セイル視点(7)
本編はあと二話くらいで終わりそうです
アンナはセイルの心の中に入ってくるように接してきては、温かさで満たしていく。
それと同時に、その温もりはセイルのものだという認識を深めていった。
アンナの存在はセイルの心に等しい存在なのだと無意識に感じていて、彼女を大切にしようと扱った。
誕生日には来年も一緒にいたいと言ってくれたので、アンナもセイルの傍を離れがたいのだと思うと愉悦感に浸れた。
しかし、片付いたと思っていた家族問題が再び浮上した。
アンナの妹が山にアンナのことを探しに来たのだ。
(今更妹がアンナを探すなんて……危害でも加えにきたのか……?)
そう思うと敵視しそうになるが、ガキに対して本気になるのも大人気ないと理性が働いて昂りそうになる感情を抑えた。
大人の対応を貫き通したいが、妹の態度はアンナに自死を思い出させようとしているのかと勘繰る程の酷さで、静かな怒りを心根に抱きながらも表にはおくびにも出さず、平静を装う。
しかし、自死しようとなった原因の一言を再び吐かれた時見兼ねて口を出した。アンナの手前だから子供を注意する人のように振る舞った。
妹が懲りずにその言葉を口に出す気配を察知した瞬間、人ではない自分が顔を覗かせた。
(アンナに自死を思い出させようとしてるなら、俺がお前を殺す――)
その感情に容赦はなく、相手が人だろうと家族だろうとどうでもよく、人としての倫理観は消え失せた。
それを察したのか妹は黙った。
セイルは顔を逸らし、再び平然な顔を作って人の皮を被った。
セイルがこんなにも憤っているというのに、アンナ本人はのんびりとお茶を飲み始めるので、毒気を抜かれる。
そのせいか普段の調子で妹をガキだと置き換えて対応することができた。
妹の望みとしては父親にアンナも謝ってほしいという不可解極まりない頼み事だった。
なんと短慮なことかと呆れ果てていれば、アンナはそれを受け入れた。
(アンナがそこまでしてやる必要があるのか……?)
お人好しにしては度が過ぎているが、アンナが望んでいるなら叶えないわけにもいかない。不満ばかり募るが、渋々受け入れた。
アンナたちと別れて、しばらくして戻ってくると予想通りというべきか門前払いされたらしい。
薄々こうなると予想がついてた分家に置く覚悟はできていた。
妹はいけ好かないとはいえ、身寄りのない子供を放っておけるほど冷酷にはなれないし、何よりアンナが気になって不安になるだろう。それなら目に見えるところに置いていたほうがいい。
これを機に妹の甘ったれた根性を鍛えなおしてやろうと思ったが、実際に住まわせると何故かセイルよりアンナの方が息巻いていて出番がなかった。
毎日飽きもせず言い合いしながらも、姉妹の軋轢などなかったように接する二人を眺めて、セイルはため息をついた。
(まあ、アンナがいいならいいんだろうが……なんとなくわだかまりが残ってんだよなぁ)
喧嘩するほど仲がいいという言葉があったが、それに当てはめるのであればセイルがこんな感情を抱くのは余計なお世話なのだろう。
だとしてもやはり妹の尊大な態度には納得がいかず悶々とはしたが、理解ある大人の振りをしなければならないので、不満を表立っては出せない。
それに、言い出すきっかけがない。セイルより先にアンナが、妹の言動をしっかり咎めるので閉口するしかなかった。
何よりもアンナがなんだか嬉しそうなので、その顔を見ていれば不満を口に出すのは憚れた。
だからセイルはその思いを心の奥深くに眠らせることにした。
ようやく妹のことが片付いたと思えば、アンナがダイニングソファで妹のために貰ってきた求人票を眺めていたので不思議に思って声をかけてみる。
「何か気になることでも書いてあったか?」
「え? ……あ、いえ。私もここで働いてみようかなって思って見ていたんです」
セイルは静かに絶句した。
生活が落ち着いたと思った矢先、アンナがこの家を去ろうとしている。
焦りと困惑で心臓が縮むが、動揺していることを勘付かれないように心を落ち着かせてから問いかける。
「……か、金が欲しいのか?」
「そうですね」
「いくら欲しいんだ? いくらでも出せるぞ?」
「いえ。セイルさんから貰いたいわけじゃないので大丈夫です」
アンナは困ったように笑って首を振った。取り付く島もない態度で、セイルは言葉を失った。
来年も一緒にいたいと言ってくれた筈なのに――。
脳裏に誕生日のやりとりが蘇り、セイルはそれに縋ろうと、口元に笑みを浮かべながら平静を取り繕って訊ねた。
「――つかぬこと訊くが、誕生日での願い事の効力はどの程度のもんなんだ?」
「え? ……そうですねー……半々くらいですかねー」
「そ、そうか……」
「あ。でも願い事によっては叶わないことの方が多いかもしれませんね」
アンナが悪気もなくにこにこと笑いながら答えるので、セイルは呆気にとられた。
思ったよりも叶う確率が低くて、危機感を覚えたいうのに本人も叶わなくても問題ないといった様子なので、セイルとの温度差に焦燥感が止まらない。
しかし、アンナの意思を尊重するべきなので、家から通うなら容認してもいいと譲歩する気になった。
「働くとしても――寮には入らないよな?」
「いえ。寮には入ろうと思ってます。いつまでもセイルさんの家にいられるとも限りませんし、頼りっぱなしも悪いので……これからのことを考えると自分の力で生きていけるようにならないといけませんよね」
「前に言っただろ? 気が済むまでここに居ても良いって。それに俺は頼られた方が嬉しい」
「はい。セイルさんの気持ちは有り難いんですが、やっぱり現実的に考えると十年先はどうなってるか分からないので、今すぐにではないんですが、前向きに検討しようかなって思ってます」
「……」
言葉通りに前向きな感情がアンナの表情に浮かび上がっている。
セイルはその顔をジト目でじっと見つめる。
(なんでこいつは俺からこんなに離れようとしたがるんだ……?)
妹の影響だとしても、この前一緒にいたいと言ってくれたはずなのに唐突に突き放されて、心を弄ばれた気がしてならない。
不満を抱いたが、目の前で嬉々として求人票を眺めている姿は、言葉掛けを間違えれば今にでも実行に移しそうである。
(不味い……このままだと本当にアンナがいなくなる……工場潰すか? ……いや、流石にそれは不味いだろ……)
とはいえ、セイルで心を繋ぎ止めることができないなら、他の当てを考えなければならなくて、苦肉の策を口に出す。
「――ベルに会えなくなるぞ?」
「あ。それは嫌ですね」
即答で返された。
呆気ない返事に釈然としなかったが、取り敢えず今は良いとする。
(よ、よし。アンナを繋ぎ止めるためにはベルの存在が大きそうだな)
乳牛はいつもミルクが出なくなると売りに出していたが、アンナがこの家に残ってくれる理由になるなら最後まで面倒をみようと決めた。
アンナ視点
妹が働いていることを実感すると私もこのままではいられないと思ってしまう。
セイルさんはいつまでも居てくれていいと言ってくれたが、もしも彼に大切な人でも出来てしまったら私は邪魔になるだろう。
その時に何の当てもなく放り出されたら、生きていくのに苦労するのでしっかり将来のことについて向き合わなければならない。
それに、思いがけずいい仕事先の情報も手に入った。
ダイニングのソファでセルフィのために貰ってきた求人票を私が眺めていれば、セイルさんが声をかけてきた。
働きたいことを伝えれば、セイルさんは驚いて、働きたい理由を金かと訊いてきたので私は頷いた。
金銭面ではセイルさんを頼りっぱなしだったので、いつか返さなければと思っていたのだ。
セイルさんは私がただお金が欲しいだけだと思っているみたいだったので、勘違いされないようしっかり断った。セイルさんから受けとったお金をセイルさんに返しても意味がない。
するとセイルさんが唐突に誕生日の願い事のことを聞いてくるので、不思議に思ったが経験と周囲の話から自分なりの答えを教えた。
「あ。でも願い事によっては叶わないことの方が多いかもしれませんね」
私は叶うから他人事みたいな言い方になってしまい、自ずと口元がニヤけてしまう。
どうしてセイルさんがそんなことを訊いたのか分からなかったが、私は幸せな思い出を思い出して心が弾む。
セイルさんは優しいので働きに出ようとしている私のことを気遣って引き留めてくれる。
しかし、今まで私に掛かった費用を少しずつでも返していけるならやっぱり働かなければならない。
それに未来は確約されているわけではないのだからこそ、自分の力で生きていける力をつけたいと思う。
「……ベルに会えなくなるぞ?」
「あ。それは嫌ですね」
セイルさんの言葉に現実に引き戻された気になり、即答した。ベルの潤んだ瞳を思い出せば、別れ難くなった。
「ベルの面倒最後まで見たいだろ?」
「はい……」
「だからこれはまた今度だな」
「あ」
有無を言わさずセイルさんに求人票を取り上げられたと思えば、彼は早歩きで自室の方へと去っていった。
引き止める間もなくいなくなってしまったので、私はどうすることもできず呆気にとられた。




