閑話 アンナがいなくなった家(妹視点 1)
父の事業が軌道に乗ってから、セルフィもノリに乗っていた。
目についた欲しいものは全て手に入り、要らないものは友達にあげれば勝手に持ち上げ崇拝してくれる。
周りの羨望の目が悦に浸らせてくれ、何も怖いものなどなかった。
「セルフィ、知ってる? あんたんとこのお母さんが男と逢引してるの」
女友達からそれを聞いたセルフィは馬鹿馬鹿しい冗談だと呆れた。
浮気というものは綺麗な容姿の女性がするもので、お世辞にも綺麗とは言い難い母のような者がすることではない。
相手にしないセルフィに女友達は「本当なんだって! 今度連れてって見せてあげる!」と嫌に積極的に真相を明かそうとしていた。
結果は、母は金髪の男性と浮気をしていた。
セルフィは母が女を出して男に甘えている姿を見て、うわぁ……と引いた。
それを見ていた女友達は卑しい笑みを浮かべながら小声で囁いた。
「相手の男、ちょっとセルフィに似てるよね?」
言われてセルフィは男に視線を移す。
金髪の男は母より少し若く見え、容姿が整っていた。
母が相手にしてもらえるような男性ではなさそうなので、恐らく金で買ったのだろう。
(私のことが好きだから似たような男を買ったっていうこと……?)
セルフィは己で導き出した答えに気持ち悪い、と顔を引き攣らせた。
そして家に帰って母に会うと以前のように慕うことが出来ず、身の程を知らない馬鹿な母親だと下に見始めた。
すれ違う生活が多くなったせいか、それを気づかれることはなかった。
そして数カ月経った頃ジーナから、父への想いを打ち明けられた。
ジーナは三十を過ぎているが、年齢より若く見え素敵な恋人がいても可笑しくない容姿をしている。
元娼館婦であるなら父なんて簡単に落とせるというのに、セルフィのために身を引こうとしている。なんて潔いのだろう。
己に自信があるからこそ一人の男に執着しない。格好いい大人の女性だ。
それに比べて母は、男をお金で買うなどと、情けない。
セルフィは二人の間にある圧倒的な差を感じ取った。
ジーナから想いを打ち明けられた後、それとなく父の様子を窺えば彼も彼女に気があるようで、恋焦がれたように目で追う姿がよく見られた。
ジーナみたいな女性は意図せずとも男から求められるものなのだから、父が浮気したとしても仕方がない。
セルフィはジーナがもしも父の恋人になったらあれこれ気を回してやろうと思うくらいにジーナの恋を密かに応援した。
父の様子がおかしくなったのはそれから一ヶ月後くらいだった。
静かに苛立ち、焦燥しきったりを繰り返し、声をかけようとすれば無視される。
セルフィはその態度にお父さんのくせに私を無視して……、と不満を抱いて父を見放した。
寧ろ自分から無視して謝らせてやると徹底的に視界に入れないように意識した。
そして数日後、セルフィの部屋に訪れた父は無表情のままセルフィの腕を掴むと、強制的に何処かに連れて行こうと引っ張ってきたので、痛みと身勝手な行動に抗議の声を上げた。
「痛い! 離してよ!」
「いいから黙ってついてこい!」
低い怒鳴り声が、セルフィの自由を縛り付けるように体に響き渡る。
初めて父から怒鳴られ、セルフィは驚きと恐怖で発しようとした声を失った。
竦み上がったセルフィを父は気遣うことなく力のままダイニングへと連れて行った。
それからは、夢でも見ているような心地だった。
頭が真っ白になりながらも瞳に映るのは、父が母に怒鳴り声を上げ、暴力を振るい、母が何かを叫んでいる姿。
しかし、再び母を殴ろうとする父を目にして、セルフィはハッとしてその腕を止めようと走り、両手で掴んだ。
「お父さん、やめてよ!」
そう叫べば、父の癇に障ったのか射殺すような目を向けられる。
「っ! 気安く私のことを父と呼ぶな!」
「痛いっ!」
振り払われて、セルフィは掴んでいた腕を離し床に転がった。
泣きそうになりながら体を起こせば、視界に入ったのは身を挺してジーナが母を守ろうとしている姿だった。
「おやめください旦那様! 一旦落ち着いて、話し合いましょう!」
「ジーナ……」
「今の旦那様……とても怖いです……」
彼女の訴えに、頭に血がのぼっていた父の顔が和らぎ少し落ち着きを取り戻したようだった。
セルフィはほっとした。
(またジーナに助けられた)
彼女はいつも困っているセルフィを助けてくれる。まるで――本当の姉のように。
セルフィのジーナへの信頼はより厚くなり、彼女が父を諌めてくれるんじゃないかと希望を抱いた。
しかし、そんな希望は呆気なく散ってセルフィと母は家を叩き出された。
なおも縋ろうとドアを叩き続けるが、一向に父が許してくれる気配はなかった。
セルフィと母は何時間か粘ったが、家の明かりが消えるととうとう諦めて家を離れた。
「どうしてお父さん、あんなに怒ってたの? お母さんが恋人を作ってたから?」
「違うわよ。貴女とお父さんが血が繋がってないことを怒ってるのよ」
母が不機嫌そうに答える。何時間もドアをたたき続けてなにも得られなかったことに苛立っているのだろう。
セルフィは母の言葉に瞠目した。
「どうして血が繋がってないのよ!?」
「……それくらい分かる年でしょう? お父さんとは違う男とできた子なのよ、貴女は。あー、もう! 疲れてるんだから大きい声出さないでちょうだい!」
ため息をつきながら鬱陶しそうに母があしらうので、セルフィはその態度に苛立ちを覚え怒鳴った。
「それじゃあ私がお父さんに怒られたのはとばっちりだったってこと!? お母さんのせいで私まで家を追い出されたじゃない!」
「貴女だって分かるはずよ!? 自分から生まれた子が貴女の嫌いなそばかすだらけの子だったら愛せる!? 愛せないでしょう!?」
セルフィは母のその言葉で黙った。確かにそれを想像すると、恥ずかしくて外で一緒に歩くことは出来ないかもしれないと思ってしまったのだ。
「つまり……お姉ちゃんのせいでこんなことになったってこと……?」
「そうよ! あの子が美人に生まれてくれさえすれば、こんなことにはならなかったのよ!」
悪態をつく母親に、セルフィはそういうことだったんだ、と納得してしまった。
そして姉に対して胸にどす黒いものが渦巻くが責める相手がいないのならこの怒りをどこにぶつければいいのか分からず、もやもやした。
それから本当の父親だという男の家に向かえば、母に買われたと思っていた愛人の金髪の男がいた。
男の住んでいる家はぼろいアパートの一室で、家の中は歩めば何かを踏むほど床がゴミで散らかっていた。
しかし、ベッドの上だけはゴミがなく、ここで母と致していたと思うとセルフィは吐き気を覚えた。
話を聞けば本当の父親は真面目に働かず、その日暮らしの生活を送っていたが母がお金を工面するようになり完全に仕事を辞めたらしい。
汚い部屋に泊まるのはとても嫌だったが、夜も遅く他に行く当てもないので渋々一夜だけ過ごすことにした。
しかし、ベットは使いたくないので仕方なく汚い床の一角を綺麗にしてそこに座り込み体を丸くしながら眠りについた。
男と母が寝ているベッドの軋む音を聞くたびに、セルフィは娘の前でやり始めるのではないかと冷や冷やしながら朝を迎えた。
朝を迎えるとセルフィは凝り固まった体を叱咤して逃げるように実家へと向かった。
一夜明ければ父も冷静になって酷いことをしたと悔い改めているはずだ。
それで謝罪されたとしてもセルフィに酷いことをしたという事実が消えることはないが、寛大な心で大目に見てやろうと思った。
しかし、家に帰るとドアの前に知らないガタイの良い男が立っていた。
セルフィは一瞬怯んだが、実家に帰るだけだと意気込み、男の横を通り過ぎようとしたが行く先に腕を差し入れられた。
「お待ち下さい。旦那様に面会の約束はされていますか? お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「五月蝿いわね! ここは私の家なのよ! 通して!」
「……ああ。貴女が旦那様のおっしゃられていた小娘ですか」
「こ、小娘!?」
身の振り方から男は父親が雇った警備員のようなのに、雇い主の娘に向かって随分と失礼だ。
それから男と言い合いになるが、旦那様に子はいないの一点張りで全く取り合ってくれなかった。
すると騒ぎを聞きつけたのか、家からジーナが出てきてセルフィの姿を目にすると、心配げに駆け寄った。
「まあ! セルフィお嬢様! お体は大丈夫でしたか!? ……一日で随分おやつれになられまして……なんと痛ましいことでしょう……」
ジーナは目に涙を滲ませて、セルフィをぎゅっと抱きしめてくれた。
人肌の温かさを感じて、セルフィはようやく落ち着くことができた。
「ジーナ……お父さんの様子はどう?」
「……セルフィ様、申し訳ありませんが未だに旦那様の怒りが鎮まらず、このままお嬢様を会わせてしまったら暴力を振るわれてしまうかもしれません。もうしばらくお待ちいただけませんか?」
「でも行くところが……お母さんは頼れないし……」
「……セルフィ様にはたくさんお友達がいらっしゃるじゃありませんか。その方たちを頼ってみてはどうでしょうか?」
「……友達か……」
ジーナの言葉にセルフィは頼れるかもしれないと頷いた。
父の説得はジーナがしてくれるらしく、セルフィは安心して家を後にして友達のもとへと向かった。




