35.誕生日
あれから一ヶ月経つが、ミラさんが夢の中に現れることはなかった。
ロンシェンは一時的に諦めたと言っていたけど、完全に諦めてくれたんじゃないかな。
ほっと安堵して口角を上げる。
ロンシェンさんにまだお礼はできてないが、よく考えてみたらどう会いに行けばいいのか困っている。
セイルさんにロンシェンさんにお礼がしたいので、と言っても何のお礼なのか訊かれるかもしれないし……。
うーんと悩みながらカレンダーを見てみれば、ふと気付く。明日は私の誕生日だ。
もう十七歳か。あっという間だったな……。
思えば家を出てから半年以上経過している。
これまで穏やかながら濃い生活を送っていて、月日が流れるのは早いなと感じてしまう。
でも……十七歳か……。
私は自分の中でその意味を何度も噛み締めた。
次の日の朝、私は日課である牛小屋の掃除をしながら、セイルさんに嬉々として話しかけた。
「セイルさん、私今日で十七歳になるんですよ。これでセイルさんに一歩近づきましたね」
はにかみながら報告する。セイルさんの年齢に近づけたと思うとちょっと誇らしくなる。
セイルさんは箒を掃く手を止め、私を見て瞠目した後、ふふんと鼻を鳴らして挑戦気味に目を細めて得意げに笑う。
「俺も歳を取るってことを忘れてないか?」
「あ……そうですね! 忘れていましたっ! とはいえ、なんだか嬉しいです!」
私は指摘されたことに恥じらいながら笑って頭を撫でた。
年齢を重ねればセイルさんも歳を取る。
そんな当たり前のことに気づけていなかったが、やっぱり少しでも近づけたと思うと私の心は躍る。
セイルさんは表情を緩めて言葉をかけてきた。
「誕生日ならお祝いしないとな。バタークリームケーキでも作るか?」
「いいんですか?」
「ああ」
「嬉しいです! 一緒に作りましょう!」
「……おいおい。主役が一緒に作ってどうするんだよ?」
私が笑顔で返事すれば、セイルさんは呆れたように苦笑した。
セイルさんと一緒にお祝い嬉しいな……!
昂る気持ちを掃除に込めていれば、ふとセイルさんはいつが誕生日なのかが気になり手を止めて問いかけた。
「そういえば、セイルさんのお誕生日はいつなんですか?」
「俺の誕生日? ……いつだろうな?」
セイルさんは天井を見上げて頭を捻る。
そっか。セイルさんはそれも覚えてないんだ……。
私ばかり喜んでしまっているのがなんだか申し訳なくなる。
私は瞳を伏せて憂いたが、あることを考えついて明るく提案した。
「じゃあ一緒にお祝いしませんか? 私と同じ日で嫌じゃなければなんですけど……!」
セイルさんは私の顔を見ながら息をついた。
「別にそんな気遣ってくれなくてもいいぞ。六百年生きてるけど、誕生日を祝われたいなんて思ったこともないしな」
「私が! セイルさんと一緒にお祝いできたら楽しいだろうなって思っているだけなので、付き合ってくれませんか?」
「……まあ、そういうことならいいが……」
「ありがとうございます!」
漠然としながらもセイルさんは了承したので明るく御礼を告げた。
再び掃除する手を動かして鼻歌を歌っていれば、セイルさんは不可思議そうに「誕生日ってのはそんなに嬉しいものなのか?」と呟いていた。
夕食の時間に合わせながらバタークリームケーキ作りに取り掛かった。
スポンジ生地を焼いてから、バタークリームはバターと卵と砂糖を使用して作り、粗めに果肉を残したイチゴジャムをスポンジ生地の間に挟んだ。
セイルさんと一緒に作れることが嬉しくて、合間合間に目が合うと私はにこりと笑いかけていた。
セイルさんは三度目くらいで可笑しそうに噴き出していた。
私は夕食を作り終えるとセイルさんに少し自室に戻ることを伝える。
自室に戻った私は以前セイルさんから頂いたメアリとお揃いの観賞用のピンク色のエプロンワンピースと向き合った。
……自分で選んだピンクだ……。
今から着るとなると少し恥ずかしい。
だけど、誕生日という特別の日なら着ても違和感はない……はずだ。
本当は化粧もしたほうが良いのだろうけど、時間をかけると食事が冷めてしまうので、私は仕方ないと何度も唱えながら袖を通した。
恥は勢いで消せる……!
それにチラッと見せたら着替えるつもりなので、それまで気合を入れて頑張ればいい……!
私は羞恥を隠すためにメアリを片腕に抱いて、食卓へと戻る。
どういう面持ちで出ていけばわからず、私は壁の角から顔だけを覗かせてセイルさんを隠れ見ようとすれば、すぐにバレて「どうした? 早く来いよ」と急かされる。
私はむずむずとする唇を引き締めて、意識しながら口角を上げると意を決して進み出た。
私がセイルさんの顔色を窺いながら歩むと、私の着ている衣装に気づいたようで頬杖をついていた顔を上げて目を見開いた。
私は目の前で立ち止まる。
「あの、化粧はしてないので……似合ってないかもしれませんが……あの時の着れなかったことへの……お詫びのつもりです」
セイルさんは息を呑んで私を凝視した後、苦虫を噛みつぶしたような表情で首を傾げると胸を押さえて視線を逸らし顔を顰め続けた。
それをみた私は見当違いなことをしてしまったのだと察し、苦笑いした。
「なんて。こんなんじゃ、嬉しくないですよね?」
「いや、凄く嬉しいんだが……な、なんか……胸が苦しい? ような……?」
「え!? 体調不良ですか!? 吐き気はありませんか!?」
「そういうのはないんだが……息苦しい? ような……?」
「大丈夫ですか!? ちょっと横になりますか!?」
「――大丈夫だ。なんとか耐えれた……!」
「無理はよくありませんよ!?」
私がわたわたと慌てていれば、セイルさんは乱れていた呼吸を整えて辛そうに曲げていた上体を正した。
胸からも手を離し、腕組みをして悩ましげに顔を下げると眉間にしわを寄せて独り言のように呟く。
「これまで……いろんな痛みに耐えてきたが……言いようのない苦しみだったな……」
「本当に大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だろ。一応治癒もかけたからな」
「それなら大丈夫そうですけど、無理しないでくださいね」
「ああ。心配かけてすまなかったな」
びっくりした。急に発作が起きたのかな?
だけど魔法で治したなら一安心かな。
ほっと息をついて、セイルさんに声を掛ける。
「それじゃあ着てみせたので、汚れないように着替えてきますね」
言うだけ言って私が踵を返そうとすれば力強く手を掴まれて引き留められた。
驚いて振り返ればセイルさんが、真剣な面持ちで私を見ていて胸がどきりと跳ねた。
手にセイルさんの熱が伝わって、動揺している私にセイルさんは視線を逸らすことなく言葉をかける。
「折角着たんだ。今日はそれ着て過ごせばいいだろ」
「でも食事で汚したら嫌ですし……」
「そんなの洗えばいいだけの話だろ? 染み抜きなら俺がしてやるよ」
「それは自分でやりますが……」
真摯な目でじっと見つめられ、どぎまぎしてしまう。
私は視線を一度床へと落とすと、先ほど曖昧になっていた言葉をおずおずと問い質した。
「嬉しいでしょうか?」
「ああ。嬉しい」
迷いなく言い切られた。
欲しかった言葉を聞けて、私の心はぽかぽかと温かくなる。
「じゃあ着てます!」
「そうか! なら決まりだな!」
セイルさんは笑顔を浮かべると私の手を離した。
――洋服、汚さないように気をつけよう。
抱いていたメアリを自室に戻してから、向かい合ってテーブルに着くとセイルさんは遠慮することなく私をじーっと見つめてくる。
私が視線に耐えきれず下を向いていれば、セイルさんのしみじみとした言葉が耳についた。
「そうか……誕生日は俺が作った服を無条件で着てもらうことができるのか……。誕生日、いい日だな!」
そっと顔を窺えば眩しいほどの笑顔を向けられ、私は少しやらかしてしまったような気もしたが、セイルさんが喜んでいるので今日はそれで良しとした。
夕食後、ケーキを用意して蝋燭を一本立ててマッチで火を灯す。
「確か、蝋燭の火消す時は願い事を思い浮かべるんだっけか?」
「はい。そうですね」
「願い事、あるのか?」
「僭越ながら、あります」
「ふーん……」
願い事はただ一つ。
私は身を乗り出しながら蝋燭の火を見つめる。
来年もセイルさんといられますように。
そっと心の中で唱えながら蝋燭の火を吹き消した。
「何を願ったんだ?」
「えへへ。内緒です」
「――教えれば叶えてやるぞ?」
「大丈夫です」
「……物か?」
「違いますね」
私は尚も追及しようとしてくるセイルさんを誤魔化し笑いでやり過ごす。
マッチに火をつけて再び蝋燭に火を灯して、私はセイルさんに促した。
「さ、セイルさんの番ですよ」
「俺?」
「はい!」
私が明るく頷けば、セイルさんは難しい表情を浮かべて蝋燭を眺め始めた。
セイルさんは中々思いつかない様子だったが、私の顔を見ると何かに思い至ったのかニッと笑うと身を乗り出し蝋燭の火を吹き消した。
再び椅子に座り直すと、セイルさんは頬杖をついて不敵に笑って私を見据える。
「アンナの願い事が叶うようにって願ってやったぞ」
「え!? 折角の一年に一度の願い事をふいにしちゃったんですか!?」
「いいんだよ。別に叶えたい願い事なんてなかったしな。――で、何をお願いしたんだ?」
「……え?」
「俺の願い事でもあるんだから聞く権利はあるだろ?」
首を傾げ探るように流し目を向けられる。
そう来るとは思っていなかった私はぎくりとした。
なんだか嵌められたような、詐欺にでも遭ったような気分だ。
セイルさんから好奇の目を浴びて、時折冗談っぽく「ん〜? どうした〜?」と煽られる。
教えるのは恥ずかしいが、多分言うまでセイルさんは諦めないだろう。
「ら、来年もセイルさんと一緒にいられますように……って願いました」
恥を忍んで答えれば、セイルさんはきょとんとした表情を浮かべたあと笑みを浮かべて息をついた。
「なんだそんなことだったのか。気が済むまでずーっとここに居てもいいぞ」
「い、いいんですか?」
「ああ。好きなだけここにいてくれていい」
私が訊き返せばセイルさんは目を閉じながら躊躇いなく、鼻歌を歌ってしまいそうな機嫌の良さそうな声音で答えた。
返事を聞いた私はぱっと表情を綻ばせてお礼を言った。
「ありがとうございます! それなら……願い事、もう叶っちゃいましたね」
「本当だな。一気に二人分だ」
私が明るく言えば、セイルさんは噴き出して可笑しそうに笑った。私も釣られて笑った。




