ロンシェンとラブラブデート(後)
セイルさんが姿を消して、私は気まずい思いで言葉を呟いた。
「セイルさんを怒らせてしまいました……」
「アンナさんが気にする必要はありません。彼の怒りの矛先は完全に私に向いてますから」
うーん。こんなことになるなら早くセイルさんにロンシェンさんに会いたいと、伝えておくべきだったのかもしれない。
私が後悔していれば、手を取られたのでロンシェンさんを見上げた。
「それでは、気を取り直してラブラブデートを始めましょうか」
ロンシェンさんはほくほくした様子で満面の笑みを浮かべた。
それから私はロンシェンさんと一緒に街に出かけ、前と同じように色んな店を回った。
この地域ならではの洋服などを試着したり、街の人とお話したり、食べ物を食べさせて欲しいという要望も聞き入れたりと、楽しく過ごすことができた。
ロンシェンさんも終始楽しそうだったので、お礼にはなったようだ。
そしてロンシェンさんの家の近くに戻ると、彼は草原に腰を下ろし、陽気に笑いながら甘えた声を出して私を手招きした。
「アンナちゃん膝枕してー!」
「いいですよ」
私は了承し、ロンシェンさんの前に腰を下ろす。嬉々として彼は私の足に頭を預けてきた。
私はそれを視認してから、周りの景色に視線を向ける。山頂から遠くを眺めれば、複数の雲が浮かんでいる夕焼け色の空が広がっていて綺麗だ。
眺めていれば頬をそっと撫でられる。
下を向けばロンシェンさんが銀色の瞳を開けて、私を見上げ穏やかに微笑みながら優しい声音で話しかけてきた。
「今日は私の言う事をなんでも叶えてくれますね」
「お礼ですので、私にできることなら叶えますよ」
「――そうですか。私としては至福なことですが、さすがに危機感がなさすぎるのは、セイルくんが可哀想になりますね。少し教育しましょうか」
「え?」
上体を起こしたロンシェンさんは私に向き合うと、愉快げに目を細めて笑い両腕を掴んできた。
そのまま後ろへと押されて背中に柔らかな地面が当たったと思えば、ロンシェンさんに見下されていた。
覆いかぶされて驚いたが、ロンシェンさんの結んでいた長い髪が垂れて首を擽り、私は思わず噴き出してしまった。
顔を横に向けて笑っていれば、ロンシェンさんがポカンとして私を眺めているのが横目に入った。
「ごめんなさい……! ロンシェンさんの髪の毛が擽ったくて……!」
押し倒されたのは吃驚したが、それよりも首に当たる髪のほうが気になってしまった。
呆気にとられていたロンシェンさんだったが、不意に口元に不敵な笑みを浮かべながら自身の髪の束をつまみ上げた。
一瞬不思議に思うも、彼はそれを筆のように扱いながら私の顔から首にかけて弄りだした。
擽られた私は身を捩らせながら笑う。
一頻り擽られれば手が止まり、ロンシェンさんは口を開いて弱った表情を浮かべながら上体を起こした。
「あー。困ったよー。忠告するつもりが完全に先手を打たれてしまったねー……」
「?」
よく分からないが、想像と違ったらしい。
ロンシェンさんは瞼を開いて銀色の瞳で私を穏やかに見下ろす。
私が見つめ返していれば、彼は機嫌よさそうに笑った。
「まあ、据え膳食わぬは男の恥といいますし……いいでしょう」
「?」
再びロンシェンさんに覆いかぶされたと思えば、「いただきます」という言葉と同時にスカート越しに太ももを撫でられ驚いた反射で顔を上げればすかさず首元にリップ音が鳴り響いた。
いきなりのことで目を白黒させたが、直ぐにロンシェンさんは上体を起こして私から離れた。
――いや、自分から起きたわけじゃなくて、セイルさんが必死の形相で引き剥がしてくれたみたいだ。
セイルさんはロンシェンさんの後ろ首を力任せに引っ張ると殺気立った目つきで問いた出し始めた。
「今……何をしようとした?」
「やだなぁ。ただの猫の戯れじゃありませんか」
「こんな下心丸出しの猫がいてたまるか! 本当に信用ならねぇ奴だな!? 半殺しにされてぇのか!?」
セイルさんは相当怒り心頭のようで、ロンシェンさんの胸ぐらを掴むと高速で揺さぶり始めた。
私は呆気にとられながらも起き上がり、その様を眺めた。
すると突然セイルさんの背後にマージさんが現れた。
「はぁ。折角良いところだったのに――そんなに早く邪魔に入らなくても良かっただろう?」
彼女は耳に掛かった長い髪を手で払い、呆れ果てながらセイルさんに声をかけていた。
どうしてマージさんがいるのか不思議に思った私は彼女に問いかけた。
「どうしてマージさんがここに?」
「ちょいとセイルに頼まれたことがあってね」
「?」
愉快げに笑って答えられ、私は首を傾げた。
セイルさんの揺さぶりが止まれば、ロンシェンさんもマージさんの存在に気づいたようで、首を傾げながら訊ねた。
「マージさん? 何用ですか?」
「セイルから聞いたよ。ロンシェン、私とキスしたいんだってねぇ」
「……はぁ!?」
ロンシェンさんはあからさまに嫌悪感を剥き出しにした。
えぇ!? セイルさんからの頼まれ事ってこれのこと!? どうしてそんなことをセイルさんは頼んだんだろう!?
マージさんは胸を張り堂々としながら、ロンシェンさんの目の前で立ち止まった。
ロンシェンさんは慄いている様子だったが、何かに勘付いたのかフッと含み笑った。
「――浅はかですね。そんなことをされたとしても、私のファーストキスの相手がアンナさんであるのは変えようのない事実。天変地異が起きようともそれが覆ることはありません」
「そうかい。だったら試してみるかい?」
不敵に笑ったマージさんの手がロンシェンさんの顔に添えられる。
こ、これ私見ちゃってもいいのかな!?
どきどきと見守っていれば、セイルさんが気まずそうにしながら私の背後に回った。
そして視界に手のひらが降りてきて覆いかぶさった。
瞬間、ロンシェンさんは声にならない悲鳴を上げていた。
塞がっていた視界が開けばロンシェンは這いつくばって吐き気を催していた。
「オェー……清く美しい想い出を汚された気分よー……」
「少しは俺の気持ちが分かったか?」
「全然趣旨違うよ!? 精神的外傷受けたよ!?」
「ロンシェン……下手くそだねぇ」
「追い打ちをかけるのは止めてください!」
マージさんが残念そうな表情で自身の唇を指でなぞれば、ロンシェンさんは泣き出しそうな声で叫んだ。
状況はよく分からないが、なんだか皆が楽しそうなので良いのかもしれない。
それから私は帰ることになり、セイルさんの隣に並んでロンシェンさんとマージさんに向き合った。
「またデートしましょうね、アンナさん」
ロンシェンさんが愉しそうに片手で投げキスを送ってくる。するとすかさずセイルさんが私の前に立ちふさがった。
「束縛は嫌われますよ」
「うるせぇよ」
「……まあ、いいでしょう。それではお二人ともまた会いましょうね」
「二度と来るか!」
「いいえ。貴方達はまた私を訪ねてきます。それも自らの意思で、ね」
ロンシェンさんは全てを確信しているような物言いで断言した。
気になってセイルさんの横に移動すれば、彼は銀色の瞳で私たちを見据えている。
だからだろうか。不思議と本当にそうなるんじゃないかと思ってしまった。
セイルさんは文句を言いたげにしていたが、ロンシェンさんが意味深な笑みを崩さないので、舌打ちして顔を逸らした。
そして家に帰り着いたが、セイルさんの手は離れることなく握られている。
いつもならすぐに離れるのにどうしたのかと顔を見上げれば、握られてる手に力が込められる。
胸がどきりと跳ねれば、セイルさんが流し目で私の顔を窺うように見つめた。
「……ロンシェンとキスして嫌だっただろ?」
「嫌……というより……」
私が口を開けたまま言葉を切ればセイルさんから何かが伝わってくる。
もやもやした感覚が肌に纏うような……これは――不安?
セイルさんの顔をじっと見つめれば気まずそうに視線をそらされる。
私はこの不思議な感覚を不可解に感じながらこめかみを指で押さえて言葉を伝える。
「なんか……思考? 感覚? が冴え渡っているような……」
「……?」
セイルさんが首を傾げる。
なんというか、今まで浮かれきっていた心を諭されているような気分だ。
私が奇妙な感覚を抱いていれば、セイルさんは訝しげにしていたが、逡巡したように目を彷徨わせた後、口を開いた。
「――取り敢えず、嬉しくなかったのならいい」
ぶっきらぼう気味に言われたその言葉に私は目を見張る。
セイルさんがきまりが悪そうにしているのを見て、私は先ほど彼から感じとった感情にハッと合点がいった。
――セイルさんの不安はこれのことだったんだ。
二人を見送った後、マージはロンシェンに問いかける。
「アンナのこと、本気なのかい?」
「勿論ですよ。人であるなら見守ろうと思いましたが永遠の命があるというなら話しは別です。何より、私のファーストキスの相手ですからね」
「おや? セカンドキッスは忘れちまったのかい?」
「思い出したくもありませんね……」
わざとらしくマージが投げキスを送れば、ロンシェンは口元を手で押さえ、口内に残っている感覚を思い出し青ざめる。
マージは可笑しそうにクツクツと笑う。
「でもあれは無理じゃないのかい? どう見てもセイルのことが好きじゃないか」
「私は待つのは好きなんですよ。いつ落ちてくるか分からない果実を見上げながら手を構え続けて、時折風で揺らぐ姿を見れば期待で心躍らせる――愉しいでしょう?」
「私にはその価値観は分からないねぇ。力付くで奪うほうが楽だからねぇ」
「お互い、昔から変わりませんね。まあ、数百年も経てば倦怠期でセイルくんも愛想つかされるでしょう」
「尽かされなかったら?」
「私は数千年先でも待てますよ」
「そりゃあ随分と気の長いことだねぇ」
ロンシェンがせせら笑えば、マージは肩をすくめて冷笑した。




