19.キス事情
それから五匹ほど捕れたスッポンを持ち帰り用の蓋付きの籠の中に閉じ込め、ロープでぐるぐる巻きに締めるとようやくセイルさんは安心したようだ。
私の隣にいるロンシェンさんがそれを眺めながら深い息をついて呆れたように口を尖らせる。
「心配性ねー。別に痛くなかったでしょ?」
「いえ、ロンシェンさん。セイルさんは痛いって叫んでましたよ」
「人としての感性が残ってるせいよ。反射よ反射。大袈裟に騒ぎすぎよ」
「それならお前も痛くないよな?」
セイルさんが咎めるようにジロリと横目で睨みつけると、ロンシェンさんはほんのり赤くなっている片頬を手で擦り異議を唱える。
「魔法使いが魔法使いに殴られたら痛いに決まってるよ! あー! 折角の色男が台無しよ! アンナちゃん、僕の顔腫れてない!?」
「ちょっと赤くなってますね」
「やっぱり!? 道理でジンジンすると思ったよ! これじゃあ傷物でお婿にいけないよ!」
「ジジイが。自分の年齢考えろ。帰るぞアンナ」
「は、はい」
ロンシェンさんの訴えをセイルさんは一蹴し、片手で籠を持ち上げる。
私がセイルさんのもとに駆け寄ろうとすれば「あ。アンナちゃん」とロンシェンさんが引き留めたため振り返る。
「はい?」
ロンシェンさんは何も言わずゆっくりと歩を進め、私の顔に自身の顔を近づける。
私は内緒の話かなと思い、顔を横に向け耳を傾ける。
ロンシェンの細い目が三日月型に開き、銀色の瞳が姿を現す。
思わず綺麗で魅入ってしまう。
その目は笑っているようにも見えるし、笑っていないようにも見えて、不思議と惹かれていれば彼の顔は止まることなく頬にくっついた。
何をされたか一瞬分からず、瞬きしていれば顔を離して身を引いたロンシェンさんの瞳は閉じていて、ふっと笑われる。
「こちらの挨拶でまた会いましょうの意味よ」
「……そ、そうなんですか?」
「っ! んなわけないだろ……!」
セイルさんは私の肩を後ろから掴むと押しのける。
驚くほど力が強く、私はふらつきながら後方へと下がったが、そんなことよりセイルさんの様子が気になった。
普段の怒っているときとは違う、切羽詰まっている口調だ。
セイルさんはロンシェンさんに迫ると片手で胸ぐらを乱暴に掴む。
「ロンシェン、まさかとは思うが、口にしようとしたんじゃねぇだろうな?」
「まさか。挨拶を口同士でする地域なんて、ないない。それとも――して欲しかった?」
「原初の魔法使いが、口づけが何を意味するか知らないわけないだろ!?」
「――ああ。人に魔法を与えてしまう、というやつですか。それなら安心していいですよ。生命を授かったときから私にその気はありませんので」
「……」
ロンシェンさんの声は落ち着きをはらっているが、言葉に棘がありどこか反感の意を含んでいるように聞こえる。
セイルさんに向けた感情というよりは、話題に対してのようだ。
ロンシェンさんは、嫌悪感を滲ませた表情で唇の端を上げる。
「アスタカリスタの災悪は酷いものでしたしね。信じてもらえないかもしれませんが、私も君と同じ気持ちですよ」
「……」
なんでもないようにサラリと言葉を紡いだロンシェンさんに、セイルさんは何も返事をせずに彼から手を離した。
沈黙が流れ、重たい空気が流れる。
聞き慣れない言葉を耳にしたが、それよりも気になることが先に出ていたので、私はロンシェンさんを見て声を抑えながら控えめに訊く。
「魔法を与えてしまう……?」
「そうなのよー! 人間が魔女と魔法使いになる唯一の方法なんだけど、これのせいで僕は口同士のキスが永遠にできないのよー! はー。悲しき定めよ……」
ロンシェンさんはおちゃらけた口調で面白おかしく説明する。
その言葉で私はマージさんがセイルさんの初キスの相手だったことを思い出す。
なるほど。マージさんが言っていたことは、セイルさんが魔法使いになるために必要な儀式のことだったんだ。
そしてセイルさんの今の反応は、私が魔女になってしまうことを嫌がっている?
先程のさいあくという事が関係していると思うが、なんなんだろう。
なんとなく雰囲気的にこれ以上は聞きにくい。
というより、私が口を挟んでもいい話なのだろうか。
魔女になりたいとは思わないけど、セイルさんが嫌がっているのであれば、あまり興味を持っている姿を見せたくはない。
「ほらー、セイル。アンナちゃんが不安がってるよー。肩も強く掴みすぎてたし、謝ってたほうがいいよ」
ロンシェンさんの注意する声で我に返った。
背を向けていたセイルさんが振り返る。
少し緊張して体が固くなるが、振り向いたセイルさんの眉尻が下がっているのを目にして、体の力が抜ける。
「すまなかったな……。肩、痛くないか?」
「はい。大丈夫です」
肩は本当に痛くない。
ただ、こういう時はどう振る舞うのが正解なのか分からない。
とりあえず私は、口元を緩めてセイルさんに安心して貰えるように取り繕うしかなかった。
それから私は、浮かない顔のままのセイルさんの隣に立ち、ロンシェンさんと向き合うと頭を下げる。
「ロンシェンさん、色々とお世話になりました」
「そんなに畏まらなくていいよー。僕とアンナちゃんの仲なんだから。けど、どうしてもお礼をしたいなら今度は一人で遊びに来てくれると嬉しいよー!」
ロンシェンさんは私の両手を取って期待に満ちた表情を向けてくるので、返事に困って苦笑する。
するとセイルさんが面倒くさそうに間に入り、ロンシェンさんの体を軽く手で押し返した。
ふらりと彼は数歩後ろに下がった。
「おっと」
「いい加減にしろよ、ロンシェン」
「……そうですね。セイルくんをからかうのは、ここまでにしときましょうか。大分疲れているみたいですし」
「ああ。お前のせいでな」
しかめっ面でセイルさんは指摘すると、私の手を取った。
「それじゃあ、またお会いしましょうね、アンナさん」
ロンシェンさんは穏やかに笑って手を振った。
私も笑みを浮かべて手を振り返せば、視界が暗転し、気付けばシーラさんの研究所にいた。
机の前の大きな椅子に座っていたシーラさんは、目を落としていた書類から顔を上げると、机に書類を置いて立ち上がり、セイルさんのもとへと歩み寄った。
「ロンシェンさんはどうでしたか?」
「……どっと疲れた」
「心中お察しします。報酬はお支払いしますので、少し待っててください」
「いや。最初に言った通り、お前には世話になってるから何も必要ない。とりあえず、今日は早く帰って休みたい」
「そうですか。アンナさんも有り難うございました。何か欲しいものはありますか?」
「いえ。シーラさんのお役に立てるだけで十分です」
「……そうですか。何もしないというのも、なんだか違和感がありますね」
シーラさんは顎に手を当てて悩んでいるようだった。
それから家に帰ると、セイルさんはソファに一直線に向かい、腰を預けると両腕を背もたれに置き天井を仰いで「あー」と声を発していた。
私はそれを後手を組んで見つめる。
「疲れましたね、セイルさん。今日は私が夜ご飯作るのでゆっくりしててください」
「……すまない。頼む……」
普段は何があっても手伝うのに、本当に疲労困憊みたいだ。
私は手を洗ってから自室に戻り、着替えを済ませると鏡台の前に立ち、身だしなみを整える。
ふと、鏡に映った自分の唇が気になり指でなぞる。
口同士の口づけが、人が魔女や魔法使いになる唯一の方法。
だとするなら、私もロンシェンさんと一緒でキスをすることなく生涯を終えることになるんだろうな。
でも……それでもいいよね。セイルさんの傍にいられるんだから。
私が鏡の中の自分に笑いかけると私が自信を持って笑みを返してくれる。
それが答えだ。




