2.凶悪な魔法使い
家を出た私はとにかく走った。
人にぶつかりながらも、自分の居場所を探すように彷徨い、一心不乱に足を動かした。
しかし、そんな場所が見つかるはずもなく、疲れ切った体は段々と勢いをなくして――とうとう立ち止まってしまう。
下を向いて石畳の地面を眺めていれば、水の粒が落ちて小さく染みをつくっていく。
堪えていた感情がとめどなく涙となってあふれ出てくる。
顔を覆ってその場に蹲り、抑えきれない悲しみに、嗚咽が止まらない。
きっと今の私の顔は普段以上にブスなのだろう――。
しばらくして泣きはらした顔を上げれば空は夕日と暗い夜が入り混じっている。
わかっている。泣いたとしても現状が変わることはない。だからと言って居場所のない家にも帰りたくはない。
冷静になって、今いる自分の場所を見回して確認すれば街の外れまで来てしまったようだ。
近くに民家はなく、目の前には凶悪な魔法使いが住んでいることで有名な山がそびえ立っている。
魔法使いは何百年もの時を生き、かつて国同士の争いにも一翼を担っており、その絶大なる力は何千人もの人の命を奪ったと謂われている。
私はどうせ帰ったとしても理不尽な扱いが続くのなら、いっそ殺される前にここで死んでしまおうと自暴自棄になり、山へ向かった。
ゆるい傾斜の腐葉土の上を歩けば、体重で少し沈んだ感じがふわふわしていて、夢の中のようだった。
だが、体力は徐々に限界を迎えているのか息遣いが荒くなり、踏み出す足も遅くなっていく。
そして一際大きな大木が見えてきてそれを目的地にして立ち止まる。
冬の夜の山の中で眠れば、きっと凍死するか野犬に襲われるだろう。
大きな大木の木の根が土から盛り上がっていて、私はそれを抱きしめるように寄り添い横たわった。
「ここで寝ていたら死ねるかな……」
腐葉土がふわふわしていてベッドのようだし、手に当たる木の根はすべすべとした手触りの中に縦の凹凸があり気持ちがいい。
空気に触れている体は凍えるほど寒かったが、今は疲労のせいか眠気が勝っていて瞼が重たくなり目を閉じて深い眠りへと誘われた。
「おい! なんつーところで死のうとしてんだ! 目を覚ませ!」
どれだけ寝たのか、頬を手でたたくような小さな刺激が間を開けることなく感じられる。
「おい! おい!」と言う言葉とぺちぺちという音が頭を覚醒させ、重たい瞼を持ち上げた。
ぼやけた視界が捉えたのは誰かがしゃがみ込んで、私に呼び掛けている姿だった。
「やっと目を覚ましたか。ったく、なんつーはた迷惑なやつだ」
男性の声が呆れたように言葉を吐く。
私は地面に手をついて気だるい上体を持ち上げた。
「貴方は……?」
「ん? ここの主だよ」
ここの主――?
覚醒しきっていない頭を働かせ、ハッとする。
山に住んでいると言われている凶悪な魔法使いだ。
視界が完全に開ききって、改めて魔法使いを見た。
噂の魔法使いの男性は見た目が二十代くらいで、美しい容貌をしていた。
彫りが深く勝気そうな顔つきに艶のある黒い髪と同色である三白眼は見下すようにこちらを見据えている。
私は見上げるように魔法使いを見ていたが、自分の身の上を思い出して頭を下げた。
「お願いです。ここで死なせてください。もう私にはいく場所がないんです……」
「……一応話を聞いてやろうか」
つっけんどんな言い方であったが、私は誰かに話を聞いてもらいたかったのだろう。
まとまらない頭で口を開き、感情のままに言葉が滑り出た。
「私はブスであっても、恥じることがない様に生きていこうと思ってました……だけど、ブスであるがゆえに罵られ、落ち込むこともありました。だけど、まさか、ブスというだけで殺されそうになるなんて……!」
男は眉間を顰めて腕を組みながら黙って私の話を聞いているが、指が苛立たしげに動いている。
どうでもいい身の上話を聞かされて、迷惑しているのだろう。
私はそう察して俯いて、簡潔に結論を口にした。
「だから、ブスでいることに疲れ――」
「さっきから黙って聞いてればブスブスブスと……! なぁんだぁお前は!? 自分のことをカマキリだとでも思ってんのかぁ!?」
「え!?」
突拍子もない言葉に私は驚いて顔を上げた。
男は不機嫌な感情を露わにした顔を近づけると私の鼻先に人差し指を突きつけた。
「いいか? よく聞け! お前の目と鼻と口はぜーんぶ人間の形をしている! 特段変わったことはない普通の凡人なんだよ! 自惚れてんじゃねぇ!」
男は怒鳴りつけるように、今までに言われたことのない慰め方をした。
一瞬その勢いに呆気にとられたが、その言葉の意味がじわじわと伝わってきてなんとなく嬉しくなった。
ブスじゃないと否定されれば、私はでも、だって、とウジウジしてだろう。
だけど、飾り気がない真っ直ぐな意見をぶつけられて、この人にとって私の容姿は大して取り上げるほどのことでもないのだと分かって安心したのかもしれない。
枯れていたはずの涙が目にじわりと滲んでくる。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、男は脅しのように私の全身をねぶるように見てはあくどくニヤリと笑った。
「そんなに死にたいならなぁ、俺の下僕になって死ぬまでここで働いてもらおうかぁ?」
「ぜひ、お願いします……! 私にはもう行くところがないんです……!」
渡りに船な提案に私は、希望を抱いて頭を下げた。
この人は私を見た目で判断しないと分かったから、一緒にいたいと思ったのも要因だろう。
男は予想外の返事だったのか虚を突かれたような表情をしていたが、思い当たったのか弱り気味で頭を掻いた。
「……そうか。そういえばお前行くところがないとか言っていたな……」
彼としては諦めさせるつもりで言ったのだろう。
私は、勝手に意気込んでしまっていたが、その場の雰囲気で言った言葉だったのだと分かり、肩を落とした。
「すみません……。やっぱり迷惑でしたよね……」
「いや! 男が一度言った言葉を取り消すなんて、そんなダセェことはしない! 仕方ねぇ! ついてこい!」
男は首を振って強い口調で言い切ると立ち上がる。
私は元気よく返事をして立ち上がろうとしたが、予想以上に足腰が動かない。
普段そんなに運動しない私が、街を走り回り、山登りをしたことで体が悲鳴をあげているのだろう。
だけどここでそんな弱音を吐けば、彼は使い物にならないと考え直してしまうかもしない。
私が一向に立ち上がらないことを不思議に思ったのか、男は首を傾げる。
「なんだお前? もしかして立ち上がれないのか?」
「いえ、だ、大丈夫です……」
私は疲れで震える体に叱咤をしてどうにか立ち上がるが、慣れない腐葉土の地面でバランスを崩し、倒れそうになる。
が、すぐに男が足を踏み出し、「おっと」という言葉を漏らして私の体を支えた。
「やっぱり立ち上がれねぇんじゃねぇか……」
「す、すみません……だけど、大丈夫なんです……」
苦々しく吐かれた言葉に、私は大丈夫と返すことしかできなかった。
折角居場所を見つけられたのかもしれないのに、ここで見捨てられたら私はどこに行けばいいのか。
戦々恐々としていれば、上から深いため息が落ちてきて恐怖で胸が締め付けられた。
「しょうがねぇな」
「え? きゃっ!」
男は私の体を抱きかかえると、肩へと担いだ。
急なことで目を白黒させたが、我に返った私は恥ずかしさと申し訳なさがせめぎ合って慌てて、口を開いた。
「あ、あの! 重いのでっ! 降ろしてくださいっ!」
「――確かに重いな。軽くしとくか」
男はお世辞など一切言わずに、ぼやくように同意すると私の腰にまわしている腕の手で私の腰をぽんと一度叩いた。
するとあれだけ重たく感じていた体が、まるで浮遊感を得たかのように軽くなった。
「よし! これで軽いな!」
男は満足げにがっはっはと笑う。
私は初めて魔法をかけられてたことと、その効果に驚いて呆気にとられた。
そんな私に構うことなく、男は「よっしゃ! それじゃあ行くぞ!」と明るく言い放つと空いている手の指を鳴らす。
その音を聞いた途端、私の視界は暗転した。




