引っ越し
序章「因果律のユビキタス」
かーごーめーかーごーめ
かーごのなーかのとーりーは
いーつーいーつーでーあーう
よーあーけーのーばーんに
つーるとかーめがすーべった
うしろのしょうめんだーあれ?
自由って言葉の意味を履き違えているやつは意外に多い。何にも囚われず、勝手気ままにフラフラする。それを自由だと勘違いしている連中だ。そんなもん、自由でもなんでもねえ。ただそこにいるってだけだ。
本当の自由ってのは、不自由の中にあるもんだ。
鈴木、田中、渡邊……もう顔も思い出せないほど関わりの浅かったヤツらは、俺が転校してきたときも、するときも、「お前は自由でいいよな」なんてことを言ってやがった。親の転勤に引っ張り回され、転校に転校を重ねている俺は、連中からみれば自由に見えるらしい。が、その実、俺はかなり不自由な生活をしていた。
次々と転校していたから友達なんて出来なかったし、部活も一切やることは無かった。
いつしか俺は人と距離を置き、一歩身を引いて生きるようになっちまった。
いちいち転校するのが面倒になった俺は、次に転校する時、全寮制の学校に編入することを希望した。親父もおふくろも驚いちゃいたが、俺の希望を受け入れてくれた。あるいは、俺の存在はただ荷物になっていたのかもしれない、なんてネガティブなことを考えたりもしたが、ともかく、俺は転校続きの生活から解放されたのだ。
これからは、新しい場所で、自分の気の向くままに過ごすことができる。変わらず不自由はあるだろうが、今までの状況からすれば、かなり自由になれたのだ。
長い間のっていたバスを降り、俺は早速、寮へと向かって歩きだした。
荷物の大半は郵送することになっているから今は手荷物くらいしかないのだが、つくづく、この選択をした自分をほめたい。
バス停は“風丘学園寮前”となっている。確かに今俺が経っている場所は“寮の前”ではある。ただし正門の前だが。
「でけーなー、おい」
パッと見ただけで、5つの建物が建っている。一番近くの建物までは、ゆうに100mくらいあるだろう。建物はまるで5角形を作るかのように建っていて、頂点のところには道が続いていた。大体一棟5階建てくらいだろう。
その圧倒的な大きさにしばらく俺が立ちつくしていると、
「あのー、どうかなさいましたか?」
後ろから遠慮がちに声をかけられた。振り返るとそこには、かわいらしく、それでいて儚げな、美少女と言って差し支えない女の子が一人、立っていた。
「ここは一応学生寮ですので、外部の人の立ち入りは制限されているのですが……どなたかをお探しですか?」
恐る恐るといった風に話しかけてくるその姿はとても健気で、男の庇護欲というものをかきたてるような、そんな印象を受けた。
とはいえ、そんな感傷に浸っているような場合ではない。だから俺は努めて笑顔で答えた。
「いや、俺は今度この風丘学園に転校してきたんだけど、どうすればいいかわからなくて。寮への転入手続きとか、どこに行けばいいか教えてくれるかな?」
言いながら俺は、事前に渡されていた学生証を見せた。
「朝倉……孝平、さん?」
「そう。えっと、君は……」
しげしげと俺の学生証を眺めている長髪の美少女の姿は、話しかけるのをためらわせるくらい絵になっていた。
「あ、私は東雲林檎といいます」
「東雲さん、か。よかったら、案内を頼みたいんだけど」
東雲と名乗った少女は、少し思案して
「わかりました。でしたら、こちらです。ついてきて下さい」
と、少ししゃっきりした声で答えた。どうやら学生証を見せたことで、幾分警戒心は薄れたらしい。
俺たちは5角形の建物から少し離れた、円形の平屋に向かうことになった。
「ちょっと待っていてください」
東雲さんは“寮監室”と書かれた一室に入っていき、俺は廊下で待つことになった。少しして、部屋の中から気だるそうな声がかかった。
「はいよ~。はいっといで~」
「失礼します」
引き戸を開けて中に入ると、保健室のような部屋が広がっていた。白衣を着てイスに座っている女性と、東雲さんがその横に立っていた。
「朝倉さん、こちら、寮監の的場先生です」
東雲さんが手で指し示して紹介をしてくれる。
「あいよ~。アタシがこの寮の寮監やってる的場だ。何かあったらここにおいで~」
気の抜けたような喋り方とは裏腹に、キリッとした目つきと整った顔立ちが印象的だった。
「俺は朝倉孝平です。今日からこの寮に……」
「あー、そういうのはいい。書類来てるし、全部わかってるから~」
事情を説明しようとした俺の言葉は、間延びした声によって遮られた。
「これ、部屋の鍵。部屋までは東雲に案内させるからいいね~。それともう一つ、これ~」
一枚のカードと、少し大きめの携帯のようなものを渡してきた。
「鍵はカードキーになってるから、なくさないようにね~。それからこの端末はPIASって言って、通称ピアス。壊すなよ~」
「ピアス……?」
「Portable Individual Authenticate System。携帯型個人認証装置ですよ」
にこやかに東雲さんが解説をしてくれる。
「装置なんだから、システムよりもデバイスの方が意味的にはあってるんだけどね~」
ポリポリと頭を書きながら的場先生が補足。正直どうでもいいし、PIADとか語呂が悪いから勘弁だ。
「じゃあ東雲~、後は頼んだよ~」
手で出ていけと示す先生をしり目に、俺と東雲さんは寮監室を後にした。
「朝倉さん、カードキーに書かれている部屋の番号を教えて頂けますか?」
言われて、渡されたカードキーをよく見てみる。しっかりとした作りの鈍い銀色のカードで、プラスチックと言うよりは金属のような感じがする。
そのカードの表側には学生証と同じように、個人の名前、学年、クラスが書き込まれていた。ひっくり返すと、カードの取り扱いに関する注意が3行と、数字とアルファベットの羅列が書いてあった。
「えっと、これかな。C-332って書いてある」
「C-332、ですか……でしたら、こっちですね」
すたすたと歩いていくその姿には一切の迷いがなく、この建物の構造を全て把握していることが予測できた。
寮監室を後にした俺たちは、正門から5角形の頂点となっているところまで伸びている道を通り、さらにその奥、つまり5角形の中央へとやってきた。そこには噴水が設置されていて、高々と水を吐き出していた。そこからは今通ってきた道を合わせて、外に出る道と各棟に続く道とが併せて10本、交互に伸びていた。
そのうちの一つを選び、100mほど歩いていくと、その終点は玄関になっていた。
「ここがC棟です。靴は脱いで、332と書かれたところに入れておいてください」
床はカーペットのようになっていて、スリッパのようなものは一切置かれていなかった。
自分の靴をきちんと自分の下駄箱に入れて辺りを見渡すと、そこが広いホールのようになっていることに気がついた。まるでホテルにでも来たかのような錯覚を覚え、再び呆けていた俺に、また声がかかった。
「朝倉さん?どうしたんですか?」
「ああ、いや。でかいなあって思っただけだ」
一階は居住空間ではなくて、共用のロビーなんです、という解説を聞きながら、階段を使って二つ上の階に向かう。
「そういえば一つ気になったんだけど、ここの寮って男女の行き来は自由なのかな?」
「はい。というよりも、そもそも男女で寮が分かれていないんです」
それは大丈夫なのだろうか。
「今まで問題も起きていませんし、そもそもそういった行動を取るような方はここには入学できませんから」
「確かに、編入テストはかなり難しかったし面接も相当きつかったけど……それで本当にいいのか?」
「ご存じありませんか?この風丘学園は、学生間での恋愛が自由、というより、むしろ推奨されているんです。ですから、変に距離を置かせるより、常に身近に接させる……というのが、創立者の理念だったそうです」
スラスラと答える辺り、この子がとても優秀な子であることはよくわかった。
「さて、着きました。ここが、朝倉さんの居室になります」
32と書かれたプレートが付けられた部屋の前に、俺たちは到着した。Cは棟を。332の最初の数字は階数、下二桁が部屋の番号となっているようだ。
しかし、階段が階の中央にあるのに対して、俺の部屋は一番端のところにあった。ちなみに向かい側は全て窓になっていて中庭が一望できるようになっている。居室はその反対側、つまり敷地の外に向かってつけられているようだ。
「ありがとう。色々助かったよ」
「いえ、お構いなく。何かありましたら、またお声をおかけ下さい」
「あっと、ちょっと待って」
踵を返して今来た道を戻ろうとした東雲さんに、俺はあわてて声をかけた。
「ゴメン、いきなり呼びとめて。まだちゃんと自己紹介してなかったから。俺は朝倉孝平、明日は日曜日だから、明後日から風丘学園の2年に編入する予定だ。これからよろしく」
すると東雲さんはしばらくぽかんとした後、右手を口元にやってくすくすと笑い始めた。何も笑わなくても、という俺の心の声が聞こえたのか、視線を感じ取ったのか。
「ご、ごめんなさい。決して、朝倉さんを馬鹿にしているとか、そういうことではなくてですね……」
と、わたわたと訂正してきた。
「律儀な方なんですね……まるで……」
ぼそぼそと喋る最後の方の言葉は、俺に対してではなくひとりごとだったようで。
「では、私も自己紹介を。東雲林檎と言います。学年は2か月前に入学したばかりの1年です。部屋はC-331、つまり、お隣さんということになります。よろしくお願いしますね、朝倉さん」
晴れやかで、それでいてつつましい彼女の笑顔はまるでスズランのようで、ああ、これからの学園生活は楽しくなりそうだと、俺に強く思わせてくれた。
「なんだよ、これ……嘘だろ……?」
東雲さんと別れて部屋に入った俺は、その広さに愕然としていた。いや、やけにドアとドアの間隔が広いな、とは廊下を歩いていたときに思ったんだが。
入口を抜けると5m程の廊下が伸びていて、右側にユニットバス、左側に寝室へと続くドアがつけられていた。廊下の奥はリビングかと思いきや、広がっていたのは30畳ほどのダイニングキッチン。それもシステムキッチンだ。
家具としてすでに木製の4人用テーブルとイスが置かれていて、壁際にはソファーまでご丁寧に置かれていた。
寝室もゆったりとした広さがあり、ユニットバスもゆっくりと羽が伸ばせる大きさだった。
まるでどこかの一流ホテルの一室に迷い込んだかのような錯覚を覚えた俺は、興奮する気持ちを抑えつつ、先に到着していた自分の荷物を整理し始めた。
「とはいっても、あまり物は持っていないけどな」
転居することが多かったせいもあって、本やCD、ゲームといった、かさばるようなものは一切持っていなかった俺は、着替えをクローゼット、食器類を食器棚にしまいこみ、荷物の整理は終わってしまった。ちなみに、クローゼットも食器棚も部屋に備え付けられていた。冷蔵庫や電子レンジのおまけつきだ。本当、どれだけ豪華な寮だよ……。
「朝倉さん、お部屋の片づけ、終わりました?」
荷物を整理してからしばらくして、ドアの向こうから遠慮がちに声がかかった。
「ああ、東雲さん。ちょうど終わったくらいだよ」
「そうですか。あの、もしよろしければ、これから寮の施設をご案内しようかと思って伺ったのですが……」
正直、このだだっ広い寮の敷地を自分で把握しようとしたらとても面倒なので、俺はこの提案を受け入れることにした。
「それじゃあよろしく頼むよ、東雲さん」
「私のことは林檎で結構ですよ。下級生をさん付けで呼ぶのも変でしょうから」
「オッケー。じゃあこれからは林檎、って呼ぶよ。俺のことも好きに呼んでくれ」
あまりヘンなあだ名をつけられると困るが、と付け足すと、林檎はくすくすと笑った。
「では行きましょう、朝倉さん」
結局、呼び名は変わらなかった。いや、だからどうというわけでもないのだが。
要約すると、この寮は各棟でほぼ独立して生活ができるようになっていた。
棟はA棟からE棟までの5つで、それぞれの棟に棟長がいる。それらを総括する寮長ともいえる存在が、先ほどの先生、的場先生。門限や点呼の類は一切なく、男女で分けたりもなされていないという、まさに自由奔放なところだった。
各棟には一階ロビーに自動販売機があるし、無線LANは完備だし、各階に乾燥機付きでランドリールームが設置されていて、わざわざ外に出なくてもいいというヒキコモリには最適な環境が整えられていた。
林檎曰く、女子の部屋には小型の乾燥機付き洗濯機が備え付けられているらしい。まあ、そこはさすがに配慮したということだろう。
問題なのは、食堂や売店がない、ということだ。
「以前は食堂が各棟にあったらしいのですが、あまりにも外出をしない学生が増えてしまったので、撤去したというお話を聞いたことがあります」
「まあ、だろうな。俺もそれだけ揃ってたらわざわざ外には行かねえや」
ちなみにだが、寮へ続く道が一本道なのと、一度中央の噴水まで行かなければならないのも、運動不足を解消するためにそう整えられているのだとか。
「これで、寮の説明は以上になります」
「さんきゅ。おかげで助かったよ」
林檎による寮の説明会を終えた俺たちは、部屋の前まで戻ってきた。時刻はそろそろ夕方になろうとしている。
「朝倉さん、今日のお夕飯はどうなさるおつもりですか?」
「え?あー……」
食堂等がないこの寮では、自炊をするのが当たり前という話だったが、生憎調理器具はおろか食材すら用意していない。しかも来たばかりで、近くのコンビニやスーパーの位置も全く把握していなかった。
「でしたら、ご一緒にいかがでしょうか。あまり味に自信は無いのですが……」
という林檎のありがたーい申し出を受け入れ、ご相伴にあずかることとなった。
味に自信がない、という女の子の言葉は得てして謙遜の言葉であり、実際はとても料理が上手い子が使う言葉なのだということを実感しつつ、俺は林檎の手料理に舌鼓を打った。
「いや、旨かったよ、ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
林檎はまた口元に手をやって、くすくすと笑っていた。よく笑う子だ。
「今日は林檎に世話になりっぱなしだな」
「いえいえ、いいんです。私がしたくてしたことですから」
「今度なんかの形でお礼をするよ」
「いえ、本当に結構ですから、気にしないでください」
両手をぶんぶんと振りながら遠慮をする林檎。これぞ大和撫子の鑑である。
だが、世話になりっぱなしというのは俺の性分に合わない。そういうと林檎は少しうつ向いてから、両手の人差し指をツンツンと合わせながら、少し上目遣いになって。
「あの、でしたら……1つ、お願いがあってですね……」
と、若干言いづらそうに。
「頭を、なでてくれませんか?」
「え?頭を……?」
驚いたせいで返事が少しつっかえた。すると、顔を真っ赤にしつつ、かなりあわてた様子で。
「あああの、嫌でしたら別にいいんです!ちょっと言ってみただけですから。や、やっぱりなんでもありません!」
と、バタバタと手を振り始めた。あまりに必死すぎて、イスから落ちそうになっている。だから、というわけでもないのだが、俺は林檎の頭に手を乗せて、ゆっくり、なだめるように撫でてやった。
「えっと、こんな感じでいいのか?」
「あ……はい……」
落ち着きを取り戻した林檎は、うっとりと目を細め、頭をなでられる感触を楽しんでいるようだった。
「その、みっともない姿をお見せしました……」
俺の部屋の前まで見送ると言って聞かなかった林檎を伴って、俺たちは廊下に出ていた。
「いや、いいよ。かわいかったし」
「か、かわ……っ」
ぷしゅーっと音が鳴りそうなくらいに、林檎は顔を真っ赤にして俯いてしまった。どうやら、あまりこういうことを言われたことがないらしい。
「あ、あの」
まだ多少顔は赤かったが、努めて冷静になろうとしつつ、林檎は顔を上げた。
「明日、もしよろしければ、今度は寮の周辺を案内しますが……」
いっぱいいっぱいといった様子で、そんな提案をしてきた。が、これ以上林檎に迷惑をかけるわけにもいかないので、
「いや、自分で色々見て回ってみるよ。その方が覚えも早いし」
と、申し訳ないと思いながらも断ることにした。
「そう……ですか」
と、がっかりしたように林檎はまた俯いてしまったので、また頭を撫でてやった。少し撫でたあと、別れのあいさつをして部屋に戻ろうとした俺を、意を決したような声で林檎が呼びとめた。
「あ、あの!」
「ん?」
「また……また、頭、撫でてくれます……か?」
両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、こちらを上目遣いで見上げて――いや、身長差が10センチくらいあるから自然とそうなるのだが――そう、言ってきた。
その気迫に気圧されたのか、あるいは健気さに庇護欲が掻きたてられたのか。
「ああ。いつでもいいぞ」
なんて、少し柄にもないことを言ってしまっていた。
約束ですよ、と言って林檎はパタパタと部屋に戻ってしまったので、俺も部屋に戻ることにする。
特にすることもなかったので、明日に備える意味で、さっさと風呂に入って寝ることに決めた。
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