閑話 アンナがいなくなった家(使用人視点 前)
その仕事が舞い込んだのは娼館を辞めるか悩んでいた時だった。
若い頃には色んな客に口説かれていたが、年齢を重ねるごとに指名される数が明らかに減っていき、三十を越えると身の振り方を考えなければならなくなった。
店の売上の貢献もいつの間にか若い娘に追い抜かれ、私は彼女たちの容姿が衰えないように気を遣い続ける日々だった。
年齢を重ねれば手が荒れてもそういうものだと割り切れられるが、若い娘はそうはいかない。太客のお気に入りであれば尚更だ。
幸い、おべっかは上手い方なので立ち回れてはいるが裏では馬鹿にされていることを知っている。
優しくしていたはずなのだが、どうやらいつの間にやら鬱憤がたまっていたらしい。
そろそろ頃合いかと思ったが何せお金がない。
若い頃は金持ちの愛人にさえなれば安泰だと考え、好き放題お金を使っていたが世の中そんなに甘くはなかった。
男の考え一つによって立場が変わることを頭に入れていなかったのは男を軽んじていた罰だろう。
こうして落ちぶれてしまったが、お給金は表の仕事より貰っているので、ここを辞めたとしても今より稼げる仕事なんて見つからないだろう。
あるとすれば闇稼業の手助けか……。
私はそう考えて、詐欺の仕事ならありだと考え至っていた。
そんなある日、女主人に秘密裏に呼び出された。
とある男がこの店で一番就業歴が長い娼館婦を望んでいるとのこと。
客室ではなく応接間に通されて、最初に目にしたのはテーブルの上に並べられている大量の金の延べ棒であった。
惚けて魅入っていれば女主人から小突かれて我に返り私を呼び出した男に挨拶をした。
男は気を悪くすることなく私に座るよう促す。
黒いスーツに身を包んだ四十くらいの小太りの男で、彼は私が座ると話を切り出した。
それは娼館婦としての仕事からは逸脱した依頼内容だった。
今話題になっている金が採れている鉱山はもともと男が目をつけていたもので、横取りをされた挙句成功されたことが気に食わないので憂さ晴らしがしたいとのこと。
具体的には鉱山の持ち主の家庭を崩壊させ、大事な娘を娼館落ちにさせたいので、その手伝いを私にして欲しいとのことだった。
それを聞いて私は小さい男だなぁ、と思ったが金の延べ棒を並べるくらいにはプライドが傷ついたのだろう。
だけど娘を娼館落ちまで、なんて難しくはないだろうか?
私がそんな疑問を抱いていれば男は父親と娘の血が繋がってないことを仄めかせさえすればいいと言ってきた。
私が父親を落とし、母親と娘を追い出せば自ずとそうなるよう動き出すと確信めいたような言い方をするので、短絡的にしては少し不気味さを感じてしまう。
「こんな落ちぶれた女なんかより、若い娘の方が男は靡くと思いますよ?」
「――先がある人より先がない人の方がなりふり構わないと思ったが、違うのかね?」
「……」
言われて、私はテーブルに並べられている金の延べ棒に目を移す。
一つの家庭を崩壊させるだけで将来は安泰。働かずに済むどころかお手伝いさんだって雇うこともできるだろう。
だけど……一つの家庭を壊すためだけにここまで出せるものなの?
家庭を崩壊させたところで鉱山はそのままなのだからお金に困ることはないし、娘を娼館落ちって、あまりにも脈絡がなさすぎない?
甘い話には裏がある、か。
「どうしてその娘をここで働かせたいんですか?」
「憎き相手の娘を籠絡するなんて面白いとは思わないかい?」
「……」
なるほど。ただの変態か。
私は少しほっとする。
意味の分からない依頼ではあるが、そういう男の性癖からであるならよくある話だ。
私は安堵したせいか男の依頼を二つ返事で引き受けた。
「期限はあるんですか?」
「期限はないから焦らなくていい」
「一ヶ月掛かっても……?」
「一ヶ月と言わずに一年でもいい。取り敢えず気を張らずに君の力を思う存分出しなさい」
恨んでいるにしては悠長なことを言っている。
不信感が募ったが、男は前金として延べ棒を一本私にくれた。
その重みが何故だか不思議と恐ろしく感じた。
男は帰る前に思い出したように「そうそう、あの男にはもう一人赤髪の娘がいるが、それは放っておいてくれ」と言い残して去っていった。
連絡先を聞きたかったが、男から連絡するの一点張りでこちらからの連絡はできないようだ。
依頼人が言っていたその家は丁度使用人を募集しているようだったので私は出来る限り地味に、そして真面目そうな装いをして応募した。
職業柄面接で落とされそうな気もしたが、意外にも妻の方が私を気に入ってくれたようだ。
私は大袈裟に喜んで、媚びへつらった。
どうして私を気に入ったのかの理由はすぐに判明した。
彼女は綺麗な女性が落ちぶれて苦労をしている姿を見て喜ぶ性格だった。しかも相手は日常的に下に見ている娼館婦。
私にあれこれ指図するのはさぞ気持ちがいいのだろう。
これを使わない手はないと考えた私は馬鹿そうな演技をして彼女を上げて喜ばせ続けた。
依頼人が欲していた娘の方は、確かにその気持ちがわかるくらいにセルフィの容姿は可愛らしかった。
ただ性格は容姿を鼻にかけた嫌な女だった。
そして彼女を望んでいる男は、我が儘な女を下に引くのが好きな奴なのだと悟った。
取り敢えずセルフィの機嫌を損ねないように媚を売りはした。
彼女を娼館落ちにするには一つ、問題点があった。
男爵家と婚姻を結んでいた長女がいなくなったことで、その矛先がセルフィに向けられているということだった。
男爵家に嫁に行かれてしまえば目的の達成は不可能だ。
しかし、都合のいいことに本人は乗り気じゃない。しかも、あまり評判のよくない男爵家だったため、私はどうにか父親を説得した。
すると、セルフィが懐いてくれた。相当嫌だったのだろう。
しかもその婚約破棄された男が乗り込んできた時に身を挺して守りに入れば彼女は完全に心を許してくれたようだ。
彼女はあまり素行の良くない友達が多いらしく、娼館婦に対して嫌悪感を持つどころか興味津々だったので、私は娼館婦だった頃の良い思い出と共に男に買われているのではなく男を言葉巧みに操って金を巻き上げているのだと、心の中ではそんな男を嘲笑っているのだと面白可笑しく話してやった。
男を下に見ていたセルフィは興味を持ったようだ。
自分には縁のない世界への憧れを含んだキラキラした瞳で私を見つめていた。
面白いほどに上手くことが運んでいくので、私の心は躍り、目標達成に一歩近づいたことを確信した。
父親の方は今まで女遊びをしたことがない真面目人間であった。
普通は落とすのが難しいと考えるものだが、この男は行方知れずとなった実の娘を蔑ろにしている。子供を蔑ろにしている男は家庭を顧みないことが多いので懐に入りやすい。
セルフィのことは可愛がっているようではあるが、彼女自身は父親に対して恩を感じることなく当然のようにそれを受け入れている。
父親としての心境としてはやれやれ仕方がない娘だと諦めているのだろうが、諦めているということは不満が少なからずあるということだ。
夫婦仲は良いようだが、同衾していないところを見ると私がそういう雰囲気さえ醸し出せば、意識せざるを得ないだろう。
それに今は事業がうまくいき昂っているに違いない。
私が事故を装い、彼の体に触れれば少年のような照れ方をするのが面白く、ついついサービスをしてしまった。
使用人の真似事など疲れるだけだと思っていたが、意外にも面白く性に合っていた。




