↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生博士の魔術原論 ~魔術適性ゼロの子爵家に生まれた少年は魔術を再定義する~  作者: 式部 夜未
第三章 相転移の朝に名を携えて

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/38

第19話 ひとりの外へ

 王都ラディス・フェルム北西区画。


 大通りから一本入った石畳の先に、ヴァルディエル子爵家の王都別邸はある。白壁も鉄柵も丁寧に手入れされ、領地の屋敷とは違う静かな品があった。


 コロキウム・フェルムを終えてからも、僕はしばらく王都に残っていた。


 王立大図書院、南区の古書店街、王立魔術学術院近くの写本工房。領地でも研究は続けられるが、必要な資料へ手が届くまでの速さは比べものにならない。


 今日も机には、持ち帰った古書が三冊積まれている。


 ここに残れば、まだ調べたいことはいくらでもあった。それでも、そろそろ領地へ戻る頃だろう。


 使い慣れた机も、これまでの研究記録も、実験場も向こうにある。


 そう考えて本を閉じた時、扉が控えめに叩かれた。


「ユリウス様。お客様でございます」


「どなたですか」


「王立魔術学術院の教授と名乗られております」


 僕を訪ねてくる教授となれば、心当たりは多くない。


「お通ししてください」


 応接間で待っていたのは、背筋を真っ直ぐに伸ばした初老の男だった。


 質素ながら隙のない装いと、静かにこちらを観察する目には、長く学問へ身を置いてきた者らしい落ち着きがある。


「突然の訪問をお許しください。ユリウス・ヴァルディエル殿」


 男は穏やかに一礼した。


「エルネスト・クローディアスです。王立魔術学術院で教鞭を執っております」


 王都の学術界でも名の知られた教授であり、コロキウムでは僕の論文へ推薦を出した人物でもある。


「お会いできて光栄です、エルネスト教授」


「少し、お時間をいただけますか。君の研究について話がしたい」


「もちろんです」


 向かい合って腰を下ろす。


 使用人が茶を置き、扉の向こうへ消えるまで、エルネストは本題へ入らなかった。


 二人きりになると、彼は革の鞄から一冊の綴じ本を取り出した。


 幾度も開かれたのだろう。紙の端は柔らかくなり、表紙には見覚えのある題が記されている。


 《魔力場共振理論》。


「五年前、学術院へ届けられた匿名の論考です」


 予想していなかったものを前に、わずかに息が止まる。


「この一冊には、随分と眠りを奪われましてね。筆者を探しましたが、どうにも辿り着けなかった」


 エルネストは論考へ指を添えたまま、僕を見る。


「コロキウムの応募論文を読んだ時から疑っていました。壇上での発表と質疑を見て、ようやく確信した。これを書いたのは、君ですね?」


 誤魔化す意味はなかった。


「……はい」


「やはり」


「ただ、このことはまだ公表していません」


「承知しています。私から口外するつもりもありません。筆者が名乗らなかった以上、そこには理由があるのでしょう。明かす時を決めるのは君です」


「ありがとうございます」


 即答だった。


 それだけで、胸にあった警戒が少し薄れる。


 エルネストは改めて《魔力場共振理論》を開いた。


「今の君から見れば、五年前のこれはどう見えます?」


「粗いです。観測が足りない部分もありますし、共振が成立する条件についても、今なら書き方を変えます」


「でしょうね」


 あまりにあっさり同意され、思わず顔を上げる。


 エルネストは楽しそうに口元を緩めていた。


「だから探したんですよ」


「……未完成だったから、ですか?」


「ええ。完成していないのに、先へ進めるだけの筋があった。何より、分からないものを誤魔化していなかった」


 頁を数枚捲り、余白に残された記述へ目を落とす。


「完成した理論なら、読んで検証すればいい。ですが、これは続きを読みたくなった。その筆者が五年後に何を考えているのか、ずっと気になっていたんです。そして実際、君は先へ進んでいた」


「まだ、分からないことの方が多いですが」


「それでいい。分からないことがなくなった研究者ほど、信用できないものもない」


 冗談なのか本気なのか判断に迷う言い方だったが、本人は気にした様子もなく茶へ手を伸ばした。


「単刀直入に申し上げます。ユリウス・ヴァルディエル君。王立魔術学術院へ来ませんか」


「……学術院へ?」


「特待生として、君を迎えたい」


 予想していなかった言葉に、すぐには返事が出なかった。


「教授会には、すでに推薦を通しました。講義への出席は原則として君の裁量に任せます。研究設備、書庫、実験場も利用できる。私の研究室にも席を用意しましょう」


「そこまで……」


「必要だと思ったからです。君はこれまで、ほとんど独力で研究を進めてきたのでしょう?」


「はい」


「それでここまで来たのは大したものです。ただ、一人で積み上げた理論には、一人では見つけにくい弱点がある」


 その言葉には覚えがあった。


 コロキウムで、何人もの研究者から予想していなかった問いを投げられた。答えられたものもあれば、追加の検証が必要だと気づかされたものもある。


「反論、比較、追試。違う分野からの視点もある。君の理論に必要なのは、賛同者ばかりではありません。遠慮なく疑ってくれる相手です」


「……壁、ということですか」


「そう。できれば、かなり頑丈な壁がいい」


 そこで初めて、エルネストが少し笑った。


「学術院なら、壁には事欠きませんよ。なにしろ研究者というものは、他人の理論へ穴を見つけると妙に元気になる」


 思わず口元が緩む。


 だが、魅力的な話であるほど、すぐに頷くことはできなかった。


「学術院へ入れば、僕の研究も今までのようにはいかなくなりますよね」


「もちろん。理論は人目に晒される。反論もされる。君の年齢や家柄を理由に、内容とは関係のない声を向ける者もいるでしょう。学術院も、知識だけで動く理想郷ではありません。名誉も、序列も、派閥もある」


 それを隠して勧誘するつもりはないらしい。


「それでも私は、君の研究を一人の部屋だけで閉じるには惜しいと思っています」


 先日、カティアに問われた言葉が不意に蘇る。


 これから、どうするのか。


 研究したいことはある。目指したい方向もある。けれど、そのためにどこへ身を置くのかまでは決めていなかった。


 目の前に差し出されたのは、その答えになり得る道だった。


「……少し、考える時間をいただけますか」


「もちろんです」


「父とも相談したいです」


「それがいい。こういう話を勢いで決める者は、研究でもだいたい早合点をしますから」


 エルネストはようやく茶へ口をつける。


「ただ、一つだけ。学術院へ来るかどうかではなく、君の研究をどこへ持っていけば先へ進めるのか、それで考えなさい。場所を決める基準まで、私に預ける必要はありませんよ」


「……はい」


 学術院を選べと迫る言葉ではなかった。


 玄関までエルネストを見送り、閉じた扉の前で立ち止まる。


 王立魔術学術院。


 つい数日前まで、発表のために訪れただけの場所だった。そこへ今度は、研究する者として来ないかと誘われている。


 迷いはあった。


 それ以上に、確かめてみたいという気持ちが芽生えていた。


◇


 数日後、領地へ戻った。


 王都から馬車で一日。見慣れた丘陵と森が車窓に広がると、自然と肩の力が抜けた。


 華やかさはなくても、土と木の匂いがある。それだけで、自分の場所へ戻ってきたのだと実感する。


 父は書斎で帳簿に目を通していた。


「戻ったか」


「はい。少し、相談があります」


 父は手を止め、向かいの椅子を示した。


「王都で何かあったな」


「エルネスト・クローディアス教授から、王立魔術学術院の特待生として迎えたいと言われました」


 父の眉がわずかに上がった。


「クローディアス教授から?」


「ご存じなのですか?」


「名くらいはな。王国でも名の知られた研究者だ。軽々しく誰かを持ち上げる人ではないとも聞いている」


 しばらく僕を見つめたあと、父は静かに尋ねる。


「それで、お前はどうしたい?」


「……行ってみたいとは思っています」


「なら、何を迷っている」


 すぐには答えられなかった。


「今までは、自分で考えて、自分で試していれば済みました。でも学術院へ入れば、そうはいかなくなると思います。理論を見られて、反論されて、研究以外の人間関係にも向き合わなければならない」


「怖いか?」


「……少し」


 素直に認める。


 コロキウムでも、理論そのものを見ようとする人ばかりではなかった。けれど同時に、自分では思いつかなかった問いを投げてくれる人もいた。


 それを面白いと思ったのも事実だ。


 父は少しだけ目を細める。


「五歳の頃、お前の研究を外へ出すのはまだ早いと言ったことを覚えているか」


「はい」


「あの頃のお前には、理論を守るための時間が必要だった。だが、十五歳になった今も、同じ場所に留めておく理由はない。一人で進めるところまで進んだのなら、次は他人の目へ晒す時なのかもしれん」


 十年前には、まだ早いと止めてくれた。


 五年前には、名を伏せたまま外へ出す道を作ってくれた。


 そして今、父はまた先へ進むことを認めようとしている。


「お前はどうしたい?」


 もう一度、同じ問いが向けられる。


 今度は、答えに時間はかからなかった。


「行きたいです」


「そうか」


「自分の理論が、僕の見えていないところからどう見えるのか確かめたい。間違っているところがあるなら知りたいですし、僕一人ではできない研究もしてみたい」


 口にするほど、迷いより期待の方が大きくなっていく。


「……特待生の話を受けようと思います」


 父は静かに頷いた。


「なら、行きなさい」


 短い言葉だった。


 それで十分だった。


 王都へ向かうのは、知識を得るためだけではない。


 自分の理論を他者の目へ晒し、疑われ、検証され、それでも残るものを確かめるためだ。


 その先に何があるのかは、まだ分からない。けれど、分からないからこそ確かめに行く。


 それはこれまでと、何も変わらなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。