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閑話 アンナがいなくなった家(使用人視点 後)


数カ月経った頃、依頼人の使者を名乗る男が現れ私にセルフィの抜けた髪を集めるように指示してきた。用途は匂いを嗅ぐらしい。

私はドン引いた。気持ち悪いと思いながらも断ることはできず、シーツ交換時や櫛についた髪の毛を集めて男に渡した。

これからセルフィが変態に拐かされると思うと少し可哀想になるが、彼女は所詮赤の他人なので気にしていても仕方がない。


あれから旦那様との関係も良好で、秘密のサインを出すと嬉しそうに応えてくれるようになった。

しかし、今のまま関係を進めてしまうとセルフィに悪印象に映ってしまう。


私はセルフィを人けのない場所に呼び出し、旦那様のことを好いていることを打ち明けることにした。

いつでも身を引きますと慎む感じを出しながら、私は言葉を紡いだ。


「セルフィ様お時間をくださりありがとうございます。実は……悩みに悩んだのですが……懐いてくれているセルフィ様の笑顔を見る度に胸が痛くなり……これ以上隠し通しきれなくなりまして……」

「悩み事があるの?」

「はい……。場合によっては……ここを辞めてしまうしかないかもしれません」

「え!? ジーナ辞めちゃうの!?」


驚くセルフィに、私は俯きがちに頷いた。


「身の程をわきまえていないことは重々承知の上で打ち明けますが……私、旦那様のことを好きになってしまったんです……。こんなに人を好きになるのは初めてのことだったので、どうしていいか分からず……もうここを去るしかないなと思いまして……」


これで偏見や怒りの感情を向けられたとしても、旦那様の愛は私に向いているので何も問題はない。寧ろ、彼の恋情が燃え上がることだろう。

しかし、セルフィは私の相談に親身に向き合ってくれた。


「そっか。ジーナ、お父さんのこと好きなんだ………。好きになっちゃうのは仕方のないことだもんね。それに、安心してジーナ! お母さんも男と歩いてるところを見たから、もしもお父さんがジーナのことを好きになってもお互い様よ!」


彼女が言ってるのはセルフィの髪色に似た男性のことだ。

依頼人が父とセルフィの血の繋がりがないことを仄めかしていたが、まさか手を回してくれた……? ……まさかね。

私はセルフィに向かって微笑んだ。


「そう言って下さって、ありがとうございます。少し救われました。ですが私は、セルフィ様の大切なご家族を引き裂いてまで旦那様と一緒になるつもりはございません。だから――この秘めた想いはセルフィ様と私だけの秘密です」


私が人差し指を唇にあててウインクすれば、セルフィは嬉しそうに頷いた。

あとは私が旦那様を泣く泣くあしらえば彼が勝手にヤキモキしてくれるだろう。


奥様もセルフィも好き勝手に振る舞っているが、所詮旦那様のお金に生かされているだけだ。

そのことに気づかずにいられるのは――家族の信頼故なのか。


しかし、驚くほどこの家族は脆く崩れやすい。

私じゃなくてもこの家族はいつか崩壊してしまう……なら、私が壊してしまってもいいか。


依頼人の依頼を達成後、旦那様の後妻になって悠々自適な生活を送るのも悪くない。

その時は変態の依頼人に飽きて捨てられたセルフィを匿うくらいはしてもいいかもしれない。

尤も、私が裏で絡んでいると知ったら彼女に恨まれるかもしれないが……。


私は親愛の笑みを向けるセルフィが憎悪の表情を向ける姿を想像してゾクゾクした。

若くて可愛くて恵まれている少女が私に対して嫉妬を向けてくれるなんて、初めてのことかもしれない。

娼館にいた若い娘は蔑む目しか向けてくれないので、お金のために仕方なく耐えていたが、ようやく見返すことができるみたいだ。

私は来る日を想像すると胸が弾み、セルフィにより一層優しくすることを決めた。


旦那様につれない態度を取り始めてから一ヶ月、気まぐれに熱のこもった瞳を向けながら過ごしていればある日、後ろから抱きしめられた。


「この一ヶ月君のことを忘れようとしたが、どうしても自分の気持ちに嘘を付くことが出来なくなってしまった……! 妻子のいる身で私は最低だ……!」

「旦那様……」


私は首に回された腕にそっと手を触れる。

彼が悦んでいるのを肌で感じる。


「ですが、私は一緒になる気は……」

「妻と子を捨ててもいいから君と一緒になりたいと言ったら困るかい?」


勝手に盛り上がってくれて有り難い。

私はほくそ笑む。しかし、もう少し独りで踊ってもらわないと困る。


「……ええ。困ります。奥様もセルフィ様も私にとっては恩人なのです。だから――裏切ることはできません」

「……」


長い沈黙のあと、私は「ただ」と小さく言葉を漏らした。

旦那様の腕がピクリと動く。


「この前、奥様が男性と歩いているところを見かけたのですが、セルフィ様の面差しがあって……あの、本当にセルフィ様は旦那様の子供なんでしょうか?」

「……いや、セルフィは妻の……祖母に似ていると……いや、だが……まさか……」


旦那様は私から腕を離した。

反応を見るに、少なからずショックを受けている様子から奥様に愛情が残っているらしい。

これは悪いことをしてしまった、と思いつつも信頼してた女性から裏切られた男が取る行動は経験上よく知っている。


それからは早かった。

奥様が逢瀬を重ねている男性を特定し、旦那様は家に帰ってきた奥様を引きずるように部屋の中へと連れていくと彼女の頬を手のひらで叩き、悲鳴が上がる。

私とセルフィ様は口を手で覆って不安げに事の行く末を見守ることしかできない。

旦那様が声を荒げる。


「十五年間、よくも私を欺いてくれたな……! 他の男と出来た子供を可愛がる姿はさぞ滑稽に見えたことだろうな!? 聞いているのか!? おい!?」

「な、何のことを言っているの?」

「性懲りもなくとぼける気か!? セルフィと私は血のつながりはないんだろう!?」

「そんなわけないでしょう……? 誰からそんな嘘を……」


奥様の視線が私に向いた。私は肩をビクリと震わせた。それを見た彼女の表情がみるみるうちに怒りに歪んでいった。


「ジーナ! あんたがこの人を誑かしたのね!? 拾ってあげた恩も忘れて……っ! なんて卑しい女なの!?」

「卑しいのはお前だ! まさかアンナも別の男との子供じゃないだろうな!?」

「アンナは貴方の娘よ!」


旦那様に胸ぐらを掴まれた奥さまは怒りに我を忘れ軽はずみにその言葉を口にした。

それを皮切りに旦那様が怒りのまま何度も彼女の顔をはたき始める。


「お父さん、やめてよ!」


恐怖で泣いているセルフィが旦那様の腕を掴むが、彼は狂気に満ちた顔を向けて腕を力強く振り払った。


「っ! 気安く私のことを父と呼ぶな!」

「痛いっ!」


振り払われたセルフィはバランスを崩して床に倒れた。

そんな彼女を無視して、旦那様は再び奥様を叩こうとするので私は駆け寄り、彼の腕を両手で掴む。


「おやめください旦那様! 一旦落ち着いて、話し合いましょう!」

「ジーナ……」

「今の旦那様……とても怖いです……」


私は旦那様の腕を震える両手で掴みながら顔を伏せて、抑えきれない笑みを零した。


――そうか。鬱憤が溜まっていたのは娼館にいた若い娘たちではなく、私の方だったのか。


過去の栄光が忘れられず、しがみつき続けていたがやっと、私の価値が舞い戻ってきたのだ。

私の言動一つで崩壊していく家庭の様は面白可笑しくて、こんなにも心が躍るのか。

興奮した脳が、体が震えて歓喜する。

枯れ果てたと思っていた自分の、新たな性癖が花開いたのを感じ取った。


それから立腹の旦那様は二人を屋敷から追い出した。

贅沢三昧だった彼女たちはきっと生活の質を落とすことは出来ないだろう。

しかし、困窮すれば嫌でも働かなくてはならない。そして行き着く先は娼館婦。


――なんて。そんな都合よくいくの?


私は予定通り二人を追い出せたものの、依頼人の目標であるセルフィの娼館落ちは達成できていない。

とはいえ、旦那様の後妻になれればお金の心配はいらないだろう。

そんなことを考えながら傷ついている旦那様を慰めた。




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