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42.執着

訳あって一人称寄りの三人称になってます。m(_ _)m※次の話も


数カ月ぶりに会ったベルベの顔は元に戻っていた。

むせ返るような花の甘い香りが鼻につき、寝室とリビングを兼ねた広い室内で、ベルベはセルフィの背後から彼女の口を手で塞ぎ、人質のように首にナイフを突きつけている。


匂いと室内の高価な装飾、セルフィがいることで娼館の一室だと分かるが、目にしている状況は疑問だらけで溢れかえる情報に理解が追いつかない。


(どうしてベルベがここに? なんでセルフィにナイフを? まさか……殺そうとしているの……?)


頭に過った最悪の想定にアンナは背筋がゾッとし、顔から血の気が引いた。

セルフィに視線を移せば、目に涙を浮かべアンナを一心に見つめ返してきて、その姿は痛ましかった。


アンナは固唾を呑んで、ベルベを刺激させないようにどう声を掛けるか迷ったが、意外にも彼の方から喋りかけてきた。


「久しぶりだな。元気にしてたか?」


アンナは息を呑む。

以前街で出会したときは明らかに憎悪を向けていたというのに、今の彼は実に晴れ晴れとしていて、まるで旧友にでも会ったかのように気安い。


関係にそぐわない態度に狼狽えていれば、隣に控えていたアンナを連れてきた男が人の良さそうな表情で上体を屈ませ顔を覗き込んできた。


「彼は協力者なんだ」

「協力者?」

「そう。君を魔女にするための」

「魔女……?」


アンナが復唱すれば、にこやかに細められていた男の瞳が緩やかに開かれる。

宝石のような紅い瞳に目を合わせた瞬間、夢の中の女性がフラッシュバックして、半信半疑のままその名を呼んだ。


「ミラさん!?」

「そう。本当は君が望んだ姿でいた方が良かったんだろうけど、形なんて取るに足らないものだし、いいよね」


光に照らされた髪は紫色に輝き、細いながらも引き締まった体つきをしているミラは人懐っこそうな表情でアンナに笑いかけている。


夢で見た女性らしい体躯とは違っていたが、纏う雰囲気はミラを感じさせた。

アンナは男の正体が分かったものの、困惑は解消せず疑問を口にする。


「まだ諦めてなかったんですか?」

「前に言った通り、説得は諦めたよ。悠長にしてたらセイルに気付かれるからね。だから――交渉でもしようかなって」


肩を竦めながらやむを得ないことを告げているようだが、その実は自分本位で話を進めようとする強引さが窺えた。

アンナは表情を曇らせる。


前に言っていた家族を殺すという脅しが現実になるとは。

しかし、実際にはミラはアンナの隣にいてセルフィにナイフを突きつけているのはベルベだ。不可解な人選にアンナは眉間に皺を寄せる。


「どうしてベルベを協力者に?」

「……君たちによって全てを奪われた彼が不憫でならなくてね。つい施しを与えたくなったんだ。俺の目的が達成した暁には、彼を魔法使いにするという約束も交わしているんだよ」

「魔法使いに……?」


アンナが訝しげに首を傾げればミラは頷いた。

二人のやりとりを黙って聴いていたベルベが軽口を叩くように口を挟んだ。


「どうして魔女になることを拒むんだよ? 魔法を使えるようになったら良いこと尽くめじゃないか。欲しい物は手に入るし、嫌な相手を跪かせることだって出来る。お前が欲しかった美貌だって手に入るんだぜ?」

「……私は今の自分で、生活で満足しているの。十分幸せなのよ。魔女にならなくったって欲しい物は手に入っているわ」

「等身大で生きるってやつか? はー。これだから凡人は。どうしてお前が選ばれた人間になれたのか、理解に苦しむよ」


ベルベは心底呆れたようにため息をついた。

選ばれた人間などと大層なことを言われたが、アンナが選ばれたのは偶々セイルと一緒にいただけの理由だ。

自分のことを特別な人間だと思ったことはない。


とはいえ、以前の彼とは違い心に余裕があるのか、アンナの言葉を聞き入れてくれているようだ。


ミラの考えは得体がしれないが、今の率直な態度のベルベであるなら少しくらい話が分かるかもしれない。


しかも、人質に取られているのは彼が気に入っていたセルフィだ。

傷つけるのに罪悪感が生まれないわけがない。アンナはそう考え至り、慎重に言葉をかける。


「この件とセルフィは関係ないんだから、離してあげて。こんなことしているけどベルベだって、本当はセルフィのことを傷つけたくない筈でしょう?」

「傷つけたくないのはお前のほうだろ。俺は全てを手に入れられるためだったら、幾らでも手を汚してもいいと思ってるぜ」

「……嘘でしょう?」


ベルベの発言にアンナが唖然とすれば、彼は得意げに語りだす。


「だって魔法使いになれば法なんて関係ないし、万が一拘束されそうになったとしても、そいつら全員殺せばいいだけだからな。それくらいの力を持ってるんだよ、魔法使いってのは」


ベルベの言い分にアンナは不快感を覚えた。

魔法が使えるようになることで理想を持つことは構わないが、その内容が傲慢極まりない。

アンナは隣にいるミラを見上げる。


「ミラさんは本当にベルベを魔法使いにする気なんですか?」

「そういう約束を交わしたからね」

「あんなことを平気で言ってるんですよ? 悪さをするかもしれないんですよ? 人に危害を加えるかもしれないんですよ?」

「それは彼自身が決めることで、俺は彼の歩む道に興味はないよ。好きに生きればいい」


穏やかな口調で言い切った。

あくまで彼はベルベに魔法を与えるだけでその後のことは放任するらしい。


これまでミラと交流してきて、簡単に意見を変えることがないのは嫌というほどわかっているので、何を言っても無駄だろう。


アンナはベルベに視線を移す。

彼はアンナのことが気に入らなくて殺そうとしてきたが、セルフィには好意を向けていた。

少しの期間だけかもしれないが、好きになった相手に危害を加えることができるのか。


とはいえ、以前セルフィのことも罵っていたので情が残っているのかは定かではない。

セルフィを殺されるのも、ベルベが魔法使いになるのも嫌だが、優先するべきはやはりセルフィの身の安全。


しかし、ベルベの考えがどうにも受け入れ難い。

アンナは逡巡して出した最善の選択を力なく口にした。


「……セルフィの解放とベルベを魔法使いにしないなら、魔女になります」

「そうきたか。どうしようか、ベルベ?」


ミラは愉快げに苦笑してベルベに判断を委ねる。ベルベの表情がみるみるうちに怒りに染まり、ナイフを握っている手が度合いを示すように震え出す。


「本当に……っ! お前はいつもいつも俺の神経を逆なでするよなぁ!? 調子に乗るのも大概にしろよ!?」


興奮し、血走った目のままナイフの切っ先をアンナに向けて怒鳴りつけてくる。

アンナはその勢いに恐縮しつつも、視線を反らした。

それをベルベは反抗の意思と見なしたのか舌打ちし、ナイフを再びセルフィの首へと突きつける。


「俺の件を取り消せ! 取り消さないとセルフィを殺す!」

「!」


ただの脅し。彼がセルフィを傷つけるわけがない。

交渉するための人質なんだから、身の安全は保証されなくては。

アンナは自分にそう言い聞かせてはいたが、不安を含んだ表情でベルベを見つめる。


しかし、彼は嘲笑いを浮かべると視線をセルフィの首へと移す。

不安を煽られて、アンナは息を呑む。


(嘘だ、出来るわけがない。一度でも好きになった相手を……人を殺すことなんて)


倫理観点から否定しているのにベルベが自身に向けてきた殺意が脳裏に蘇り、胸に置いた手に伝わる鼓動は速まっていく。


ゆっくりと彼はナイフの先端をセルフィの首に押し当てると、白い肌から一筋の鮮血が流れ出た。セルフィは痛覚で身を捩り、覆われた口からくぐもった悲鳴を上げる。


目にした瞬間、アンナは頭が真っ白になりベルベに手を翳して空間を裂くように声を上げた。


「取り消す! 取り消すから! だから、やめてっ!」


ベルベは不敵に笑って、ナイフを首から遠ざける。

恐怖で涙に濡れているセルフィの姿を見て、アンナは酷く後悔した。

虚勢など、張らなければよかった。

自分の勝手な思い込みで無駄に彼女を傷つけてしまった。

罪悪感に苛まれて顔を下げれば、肩に重みを感じて優しい口調が降り注ぐ。


「決心がついたみたいで良かったよ。大丈夫。魔女になるリスクなんて、ないようなものだから怖くないよ」


そう。別にアンナが死ぬわけじゃない。妹の命を捨ててまで意固地になる必要はない。

ただセイルの反応が気がかりであるだけ。


魔女にならないとセイルに約束した日のことを思い出し、それを違えなければならないことに胸がぎゅっと苦しくなるが優先させるべきは人の命だ。


正直、アンナと共に魔法を手に入れることになるベルベの存在が心底嫌だが、魔法使いになることに固執している彼のなにが気に触れるか分からない以上、黙って全てを受け入れるしかなかった。




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