8.魔法使いの成り立ち
それからお風呂に入り、リビングで三人で寛いだ後、私はマージさんと一緒に自室へと向かった。
セイルさんが不安げに私たちを見ていたが、心配のしすぎだと思う。
私を壁側にしてベッドに入れば、隣に寝転がったマージさんは気持ちよさそうに体を左右にゴロゴロと転がしていたが、しばらくして気が済んだのかうつ伏せになって頬杖をつき、私の顔を覗き込んだ。
「アンナはここにきてどれくらい経つんだい?」
「えっと……一月くらいですかね?」
「それじゃあ、あいつの身の上話は知っているのかい?」
首を横に振る。
積極的に訊くものでもないのかなと遠慮して話題にも出さなかった。
マージさんは瞳を閉じて穏やかに語り始める。
「セイルはねぇ、六百年前、戦争を止めるために魔法使いになったんだよ」
「戦争を止めるために……?」
聞き返せば、マージさんは目を開けて頷いた。
「もともとあいつは戦災孤児でね、六百年前といえば――まあ、血気盛んなやつらが多くてねぇ。魔女と魔法使いも国のお偉いさんが大金はたいて雇っては、ドンパチやりあったものさ」
何でもないように語っているが、私が想像できないくらいに熾烈な時代だったのだろう。
マージさんは手のひらを広げた。
「そんなクソみたいな世界に辟易していた、死にかけの坊主がセイルだ。俺が魔法を使えたら世界を平和に導くんだと大層なことをほざいていたよ。それから念願の魔法使いになったあいつはすべての争いに顔を出しては、残忍な素行が知れ渡り人々に恐れられたもんだよ。その行いの全ては平和のために――世界で起こった最後の戦争を知っているかい?」
「え? はい。有名なので知っています」
二百年前に起きた、大きな大陸同士の争いのことだ。
歴史においても有名なので知らない人はいないだろう。
「その戦争はアンナも知っての通り、大陸同士が同盟を結んだことで呆気なく終結した。互いに恨まないように、痛み分けをしようと同意が交わされてね。セイルはどちらかに不満が生まれるだろうと勘繰ってたみたいだけど、年月を重ねていくごとに人々の意識が平和を望むようになった結果、セイルが願う平和へと世界が追い付いたんだ。そしてこれまで、国同士の争いは起きなくなった」
数百年争いばかりだった世界が、人々の意識によってなくなった。
争いを起こすのが人ならば、それを止めるのも人しかいないということか。
「――で、だ。世界で一番平和を願っていた男が真の平和を目にしたとき何をしたと思う?」
突然のクイズに私は唸る。
セイルさんが世界平和を目にして何をしたか?
私は悩んた挙句に導き出した答えを口にする。
「自分を褒め称えた?」
「ぶぶー。残念。正解は、真の世界平和を目の前にして、やることがなくて立ち尽くしていた、でした。心で燃えていた炎がふっと消えてしまったんだろうね。哀れ極まりないだろう?」
「平和になったのに、やることがなかったんですか?」
「ああ。あいつの目的は戦争をなくして世界を平和にすることだけで、その先は、とんと無計画だったのさ。他の魔女や魔法使いは変わった世界に順応していく中、あいつだけは時が止まってしまったんだ」
私は息をのんで視線を下げた。
誰よりも平和を願っていたはずなのに、平和になった途端やることがなくなるなんて、あまりにも――虚しい。
考えたくはないが、平和に何も見いだすことができなければ、本当は平和など望んでいなかったんじゃないかと、疑心を抱いてしまうんじゃないだろうか。
マージさんは息を吐く。
「その後のあいつの堕落しきった生活は目に余るものだったから、私は魔法使いにした手前、ついつい口出ししてしまったのさ。魔法を使わない生活をしてみたらどうだいって、ね。とはいえ、私の言葉に簡単に動くようなやつじゃないから、まずは野菜の苗を押し付けて育ててみろって言ったんだ。もちろん、枯らさないようにって脅しもつけてね」
心を痛めていたから、マージさんの計らいに私はほっとする。
暗い話から、流れが変わった雰囲気を感じ取る。
「そしたら――性に合ってたんだろうね。私がいちいち言わなくても、段々と勝手に趣味をみつけるようになって、今じゃその趣味に私の個人的な依頼を押し付ける間柄になっちまったよ」
やれやれと肩をすくませるマージさんだったが、瞳が優しげに緩んでいて、私は微笑ましく感じた。
きっと彼女はセイルさんの母親のような存在なのだろう。
温かな愛情に包まれているセイルさんが、少し羨ましい。
「だから、あれこれ独りで楽しそうにやってると思ってたんだけど――内心は独りで寂しかったんだろうね。周りを犬やら牛やら鶏で固めててさ。無理して寂しさを埋めているみたいで――不憫で仕方がなかったよ。……だから、私はここにアンナがいてくれて嬉しいんだよ」
「マージさん……」
憐憫を誘うマージさんの表情に、私はなんだか同情心を抱いてしまって胸がぎゅと苦しくなった。
と、同時に遠くからドタドタと慌ただしい音がだんだんと近づいてきて部屋の前で止まると勢いよくドアが開いた。
「勘違いしてるんじゃねぇー!」
セイルさんが怒鳴り込んできた。
あまりのタイミングの良さに私は呆気にとられたが、そんな私を無視してセイルさんはズカズカとマージさんに詰め寄った。
「そんな言い方したら、俺が寂しくて動物を囲ってると思われるじゃねぇか!?」
「なんだ? 違うのかい?」
「違うに決まってるだろ! 寧ろあいつらが寂しがってるから俺が一緒にいてやってるんだよ!」
素っ頓狂な声を上げるマージさんに、セイルさんはまくし立てて反論していた。
そのやりとりを私はぽかーんと眺める。
「え? え? ど、どうしてセイルさんが私たちの会話の内容を知ってるんですか!?」
「私が余計なこと言うんじゃないかって魔法で聞き耳立ててたんだよ。まったく、心配性だねぇ」
「心配してた通りになってんじゃねぇか! 誰が人と交流がない寂しがりやなおっさんだ!? 名誉毀損で訴えるぞ!?」
マージさんが呆れた様子でため息を吐くと、セイルさんの火に油を注いだのか息つく暇もなく抗議していた。
しかし、私はあることが気になって仕方がなかった。
疑うのは悪いと思いつつも念のため確認する。
「まさかとは思うんですが……いつもはしてないですよね?」
「え? いつもしてるのかい? やだねー。デリカシーがないやつだねぇー」
「してるわけねぇだろ!」
「ご、ごめんなさい。そうですよね……」
独りで変なことを呟いていなかったかと不安になったが、大丈夫みたいだ。
その後セイルさんはマージさんに「憶測で変なこと言うんじゃねぇぞ!」とくぎを刺してから出ていった。
なんだか嵐が去ったように部屋が静かになったので、私は苦笑する。
改めてマージさんとベッドに横たわり、話しかける。
「だけど、セイルさんに断りもなく、勝手に過去を聞いてしまってもよかったんでしょうか?」
「止めに入らなかったってことは、聞かれても問題なかったってことだよ。恥ずかしい事でもないしねぇ」
「それならよかったです」
知らないところで自分の話をされて、気を悪くしていないかと不安になったが、確かに嫌なら最初に止めにはいるだろう。
「さてと、五月蠅いのがまた来ちゃ堪らないから、私たちは寝るとしようか」
「そうですね」
アンナさんが指を振れば、部屋の明かりが消える。
彼女は横向きになると私にかかっている掛布団をかけなおし、胸に手のひらを置いてきた。
「おやすみ、アンナ」
「はい。おやすみなさい、マージさん」
瞳を閉じれば、胸に置かれたマージさんの手の重みが伝わってきてなんだか温かくて心地が良かった。




