30.アスタカリスタの災悪 前
気付けば白い壁の広い部屋にいた。中央に置かれた長円形テーブルにはシーラさんとロンシェンさんが既に席に着いている。
二人は私と目が合うとシーラさんは「こんにちは」と挨拶をして、ロンシェンさんは笑みを向けながら手を振ってきた。
私は二人に向かって笑顔を向ける。
「シーラさん、ロンシェンさん、こんにちは」
「久しぶりよー! ささ、アンナちゃんは僕の隣に座るといいよ」
ロンシェンさんは立ち上がると隣の椅子を引いて手招いてきた。マージさんの顔を見れば「好きなところに座りな」と促される。
折角勧められているのでお言葉に甘えてロンシェンさんの隣の席へと着いた。
机の上に置いてあるマグカップには黒い飲み物が注がれていて湯気が立っており、チョコレートの甘い香りがする。その隣には塩味が主体のサレクッキーが小皿に乗っている。
飲み物を観察していると、ロンシェンさんとは逆の席が音を立てて、見ればセイルさんが顰めっ面のまま荒々しく椅子に腰掛けていた。
アーティカさんと顔を合わせないためなのか、セイルさんは腕を組んで下を向き目を閉じているが、ここに来たということは話を聞く気はあるようだ。
全員揃ったのか、向かいに腰掛けたマージさんが皆を見回して口を開く。
「さて、全員揃ったね。じゃあ早速だけど、アーティカの言い分を聞こうじゃないか」
マージさんの言葉に、アーティカさんに視線を向ける。
皆の視線を浴びたアーティカさんは身を硬くして、伏し目がちで話し始めた。
「あれから五百年――とても反省したわ。自分の甘さを捨てようと周りにいた側近たちも一新して、私に対して厳しく接するように命じたし、人に対して罪の償いとして善行も積み重ね続けてきたわ……」
「――それで?」
セイルさんが顔を合わせないまま冷たく続きを促せば、アーティカさんの眉尻が下がり弱りきった表情になった。肩をもじもじと揺らしながら、セイルさんの顔色を窺い、おずおずと言葉を発した。
「だからそろそろ……少しくらい赦してくれても良いんじゃないかと思いまして……」
アーティカさんが口籠りながら思いを吐露すれば、沈黙が場を支配する。誰も一言も口を開かない。ただただアーティカさんの顔を眺めているだけだ。
私が口を開くのも違う気がして、場の空気を重たく感じていれば無言の圧に耐えきれなくなったアーティカさんが感情的に声を張り上げる。
「誰かに恨みを買っていると思うと食事も美味しく感じないし、自分の一挙一動を誰かが監視しているんじゃないかって気になるし、夜は寝付きが悪くて安眠できないし……とにかく心身ともに辛いのよ……!」
アーティカさんの泣きを乗せた声音に、私は少し胸を痛める。
詳細は分からないが、彼女はとても反省しているように感じる。でも多分これは私が第三者の立場でしかないからだろう。
周りがどう感じているのか視線だけで窺えば、ロンシェンさんがアーティカさんを見据えながら眉間に皺を寄せて口を開いた。
「貴女が反省だと思っている行為は、ただただ人が当たり前のように行っている日常となんら変わりありません。それを反省などと――よく恥じらいもなく言えましたね」
「それじゃあどうしたら赦してくれるのよー! 五百年もの間、私はちゃんと苦行に耐えているのに!」
「罪は赦してもらうものではなく償うものだと気付かない限り堂々巡りですよ」
「私は赦されたいのよー!」
机に顔を突っ伏してアーティカさんは泣き始めると、ロンシェンは呆れたようにため息をついた。
……失礼かもしれないが、アーティカさんは他の人たちに比べると、何というか精神年齢が低いような印象を受けてしまう。
私が困惑しながらアーティカさんを見つめていれば、セイルさんが大きくため息を吐いて立ち上がった。
「時間の無駄だったな。俺は帰らせてもらう」
「え!? ちょ、ちょっと待ってよ! ま、まだ手立てはあるはずなのよ! じ、時間をちょうだい!」
「ないです。潔く諦めなさい」
アーティカさんが慌てて顔を上げて止めようとするが、ロンシェンさんが容赦なく追い打ちをかける。
私は戸惑ったが、セイルさんが帰るというならそれに倣う他なく、彼を見上げながら立ち上がった。
「なんだい? もう帰っちゃうのかい。折角アンナのために用意したクッキーが、一口も手を付けられてないなんて――悲しいねぇ」
マージさんの誇張した悲哀を含むぼやきに、私はハッとして手元のクッキーを見る。
クッキーどころか飲み物にも手を付けていない。
マージさんの好意を無下にしたくないという気持ちと葛藤しつつ、セイルさんの方を見ればバツの悪そうな顔をしていた。
「……アンナは、マージに送って貰ってくれ」
「……はい」
セイルさんはそう言って姿を消した。ここで一緒に帰ります、と言うのが正解だったのかは分からなかった。だけど、私が無理をしていると思われてしまうのも気を使わせてしまいそうで……。答えのない自問自答を繰り返しながらも、私は再び椅子に腰を下ろした。
ずっと無表情のまま無言だったシーラさんがカップに口づけた後、落ち着きを払った声で言った。
「セイルさん、取り付く島もありませんでしたね」
「この場に顔を出しただけでも御の字でしょう。尤も、しょうもない言い分にがっかりして印象がより悪くなったかもしれませんが」
「人に謝るのは苦手なのよー!」
「オランにもアドバイスを貰ったのに生かしきれなかったねぇ」
シーラさんとロンシェンさん、アーティカさん、マージさんの掛け合いに、不思議とピリピリした空気が少しだけ和らいだ。
私は無意識に緊張していたようで、肩に感じていた重みが楽になった。
呆けながら四人を眺めていれば、マージさんと目が合った。彼女はにやりと笑う。
「気になるだろう? セイルが何に対して怒っているのか?」
「……はい」
セイルさんがいない場で知ろうとしている後ろめたさを感じながらも、俯いたまま頷いた。
知らないままでいるより、知っていたほうが今後セイルさんの気持ちに寄り添うことができるはずだ。
私が頭の中でぐるぐると言い訳じみた言葉を並べていると、マージさんが笑う。
「そう思い詰めて聞くような話でもないから、ホットチョコレートでも飲んで気分転換しな」
「美味しいわよ。私のとこで採れた最高級のものを用意したからね。美容にもいいしね」
「チョコレートはアーティカさんからだったんですね。ありがとうございます。有り難く頂きますね」
私はマグカップを手に取りホットチョコレートを一口飲んだ。気疲れしていたのか、チョコレートの甘みが染み渡り、体を温め癒やしてくれる。
そうして、ようやく一息つけた気になれた。
マグカップの熱を両手で感じていれば、隣から視線を感じてロンシェンさんを見た。
彼は細めた目のままにこりと笑みを浮かべて首を傾げる。
「アンナちゃんはお化けは好き?」
「え?」
突拍子もない質問だったが、私はお化けという単語を耳にして反射的に思い切り首を横に振った。
お化けのことを考えるだけで背筋が寒くなり、身がぶるりと震えてしまう。
ロンシェンさんは満足そうに頷いた。
「そのお化けに対する恐怖心が今回の件に深く関係してるのよ」
「え? え?」
お化けとセイルさんの怒りが関係している?
予期しない繋がりに、私はない頭を必死に働かせるも、想像がつかずにいた。
混乱している私に、ロンシェンさんがゆっくりとした口調で説明を続ける。
「地域別にお化けの呼び方は変わるけど、根源は変わらず、死なない傀儡になりたくないという人としての拒絶が魂として刻まれているから、アンナちゃんは怖がっているのよ。そして、その根源の名がーーアスタカリスタの災悪」
前にロンシェンさんがセイルさんに言ってた言葉だ。
前も思ったが、初めて聞く名称。だけど、私の魂に刻まれているなら先人たちが経験していることなのかもしれない。
私は自分で悩むより実際に教えてもらったほうが早いと判断して、四人に問いかけた。
「その……アスタカリスタの災悪ってなんなんですか?」
「アスタカリスタの災悪は、アーティカさんが魔力を与えてしまった人によって起こされた世界規模の災害です」
「人、ですか」
私が聞き返せばシーラさんは頷いた。
その答えだけでセイルさんが魔力を与えたくないという理由と一致する。
シーラさんは再び語り始めた。




