39.働きたい
それから日々が過ぎていき、文句は言うもののセルフィは自分でできる範囲までは家事の手伝いをしてくれるようになった。
しかし、彼女は一ヶ月も経たずに音を上げた。
朝食時にテーブルに突っ伏して、嘆き始めた。
「ここにいても毎日毎日おんなじことばっかでつまんない! やることないから手伝いもするけど、これなら外に働きに出たほうがマシだわ!」
毎日外出して遊び歩いていたセルフィにとって同じ生活を送ることは窮屈なのだろう。
贅沢な悩みのような気がするが、セイルさんは窘めることなく意見を聞き入れた。
「なら仕事探しにでも行くか?」
「え!? いいの!?」
セルフィが嬉しそうにぱっと顔を上げてテーブルに手をついて身を乗り出した。
瞳が輝いているところを見ると相当退屈だったのだろう。
セイルさんが頷く。
「お前の住んでた地域じゃないが、別の場所なら良いところを知ってるぞ。住み込みだから街にも出やすいしな」
「良いわね! 紹介してよ!」
積極的に話を進めようとしているセルフィを見て私は目を見開いた。
妹が自ら働きたいと言い出すくらい退屈だったとは思いもしなかった。
私なんて、こんな穏やかな日々が続けばいいなと思っているので、性格が完全に真逆だ。
だけど、やる気になっているのなら嬉しい傾向かもしれない。
午後から三人で出掛け、出る時は楽しそうに笑みを浮かべていたセルフィだったが、家に帰り着くと不満を顕にした顔でリビングのソファに腰を掛けた。
セイルさんが紹介したところは絹織の工場で身寄りのない女性の雇用にも力を入れている良心的そうな仕事場だった。
私としてはもしもセイルさんの家から出ることになったらそこで働きたいなと思うくらいには好条件だと思ったが、セルフィは嫌の一点張りだ。
セイルさんが淡々と諭す。
「女性が多くておまけに寮付き、街も人口が多いから店も豊富にあったし、良いところだっただろ?」
「嫌よ! 一日中働かされても焼きたてのパン一つも買えないじゃない!」
「住み込み代と食事代差し引かれてるんだから仕方ないだろ。それにお前の嫌いな汚い仕事でもねぇし、文句言ってないであそこに決めとけ」
「嫌よ! 私はもっと楽してお金をたくさん稼げるところがいいの!」
「そんなところはねぇ!」
「あるもん!」
「何処にだ?」
「何処にって……そっか。その手があったんだ」
セルフィは急に何かを思い出したようにハッとして顔を逸らすと手を顎に当てながらブツブツと独り言を呟いては頷き始めた。
私とセイルさんが何事かと様子を窺っていればセルフィはセイルさんに顔を向けた。
「ねぇ、私をお父さんの家に連れてってくれない?」
「……行ってもまた門前払いくらうだけだぞ」
「お父さんじゃなくてジーナに会いたいの! 私にぴったりな働き場所、思いついたのよ!」
興奮気味に訴えるセルフィに私とセイルさんは首を傾げた。
取り敢えずセルフィの意向通りに山を下り、セイルさんと一旦別れ家へと向かい、セルフィが警備員にジーナさんに会いたいことを伝えれば彼はやれやれと言った様子で彼女を呼びに行った。
出てきたジーナさんはセルフィと私を見ると驚いた表情で駆け寄った。
「まあ! お嬢様方、どうなさいましたか?」
ジーナさんは一応私を父の娘として扱ってくれるみたいだ。
悪い人ではなさそう……?
私がそんな感想を抱いてるのを余所に、セルフィがジーナさんに口を開く。
「ジーナに頼みがあるんだけど、私にジーナが以前働いていた場所を紹介して欲しいの」
「え!? ですが……」
「私、地味な仕事じゃなくて、綺羅びやかでカッコいい女性になりたいの! お願い、紹介して!」
「セルフィ様……」
必死に訴えるセルフィにジーナさんが物憂げな表情を向ける。
ジーナさんの以前の仕事? お手伝いさんの仕事はお世辞にも綺羅びやかとは言えないから別の職種だとは思うけど……。
二人が指している仕事が何のことなのか分からず、私はおずおずとジーナさんに問いかける。
「あの、ジーナさんの以前のお仕事とは……?」
「あ……お恥ずかしい話になりますが、ここに勤める前は娼館婦として働いていたのです」
「しょ、娼館ですか?」
「はい。アンナ様にとってはみっともない仕事かもしれませんが……」
「い、いえ、そんなことは……」
非日常的な単語が出てきて私はまごついた。
だけどセルフィがそこで働こうとしているなら、不透明なまま送り出したくはない。
私は意を決して、ジーナさんに向き合った。
「すみません……よくわからないので噂程度しか知りませんが……悪い印象ではあります」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!」
「良いのですセルフィ様。アンナ様の感性は極々一般的な女性のものです。不安になるのは仕方のないことでございます」
気を悪くすることなくジーナさんはセルフィを諭した。
娼館についての知識は、市井の奥様方が、娼館の女性が男性と街を歩いている姿を見ると、みっともないとかだらしないとか中傷しているのを目にしたことがあるくらいだ。
そんな目でセルフィが見られるのか思うと嫌だなぁという気持ちに駆られる。
ジーナさんは私に向き合うと話し始めた。
「女が男に媚びへつらう姿はみっともなく感じるかもしれませんが、あくまでもそれは仕事なのです。借金の肩に売られた子や身寄りのない子にとっては、それしか生きる道が見つけられず自分の本心を殺しては、幸せな未来のために足掻き続けるしかないのです。しかし、周りから見れば内面は見えないので……仕方のないこととは言え、生きるために必要なことを悪く謂われるのは辛いものではありますね……」
「……すみません。私、とても失礼なことを……」
「良いのです。アンナ様は卑しい身分であろうが受け入れてくれる優しさを持ち合わせていらっしゃるんですね」
ジーナさんが悲しげに目を伏せ、自分を卑下しながら微笑んだ。
……そうだよね。生きるために働いてるだけなのに、下に見てしまうなんて良くないことだった。
だけどそれでも、セルフィが働くことに不安がつきまとい私はジーナさんに訊ねた。
「だけど娼館って、キスとかしたりするんじゃないんですか?」
「ちょっとお姉ちゃん! そういう子供みたいなこと言うの恥ずかしいからやめてよ!」
「まあまあ! アンナ様は初々しくごさいますねぇ〜!」
心配になって聞いただけなのに二人から軽んじられている気配がひしひしと伝わってきた。
わ、わからない……キスはしないってことなの?
私が戸惑っていれば、ジーナさんはクスクス笑ってから言葉を紡ぐ。
「アンナ様はご心配なさっていますが、夜の世界ではセルフィ様の年齢で就労していることは珍しい話ではないのですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。事情というのは人様々なのです。それに紹介する店は私が長年勤めていたところなので、無理をさせないように計らいますから、ご安心なさってください」
「……」
ジーナさんのことを疑うわけではないけど、やっぱり不安を拭いきれない。
だけどあまりうだうだ言うのも失礼だし……。
私の浮かない顔を察したのか、ジーナさんが優しい声音で提案してきた。
「今からお店に行きますのでアンナ様もご一緒されますか?」
「え?」
「店を取り締まっている女主人に直接仕事内容を聞いたほうが安心できるのかと思いまして」
「そ、そうですね。ご一緒させてください。すみません。心配性でして……」
「ジーナがいるんだからそんなに心配しなくても大丈夫よ」
セルフィは呆れたように口を挟んだが、私としては妹の身に何かあったらと思うと不安で眠れなくなるくらいには情が生まれている。
この約一ヶ月程を一緒に過ごしたおかげか、私の言う事を渋々ながら聞き入れて、掃除をしたり洗濯物を干したりと、何気ない何かを一緒にするという作業が新鮮で楽しかった。
姉妹というより、距離感が友達のようでもあったかもしれないが今まで十六年間実家に過ごしていた頃よりも、この約一ヶ月間のほうが私には大切な思い出になってしまっていた。




