やられて一番傷つくこと
古き職人というのは二種類に分けられる。
“いつか自分を超える職人に育てたい”
“自分の仕事を取られたくない”
俺には、後者の方に見受けられる。何故なら…そこに何の救いもない。良き指導者というのは、越えるべき明確な壁という目標を与えるものだ。だがこの職人の場合はどうだろう。その壁を超える為に必要不可欠な“失敗”を活かそうとすらしていないじゃないか。
ヘラの持ち方一つでこの有様では、菓子を一つ作れるようになるまで何年かかるのだろうか。多分これは暗に辞めろと言っている。でなければとんだジャイアンだ。自分のやり方に他人を合わさせなければ気が済まない。この業界にはそんな人間は意外と多いので、珍しいことではない。
菓子の世界は甘くはない。
自己顕示欲の凝り固まったいやらしい面があるのも、一つの事実だ。
黒髪ちゃんは、再び見てるだけの状態に戻される。すると、厨房のさらに裏から俺達の頼んだ『御抹茶と上生菓子のセット』を持ったBBAが彼女の真横を通り過ぎようとする。マズイ、さっさとテーブルに着こう。そう思い暖簾に背を向けた時だった。
「アンタまたそうやって突っ立ってるだけなのかいィ!? 働きなさいよこの給料泥棒!! 」
黒髪ちゃんの方が跳ね上がる。奥さんの鬼の形相に瞳をオロオロと瞬かせたのち、職人の顔色を伺いながら洗い場に溜まった道具類を洗いに行った。すると…
「ハァ…」
わざとらしく大きなため息をつき、黒髪ちゃんを見る職人。みるみる顔色が悪くなる彼女は、洗い物をやめ、元の立ち位置に戻る。するとそれを見たさっきのおばちゃんが今にも怒り狂いそうな顔で、ていうかすでに怒りまくった顔で怒鳴りつけた。
「あんった…! やる気がないなら出て行きなさいよ!? このクズぅ!! 」
「あのババァ……蹴り飛ばしてやるっ....」
「ままま、待て待て!? 」
気づけば姉御が清楚メイクでも隠しきれない獣の気性を荒立てていた。気持ちは分かる、だが俺たちなんかが出て行ったら余計に彼女の立場が悪くなるだけだ。
後ろで手を組む黒髪ちゃんの手は、震えていた。彼女はうつむきながら踵を返すと、洗い物に差し掛かった。それを見た職人が、実に陰湿な声でぼそりと嫌味を飛ばす。
「俺の仕事をもう見ないってことは、お前はもう菓子を作りたくないってことなんだな?」
「どうしてそうなんだよっ……!? 」
「アンタさっきワタシを止めたばっかじゃん!? 」
次は俺が職人に顔面右ストレートを入れに行きたくなるのを姉御が抑制する。しまった、自分としたことが…。気づけば姉御が草食動物にジョブチェンジしたかのような表情になっていた。そんなに自分の形相が酷かったのだろうか。
それにしても…この店は想像以上にブラックな店であることが発覚した。何をしても嫌味を言われることは免れない板挟みに、未だ黒髪ちゃんが壊れていないことの方が感激してしまう。しかし自分なんかに、他店のやり方に口をはさむ資格などない。
そんなことは姉御も俺も分かっていた。だが少しつついただけで今にも砕けてしまいそうな小さな背中を見るやいなや、すぐに爆発寸前になる。
「…ムカつく、ムカつくっ…」
「落ち着け姉御、俺にいい案がある。」
「・・・?」
そう……
“黒髪ちゃんの立場を崩すことなく、職人のプライドを確実に粉砕する方法。”
だが、これだけはあまりやりたくなかった。
何故ならそれは、俺がやられて一番傷つくこと。
そして…
菓子を作るものとして、絶対にしたくないことだ。
□◆□◆□◆
「おまちどうさま。御抹茶と上生菓子のセットでございます。」
ついに運ばれてきたお抹茶セット。あそこまで自分を棚に上げているんだ、お手並み拝見といこうじゃないか。出されたのはお抹茶と、ポケ○ンのモンジャラみたいな上生菓子、きんとんである。深い緑のきんとんに氷餅をふりかけ、霜がふっているように表現されている。たったこれだけだが、そのちょっとしたことで四季を表現できるのが和菓子の魅力なのだろう。俺は意外と、こういうのは嫌いじゃない。
「「頂きます。」」
楊枝で和菓子を四分割し、その一角を口に含む。
「………ッ?!」
「・・・?」
その瞬間、俺たちは顔を見合わせる。これは美味しいとか、不味いとか、そんな問題じゃない。外は暖かくて、中のあんこが異常に冷たいのである。間違いない、これは冷凍したのをレンジでチンした奴だ。
「ありえない…」
姉御がボソリと愚痴をこぼす。
そうだよな、それが普通の人間の感想だよな。だが人数の少ない菓子屋なんかは、意外と作ったものを解凍して売っている。ウチの店でも、ケーキによってスポンジの種類を変えるのに、一日に少ししか使わない奴はまとめて作って冷凍してあったりするのだ。だから、同業者の自分からすれば、もっと上手くやれよというのが本音である。
だが、すぐに客の口に入る菓子でこれは…少々配慮がなさすぎではないか?
でも少し助かった。完璧な菓子を出されて『アレ』をやるのは、少々気が引けていたのだ。
俺達は残りの3/4には手をつけず、テーブルの上に無言で代金を置いてその場を去った。
そう、作った菓子を最後まで食べきってもらえない。
これ以上の屈辱は…… ないのだから。