憧れの先輩
YUKIの場合【生チョコ】
「よし、これでキッチンは占領した!」
母さんが入って来れないようにキッチンを締め切り、そそくさとエプロンを着けて、冷蔵庫からチョコレートを取り出す。
「初めてだけど、上手に出来るかな?」
そんな不安をよそに、板チョコの包装をビリビリと破く。
「まずは、チョコレートは細かく刻んで、と」
まな板の上に、身ぐるみを剥がされた板チョコを置いて、角から斜めに包丁を入れてザクザクと刻む。
「こうすると楽だって書いてあったけど、ホント、その通りだね」
四角だった板チョコはもうその形を失い、無数のカケラと化していた。更に玉ネギのみじん切りの要領で、均一で細かいチョコレートに刻んだら、包丁ですくってボウルの中へ。
「次は、生クリーム」
冷蔵庫から生クリームのパックを取り出して鍋に注ぐ。火に掛けて沸騰直前まで見守る。
「火力は中火で、と」
一人でブツブツ言いながら、鍋に入れた生クリームが沸騰直前まで温まるのをジーッと凝視し続ける。
コンロでガスが燃える音と、生クリームの泡がプツプツと鍋肌ではじけ始めた音しか聞こえない。
「うーん、この時間がもどかしい」
湯気が立ち始めた生クリームは、どうやら沸騰直前のようだ。
「よし、これでOK」
沸騰直前の生クリームを、細かく刻んだチョコレートのボウルへと一気に注ぎ込む。
「あち!」
勢いよく注いだので、生クリームがちょっと跳ねちゃったようだ。
「素早くかき混ぜるっ!」
ホイッパーを右手で持ち、左手はボウルを押さえて、飛び散らないように静かにかき混ぜる。
まずは熱い生クリームでチョコを溶かすのだ。白と黒っぽい茶色に分かれていたボウルの中の色が、段々と混じり合い、茶色に変化していく。刻んで固形だったチョコレートは形がなくなり、生クリームと溶け合った。
混ざり合う様子を見て、ちょっとキュンとなる。
キュンとしている場合じゃない。
チョコレートは温度がたいせつだから。
溶け合った生クリームとチョコレートは「ガナッシュ」となり、更にかき混ぜて滑らかなクリーム状にするのだ。
懸命にホイッパーで混ぜ合わせる。混ぜれば混ぜるほど、どんどんと滑らかになっていく。
少し温度が下がってトローリとして滑らかになってきた。
「うーん、いい感じ!」
オーブンシートを敷いたステンレスのバットに「ガナッシュ」を流し込んで平らにしたら、そのまま冷蔵庫で一時間。ゆっくりと冷やして固める。
「この時間に、中に入れるカードを書いちゃおっと」
ラッピングの材料を買った時に、一緒に買ったバレンタインのメッセージカード。何種類かの中で一番可愛いカードをチョイスしたつもり。薄いブルーの地にビビッドブルーの小さなハートがいっぱい印刷されたカードが気になって、ついに買ってしまった。
カードの表には『Valentine』と印刷されていて、裏は楕円のハートに白抜きされていて、そこにメッセージが書き込めるようになっていた。
『佐藤博之先輩、好きです。YUKIより』
青い色のペンで自分で書き込み、それを持って眺めたら、胸がキュンとなって頬が熱くなってきた。
「我ながら、上出来」
自分で自分を照れながら、生チョコを入れる箱を用意して冷蔵庫へと向かった。
「冷えてる、冷えてる」
まな板にバットをさかさまにして生チョコを取り出す。ちょうど立方体になるように包丁で切り分けた。そして、ココアパウダーをまぶして完成。
「味はどうかな?」
キューブを一つ、口の中に入れる。ココアパウダーの粉っぽさがなくなるとチョコの四角い角が舌に当るけど、それが抵抗なく丸くなって溶けていく。味も甘過ぎず苦過ぎず、ちょうど良い。
「よし、OK! 手作りの『生チョコ・キューブ』完成!」
小躍りしながら、生チョコ・キューブを箱に詰める。最後にカードを入れて箱を閉じる。空色に白抜きハートの包装紙に包んでから、ルビーブルーの大きなリボンを付けた。
「で・き・た・!」
その時だった。
ドアが開いて母さんが入ってきた。
「何をやってるの? くんくん。甘い匂いがするわねー、これってチョコレート?」
母さんは、周りに散らかしたチョコの付いたボウルやラッピングの材料をじっくりと見てからこちらに視線を固定した。
「え? 何? どうして? 何であなたがチョコレートなんかを作ってるの?」
母さんの質問にしどろもどろになって何も言えなかった。
更に母さんは、胡散臭そうなモノを見るような目付きで睨んで告げた。
「……ふーん。まぁいいわ。とにかくキッチンを綺麗に片付けてよ、雄樹。分かってる?」
僕は、かなり沈んだ声で応えた。
「う、うん」
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