21.夢の中の魔女
マージさんが帰った後、隣で一緒に見送っていたセイルさんが私へと向き合った。
「すまなかったな」
「え?」
「気、使ってくれたんだろ? マージの手前、俺に恥かかせないように」
セイルさんはそう言って私に穏やかに笑いかける。
何のことか分からずまごついていれば、セイルさんは笑みを引っ込め、弱ったように頭を掻いてはため息をついて、私に小指を突き立てた拳を見せた。
「これのことだよ」
「あ……」
そ、そっか。そういう意味で捉えられてしまったのか。
私としては告白した勢いのつもりだったので、セイルさんに気づかれてしまったんじゃないかって思っていたけど、そんなことはなかったんだ……。
安心していいのか、ちょっと残念なような複雑な気持ちに苛まれる。
ううん! 今のままの関係で過ごすことができるならとってもいい事じゃない! 喜ぶべきよ!
私の合点がいったことを確認したセイルさんは、ふっと笑って私の頭に手を置いた。
「これでも身の程をわきまえているつもりだ。若い娘がおっさんになんて興味はないってことはな」
「そ、そんなこと……」
言葉を紡ごうとして私は思い出す。
セイルさんは二十代くらいのような見た目をしているが、マージさんの話によると六百年程生きている。
それに比べて私は十六歳。
年の差が離れすぎていて、セイルさんから見たら私は子供――ならまだしも、生まれたばかりの赤子だと思われている可能性だってある。
それなら恋愛対象と見られていないのも当然だ。
それにセイルさんは年をとっても変わらないが、私は年を重ねれば見た目だって変わって……あっという間にお婆さんだ。
そんな人と恋愛しようだなんて思ったりしないだろう。
つまりセイルさんにとって私は、私から見た犬のマユケと同じなんだ。
やっぱり私はマユケと同じ……人だけど犬……犬の寿命……犬って何年生きるんだろう?
多分短い? と考えていたが実際どうなのかは分からない。
「そういえば、マユケって何歳なんですか?」
「……急に突拍子もないこと聞いてくるな。……さあ? ここに迷い込んでから大体二十年くらい一緒にいるんじゃないか?」
「え? 私より年上なんだ……。犬って長生きなんですね」
「そうなんだな」
セイルさんがあまり興味なさそうに頷いた。
犬の寿命がどれほどのものか分からないけど、私が思っていたより長生きするらしい。
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夜になってベッドに横になり、眠りについた記憶がある。
私は気付けば真っ白な世界に立っていた。
あたりを見回しても、白しか映らず遠くになればなるほど靄がかかっているようにみえる。
明晰夢と理解するが、夢にしてはやけに脳がはっきりしているように感じる。
私はどうしていいか分からず、ただただ白い空間を眺め続けていれば遠くの方から誰かが近づいてきている。
目を凝らしてそれを待っていれば、若く美しい白銀の髪色を持つ女性が現れた。
髪は結い上げられていて、耳横の髪はウェーブがかかっていて垂らしている。
白い空間の中ルビーのような赤い瞳が印象的で、幻想種のような神秘的な雰囲気を纏っている。
女性は数メートル離れたところで立ち止まり、私をじっと見た。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
優しい声音で挨拶をされ、戸惑いながらも挨拶を返す。
女性の薄い唇は笑みをたたえている。
恐らく、今まで会ったことがある人じゃないと思う。
記憶を探るが、白銀の髪で若い女性は今までに視界に入ったことすらない。
となるとこの女性は私が無意識に作り出した人なのかもしれない。
女性を無遠慮に眺めていれば、彼女はゆっくりと首を傾げて唇を開いた。
「魔女になりたい?」
「え?」
考えてもいなかったことを彼女は口にした。
私が不意に訊き返したことに対して、彼女は律儀に応えてくれる。
「魔女になりたい?」
「……いえ。なりたくないです」
私は首を横に振って意思表示をした。
女性はただただ私を見据え続けている。そして、再び口が開く。
「どうしたら魔女になってくれる?」
「い、いえ。魔女にはなりません」
言葉が届かなかったのか、女性が繰り返し訊ねてくるので私はもう一度否を唱える。
彼女は閉口した。ようやく諦めてくれみたいだ。
ほっとしていれば、女性は薄く笑ったまま踵を地面から離すとそのまま宙に浮いて留まった。
う、浮いてる……!
夢の中なのだからなんでも出来るとは思ってはいるものの、そういうことも出来てしまうんだと驚いてしまう。
地面から十センチほど浮いた女性は、まるで雲が流れるように私の目の前に寄ってくると私を観察するように右や左に移動する。
私はなんだか居心地が悪くなって、彼女の動きに合わせて体を動かしては観察されるのを拒んだ。
そして彼女は止まると、私の両肩に手を置いた。
彼女の顔が吸い寄せられているかのように私の顔へと近づいてくる。
咄嗟にキスをされるのだと脳が理解した。
「あ……や、やめてくださいっ!」
私は両手で彼女の口を覆った。
夢の中であっても、口が触れてしまえば魔女になってしまうかもしれない。
夢の中なのに、いや、取り留めもない夢の中だからこそ怖く感じてしまっているのかも。
彼女は私に口を覆われて瞳を瞬かせた。
そして両肩を軽く押されると浮いている彼女の体が流れるようにすーっと私から離れていく。
「どうして魔女になりたくないの? セイルと一緒に居たいのでしょう?」
「! セイルさんを知ってるんですか!?」
自分の夢の中なら、彼女が知っていてもおかしくないというのに私はつい驚いてしまった。
彼女はクスリと笑って、胸に手をあてて追憶するように瞳を閉じた。
「ええ。知っているわ。私はセイルのことを愛しているから、あの子には欲しいものを与えてあげて喜んでもらいたいの」
愛しているという言葉でどきりとする。
彼女の考えが私のものだと仮定すると、彼女は自分自身だったりするのかな?
でも、魔女になりたいだなんて私は願ってない。
だけどこんな夢を見るなら自覚がないだけで、少し迷いがあるのかもしれない。
しっかり自分の意思を夢の中で反映しなければ。
「わ、私は魔女になりたいだなんて思ってない! セイルさん自身もきっとそう思ってる!」
声を張り上げて自分自身に伝えれば、辺りがしんと静まり返る。
女性は口元に微笑みを絶やさず、私を見据えていたが一拍おいてから口を開いた。
「どうしたら魔女になってくれる?」
あれ? 反映してない?
彼女はしつこく私を魔女にさせようとしている。
この夢は悪夢のたぐいなのかな?
私が頭を悩ませていると、女性は静かに様子を見守っていたようだが口から零れ落ちた言葉に私の思考が止まった。
「――家族を殺したらなってくれる?」
「……え?」
何を言われたか意味を呑み込めず、聞き返す。
女性は再び宙を移動して私に近づくと顔にそっと片手を添えられる。
優しい声音で問いかけてくる。
「お父さん? お母さん? それとも妹?」
「あ……い、今は家族とは疎遠ですので関係ないですっ!」
夢の中での脅しには屈しない。
私は慌てて彼女の手を払いのける。
というか、殺すなんてあまりにも突拍子もなさすぎる。
これも私が思っていた事なの……?
「でも殺されてほしいほど、彼らのことを憎んではいないでしょう?」
私ははっと息を呑む。
図星を指されたかのように、その言葉は私の胸を貫いた。
彼女はクスリと笑うと次は両手が私の頬に添えられる。光のない深紅の瞳が私の瞳を覗き込む。
「分かるのよ、私は。家を出たあなたの喪失は家族からの愛情の失望からくるものだから、彼らが命に晒されればきっと心を痛めるわ。家族に何もせずに出ていって自死しようとしたのが、なによりの証拠。心根が優しい子は、真に人を憎むことが出来ないの。だから自分のことを露とも思っていない家族でも助けたいなんて、可哀想なことができてしまうのよ」
「や……」
息が詰まり、言葉を上手く発せられない。
私の瞳を覗き込んでくる深紅の瞳から目が離せなくなる。
そうして抵抗できずにいれば段々と女性の顔が近づいてきて、私は彼女がしようとしていることが怖くなり体を奮い立たせた。
「やめてくださいっ!」
私が強く手で突き放せば、体が後ろに引き寄せられる感覚がして目を覚ました瞬間、後頭部に固いものがぶつかり「いたっ!」と反射的に声が漏れた。
痛みで頭を押さえようとすれば床に手が当たり、自分の状況が徐々に分かっていく。
「ベッドから……落ちてる?」
器用に上体だけがベッドからずり落ちている。
なんだか体を起こす気にもなれず、暗がりの天井をただ見つめる。
変な夢だった。
彼女に問われて必死に否定していたけど、実は私は……魔女になりたいと思ってるんだろうか?
再び眠る気になれず私はしばらくそのままの姿でいた。




