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3.魔法使いのおもてなし


暗転したのは瞬く間のうちだけだった。

気づいたときには視界に橙色の光が灯している木造りの薄茶色の壁が見え、壁に埋め込まれた火が焚かれた暖炉、柔らかそうな茶色のソファ、幾何学模様が入った黒みがかった赤色の絨毯の上にはローテーブルが置かれている。

室内は広く、奥にはキッチンとダイニングテーブルも見える。

暖炉の火のおかげで室内は温かく、冷え切った体に心地が良かった。

男はゆっくりと私を床に降ろした。


「あ、あの、ありがとうございます。え、え~っと……」


そういえば名前を聞いていなかった。

私が言葉を濁していれば、男はすぐに気づいたのか「ああ!」と声を上げて頷いた。


「トイレは右の扉を出て――」

「名前を教えてくれませんか?」


その情報も有難くはあったが、今は彼の名前の方が知りたかった。

男は気まずそうに瞳を閉じて腕を組むとうんうん頷き「なるほどね。そっちだったか。まあ、分かっていたが」と言い訳のように独り言を呟いてから、私と向き合った。


「そういえばお互いに名乗ってもなかったな。俺の名前は――セイル・ヴェルベロット・ケイ・アゲルク・シーウェレット・ベル――」

「す、すみません! あの、もう一度いいでしょうか?」


まさかそんなに長いとは思っていなかったので、受け入れる覚悟が半端だった私は慌てて訊き返した。

人差し指を振りながら得意げに歌うように紹介していた男には悪いと思ったが、集中しないと言い間違いをしてしまいそうだ。

しかし、彼は気を悪くした様子もなく口を閉じた。


「り、立派な名前をお持ちなんですね」

「ああ。昔の歴代の国王から貰ったんだが、あまりにも多く貰いぎて歌にして覚えたんだ。……まあ、こんな長い名前でいちいち呼ばれるのも、会話の支障になりかねないから、セイルって呼んでいいぞ」

「あ、ありがとうございます、セイルさん」

「で、お前の名前は?」

「アンナと申します。……改めて、助けてくださってありがとうございました。このご恩は一生をかけてお返ししていきます」


私は深々と頭を下げるとセイルさんは「良い心がけだ!」と大きく頷いた。

そしてそわそわと周りを見回し始める。


「まあ、とりあえず寒いだろ? 風呂でも入るか?」


その提案に私は自分の体を見下ろした。茶色いコートは土で汚れており、靴底に着いた泥は床を汚していた。

私は慌ててポケットからハンカチを出して、床に這いつくばり泥にまみれた床を拭く。

無我夢中で拭っていれば、驚愕している声が上から降ってくる。


「な、なんだ!? 急にどうした!?」

「ご、ごめんなさい! こんな綺麗な家を汚してしまって……!」

「……なんだ。そんなことか。俺が入れたんだから気にすることねぇんだが……このままキリがない掃除をされても困るな……」


セイルさんはため息を吐くと、指をぱちんと鳴らした。

キラキラとした白い粒が眼前に現れ、あっという間に床は綺麗になり、体を起こせば自分に付着していた汚れも落ちていた。

目を丸くしてセイルさんを見上げれば、彼は頭を掻いた。


「普段はあんま楽しないようにしているんだが……今日は遅いし、特別だ!」


誰も責めたりはしないというのに、彼は言い訳を振り切るように、断言する。

私がお礼を言って立ち上がれば、セイルさんは手を叩いた。


「よし! これで気兼ねなく風呂に入れるな! ……待て。着替えがなかったな。ちょっと待ってろ」


セイルさんは木造りのチェストに向かい、棚を開けると布地を何枚か取り出して吟味すると、ぱちんと指を鳴らした。

複数の布地が光を纏い、モスグリーンを基調としたワンピースができあがり、私に差し出した。

私は瞳を瞬かせる。


「あの、この服……」

「いいか? 今日は特別なんだからな!」


自分に言い聞かせている物言いだったが、私に念を押すように威圧感ある顔を近づけるので私はこくこく頷いた。

言葉に甘えてお風呂に入り、ほかほかしたぬくもりに幸せを噛みしめる。

魔法をかけられたおかげか、体中の痛みが引いている。

お風呂からあがれば、いい匂いが鼻腔をくすぐり、お腹が情けなくぐうっと鳴った。

最初に来たリビングに戻るとスープのいい匂いが部屋に充満していて、私は口の中の唾液を呑み込んだ。

セイルさんは私が戻ってきたことに気が付くと、ダイニングテーブルへと手招きする。


「ほら、腹減ってるだろ。席について食べていいぞ」

「い、色々とお世話になります……」


恐縮しながらも、ダイニングテーブルへと近づいて上に置かれている食事に目を向ける。

パンと湯気がたっている野菜スープ、新鮮な野菜のサラダがとても魅惑的に見えてしまう。

私はセイルさんの向かいの席へと着いた。

セイルさんが食べ始めるのを、私は膝に手をついて眺めていれば彼は口をもぐもぐしながら「ん!」と手のジェスチャーで食べるよう促した。


「い、いただきますね」


まずはスープ皿に手をつける。

スプーンですくいあげ、口に運べば野菜の香りが口の中に広がり、少し酸味のある味付けが味覚を刺激する。


「美味しい!」

「おお! 美味しいか! そうだろうそうだろう! この野菜はなぁ、俺が手間暇かけて作ってるからなぁ~! 当然だな!」

「ご自分で作ってるんですか? 凄いですね!」

「そうだろうそうだろう!」


感動して褒めれば、セイルさんは嬉しそうに頷いた。

それから夢中で食べていれば、視線が注がれていることに気づき、顔をあげる。

彼は食事をする手を止めてじーっと私の一挙一動を監視するように見つめていた。


がっついていた自分が急に恥ずかしくなり、顔が熱くなる。

照れを隠すようにスープをちまちまスプーンで掬って飲んでいれば、あっという間に空になり、それを確認したセイルさんはすかさず声をかけてきた。


「スープおかわりあるぞ?」

「あ、えっと……なら、少しだけいただきます」

「おかわりしたくなるくらい、俺の作ったスープは美味いということだな!」


セイルさんは私のスープ皿を取ると機嫌良さそうに鍋の方へと向かう。

なんだか楽しそうなセイルさんに、私はついつい手が止まらなくなり、いつも以上にお腹が満たされた。


食事後は、促されるようにソファに座りると当然のように隣にセイルさんが腰かけてきた。

私は会ったばかりのセイルさんに粗相がないように緊張しつつも、暖炉の焚火を見つめる。

焼かれている炭のぱきっという心地良い音が鳴り、癒されるが、隣でそわそわしているセイルさんが入ってどうにも落ち着かない。


「寒くないか? ブランケットあるぞ?」

「だ、大丈夫です」


断ったものの否応なしにセイルさんはブランケットを背中にかけてきた。

色々と世話を焼いてくれるのは有難かったが、今のところ何も恩返しができていない現状に私は勝手に重圧を感じていた。

しかし、後ろ向きになるのはよくないことだと首を大きく横に振って、私はセイルさんの方を向いて改めて決意表明をした。


「あの! 私、明日から気合をいれて頑張りますので!」

「おう! 任せた!」


元気の良い返事が返ってくる。

期待してくれている、ということで好意を受け取っていてもいいのかもしれない。

沈黙が続いたので、私は思いきって喋りかけることにした。


「セイルさんは、もてなし方が上手ですよね。よく誰かが遊びにきたりするんですか?」

「客という客はアンナが初めてだ。俺がもてなすのが上手いのは……まあ、持って生まれた才能という奴だな」


意外な返事だったが、私が誉め言葉を口にしたことでセイルさんはソファに尊大に両腕をあずけては踏ん反り返って、ふふんと鼻を高くしていた。

凶悪な魔法使いと聞いていたけど、気配り上手で優しくしてくれてとてもいい人だ。


それからしばらくして就寝することになり、セイルさんは空いている部屋があると、案内してくれた。

部屋にはベッドとクローゼット、鏡台が置いてあり、必要なものがあれば言ってくれと言い残してセイルさんは自室へと戻った。

先ほどセイルさんは客は初めてと言っていたが、よく見れば鏡台の机の上には宝石のついたピアスが置いてあり、人がいた気配を残していた。

彼女さんでもいるのかな、と思うと私がここで寝てもいいのかと不安にもなったが、恩返しするために頑張りたいので明日に備えて寝ることにした。




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