閑話.アンナがいなくなった家 2
捜索願いを出した数日間は警察も気合を入れて捜索に当たっていたが、一週間も過ぎると別の仕事が舞い込んだのか、捜索の手は次第に勢いをなくしていった。
父はとりあえず男爵家との婚姻の件は、保留ということで手を打った。
先方は代わりに妹のセルフィを、とも申し出してきたが、元を正せばベルベの不始末のせいなのでそれを指摘して黙らせた。
アンナがいなくなってから日が刻々と過ぎ去っていく。
父の耳にアンナの情報は入ってこないというのに、鉱山の現場監督から金の採掘量についての嬉しい報せはどんどん入ってくる。
ある日の夕食時に、父が金の採掘量を嬉々として家族に報せていれば、セルフィが口を開いた。
「なんかお姉ちゃんがいなくなってから、お父さんの事業上手く行ってるね」
「……」
その言葉で父はアンナの捜索を打ち切った。
実際にはアンナがいなくなった数ヶ月前には金の採掘量が増え始めていたのに、彼の中で時期が曖昧になっており、セルフィの言葉が腑に落ちたのだ。
そればかりか、確かにアンナがいなくなってから全てがうまくいっていると、身近に起きた些細な幸運を照らし合わせては合点がいき、寧ろ彼女がいたから今まで思うように事業が回らなかったのではないかと疑念まで抱くようになってしまった。
実際に、男爵家との婚姻の件を滅茶苦茶にしたのも彼女のせいだ。
そう思えば、とんだ厄介者であったと腹が立ってきた。
父にとってアンナの存在はそれほど重要ではなかったと決定づけ、それ以降彼女の話題に対して煙たがるようになった。
アンナがいなくても不都合がないと思われていたが、セルフィにとって一つだけ問題があった。
「セルフィ、ちょっと洗いもの手伝ってちょうだい!」
「えー! やだー!」
「ちょっとでいいから!」
「やだ! これから友達と遊びに行く予定があるんだもん!」
使い勝手のいい使用人がいなくなったことだった。
今までアンナがしていたことが、母に一気に回ってきたためイライラが募り、普段は手伝いをさせないセルフィにまで毎日のように手伝いを求めてくるようになった。
セルフィは一度手伝えば、絶対に味を占められると母に抵抗し続けた。
そうなると母は愚痴を零すが、その内容はアンナが勝手にいなくなったことに対しての憤りばかりであった。
「あの子は私を困らせるために居なくなったのよ! じゃなきゃ、どうして私が毎日家事をしなくちゃならないの!? あー! ほんと、忙しいっ!」
母はたらいで洗っていた食器を乱暴に重ねた。
割れないのが不思議なくらいガチャンと皿が音を立てる。
セルフィはそれを見て、良いことを思いつく。
「ねぇ、お父さんの鉱山も上手くいってるし、使用人を雇おうよ!」
「……そうね! 折角お金が入ってくるんだから、使わないと損よね」
セルフィの提案に、母は怒りを忘れて笑顔で頷いた。
それから父にも許可を取り、使用人探しをし始めた。
程なくして、三十代の女性ジーナを雇うことになった。
ジーナは年齢の割に顔が若く見え、おべっかも上手くて、母とセルフィの機嫌取りをよくしてくれた。
我儘を言っても文句の一つ言うこともなく、それどころか母とセルフィの頼み事をなんて慎ましいことなのだと褒め倒してくれる。
彼女は以前、夜の仕事をしていたらしく、それに比べると使用人の仕事は天国のようだと口にしていた。
ジーナのおべっかは父にも通用していて、よく褒められては満更でもない笑みを浮かべていた。
ジーナの優秀なところはそれだけではなく、貴族事情にまで精通していた。
今婚姻を保留にしている男爵家は世襲ではあるものの、持っている土地は寂れており、それを活用する術を見出す努力もせず、ただ金のある平民を当てにしていく魂胆ばかりに力を注ぐような貴族であることをジーナは知っていたため、それを雇い主の父へと申告する。
「そんなところにお美しいセルフィお嬢様をお嫁に行かせるなんて、お嬢様が可哀想ですよぅ……。それに、努力家の旦那様がようやく報われたと言うのに、それに対して何の援助もしなかった人たちが、ただただ甘い蜜をすするだけなんて、馬鹿にされてるとしか思えません……!」
ジーナが目を潤ませながら父に訴えれば、彼はころりと考えを改めた。
男爵家と直談判し、娘が殺されかけて、行方知れずになったことを責め立てて強引に破談に持っていった。
セルフィはそれを聞いて、喜んだ。
これでベルベを婿にしなくてもいいのだと。
しかし数日後、ベルベが家を訪れてセルフィに懇願してきた。
「セルフィ! どうか俺と結婚してほしい! 君と結婚しなきゃ俺は家を継ぐことが出来ないんだ!」
セルフィはげんなりした。
もう顔を見なくても良いと思っていた男が目の前に現れたからだ。
家の中には入れず、玄関先でセルフィは体裁の良い断り文句を口にする。
「お姉ちゃんを殺そうとした人と結婚なんてできるわけないでしょ! ほんと、おぞましい人!」
セルフィが自身を抱きしめながら腕を擦って侮蔑の目を向ければ、ベルベはぐっと喉を鳴らした。
視線をそらしたベルベは、しばし無言の後何かを思い出したのかセルフィに縋った。
「な、なら、俺が買った物を返してくれよ!」
セルフィの眉尻が上がる。
男が一度あげた物を返してほしいなんて、浅ましい。
セルフィはベルべを嫌悪した。
顔を横にぷいっと向けて、セルフィは声量を上げる。
「あんなの捨てちゃったわ!」
「す、捨てた!?」
「ええ。だってあんな安物、私には似合わないもん」
「そうですね、お嬢様。これからはもっと良い物を身に着けていきましょうね」
後ろでいつの間にか待機していたジーナが、穏やかな口調で同意する。
セルフィが「ええ」と頷けば、ベルべの目が徐々に吊り上がっていく。
「捨てたって……お前っ! ふざけるなよ!」
「きゃあ!」
逆上したベルべが、セルフィの髪に掴みかかった。
髪を引っ張られ、セルフィが抵抗できずにいれば、ジーナが慌ててベルべの腕を掴んだ。
「まあ! お嬢様に何をするんです!? 警察を呼びますよ!」
叱りつけたジーナの言葉に恐れをなしたのか、ベルベはバツの悪い顔を浮かべて手を離し、逃げるように去っていった。
彼が見えなくなるのを確認してから、ジーナは泣いているセルフィを抱きしめる。
「大丈夫ですか? お嬢様?」
「うう……怖かったよぉ……」
「お可哀想に……」
えんえんと泣き始めるセルフィの頭をジーナは優しくなでた。
その件があってからセルフィはベルベを追い払ってくれたジーナが好きになり、姉のように慕い始めた。
洗濯物を干すジーナの傍に引っ付き、手伝いをすることなくセルフィは彼女に話しかける。
「ねぇねぇ、ジーナ。夜の仕事をしてたときってどのくらいのお給金だったの?」
「んー、そうですねぇ。全盛期は、ひと月で一般の方が稼ぐ平均金額の半年分くらいのお金を稼いでいましたよ」
「ひと月で!? 凄い!」
「若い頃の話ですよ。今じゃ美貌もなくなって、若い子に追いやられては仕事を辞めて、ほそぼそとお金を稼ぐ日々ですよ」
「それでも凄い! 私じゃきっと出来ないわ!」
「――そんな事ないですよぉ。セルフィ様の容姿なら、ひと月で一年分くらい稼いじゃうんじゃないでしょうか?」
ジーナが洗濯物を干す手を止めて、セルフィを頭のてっぺんから爪先までを観察する。
慕っているジーナに褒められて嬉しくなったセルフィは恥じらいながら「えー」と返事をした。
それから父の鉱山が軌道に乗ってから、母とセルフィの金遣いは荒くなった。
今まで着ていた服を捨て、洋服を全て新調した。
服を買うならアクセサリーも必要だと、街の宝石屋に赴けば、店主が優先的に接客をしてくれて、宝石を一つずつ丁寧に持ってきてくれる。
いくつか購入する旨を伝えれば、周りの客が「おおー!」と歓声をあげる。
その声は二人の耳に心地よい響きを与えてくれた。
父の身だしなみも、ジーナが富裕層に足を踏み入れるのだから整えたほうがいいと提案してきた。
彼女は夜の仕事をしていたため、富裕層の人たちがどのような着こなしをするのかを知っているので店への同行を申し出ていた。
彼女と出かけて帰ってきた父は見違えるほど男前になっていた。
落ち着いたグレーのアーガイル柄のセーターを着用しており、ブラウンのズボンは糊付けされていて清潔感がある。
腕には銀色の分厚い腕時計を嵌めていて、裕福であることを窺わせた。
母とセルフィは驚きの声を上げる。
「お父さん、凄くいいよ! なんだか若返ったみたい」
「本当! 一瞬誰かと思っちゃったわ!」
「そ、そうか? 気慣れない服だから自分じゃわからないな……」
「奥様とセルフィ様の言うとおりですよ! 本当、魅力的ですぅ!」
「いやいや。どれもこれも、ジーナのおかげだよ」
「そんな事ないですよぉ。元がいい人は何を着てても似合ってしまうものなんです」
家が豊かになると全てが上手く行き、家族仲も良好になる。
そうしてセルフィたちは新しい生活を享受していった。




