第12話 深紅の邂逅
王都ラディス・フェルム、その高台に構えるヴァレンティナ侯爵家の邸宅は、門をくぐる前から場の格を物語っていた。
白亜の外壁に、繊細な装飾を施された門扉。その奥には手入れの行き届いた庭園が広がっている。
母とともに大理石の階段を上り、重厚な扉を抜ける。途端に、眩い光と人々のざわめきに包まれた。
高い天井には巨大な水晶灯が吊るされ、磨かれた床へ淡い虹彩を落としている。華やかなドレスや礼装に身を包んだ大人たち。その間を、同じくらいの年頃の子どもたちが行き交っていた。
(……すごいな)
本で王都について読むのとは、やはり違う。人の数も、声も、視線も、屋敷とは比べものにならない。
母の隣を歩いていると、ほどなく別の貴族から声をかけられた。
「少しだけ、ひとりで大丈夫ね?」
肩へ手を置かれ、小さく頷く。
「はい」
「無理に誰かと話そうとしなくてもいいのよ」
母は微笑みを残し、大人たちの輪へ加わっていった。
一人になると、途端に何をすればいいのか分からなくなった。
近くでは、同年代らしい子どもたちが家で飼っている馬や剣の稽古、最近覚えた魔術について楽しそうに話している。
ひとまず挨拶くらいはしてみようと、輪の端へ近づいた。
「初めまして。ヴァルディエル子爵家のユリウスと申します」
練習した通りに頭を下げる。けれど、返事が来るまでに妙な間があった。
「……ヴァルディエル?」
一人が小さく呟き、隣の子と目を合わせる。
「あ……えっと、僕たち、向こうへ行くところだったんだ」
「う、うん。ごめんね」
それだけ言うと、何となく視線を逸らしたまま離れていった。
(……家名か)
別の輪でも似たようなことが起きた。
名乗るまでは普通だったのに、ヴァルディエルという家名を聞いた途端、ほんの少し態度が変わる。
露骨に侮辱されるわけではない。ただ、距離を取られるその理由には心当たりがあった。
そんな中、一人の少年がこちらを見て声を上げた。
「あ、ヴァルディエルって、あれだろ? 魔術が使えない貴族の家」
日に焼けた、体格のいい少年だった。周囲の子どもたちが気まずそうに黙るが、本人には悪意らしい悪意が見えない。
「父さまが言ってた。貴族なのに変な家だって。だから、あんまり近づかない方がいいんだって」
「……そうですか」
少年は別の子に呼ばれると、そのまま走っていった。
教えられたことを、そのまま口にしただけなのだろう。
父が軽んじられてきた理由も、兄が交流会で浴びた言葉も、一部の大人だけが抱いている偏見ではない。
魔術を使えることが貴族の価値を示す。そんな考えが、理由を問われないまま次の世代へ渡されている。
(……簡単には変わらないな)
書物で知るのと、実際に向けられるのとでは重みが違った。
気づけば、人の輪から少し外れた場所に立っていた。
「――あなた、少し疲れてしまったのかしら?」
不意に声をかけられ、振り向く。
深紅の髪を背に流した少女だった。淡い金糸の刺繍を施したドレスを纏い、姿勢も所作も年齢以上に落ち着いている。
それ以上に印象に残ったのは、こちらを見る眼差しだった。値踏みするような色がない。
「人が多いものね。怖い思いはしていない?」
少女は膝を折り、僕と視線の高さを合わせた。
「……大丈夫です」
「そう? なら、よかったわ。ようこそいらっしゃいました、小さな紳士さん」
おそらく、この人が。
「初めまして。ヴァルディエル子爵家次男、ユリウスと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
練習した礼を返すと、少女が目を瞬かせ、それから楽しそうに笑った。
「あら……とても上手ね」
「ありがとうございます」
「私はカティア・ヴァレンティナ。今日は父に代わって、少しだけお客様のお相手をしているの」
母から聞いていた、ヴァレンティナ侯爵家の令嬢だ。
そこで、ふと気づく。
家名を名乗ったのに、何も変わっていない。声も、距離も、こちらを見る目も。
「交流会は楽しめている?」
「……まだ、あまり」
「そうよね。初めてなら疲れてしまうわ」
理由を問い詰めることもなく、自然に受け止めてくれる。そのことが妙に印象へ残った。
やがて別の客人から呼ばれ、カティアが立ち上がる。
「ごめんなさい。少し行ってくるわね」
「はい」
大人たちの間へ戻ると、先ほどまでとは少し違う顔になる。年齢以上に落ち着いた言葉を選び、相手の話へ耳を傾けていた。
(すごい人だな)
思わず、その姿を目で追う。
その時だった。
「きゃっ――!」
甲高い声が広間を裂いた。
反射的に振り向く。装飾棚のそばで、先ほどの少年が背伸びをしていた。その手が棚の縁へ触れ、大きな花瓶が傾く。
少年はまだ気づいていない。
(まずい)
考えるより先に身体が動いた。
少年までの距離。花瓶のおおよその重さ。落下する向き。
すでに下へ動き始めている。重さを支えるだけでは足りない。少年へ届くまでに、下向きの速度そのものを落とす必要がある。
指先を向け、体内の魔力を起点に周囲へ働きかけた。
花瓶の底だけを強く押せば、局所的に大きな力がかかって割れるかもしれない。
底から側面まで広い範囲を捉え、全体へ上向きの力が加わるよう条件を定める。
落下が目に見えて鈍った。
けれど、止まらない。
(もう少し)
上向きの力を保ったまま、わずかに横向きの成分を加える。
花瓶は速度を落としながら軌道を変え、少年の頭上から外れていった。
あとは床だ。
接触する直前まで下向きの速度を削り続ける。
ごとり、と鈍い音が響いた。
「……え?」
少年が固まり、すぐに母親らしい女性が駆け寄る。
「大丈夫!? 怪我は?」
「う、うん……」
周囲の大人たちも集まってきた。視線の多くは少年と花瓶へ向いている。
(間に合った……)
小さく息を吐く。
以前なら、あれほど離れた対象へ、力の向きと作用する範囲を短時間で変えながら働きかけることは難しかった。
とはいえ、余裕があったわけでもない。距離がもう少し長ければ、同じようにできた保証はなかった。
「……あなた」
背後から声がした。
振り返る。
カティアが立っていた。先ほどまで大人たちへ向けていた落ち着いた表情は消え、深紅の瞳がまっすぐ僕の指先を見ている。
「いま……何をしたの?」




