7.魔法使いの初キスの相手
山での生活は自給自足でほとんどが成り立っていたが、調味料類とセイルさんの趣味用品、本屋や布地、薬品を入れるための瓶などは街で購入しているらしく、彼は度々出かけていた。
私も誘われるのだが、恐らく行方不明になっているはずなので断れば、案の定家族が捜索願いを出していると伝えられる。
行方知れずの私を心配して、とは考えられない。
死んでもいいと突き放した彼らが私を探す理由は、男爵家、ベルべとの婚約を未だに私と組ませるためだろう。
あんなに色々なものを買い与えられたというのに、セルフィは絶対に結婚をしたくないようだ。
まあ、私が殺人未遂を犯すような男だと明かしたことも原因なのかもしれない。
だけどそれは私だったからであって、セルフィに危害を加えるような男ではないと思う。
――人の心は分からないから、憶測でしかないけれど。
セイルさんが街へ出かけている間、私はジャムを作ろうとキッチンに立った。
まずは鍋にジャムを入れる用の瓶と蓋を二個ずつを水に沈め、沸騰させて消毒する。
その間に摘み取っていたラズベリーを洗い汚れを落としてから、布で水けを拭きとり、鍋に入れてレモン汁と砂糖をまぶしておく。
熱くなった瓶をトングで取り出し、水けをきるためにザルの上にさかさまにして置いていれば、玄関の戸が勢いよく開いた。
「セイルはいるかーい!?」
やや低めの女性の明るい声が部屋に響く。
急なことに驚きつつも私は、遠慮なしにずかずかと家の中に入ってくる背の高い女性を凝視した。
栗色の長い髪をなびかせて、彫刻のような顔つきの瞳はやや吊り目気味で、目元の下にはほくろがあり、赤いグロスが塗られた唇は弧を描いており勝気さが窺える。
豊満な身体を隠すことなく体に沿った黒色のワンピースは胸元が開いており、あまりの大胆さに思わず注目してしまう。
「おや? おやおやおや~?」
女性は私の存在に気づくと、物珍しそうにしげしげ見ながら一気に距離を詰めてきた。
あまりの距離の近さに思わず私が体をのけぞらせれば、女王は値踏みするように意味深に目を細めた。
「なるほど。さてはあんた、セイルのこれだね?」
彼女は小指を立てて私に見せつける。
自分の出した答えに揺るぎない自信を持っているようで、彼女は得意げに鼻をふふんと鳴らす。
私は呆気にとられたが、このまま誤解されてはセイルさんに迷惑がかかると思い慌てて首を横に大きく振った。
「違います違います! 私はその、アンナと言いまして、下僕という名のただの居候です!」
「え〜? なんだ。違うのかい」
息巻いていた女性は私の言葉にあからさまにがっかりして肩を落としていた。
私はほっとしつつも、どうしてそんな勘違いをしたのか不思議に思った。
セイルさんは口は悪いが、黙っていれば芸術的なほど美しい男性だし、何かと世話を焼いてくれて、魔法がなくても家事はできるし、洋服まで作れてしまう。
……どう考えても私とは不釣り合いだ。
とはいえ、自分を卑下してしまうのは時間の無駄なので、気持ちを切り替えて改めて女性に向き合った。
「もしかして、鏡台にピアスを忘れていた方ですか?」
「ピアス? ――ああ。片方なくしてたやつか。へぇ。まさかそんなところにあったとはね」
二人で私の自室となった部屋に行く間に彼女はマージさんという名前だということを聞くことができた。
部屋に入るとマージさんは鏡台においてあるピアスを手に取り懐へと仕舞った。
「あの、セイルさんとはどのようなご関係なんですか?」
私の問いかけに、マージさんは唇に人差し指を当ててウインクをする。
「セイルのファーストキスの相手、といったところかね?」
返ってきた返答に思わず息を呑む。
私を恋人だと勘違いしたことから、今は付き合ってはいないようだが、恐らく彼女はセイルさんの元恋人なのだろう。
もともと勝負をしたいとは考えていなかったが、私は少しだけ胸がもやもやと曇る。
「ふーん。ショックなんだ?」
いつの間にか俯いていた顔を覗かれていることに気づき、慌てて顔を上げた。
「あ……えっと……そうだ! ジャム作りしなくちゃ!」
居心地が悪くなった私は逃げるようにキッチンへと向かった。
水分が出ているラズベリーの鍋を弱めの火にかけて、木ベラを使って潰して煮詰めていき、灰汁が出れば丁寧に取り除く。
甘酸っぱいいい香りが漂ってきて食欲をそそられる。
部屋から戻ってきたマージさんが私の隣に立ち、鍋を覗き込むと嬉しそうに破顔し、無邪気な声を上げる。
「ねぇねぇ、これ私も持って帰ってもいーい?」
「はい。二人分だと少し多いので、寧ろ助かります」
熱いうちにジャムを瓶に詰め、軽く蓋をすると中の空気を抜くための作業に移る。
鍋の底に瓶を置いて水を注ぐ。蓋にかからないほどの位置で止めると火にかけて沸騰させた後弱火にして時間を置いてから取り出し、一瞬緩ませてから蓋を締めた。
玄関の戸が開く音がした。
「帰ったぞ~」
セイルさんが帰ってきた。
私は何を緊張しているのか、胸がどくどくと煩く鳴り始める。
やっぱり元恋人の前では態度が違ったりするのだろうか?
彼の反応が気にはなるものの、私はそれを目にしたくないとも思っていた。
複雑な気持ちで振り返り構えていれば、隣に立っていたマージさんが大きく手を広げてセイルさんに歩み寄り迎え入れる。
「セイルー! 久しぶりだねぇ! 遊びに来たよー!」
「げぇ! ババァじゃねぇか!? 何しにここに来た!?」
セイルさんは顔を引きつかせ、煙たがるように声を上げた。
私は自分が予想していた方向とは違う意味で、驚いた。
家に泊まるくらい仲が良いと思っていたのに、セイルさんの反応は明らかにマージさんを歓迎していない。
いったいどんな別れ方をしたんだろうと野暮なことを考えていれば、マージさんは気を悪くした様子はなく明るく話し始める。
「実はさあ、作ってほしい服があったから頼みに来ただけなんだけど、まさかこんなに面白いことになってるとはねぇ。早く遊びに来れば良かったよ」
「まぁた頼みに来たのか!? この間ので最後って言ってただろ!?」
「どうせ使わない物作ってる方が多いんだから、それなら私が有効に使ってあげる物を頼んだほうがいいだろう? それ、女ものの服は色々形が変わっているから作ってて楽しそうじゃないか」
セイルさんが女性の服に作り慣れていたのはこういう背景があったのか。
ここに着てから着替えがないと不便だからと、セイルさんは手縫いで作ってくれるのだが、刺繍やレース、フリルをいれてくれたりとやけに凝っていた。
初めは恐縮して断ったのだが、遠慮するなと言われて、完成した洋服を着てみるとやけに嬉しそうにされるので、それからは悪いと思わないように心掛けるようになった。
マージさんは浮き浮きとした表情を浮かべながら、セイルさんに小指を突き立てている拳を見せた。
「ねぇねぇ、やっぱりアンナはあんたのこれだろう?」
「はあ? いきなり小指なんか見せつけてきてどういうつもりだ?」
セイルさんは怪訝な表情でマージさんの小指を見つめる。意味が分かっていないようだ。
しかし、マージさんは説明する気はないらしく、小指を立てたままの拳を横に振り、自分本位で話を進めていく。
「これじゃなきゃ、どうして私があんたのファーストキスを奪ったことに対してアンナが傷ついた顔をするんだい?」
「うげぇ。なんてもん思い出させるんだ……。そりゃあ、アンナは優しいから、俺がババアに初キスを奪われたことを知って同情してくれてるんだろ。な?」
セイルさんは顔を向けて私に同意を求めたが、なんとなく嘘を付くのが躊躇われ、曖昧に頷いた。
その反応を見たマージさんが不敵な笑みを私に向ける。
気まずくなって、私は視線を横へと逸らす。
それからマージさんと共に昼食をとり、午後からは手で両耳をふさいでいるセイルさんに彼女は笑顔で注文する洋服の要望をあれこれ伝えていた。
私がその横で刺繍をしていれば、興味を持ったマージさんが一緒にやりたいと言ってきて、セイルさんは珍しいこともあるもんだとぼやいていた。
日が落ちてもマージさんが帰る様子はなく、夕食を共にしていれば痺れを切らしたセイルさんが核心に迫った質問を零す。
「いつまでここに居座るつもりだ?」
「何言ってんだい。今日はここにお泊まりだよ」
マージさんは当然のように言い切った。
呆気にとられたセイルさんが手に持っていたフォークを落とす。
そんなセイルさんを気にすることなく、マージさんは手に持っていたフォークを皿の上に置くと、ピンク色に染まった両頬を手で覆い、うっとりと遠くを見つめながら独り言のように喋る始める。
「アンナと同じベッドで寝て恋バナでも聞こうかねぇ。最近の子の恋愛事情か……ああ……! なんだか年甲斐もなく胸がときめいてきたよ」
浮き浮きと期待しているようだが、私にそんな浮ついた話は今までになく、最近は婚約者に殺されそうになるという物騒な出来事しかない。
ベルベの顔を思い出し、私はぶるりと身震いをした。
いけないいけない! 忘れよう!
セイルさんは気を取り戻したのか、震える口でマージさんに声を掛ける。
「そんな急に……なぁ? アンナも困るだろ?」
「私は構いませんよ」
断る理由がなかったので即答すれば、温室で私が枝を探しに行って見捨てられたと勘違いしていた時の表情を向けられる。
しまった……! 少し軽率だったかもしれない。
しかし、一度了承してしまったことを取り下げることもできず、マージさんのお泊りは決定してしまった。




