ポマードきかないの!?
『ポマードきかないの!?』
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『またやってしまった』
部活帰り、乗るべきバスを待つ暇つぶしに、俺はブログにそんな題名の記事を載っけようとしていた。スマフォに滑らせる指先が、寒くて硬直している。うまく指が動かない。しばらく息を吹きかけて文章を打とうとしたが、変換ミスで『本当にいやだあー』が『本当にいやだおー』になった時点で当てのない怒りを感じ強制終了した。
俺は陸上で名門である桐紋字中学校の3年生、そして誇り高き競歩ブロックの、差脇走だ。
「なんで名前は走ってるのに、競技は競歩なのさ」と色んな人から茶化され、ついには矛盾しているところから『ムジュン』、それが派生してジュンと呼ばれるようになった。
もう名前の名残さえない。
とりあえず俺は名前のことからも推測できるように、とりあえず男女関わらず、いじられるのだった。そして面倒くさそうな仕事を押し付けられてしまうのだった。「お前ならできるっしょー」という言葉に「え、そうかな?」なんて調子に乗って引き受けてしまう自分の性格を呪っている。
結局、体育祭実行委員にクラス代表として、任されることになってしまった。俺の学校は陸上だけでなく他の体育行事、マラソン大会や球技大会、そして体育祭は気合を入れて行っている。二日間を使って行う体育祭なんて周りではあまり聞かない。
ただでさえハードな練習で前脛骨筋が破裂してしまいそうになっているのに、頭さえ悩まされてしまったら……俺はどうやって生きていけばいいのやら。
そんなことを考えているうちのバスが目の前に止まる。いつものように定期が内在しているPASMOを青いところにかざして、すぐわきにある定位置の椅子に腰掛けた。もう一回ブログを更新しようと思ったが、俺の家がある最寄り駅は5分しないうちについてしまうのだ。あっという間に見慣れた看板とコンビニがみえて、俺は体幹をしめてテンポよくバスの階段を降りた。
「――――寒っ」
首に巻いてある灰色単色のマフラーに顔を埋めて、看板のある場所を右へ曲がった。ここから長い一本道だ。ここを過ぎて左に曲がると家に着く。今日は寝る前にブログで愚痴を書いて、宿題してから寝よう、そう考えていたときだった。
ビビビ
その耳障りな音がした、そう思い音のなる方――――上を見上げる。
そこには電柱の光を求めて蛾の大群が羽を擦り合わせて騒いでいた。こんな音がうるさいと感じるなんて、今日はこの通りが静かなのだということがわかった。
――――ザッ
ぞわり、と嫌な風が俺の背中を撫でた。なんだろう、俺の背後に『何か』がいる。人間、人間なのか?でもついさっきまで自分しか歩いてないはずだ。
振り返るべきだろうか?しかしどっかのギリシャ神話では振り返ったらは追いつかれるみたいな、そんな話があった気がする。考えろ、考えろ自分。俺はそんなことを考えている間に競歩並に足が進んでいった。
(待てよ、もし背後にいるのが犯罪者だとしたら家に犯罪者を招くことになるんじゃ?)
そうだ、この気配はまるで幽霊みたいだが、世の中に蔓延っていて一番危険とされるのが、通り魔や強盗犯のような人間の悪行だ。それなら一回振り返って姿を確認したほうがいい。最悪追いかけられても走り抜ければ、追いつかれない自信がある。
振り返ってしまえ――――――
そう思い、震える足で走り出す準備をしながら、そっと後ろを振り返った。ざわっと間に立っている樹木がねっとりとした風で揺れる。闇に紛れて輪郭をなくした人間がそこに、いた。
真っ暗なこの道に、赤いコートに、赤い耳まで隠れるニット帽子と、真っ白いマスクが浮き出ていた。小学2、3年生といったところか。とても小さい、それくらいのことしかわからなかった。性別はわからないが、本能的な脳内の警鐘は鳴り続けている。
こんな小さな子に全速力で逃げるなんて、なんだか変な話だが、今は理想よりも本能の言うとおりにしたほうがよさそうだった。なぜか目の前の子から視線が離れない。しかし、どうにか身体に指令を出して俺の家路へ駆け出そうと――――――――したのだが。
「ねぇ」
俺は背中のブレザーがいきなり重たくなったと思った数秒後に、背後で起こっている状況を理解した。小さな子が子猫のような高い声で(声を聞いた限り少女と言ったほうが正しいだろう)、俺のブレザーを力強く掴まれたのだ。振り払おうと必死に身体をひねる。しかし、小学生ではありえないほどの力は俺を捕らえて離さない。ブレザーを思い切り左に引っ張られる。無駄なものがついていない俺の身体は踏みとどまることができず半回転して、思わずしりもちをつく。
少女は、そんな俺の様子を見て、狐のように目を細める。笑ったの、だろうか。そして少女は俺にこんなことを尋ねたのだった。
「ワタシ、キレイ?」
俺はカタカタと震えながら、何が模範解答なのか動かない頭を、懸命に動かす。顔が暗闇に埋もれて見えないのに無理な問いかけをしないでほしい。でも褒めたほうがいいはずだ。しかし嘘を見破られてしまいそうだ。それなら「はい」とは答えられないわけで。混乱する頭の中で俺はこんな答えを出した。
「……かわいい」
俺は恐る恐る少女にそう答えた。すると、少女はきょとんとした顔をした、ように見えた。棒立ちしている少女の姿を見て、俺はこれこそチャンスだ、と直感しバタつく足を奮い立たせて真っ直ぐのこの道を走り抜ける。
「待って――――」
しばらく少女の声が背後から聞こえる。だがこれくらいのリードがあれば俺の足があれば逃げきれることができる。俺はそう思ったとたん、ほっとしてスピードが徐々に落ちていく。
タタッタタッ
「え…………!!」
俺は急激にスピードで寄ってくる少女の気配を感じた。捕食しようとする肉食獣に追われているような感覚ってこんなものなのだろうか。俺は草食動物のように枝のような足で長い一本道を駆け抜け家に駆け込み鍵とチェーンを掛ける。
「ハッ……ハァ…………」
「あんたどーしたの!?なんかあったの?」
玄関で膝に手を当て、乱れた呼吸を落ち着かせていると、母親がびっくりした様子で俺に駆け寄った。しかし「怪しい女の子がいて、逃げ出した」という表現しか思いつかない俺は息を整えてから、仕方なくこう理由を話した。
「寒くて……トイレいきたくなった」
「あっそ」
俺は大きく溜息をつかれた母親を見て、自分も溜息をつきたくなりながら、いつも通り食事を済ませることにした。今日のブログは『初めての経験』にしよう。そんなことを考えながら俺はいつも通り、タンパク質多めのご飯にがっついた。
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『【口裂け女】マスクをした若い女性が、学校帰りの子供に「わたし、きれい?」と訊ねてくる。「きれい」と答えると、「……これでも……?」と言いながらマスクを外す。するとその口は耳元まで大きく裂けていた、というもの。「きれいじゃない」と答えると鎌や鋏で斬り殺される。』
「さっきの絶対これじゃねぇか……」
俺はブログで自分の記事を更新した後に、少女が尋ねた「わたし、きれい?」というフレーズに聞き覚えがあってパソコンで調べていた。すると、口裂け女という単語がヒットしたのだ。鎌や鋏で斬り殺されるなんて冗談じゃない。少女はまたあそこで出没するのだろうか。
『対処法は二つある。一つ目にべっこう飴がある。べっこう飴は口裂け女の好物であり、これを与えて夢中でなめている隙に逃げられるというもの。この説は広く浸透し、当時のパソコンゲーム「平安京エイリアン」にも敵を足止めするアイテムとしてべっこう飴が用いられるに至った。二つ目にポマードがある。ポマードと3回(6回とも)続けて唱えると女が怯むので、その隙に逃げられる、ポマードを投げ付けたり、振り掛けたりして退散させる、手に「ポマード」と書いて見せると退散できるともいう[10]。足の裏にポマードと書く方法も伝わる。』
信じたくないが、あの気配は表しようのない『人間ではないもの』だった。確かにべっこう飴というのは聞いたことがある。アホらしい話かもしれないが、保険をかけておくことに越したことはない。べっこう飴はコンビニに売ってるだろうか、そんなことを思いながら、最近ポッカリとしてしまった布団で、俺は眠りについた。
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さて、口裂け女は出るだろうか。俺はポケットの中に忍ばせたべっこう飴を手汗で濡れた手で転がせた。袋で買ったべっこう飴はクラスの皆にほとんど食べられてしまった。ブログを皆読んだらしい。「件名見てお前ヤっちゃったのかと思ったよー」とまたいじられ、なかなか大変だった。
バスを降りて、俺はふぅっと白い息をつく。こんなになるくらい寒いのだ。昨日感じた粘着質な風はやはり異常なはずなのだ。
まっすぐ伸びる道を、コツコツと歩いていく。確か昨日はこの標識を見たあたりで声をかけられたのだった。そこを通り過ぎても誰かが声をかけることはなかった。
昨日のものは悪い夢だったのか。そう思ったときだ。
「ねぇ」
声を、かけられた。俺は冷水をかけられたような悪寒を感じる。しかし昨日は初めてだったのに対し、二回目だとあまり恐ろしさは感じなかった。俺は振り返る。いきなり切りつけられることはないだろうという判断だった。
「ワタシ、怖くない?」
「……え?」
こんなことを聞かれるパターンなんてパソコンに書いてなかったぞ。俺はしばらく考えてからべっこう飴を手渡した。
「あぁ、怖くない」
俺はおっかなびっくりだが、はっきりとそう答えた。べっこう飴を渡せばとりあえず安心のはずだったからだ。少女は聞いた瞬間、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねたのだった。べっこう飴を舐めようとする様子はない。あれ、本当に可愛いかもしれない。というより口裂け女じゃなかったんじゃないか?
「……これでも……?」
そう言うと少女は、口元を隠していたマスクを耳から外した。すると、そこには耳まで裂けた大きな口が俺を出迎えていた。予備知識というのは力なのだろう。俺はどうにか声を上げないでいられた。これで逃げ出してしまったらダメだ!鎌や鋏で切り刻まれるなんてゴメンだ。
「怖く、ないさ」
「本当に?」
「本当さ」
俺は身体をカタカタ震わせながらも、自信を持って胸を張りそう言った。少女はそれを聞くと横に広い口を開いてニーっと笑った。
「見せると、皆いなくなっちゃうから――――嬉しい!」
それはそうだろう。いきなりそんな大きい口を見せられて驚かないほうがおかしい。それでも、はしゃいでいる少女を見ていると、普通の女の子にしか見えなかった。
「こんなとこで、何してるんだ?」
質問のセンスがなさすぎる。そんなことを思いながら少女に尋ねる。少女はうーんと口を閉じて、なんと言おうか迷っていたようだった。しばらく黙ってから少女を答えた。
「『名前』を、探しているの」
「…………名前?」
「そう、名前。わたしには名前がないの。わたし、口裂け女なのに何故かヒゲが生えててね、それで仲間にいつも茶化されてるの!」
「ヒ、ヒゲ!?」
俺はおっさんのもじゃもじゃを想像してしまって、思わず少女の口元を凝視する。見た限り、そのようなヒゲは見当たらないが……。
「何じろじろ見てるのっエッチ!!」
少女は恥ずかしくなってようで顔を隠した。お、可愛い。そう思ったときには遅かった。少女の足が恐ろしいほどの速さで俺の頬を弾き飛ばしたのだった。勢いで道の脇にある塀に激突する。この少女の身体能力もなかなか異常だ。
「し、死ぬっ……」
俺は衝撃で出てきた鼻血をずずっとすする。少女は顔を真っ赤にさせて頬の脇にある『光の筋』を親指と人差し指でつまむ。そこには猫や犬に生えているようなヒゲがあったのだった。
「にゅ……あんま見ないでよ」
確かにこんな口裂け女、初めて見た。ヒゲとか普通生えてないだろ。どんだけ可愛いんだよ、くっそー。俺はそんなことを考えているうちに、逃げ出すという選択肢がいつの間にか抜けていた。
「名前が、ないのか?」
「うん。というか、つい最近までの記憶がなくなっちゃってるの。だから、お浄土にもなかなかいけないし……」
「お、お浄土って……」
「わたし、本当は死んでいるらしいの。それでこんな姿だし、なんか人の目に止まっちゃうしで困ってたら口裂け仲間に、この本もらって、仲間にしてくれたの」
そう言って、背中にあったリュックサックから、一冊の本を取り出す。『口裂け女のたしなみ』というタイトルだ。てか口裂け女にマニュアルあったんかい。「わたし、きれい?」のフレーズもこの本通りなのかもしれない。
いや、そんなことは置いといて。いまさら驚かないが、この少女は幽霊らしい。
「だから、わたしの名前わかったら、教えてね」
「い、いや……わかんねーよ」
「なんかね、走クンならわかると思うの」
「だからわかんねーって――――」
あれ、俺、この少女に名前を教えたっけ?教えてないはずだ。幽霊だから心が読めるってか?俺は今まで吹っ飛んでいた恐怖心を一気に呼び寄せてしまった。俺は得体の知れない不安感に、じりと後ずさりする。
「じゃ、じゃあな!!」
俺はそのまま振り返ることなく、少女から逃げ出す。夜道が歪んで見える。なんだ、ここは黄泉の道か?自分の息しか聞こえない。標識が自宅のほうを指差している。ひたすら走った。
「待って――――」
後ろで少女の声が聞こえた気がした。だが、その気配はずっと後ろにある。また昨日と同じように自分の家へ駆け込む。母親がまたきっと心配してくるだろう。俺は母親がくる前に、2階にある自分の部屋に飛び込んで鍵を閉めた。
「なんなんだよ……」
俺は脈打つ身体をベッドに沈める。ひんやりとした感触が、段々と自分の体温でわからなくなってくる。しばらく経って心身共に落ち着いてきた。俺はスマフォをいじってこの気持ちをブログに投稿しようとしたが、きっとまた友達にいじられるだろう。やめておくことにした。
ベッドにダイブするなんて、ほんの少し前はできなかった。そしてブログだって、『アイツ』がいたからすることはなかった。俺の愚痴や弱音を聞いてくれた大事は存在がここにいたのだ。俺の机には、アイツの遺品が置かれていた。
――――待てよ。
俺は、遺品を手に取り、べっこう飴の代わりに制服のポケットにしまった。もしかしたら。そんなことを考えながらいつの間にか眠ってしまった。
**
三日目、俺はいつものバスを降りて、異質の空気を醸し出しているこの道を見つめた。もう少女は俺を驚かそうともしない。夜の風景に溶け込みながらも、確かに少女は俺を待っていた。俺はもう怖くはなかった。
「こんばんは」
「こんばんは、走クン。わたしのことは、怖くないの?」
「ああ」
俺は、ポケットに入っている遺品を中で掴んだ。そして俺の考えたものの可能性を信じながら、顔を上げた。大きく息を吸い込む。
「お前の名前、わかったかもしれない」
「え、ほんと?」
少女は嬉しいような驚いてるような、そんな顔をした。そして俺の言葉を待つ。俺は思い切って遺品を突き出し――――こう言った。
「『タロ』、お前の名前は差脇タロだ」
俺は、少女の生前に使っていた鈴のついた首輪を見せた。たくさんの黒い猫毛がついたこの首輪の鈴が、リンと響いた。
タロ、差脇家にいた飼い猫だ。オスだと思って『太郎』とずっと呼んでいたのだが、2、3年経ってメスだということがわかり慌てて、『タロ』と呼んだ、黒猫。タロは俺のベッドでいつも夜を越していた。いつも布団をあったかくして待っていてくれていたのだ。マイナスな言葉を漏らしていると、身体を足に擦りよわせて励ましてくれていた。
そんな存在だった。しかし、タロは寿命で――――ほんの少し前、冷たくなってしまった。たくさん、たくさん泣いた。家族もしばらく笑顔を失ってしまったくらいだった。
少女が俺の名前を知っていたこと、少女をよく見たら口裂け女というよりも猫にしか見えなかったこと。それがこの結論に行き着いた理由だった。
「――――タロ、わたしは、タロ」
「そうだ」
「…………嬉しい!」
そう言うと少女、タロは――――俺に思いっきり抱きついた。その拍子に赤いニット帽がパラッと落ちる。そこには人あらざる大きな三角耳がついていた。俺は思わずカッと顔が赤くなってくるのがわかった。
「ずっと好きだったんだよ」
タロは照れくさそうに俺にそう言って、裂けた口を閉ざし、そっとキスして笑った。俺はどんな反応をすればいいのかわからなかった。俺は口をパクパクさせながらこう答えた。
「そんなこと言ったら、ベッドで一緒に夜を越したのはお前に下心が――――」
「エッチ!!カス!」
タロは俺がそんな軽口を言った瞬間に、爪が長く伸びた手(正しく言えば前足)に平手打ちをされた。さすが人間の力じゃない。頭がぐわんと揺れる。てかカスとかそんな言葉教えた覚えはないぞ。
「でも、良かった。これで帰れるねっ」
タロはそんなこともお構いなしに、「ナァッ」と鳴いた。タロは「にゃー」と泣かないのだ。
俺の腕がゆっくりタロの代わりに虚空を抱く。タロは本来の姿を取り戻したのだった。黒猫のタロは足元に落ち、振り返ることなく足音なしに真夜中の道を駆けていった。
「おい!待てよ――――」
俺はタロの後を慌てて追いかけようと、一本道を走る。標識が急げと俺を忙し立てる。家の明かりが見えてきた。しかし、溶けていってしまったかのように、タロはどこにもいなかった。
どこを探しても、タロが見つかることは、なかった。
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『世の中には奇妙な口裂け女がいたもんで。
べっこう飴は食べないし、ポマードは効かないしの無敵な口裂け女がいる。
もしかしら、その口裂け女は、あなたの大事な人かもしれません。』
口裂け女に関する項目に、こんなことをサイトに付け足しておこう。
反論上等、なんか反応くるといいなぁ。
俺は机に置いてある首輪を見ながら、笑った。
>END
拝読ありがとうございました!
あらすじであんだけ大きく自信満々に書きましたが、実際難しくて悶えました。萌えって一体なんじゃあ!そんな感じで書いてました。
でもこの経験がスキルになると信じて、また頑張りたいと思います。