかて会いたいですよ」


「化け猫じゃないよ天使だから。プーちゃんは天使だから長生きなの」


 さすがに酔ってきた文恵が「そうですよねぇ?」と進一に絡む。

 進一はうんうんと肯きながら、文恵の杯に酒をついだ。


「化け猫だとは思いたいけどね。実際は、ただただ生意気な野良猫だと思うぞ」


 ぐいっと飲み干す文恵の杯に酒を注ぎたし、進一もちびちびと酒を楽しむ。


「そらそうでしょうけど、うちは夢見る乙女ですからねぇ。可能性があるってゆうなら、拝ましてもらいたいもんです」


 進一は何か言いかけたが、杯を乾かして頭をかいた。


「……で、ほんとうにそれだけか?」


 早紀は勝者の笑みを隠そうともせず、進一の杯に酒を満たす。


「合宿のことですけど、文恵には、なんとしても参加して欲しいと思ってるんです」


 見れば文恵はうつらうつらとしており、どうやら会話は聞こえていない。


「化け猫のつぎはツチノコか。まあ、あの直感力が猫以外のターゲットに通じるのかわからないけど、期待したい気持ちはよくわかる」

「さすがは代表」

「でも、強制はしたくない」

「いやいや、べつに嫌がってるわけじゃないんですよ。ただ、プータローのことを考えると、渋る可能性も出てきたんです。そんなわけで、佐山さんも合宿に参加してもらえません?」


「なんか、急に話が変わってないか?」


「いえいえ、佐山さんが合宿に参加したら、文恵もあきらめるはずです。佐山さんの許可もなく、この部屋を使うことはないと思うんですよ」


「許可を出すな、ということか。いざとなったら、外でテントを張るような気もするけど」


「それに、人手は多いほうがいいですから」

「そっちが本音か?」


「今回も参加率はいいんですよ。けど、佐山さんと一条の兄さん。大自然研究会の双璧が両方ともおらへんと、やっぱり寂しいですしねぇ」


 四回生になって、大自然研究会の活動には距離を置いている。影響力を減らしてゆくためであり、バイトの時間を増やすためでもあった。夏が過ぎる頃には、忙しくなるはずだ。奨学金があるとはいえ、稼げるときに稼いでおいたほうがいい。毎年恒例のツチノコ探しも、今回は不参加を決めていた。


「打てる手はすべて打つ、か……八代さん、これだけは本気だからな」

「どうしても見つけたいみたいですねぇ。ああ、そういえば言うてましたよ。いろいろ大変やけど、就職活動せんでええだけ助かってるって」


 早紀は進一に酒をすすめる。進一は頭をかくと、残っていた酒を一気に飲み干した。つがれる酒をながめながら、ふっと笑って早紀をみる。


「にしても、けっこう尽くす女だよな」


 進一の振りに、早紀は一瞬押し黙った。

 そのあとケラケラと嬉しそうに、笑いながら進一に告げる。


「そりゃ惚れた人には尽くしますよ。うちは夢見る乙女ですからねぇ」


 さすがちょっと恥ずかしかったらしい。

 進一の制止を無視して、溢れんばかりに酒をついでいた。




 鍋セットを放置して、女たちは帰る。

 早紀は動かない文恵を置いていこうとしたが、そこは進一が「ふざけるな」と一喝した。文恵を連れて帰ることになるが、そこは早紀が手伝いを求めた。

 仕方なく進一も車に乗り込み、いっしょに文恵のマンションに向かう。

 文恵を背負った進一は早紀に導かれ、猫グッズにあふれた部屋まで文恵を運んだ。ベッドに寝かしたところで文恵が目覚め水を求めた。大丈夫とはおもわれたが、進一と早紀はしばらく文恵の様子をみていた。文恵が自力でトイレまで動けるのを見届けて、二人は文恵の部屋を出る。文恵がふらふらと玄関までやってきて、見送りながら進一に告げる。


「今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」


 進一は早紀の運転でアパートまで戻った。

 送迎の礼をいうと、「とんでもない」という返事がきた。


「それでは合宿の件、よろしくお願いします。今度よせてもらうときは、酒の肴も考えときますんで」


 運転席から言い放ち、早紀は車を走らせて帰っていった。

 何も言ってはいないが、進一の結論は出ている。そして早紀はわかっている。間違いなくわかっているだろうと、進一は理解している。


「やれやれ、だな」


 どいつもこいつも、思った通りにはいかないらしい。

 笑うしかないなと苦笑する。


 部屋にもどってきた進一は、散らかった流しをみて見ないふりをした。


 いまはプリンも食べられない。

 片付けるのもシャワーを浴びるのも、全部まとめて明日がいい。


 睡魔の誘惑にしたがい、敷いた布団に倒れこむ。

 眠りに落ちるまでのわずかな時間、思い出すのは理香の声。

 稽古に影響を与えた恐れはあるが、電話をして、声を聞けてよかったと心から思う。大切なものを失いそうな、漠然とした予感があったとしても、感じる不安はかすかなものに過ぎず、大きくなることもなく消えていく。

 理香に望まれているのなら、怖いものなどなにもなかった。

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