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32.魔女にならない


無意識に下げていた顔を上げて、私は訊ねた。


「もしかして、その側近の人って白銀の髪色だったんじゃないですか……?」

「いいえ。黒髪の褐色肌の女性よ」


アーティカさんが私の質問を不思議そうに答えてくれた。

私の憶測は外れたようだ。

夢の中の白銀の女性はセイルさんに嫌われていると言っていたから、もしかしたら、と思ったが関係ないのかもしれない。

……だけど姿を変えられるなら、ないとも言い切れないのかも?


「アンナさんが言ってるのは、恐らくミラさんのことじゃないでしょうか?」


私が思い悩んでいればロンシェンさんが言葉をかけてきた。

するとマージさんたちは合点がいったように口々に「ああ。ミラか」「ミラさんですか」「ミラね」と頷き始めた。

ロンシェンさんが私に向き合う。


「その女性は夢の中で何か言ってませんでしたか?」

「えっと……魔女になるように勧誘してきました」

「……セイルくんの為に、じゃないですか?」


ロンシェンさんの問いかけに私が声に出すことなく頷けば、彼は不敵に笑った。

その意味を知る間もなく、マージさんの愉快げに笑う声が耳について私は顔を向ける。


「ミラは――ある意味一番魔女らしいかもねぇ。先の争いの時も独裁者が治める国ばかりに手を貸していたよ。遊ぶことが好きな子だよ」

「ミラさんは皆さんと同じ原初の魔女なんですか?」

「ああ。私たちと一緒ではあるけど、ミラの本当の姿は誰も見たことはないよ。老若男女に姿を変えるから、もしかしたら魔法使いかもしれないしねぇ。――あの子は一時的に人に魔力を与えることができるから、力を貸してた国の要人と戦うことが多かったねぇ」


マージさんたちも本当の姿を知らないなら、セイルさんが知らないのは無理もない。

不思議な女性だとは思っていたが、聞けば聞くほど幻のような存在感が増していく。

霧を掴むような感覚でミラさんのことを考えていれば、ロンシェンさんが再度問いかけてきた。


「何度かミラさんとは会っているのでしょうか?」

「えっと、昨日の夢で二回目ですね。……だけど、また現れるような雰囲気でした」

「フッ。でしょうね。――困っているのなら私が手を貸しましょうか?」

「え?」

「夢の中でミラさんが出たとき、私が干渉出来るように魔法を掛けられますよ」


つまりミラさんが現れたときにロンシェンさんが来てくれるということ?

ミラさんは言いようのない怖さがあるので、ロンシェンさんの申し出は有り難いけど、甘えてしまっていいのかな……。


「掛けてもらいな、アンナ。ロンシェンは変わったやつで、モノの気を視るんだよ。だから、夢で見る女性がミラならすぐに分かるはずだよ」

「ロンシェンさんが普段から目を閉じてるのはそういった理由からですね」 

「え? 目を閉じてるんですか!?」

「完全に閉じてるよー」


私の驚きに、ロンシェンさんが呑気に笑って答える。

目が細いだけだと思っていたけど、完全に目を閉じていたんだ……。

え? でもそれじゃあ真っ暗で何も見えないんじゃないのかな?

でも、ロンシェンさんと一緒に街を歩いたときは見えてない素振りなんてしてなかったし……。

湧いた疑問に頭を悩ませていれば、ロンシェンさんが朗らかに笑う。


「あらゆるモノには気が流れているからそれを視てるのよー。そこから形状、動作、感情、調子や善悪――色々読み取れるよー」

「目を閉じてるのに色んなことが知れるなんて不思議ですね。……それじゃあお願いしてもいいでしょうか?」

「任せるよ」


ロンシェンさんは椅子から立ち上がり私に近づくと、上体を屈ませて額に口づけを落とした。

きょとんとしていれば、ロンシェンさんの顔はすぐに離れてにこりと笑いかけられる。


「これでミラが現れたら駆けつけられるよ」

「あ、ありがとうございます……」


夢の中に入る方法が予期しない行為だったのとマージさん達の注目を浴びていることに、私は少し羞恥心を覚えた。

シンと静まり返ってるのも、なんだか居た堪れない。


だけど、これは必要なことなのだから恥ずかしかっては駄目だ……!

私が湧き出た感情を振り払っていれば、シーラさんがきょとんとした顔で口を開いた。


「ロンシェンさん、どうして今額にキスをしたんですか? 意識に入るだけなら指で触れるだけで充分だと思いますが」

「シーッ! それは空気を読んで言わないのが花よ!」


ロンシェンさんが唇に人差し指を当て、眉間に皺を寄せて批難するようにシーラさんに意見した。

私は呆気にとられたが、ロンシェンさんの冗談だったらしい。


苦笑して額を手の平で触る。

これで次に夢を見た時にロンシェンさんが来てくれるんだ。

一人で対峙するには心細さを感じていたので、ミラさんの知り合いであるロンシェンさんの力を借りることが出来るのは心強い。


ほっと安堵すると同時に視線を感じて顔を向ければアーティカさんが両手で頬杖を突きながらジト目でじーっと私を見ている。


「そういえば、貴女ってセイルの何なの?」

「あ……。ちゃんと挨拶してませんでしたね。私はアンナと申しまして、訳あって居候をしてるんです。今更ですが、よろしくお願いします」

「そうよねー。状況が状況だったもんねー。私はアーティカよ。よろしく。……でも、そっかー。貴女セイルの世話人だったのねー。一緒にいて怖くない?」

「いえ。セイルさんは私に優しくしてくれてますよ」

「……優しく? ……もしかして、マージが言ってた恋人って貴女のことだったの!?」

「で、ですから、それは誤解でして……」

「つ、つまりセイルからロンシェンに乗り換えて……!? そ、そんな修羅場みたいな時期に私は来ちゃったってこと……!? そんなの絶対に赦してくれるわけないじゃないー!」


アーティカさんは青ざめた顔を机に突っ伏すと泣き始めた。

なんか勝手に話を進めたと思ったら勘違いして嘆き悲しんでしまった……!?

私がオロオロとしていればマージさんはニヤニヤしながら状況を楽しんでいて、シーラさんは相変わらずマイペースにクッキーを頬張っていて、ロンシェンさんはアーティカさんを見て肩をすくめてため息をついている。

重々しい話をしていたというのに、一転して軽快な空気になり私は不思議な気分に包まれた。


·

·

·


その後、世間話に花を咲かせてからマージさんに送ってもらい家に帰れば、家の中は明かりもなく静まり返っていた。

セイルさんは自室だろうか――?

帰ってきたことは報せようと、私は部屋の中を見回しながら、セイルさんの部屋へと歩みを進めた。

扉の前に立ちノックして、口頭だけで報告を済ませる。


「あの、セイルさん。アンナです。今帰りました。――それだけ伝えに来ました」


一方的に言って去ろうとすればドアが開いたので、私は足を止めた。

出てきたセイルさんは私と顔を合わせると、きまり悪そうに目を逸らす。


「……すまなかったな。態度、悪かっただろ?」

「いえ、私に向けてないことは分かっているので大丈夫です」

「――あの後、なんか聞いたか?」

「アーティカさんの昔の話を聞きました」

「……そうか」


セイルさんはそんな話になるだろうと察していたのか、驚くこともなくただ事実を受け入れている。

私が知ったことに対してセイルさんは何も言わない。咎めることも意見を求められることもない。

私は意を決して、沈黙を破った。


「あの、セイルさん」

「ん?」

「私は魔女になりませんので安心してくださいね!」


あれだけ深い話を聞いておきながら、私の出した答えはなんの変哲もない言葉だった。

セイルさんの過去に寄り添うことができないのなら、少しでも安心してもらえるように彼の意向に沿おうとしてこの考えに至った。

これがセイルさんに出来る私の最大限の想いだ。


虚を突かれたような表情をしているセイルさんに、私は意識して笑みを浮かべる。

しばしそのまま時が過ぎる。

……あれ? 伝わってない?

私が首を傾げて焦っていれば、セイルさんが小さくふっと噴き出した。


「なんだぁ? 気を遣ってくれてるのか〜?」


セイルさんはにやりと笑うと私の頭を撫で始めた。それはもう遠慮なく、マユケを撫でる勢いで。

な、なんか、からかわれているような気がする……!

私の想いを軽く交わされたような、手応えのなさがもどかしい。

気づいていないセイルさんは尚も機嫌良さそうに頭を撫で続けるので、私は視線を逸らしながら口を尖らせて精一杯意見した。


「こ、これでも真剣に考えて発言したつもりなんですけど……!」

「……分かってるよ。――ありがとうな」


私が不満をぶつければ、撫でている手が止まってとても穏やかな声色が上から降ってきた。

顔を上げればセイルさんの私の見る表情がまるで慈しんでいるように柔らかくて。

目が離せくなり、惚けて自ずと口が微かに開く。

そして私は確信した。

私が掛けた言葉は間違いじゃないんだ、と――。





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