その手に握られていたものは――
「ねぇ、あんなので本当に良かったの?」
雪がちらつく中、姉御は手をこすり合わせながら聞いてくる。
寒さのせいかどこか儚げに見えるソイツに、俺は断言した。
「十分だ。」
「いや、店の奴らには多少なりとも嫌がらせできたかもしんないけどさぁ…。」
なるほど、黒髪ちゃん自身が救われていないことを言っているのか。姉御は本当に優しい奴だ。
「それなら大丈夫だ、多分黒髪ちゃんは俺たちがつけてきてたのを気づいている。」
「それがどうしたのよ?」
「もしも黒髪ちゃんが、努力している『フリ』をしているだけならば、彼女は救われないだろう。だが、本当に『自分に恥じる事のない最大限の努力』をしているのなら、俺達が仕事を見にきた、この事実だけで彼女の励みになる。報われなくとも、その努力を知っていてくれる人がいる。これ以上救われることはないのだから――」
そう言うと、姉御はキョトンとした顔でこちらを見る。と思いきや、急に口元をかじかんだ手で押さえ、吹き出した。
「……ッブ...! 何そのセリフ…クッサ…ブフッ……」
「うわああああ! クサい言うなあああ!!」
なんか姉御と仲良くなった、自分の人生にしては激動の11月だった。
【12月】
ついに来てしまったか……
俺が一ッ番大嫌いな季節、12月。
駅に着くまでに昇天しそうな寒さ、深夜並みの暗さ、雪に吸収された音の静けさ……
すべてがおぞましい。だが最大の理由は……
『ク・リ・ス・マ・ス』
この単語が、俺の脳内にて血文字で変換される。まだ12月序盤だというのに吐き気を催すのを止められない。嫌だ、嫌過ぎる。
泊まり込み+徹夜で、もうひたっすらケーキを作りまくる。だから浮かれる恋人共を視界に入れなくて済むのが唯一の救いだろうか。
いっそのこと機械になれたら素敵なのに、そういうわけにもいかない。大量のケーキを納品までに間に合わせなければならない、緊張感と殺伐とした空気。少し段取りの悪い行動をしただけで修羅場と化すのに、失敗など許される訳がない。そう、体だけではなく脳までフル回転させないといけないのがクリスマスである。
戦場のメリークリスマスとはよく言ったものだ。
そんなこんなで精神をすり減らしていた俺は、始発メンバーのことを気に掛ける余裕などある訳がなかった12月だった。
【1月】
明けましておめでとうございます。みなさん無事に脱落することなく新年を迎えられたようで……
決して声に出すことなく、そんな言葉を心で呟く。
いつもと変わらぬ朝の風景。
オジサマは鞄を抱きかかえ、優雅に眠る。
姉御は黒髪ちゃんに負けず、電車の中で御勉強。
そして彼女も、もちろん――
今日も、熱心な顔をして自分の手のひらに視線を落としている。
…今まで何があろうとも、決してその姿を見ない日などなかった。いつもいつも、この9か月間、その手に握られていたのはすり減ったメモ帳とボールペン。
だが俺はすぐに気づいた。
朝の風景が、ほんの少しだけ…違ったのだ。
何故なら、その手に握られていたものは見慣れたメモ帳ではなく――
――ボイスレコーダーだった。