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閑話.アンナがいなくなった家 (妹視点 終)


次の日の昼過ぎ、ドアのノック音がセルフィの眠りを妨げる。

眠いながらも出てみればラミがいて、セルフィは慌てて髪を手櫛で整えた。


「今、時間いいかな?」

「ど、どうしたの? こんな昼間に? まだ仕事の時間じゃないよね?」

「実はセルフィに頼みがあるんだ。今から俺が懇意にしているお客様のご令息が来られるんだけど、話し相手をしてくれないかな?」

「え? そ、そんな急に言われても……私見習いだし……そ、それに! まだ昼間だし……」


予期しなかった頼みということと、ラミの口からセルフィを売りに出そうとしている言葉が出てきてショックで言い訳ばかりが先に出る。

断わる雰囲気を醸し出していれば、ラミの表情が陰りを帯びた。


「――ごめん。少し事情があるんだ。そのご令息はあまり家から出たことがなくて、人と話しをすることに臆病になっているんだ。それを憂いていたお客様が、まずは年の近い優しい娘と話しをしたら性格が前向きになるんじゃないかって考えていて……それには俺も同意見で。話しをするだけだから、これから娼館婦として働くことになるセルフィにもいい経験になると思ったんだけど……やっぱり無理かな?」


ラミは困ったように笑い首を傾げる。

恐らくセルフィがここで断れば優しい彼は引いてくれるだろう。

だけどラミは明らかに残念そうで、引け目を感じたセルフィは少し悩んだが、了承することにした。


「まあ……話しをするだけなら……」

「本当? ありがとうね、セルフィ」


ホッとした様子のラミを見て、セルフィは引き受けて良かったと思い直した。


それから迎える準備に入り、装いはあまり派手だと相手が緊張してしまうからといつも通りの服のままで応対することになった。

お客様というより友達感覚で過ごしてほしいそうだ。

セルフィとしてもあまり綺麗にして惚れられても困るので身なりを整える程度で済ました。


ラミは一番大きな部屋を用意していた。

ローテーブル、二人掛けのソファ、キングサイズベッドが置かれていて、話をするだけなのに広い部屋の必要があるのかと少し不安を覚えた。

そんなセルフィに気付いたのかラミが後ろから肩を抱き「少しの間だけだから……ごめんね、無理させちゃって」と優しく宥めてくるのでセルフィは迷いをかき消すように小さく頷いた。


それからセルフィは部屋に一人で待つことになり、二人掛けのソファに腰掛けて客の来訪を待つ。

静かな部屋で顔も見たこともない男を待つのは落ち着かなかったが、ラミの顔を思い出して乗り切ろうと暗示をかけていた。


ノックをされて立ち上がり客を迎え入れようと構えれば、通された男を目にした瞬間、悲鳴を上げそうになった口を咄嗟に手で覆った。

入ってきた男は膨れ上がった顔の肉が溶けるように垂れ下がっていて、腫れ上がっている瞼が微かに動いてセルフィを視認しようとしている。

その行為も薄気味悪く、セルフィは嫌悪感を隠すことができず顔を顰めた。


「それじゃあ後はよろしくね、セルフィ」

「あ……ラミ、私やっぱり……」


セルフィが言い終わる前にラミは部屋を後にした。

引き留める声が小さくて聞こえなかったのかもしれない。

しかし、扉の前に佇む男を無理やり退かしてまでラミのもとにも行けず、セルフィは閉じた扉を見つめた。


暫し無言の時間が過ぎ、男がセルフィに向かって一歩踏み出す。セルフィは体を強張らせて硬い表情のまま無言で男の動きを見守った。

彼は歩き始めるとセルフィの横を通り過ぎ、ソファの片側に腰を掛けた。


男はセルフィを誘うわけでもなく用意されているグラスをじっと見つめている。

セルフィは戸惑ったが、とりあえず少し話しをして帰ってもらえばいいかと考えた。


二人掛けのソファに座るが、セルフィは体を動かし男に近づきすぎないよう端へと寄った。

そしてグラスに葡萄酒を注ぎながら男の顔をチラリと窺った。


(娼館婦ってこんな人の相手もしなくちゃならないの……!?)


今までも酷い顔の客はいたが、稀に見ない醜さにセルフィは初めて娼館婦の仕事が嫌だと感じた。

無言の時間が続く。男は一切口を開くことなく、目の前のテーブルの飲み物を見下ろしている。


(急に襲いかかってこないわよね……?)


セルフィは警戒しながら、いつでも大声を出すことと逃げられるように身構えていた。


「……何か俺に言う事はないの?」


セルフィの方を向くことなく急に男にそう話しを振られ、セルフィに緊張が走る。

不思議と彼の声は聴き覚えがあったが、どこで聴いたのかまでは分からない。

セルフィは記憶違いだろうと振り払い、男に訊き返す。


「な、何かってなんですか……?」

「そうだなぁ……例えば……謝罪するとか」

「謝罪?」


初対面の相手にどうして謝らなくちゃいけないのか。精神がおかしいのかもしれないと、セルフィはますます警戒心を強める。


「私、貴方に謝るようなことしてませんけど……?」

「悲しいなぁ。忘れちゃったのかい? 君に会う度に俺は花や、アクセサリー、お菓子……あ! そうそう。ストールも買ってあげたね。あれは似合ってたなぁ」


感慨深そうに語りだす男に、不気味さを覚える。

人との交流がないから妄想と現実が分からなくなってしまったのかもしれない。

このまま変に勘違いされたまま帰らせれば、男はセルフィに粘着しかねないと思い、はっきりと否定の言葉を口に出す。


「あの、私には全て身に覚えのないことなんで、それは誰か別の人のことですよね?」

「えー。プレゼントと一緒に俺との記憶も捨てちゃったのかい? それは流石に薄情なんじゃないか、セルフィ?」


名前を呼ばれて、セルフィはゾッとした。

気安く呼ばれたのと、誰かが頭を過ぎったことで不快感が収まらない。

ラミに紹介されたから名前は知っているだろうが、あまりにも自然に呼び慣れている。

セルフィが腕に浮かんだ鳥肌を撫でていれば、男がチラリと顔を向けた。


「――ああ。そうか。こんな顔をしているから分からないんだよな」


男は合点がいったように呟くと、顔を両手で覆い隠した。

膨れ上がった肉が徐々に収縮していき、男は顔から手を離すとセルフィの方を向いた。


「これなら分かるかな?」

「ベルベ!?」


目にした顔を見て驚き立ち上がる。

そんなセルフィの反応に、ベルベは可笑しそうにクツクツと笑ってソファの背もたれに尊大な態度で腕を広げた。


「まさかセルフィがこんなところで働くとはね! 以前の俺だったらお前を買い取って滅茶苦茶にしてたところだったよ!」

「ど、どういうことなの……? さっきの顔は? そもそも私になんの用?」

「ハハハ! 訊き過ぎ訊き過ぎ! まあ、立ってないで座ったら?」


愉快げに笑うベルベが、ソファの隣を手で叩くがセルフィは体を強張らせたまま警戒を解かずに誘いには乗らなかった。

ベルベはそんな彼女を見て困ったように肩を竦めた。


「あんなに近しい存在だったのに、残念だよ。君が俺のことを愛してくれていればハレムの一員として迎え入れても良かったのになぁ」

「冗談言わないでよ。あんたなんかがそんなもの作れるわけないでしょ!?」

「――作れるんだなぁ、これが。富も名声も何もかもが思いのままになれる方法がさぁ」


そう答えてベルベは立ち上がる。

セルフィの肩が恐怖で揺れる。彼は余裕の表情を崩さず、焦ることなく近づいてくる。

まるでセルフィを捕まえられることを確信しているように。


セルフィは踵を返して急いでドアに走り、ドアノブを回すが何かに引っかかってガチャガチャと音が鳴るだけだった。諦めてドアを拳で何度も叩き、必死に叫ぶ。


「ラミ! ラミ助けて! ここを開けて! たすけっ――」

「シーッ。静かに。皆仕事に備えて寝てるんだから、五月蝿くしちゃ迷惑だろ?」


背後から口を覆われ、耳にベルベの声が囁く。

セルフィは唸りながら藻掻くが、ベルベの力は強く引きずられるようにドアから遠ざかっていく。

手足をばたつかせ、抵抗しているとベルベがせせら笑う。 


「困ったなぁ。どうしたら大人しくなるのかなぁ?」

「ん゛ー! ん゛ー!」


絶対に屈しないと心を強く持ちセルフィは喉を鳴らしながら、抵抗を続ける。

ベルベはため息を吐くと空いている手のひらをセルフィの目の位置まで掲げた。


そして、銀色に光るナイフが出現したと思えばそれを握りしめナイフの先端をセルフィの顔へと向ける。

セルフィは恐怖で目を見開き、全身が震え出し力が抜けて自由を奪われた。

すっかり大人しくなったセルフィの髪をベルベはナイフを持った手で梳いた。


「セルフィ、俺は君のことを憎んでいたけど赦すよ。だって君のおかげで、俺はこれから人知を超えた力を手にすることが出来るんだからね」





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