アンナとミラ(終)
それから数週間後、マージさんが訪ねてきた。
私は少し待ってもらうようお願いして、自室から前にセイルさんから貰った解かなかったリボンを首にかけた。
そしてリビングに戻ると、出掛ける前にセイルさんに向き合った。
「セイルさん。私、今からミラさんと会ってきます」
セイルさんもマージさんも驚いた顔をした。
「だ、駄目に決まってるだろ! よりにもよってあいつの所なんて、行かせる訳がないだろ!? いつそんな約束をした!」
「ごめんなさい、セイルさん。実はこの前もミラさんに隠れて会っていたんです。でも、考えてみたら自分の意思で決めたことを隠す必要はなかった――。今日は私の意思で、ミラさんに友達として会いに行きます。危なくなったら必ずこのリボンを解きます。――信じてくれますか?」
「……」
例え信じてくれなくても、私は行くだろう。
この前は最終的に苦い結果に終わったが、ミラさんと最初に交わした会話は、同年代の友達のように楽しかった。
多分あれが本来のミラさんなのだろう。
セイルさんの感情のない瞳が少し揺れ動く。
「中々言うじゃないかい。見直したよ」
マージさんはからかうような口調で、私の肩に手をかけてきた。
「アンナが言ったように、前回ミラと会って無事に帰って来れたんだ。それが安全である何よりの証拠さ。それに――本人が行きたいって言ってんだから、行かせてやりな」
セイルさんは額に手を当てて自分と葛藤しているようだった。そして暫しの間の後、苦悩の表情で私を見据えた。
「――本当にリボンを解くんだな?」
「はい。今度は必ず」
「……」
セイルさんは何も言わなかったが、了承の意と取った。
今日はこの前とは違う街を訪れた。ミラさんに会うと私は、挨拶もそこそこに確認した。
「この前言った遊び、覚えていますか?」
「ええ。人を殺さない遊びでしょう。大丈夫よ。分かっているわ」
「それじゃあ、遊びましょうか」
「ええ」
ミラさんと私は手を繋いだ。
色んな店を覗いていると本屋が目についた。私は彼女に世間話のように問いかける。
「ミラさんは本は読んだりするんですか?」
「あまり読まないわね。貴女は読むのかしら?」
「少し読みますよ。え、えっとですね」
本屋に入り本棚を眺めて、女性人気の恋愛小説を手に取った。
「この本は騎士と令嬢の恋の物語なんですけど、出てくる騎士が格好良くて、どきどきしてしまいました。ま、まあ、私には縁遠い話なんですけどね」
「そうなの? 私にも読ませてちょうだい」
手に取った本をミラさんに手渡すと、流し読みするようにパラパラとページをめくり、本を閉じた。
「大体分かったわ」
彼女は微笑みながら満足そうに頷くと、後ろ髪を解いて――みるみるうちに姿が変わり、本の登場人物である金髪の騎士の姿に身を変えた。
唐突なことでぎょっとする私の前に跪き、彼女は私の手を取ると乞い願うような眼差しで見上げた。
「私の忠誠心は王に捧げているというのに、貴女を前にするとこの胸は囚われたかのように容易く揺れ動く……。今宵、貴女の御心を奪おうとしている愚かな騎士を、どうかお許しください」
「み、ミラさん……!?」
ミラさんは私の甲に口付けした。
羞恥と動揺で辺りを見回して誰も見ていないかを確認し、私は慌てて彼女を諌めた。
「あ、あの……! も、元の姿に戻って頂けないでしょうか……! こ、こういうのは、困ります!」
私がわたわたと焦っていれば、ミラさんは切れ長の瞳で探るように見上げてきたが、立ち上がるとともに白銀の髪色の女性に戻った。
「あら? 気に入らなかった? 大体こんな感じだと思ったのだけれど」
「い、いえ! 概ね想像通りではあったんですがっ! 私はミラさんと遊びたいので、私の思うミラさんでいてください!」
「そう? 喜ぶと思ったのだけれど」
「お気持ちだけで十分です! ありがとうございました!」
ミラさんは悪戯が成功したように無邪気に笑った。
再び街を歩いていれば、懸念していた通り男性が絡んできた。
ミラさんが稀に見る美人だからだろう。
「お姉さん、俺と一緒にお茶しない?」
「駄目よ。今はこの子と遊んでいるの」
「ならその子も含めていいからさ」
「駄目ったら駄目よ。如何わしいことをしようとしているのでしょう? あんまりしつこいと大声で叫ぶわよ」
ミラさんはチラリと視線を別の場所に移すと、そこには見回りの警官がいた。男はそれに気がつくとバツが悪そうにそそくさと逃げていった。
私は彼女を笑って褒めた。
「躱し方、上手でした」
「そういう遊びでしょう?」
「はい!」
私たちは再び街を散策し始めた。
軽い食事や、雑貨を見て回ったりと一頻り楽しんだ後、観光の貼り紙が目に入った。
「ミラさん。近くで滝が観れるそうですよ! 少し歩くみたいなんですけど、今から行ってみませんか?」
「ええ。良いわよ。貴女が行きたい所に行きましょう」
ミラさんは微笑みながら、頷いた。
滝は街から離れていて、平坦な道から川沿いの山道を歩いた先にあった。
岩で囲まれた滝つぼに、体の芯に響くような音を立てて滝が落ちていく様は、圧巻だった。
「凄い迫力ですね! ミラさんもそう思いますよね?」
「そうね」
彼女は微笑みながら頷いたが、少し淡白さを感じて一つの可能性が頭を過った。
「……もしかして……来たことあるんですか?」
「来たことあるわ」
「え!?」
「何年も前のことだから、何かが変わっているかもと思っていたけど……特に変哲もないただの滝ね」
ミラさんはいつも通り和やかな口調で答えた。
私は彼女にも喜んでもらおうと思っていたので少し残念な気分になった。
しかし、よく考えてみれば彼女はセイルさん以上の時を過ごしているので、来たことがない場所を見つける方が困難なのかもしれない。
「貴女は?」
「え?」
「貴女は来たことないんでしょう? 折角来たんだから、近くに観に行ったら?」
「……そうですね!」
ミラさんの言葉に、私は甘えることにした。
滝つぼに近づけば微かに水飛沫が飛んできて、外気に触れている肌を濡らす。
大きな平らな岩を渡り歩きながら滝を眺めていれば、ふと視界に違った景色が映った。
「あ。ミラさん、凄いですよ! ここから滝を見上げると虹が見えます! ――って、ミラさんはここに来たことあるんですから、当然知ってますよね」
私はミラさんを手招いたが、ハッとして苦笑いした。
一瞬ミラさんがきょとんとした表情をして――可笑しそうにふっと笑った。
彼女は穏やかな表情で、隣に来ると私を見てから視線を滝に移した。
「いいえ。初めて知ったわ」
「え? でも来たことがあるって――」
「ここに来た時はいつも独りだったから――誰かが居る景色は初めてよ」
ミラさんの声音が始めて弱気で消え入りそうなものに変わった。
彼女の顔を見れば、瞳を細め追憶するように滝を見つめている。
「――綺麗ね。だけど綺麗って――怖いのね。思い出したく、なかったわ」
震える声には後悔を滲ませて、ミラさんは泣き出しそうな瞳をそっと閉じた。その姿は酷く痛ましかった。
彼女は閉じた瞳を開き、私に向き合うと微笑みながら両手を伸ばしてきて、飛ぶように前に出た。
両頬を包まれ、ミラさんの唇が瞳に近づいて瞼を閉じれば柔らかいものが触れた。
瞬間、意識が何かに引っ張られるように何処かに誘われる。
荒廃した地に見えるのは死者を弔う人の後ろ姿。
大きな背中の筈なのに、その姿は儚げで小さくて消えてしまいそうに弱々しい。
だけどそれを見ている誰かはどうしていいか分からない。
抱きしめてあげたいのに、彼が求めているものは自分ではないことだけはわかる。
彼の周囲には何もなく、周りを満たしてあげたくなる衝動に駆られる。
――何をしてあげたら、この子は寂しくなくなるのかしら――?
ポツリと心のなかで呟かれた言葉に、目頭が熱くなって、意識が引き戻される。
最後に一瞬だけ、青々とした草原が宝石の粒を散らしたように輝いてる中、知らない少年が無邪気に笑っている姿が見えた。それは遥か遠く、人が生まれて間もない世界――。
そして視界に映るのは、慈しむように私をのぞき込んでいるミラさんの赤い瞳。
彼女は瞳を逸らさず小鳥のように囁く。
「アンナ、遊んでくれてとっても楽しかったわ。もう二度と会うことはないでしょう。さようなら、私の最初で最後のお友達――」
ミラさんはそう言うと私の両頬から手を離し、身を引くと胸のリボンに手を掛けて勢いよく解いた。
リボンが宙に舞い、彼女はふっと穏やかに笑うと倒れるように川に飛び込んだ。
「ミラさん!?」
慌てて這いつくばって川の中を覗きこむ。
彼女は川底に沈んでいくように泡になって消えていった。
水面に自分の泣き顔が映っては揺らいでいる。
ミラさんは心の底からセイルさんを愛していた。でもどうしていいか分からなかった。彼のその姿はミラさん自身でもあったから――。
目から涙がとめどなく溢れながら見つめ続けていれば、隣に誰かが来てしゃがんだ。
「アンナ?」
私を突き動かしたのは、ミラさんの感情に当てられたからか、それとも私自身が彼を抱きしめてあげたくなったのかわからなかった。
私は顔を上げると、セイルさんの頬を両手で包みキスをした。柔らかい唇が触れ合って、離れると私は瞳を開けて口を開いた。
「私、セイルさんのことが好きです。――愛しています。貴方の苦しみを、寂しさを、どうしたら癒してあげられますか?」
セイルさんの感情のない瞳が大きく見開いた。
それを目にした私は、もう一度自分からキスをした。
そして再び離れてそっと瞼を開ければ、セイルさんは感情を取り戻したのか、驚いた表情で私を見てくれている。
恋情を込めた瞳で見つめていれば、セイルさんの瞳が徐々に熱を帯びていく。
私の片頬に大きな手が添えられて、セイルさんが言葉を紡ぐ。
「俺も――アンナのことが好きだ。――愛してる」
その返事を聞き届け、熱が交わった視線が段々と距離をなくしていき瞳を閉じて、唇が触れ合った。
背中に手が回され、私もそれに応えるように抱きしめる。それからお互いの感情を確かめ合うように、何度も口付けを交わし合った。
日が落ちて、濡れた体が肌寒くなって私たちはようやく正気を取り戻した。
互いの顔を見つめて、恥ずかしくなって視線をそらした。
「か、帰るか」
「は、はい」
手を握るときも指が一度触れ合って、緊張でびくりと離してからおずおずと握り合った。
家に着くとお互いギクシャクしながら、適当に思い出したやらなければやらないことをやり始めて、お風呂を終えて、無言のまま食事を作って、全てを片付けたあとリビングのソファに隣同士に座った。初めて出会ったときのような雰囲気に包まれる。
だけどあの時とは感情が違っていて、緊張していて、どこか気まずいような、だけどもう少し一緒に居たくてたまらないという様々な想いが体に作用して胸がドキドキしている。
セイルさんをチラリと盗み見すれば、同じ気持ちなのか正面をみながら顔を赤らめ、居づらそうに頻りに首を撫でている。
「あの……セイルさん、私たち恋人同士ってことでいいんですかね?」
「お、おう」
微かに震える声でセイルさんは肯定した。
その返事が面映ゆくて膝の上に置いた手ばかりを見てしまう。
そのまま何をするわけでもなく時間が過ぎていく。静かな部屋の中で、隣にいるセイルさんの存在を意識するだけで幸福感で満たされる。
「そろそろ寝る時間ですね」
「そ、そうだな」
「こ、恋人になってから、改めて一緒に眠ると思うとちょっと恥ずかしくなりますねっ!」
「……え?」
私が同意を促すように横に上体を傾けて言えば、初耳のようにセイルさんが狼狽えるような声をあげる。
しかし、セイルさんはみるみるうちに顔が赤くなり、何かを思い出したのか、慌てて立ち上がると走り出す。
私の部屋へと向かったので後を追えば、セイルさんは魔法でベッドを出して真っ赤になった顔で振り向いた。
「今日からっ! アンナはここで寝るようにっ!」
「ええ!?」
「いいな!?」
強く念押しすると私の返事も聞かずに、セイルさんは逃げるように去っていった。
恋人になったというのに、なんだか距離が遠のいたみたいだった。
少し寂しさを覚えた私は、セイルさんのところに談判しに行った。
しかし――
「今までの俺はどうかしてた! 正気じゃなかった! 付き合って間もないのに同衾するのは早すぎる!」
と顔を真っ赤にして大声で訴えられて、断られた。
私は恥を忍んで、奥の手を使うことにした。
「あ、あの……一人で寝るの怖いです……!」
「ッ!? 俺を惑わそうとするのは止めろ! 絶対駄目だ! 駄目! 駄目駄目駄目!」
体中赤くなっているセイルさんの思考が限界突破したのか、首を横に振りながら駄目しか言わなくなってしまった。
私が引かなければセイルさんは壊れてしまいそうだったので、渋々自室に戻った。
一旦完結済みにします。
また後日、ミラの過去話や父や母の話、その他諸々あげて行こうと思います。




