アンナと母親(2)
それから日を改めて、セルフィに母と会う機会を設けてもらう手筈になった。
一ヶ月後、娼館の女主人から応接室を貸してもらえたようで、セイルさんと共に赴く。
ドアを開けるとソファに座っていた、少し老けた母が私の姿を見た途端破顔し、立ち上がると歩み寄ってきた。
「アンナ! やっぱり生きてたのね! 心配してたのよー!」
嘘だ。
感情に安堵したものが混じっているが、見知った人に会えて喜ぶことを心配していたに変換しているだけだ。
それは母の利でしかないので、直ぐに自身の身の上話になる筈だ。
母は親しい人と世間話でもするような明るさで口を開く。
「貴女がいなくなってから、お母さん本当に大変だったのよ! お父さんは卑しい女に騙されて、私の話も聞かずに離縁してくるし、その時に暴力まで振るわれたの! 長年一緒に暮らしてるのに酷いと思わない!? ……あんな人だったとは思わなかったわ。お金は人を変えるって本当だったのね〜。つくづく感じたわ。今は知り合いの家に住んでるんだけど、お金はなくて毎日の生活はカツカツで、体調は崩すしで、本当に苦労してるのよ〜!」
母は頬に手を当てて疲れたように盛大にため息をついた。やっぱり私の心配など口だけだった。
予想通りの反応である意味、拍子抜けかもしれない。適当に同調する。
「セルフィから聞いていたけど、大変だったのね」
「そうなのよ〜! 分かってくれるわよね〜!」
「生活がカツカツって言ってたけど、そんなに大変なの?」
「そうなのよ〜! さっき言ってたお母さんの知り合いが全然働いてくれなくて、仕方がないから私が働いてたんだけど、慣れない仕事で腰を痛めちゃって働けなくなっちゃったのよー」
「お金はセルフィが渡した分だけじゃ足りないの?」
「私も頑張ってやりくりしてるんだけど、どうしても足りなくなるのよねぇ」
自ずと目が見開いた。
――分かる。十六年間一緒に住んでいたせいか、母の考えていることは分かりやすい。
母の発する言葉には差し迫った重みはなく、余裕のある言い方をしている。
心配しなくてもお金を得られると確信しているから、慢心しきっているのだ。
私は口を開く。
「お母さん、少し嘘ついてるよね」
「え? 嘘なんてついてないわよ」
「セルフィから貰ったお金、大事に使わず質のいい品物を買ってるんじゃない?」
思い当たったのか、母は固唾を飲んだ。
緊張が解けて、もともと染み付いている生活に戻ろうとしたのだろう。
母は目元に力を入れて、動揺を見せた。
「健康のためなんだから仕方ないでしょう? 良い物を買わないと、もっと体調が悪くなるかもしれないじゃない」
「痛めたのは腰だったのよね? もう治ってるんでしょう?」
「治ってはいるけど……無理して痛みが再発したらと思うと怖いのよ」
「だけど、ちょっと頑張れば働けるくらいには元気なのよね? それなのに、セルフィが頑張って働いたお金を当然のように貰うのはよくないわ」
「私に無理しろっていうの!? なんて親不孝な子なの!? 私が無理して倒れたら面倒――」
「ええ。見てもいいわ。でも今のお母さんまだ元気そうだから、頑張って身を削って働いている姿を見せて欲しいのよ。今のお母さんは全然同情できないから、面倒なんて見たくないわ」
母は私の様子がおかしいことに気付いたようだ。眉をひそめて、気分を害しているようだが、顔が引けている。
彼女の心は予期せぬ娘の返しに動揺している。
私はそれを揺さぶるために母にゆるりと人差し指を向け、淡々と諭す。
「お母さんは、娘にねだるだけでお金が手に入ったから、簡単にお金が手に入るって勘違いしてしまっているのよ。それは正さないと、お母さんのためにもセルフィのためにもならないわ」
「な、何よ……! 生きてるかと思えば性格が変わったように偉そうに説教して――」
怯えの色が目についた瞬間、遠い昔に街で見かけた子を思い出す。
日の当たらない路地にしゃがみ込み、通りかかる人を無言で見つめていた暗い放置子を、母と一緒に見かけたときに彼女が言った言葉を口にする。
「お母さん今、"気味の悪い子"――って言おうとしたでしょう?」
母の顔が顔面蒼白になり、開いた口を震わせていた。図星だったようだ。
黙り込む母に私は目に入れていた力が和らいだ。
――まったく。まだ働けるのにセルフィから金の無心をすれば楽に生活できるなんて、図々しい話だ。娘をなんだと思っているんだか。
困ったように息を吐けば視線を感じた。
セイルさんとセルフィが呆気に取られた顔をして私を見ている。どこか恐怖心で慄いている様子だ。
「どうかしたの?」
「どうかしたの?、じゃないわよお姉ちゃん! お姉ちゃんの方こそどうかしたの?、よ!」
「どうかしたのって言われても……」
「いつもだったらお母さんの言いなりで気弱なのに……なんか、なんか――頼もしかったよ!」
セルフィが感嘆するように、初めて私に尊敬の眼差しを向けた。
う、うーん……? 別に当然のことを言っていただけなので、そこまで褒められるようなことはしていない。
前のめり気味に私を見てくるセルフィに、気圧されて苦笑いを浮かべていれば、彼女の隣にいたセイルさんが閉眼し悩ましげな口調で独り言をぼやく。
「なるほどな。便利でもあるが……これはこれで厄介なんじゃないのか……? いや、まあ、俺のだけよりはマシか……」
何かを無理やり納得しているようだった。
完全に疎外されている母は、俯いていたが覚悟を決めたかのように顔を上げると叫んだ。
「お母さん年だから中々職が見つからないのよ! それに、知り合いも多い街だから後ろ指を指されやすいのよ……。だから、少しでもいいから、これからもお金の工面をしてくれない!?」
「それじゃあ私が良い職場を紹介するわ」
「……え?」
「勿論、一人だと不安でしょうから、お母さんの職が安定するまで私も同じところで働くわ」
「え……」
母の勢いは衰え、嫌そうに声を出した。
年齢や境遇を言い訳にして逃げるつもりだったのかもしれないが――逃がさない。
見た限りでは元気そうなので、人に寄りかかるにはまだ早いだろう。
私は母からセイルさんに体の向きを変える。
「セイルさん、前にセルフィに紹介した絹織工場の求人票はまだありますよね?」
「……何年前の話だと思ってるんだ。あんなのもう捨てたよ」
セイルさんは呆れたようにため息をついて、私からふいっと顔をそらした。
私は彼の顔をじっと見つめて、口を開いた。
「自室の机の中」
「……」
セイルさんが一瞬考えるように視線を動かしたのを見逃さなかった。私は追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「一番上」
「……」
「二番目――二番目ですね!」
「……もう条件も変わってるだろうし、募集してるかも分からないぞ?」
観念したようにセイルさんは言葉を吐き出した。
私はほっと安堵する。
「募集してないならしてないでいいんです。一緒に確認しに行きましょう」
私が有無を言わさずセイルさんの手を握れば、悩んでいる様子だったが「募集してなかったら諦めろよ」という条件のもと一緒に絹織工場へと赴いた。
勿論母のことはセルフィに見張っていて貰ってだ。
結果――募集していた。
敗北したように頭を抱えていたセイルさんだったが、私は前より給金があがっているのを知り気分があがっていた。
初めて働けることに既に胸が弾んでいる。
私が機嫌よく笑っていれば、セイルさんが顔を引きつかせながら恐る恐る訊ねてくる。
「……り、寮には入らないよな?」
「いえ、母が逃げないように見張らないといけないので寮には入ります」
セイルさんの表情が苦悩で滲む。葛藤しているかのように瞳を閉じている。
頭を抱えながら、絞り出すように言葉を発する。
「――いつまでだ?」
「そうですね……母が仕事を覚えて安定したらですかねー」
「明確にっ! 期間を決めろ! じゃないと俺の心が持たねぇ!」
仕事内容と母の物覚えがどれくらいのものか分からないが、セルフィから聞くに三ヶ月までには仕事の全容を把握できたらしい。
でも就業を根付かせないといけないのでもう少しかかるかな?
「うーん……長くて一年ですかね?」
なんとなく思いついた期間を口にすれば、セイルさんは肩を落とし、切なげに目を伏せた。
「一年か……長いな……」
「――いえ、やっぱり三年かもしれません!」
「一年だな! 分かった! 引き延ばしはなしで、一年には必ず迎えに来るからな!」
私が言い直せば、セイルさんは慌てて念を押すように言い聞かせてきた。
一ヶ月延ばすのも却下だった。仕方がないので母に頑張ってもらうしかない。
娼館に戻り、働き先を工面出来たことを話すと母は取り乱したように暴れ始めた。
「ふざけないで! どうして私があんたと一緒に働かないといけないのよ! さっきから生意気な口ばかり利いてっ! あんたなんて私の娘じゃないわ!」
「はいはい。それじゃあセルフィのお母さん、一緒に行きますよ」
「い、イヤァァァー! せ、セルフィッ! 助けてぇ!」
「ごめん、無理」
私が力任せに母の腕をつかめば、母はセルフィに助けを頼んだが一蹴されていた。
セイルさんが小さく「やっぱり何処かに飛ばしておくんだったな」とぼやきながら移動魔法を使った。




